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ジキルとハイド、隠者と俗人、誰にでも潜む二つの顔…=「鶉衣」(11)

江戸中期の俳人、横井也有の「鶉衣」(岩波文庫上・下巻、堀切実校注)シリーズの11回目は、「指峰堂記」(後編下八九、上巻396~399頁)を取り上げます。「孟母三遷の教え」という故事があります。かの孟子の母親が、幼いわが子の教育のために適当な場所を探して、三度も転居したというもので教育は環境が大事だという教え。教育熱心な母親というのはいつの時代にもいるものですが、所謂「教育ママ」とは紙一重の違い。お受験ブームも過熱気味の昨今。孟母は、市場の傍らで子供が遊ぶと変な遊びを覚えてしまうものと忌み嫌ってのですが、也有は知り合いの商人にそれは当てはまらないだろう。いや教育をするなら寧ろ彼の傍らにこそ住むべきではないかとさえ言っております。ところが。。。

年比相知れる1)コウズの2)あり。あらたに世わたる業をいとなむとて、書坊の主と成りけり。げに世に3)ショウコのさまざまなる中に、A)是ぞうらやましきなりはひならし。店静にして秤・4)ソロバンもさはがず。常に文人雅士になづさひて、我智の5)るたづきとなるべく、諺にさがなきものにかぞへたるお乳の人はいさしらず、船頭・馬かたのゑせたるかぎりは、立よるべき店にはあらず。むかし孟母の借屋を撰びて、6)ゲンバイとていやがられしは、三銭五銭の利を争ひ、手をうち(ののし)る商家のうへにして、かゝる類にはさしもあらじ。

いでや市中に栖を求むとならば、此隣こそ子を育つる最上の所なるべけれ。然るにあるじかつてある先生の門に乞ひて、7)を指峰と定めけるとぞ。其意いかならむ、あるじもおぼろおぼろとして、予に此記を書きてと求む。されば思ふに、高きを望む8)丈夫の志を表せるもの歟。猶も心の奥の海の深き心やあらむ、又は山の井の浅きやらむ、いさ汲みしらぬ予にもとむる事や、かの天に張ゆみといひ出でけむ安らかなるためしにもあらで、B)いとむつかしきなぞなぞを造りて、予に解けといふに似たり。9)ロウランの手に及ばずと、むつかりて固辞すれどもうけひかず、とまれかくまれ筆染めてとひたぶるに責められて、聊取次のすゞろごとを書きちらして、是を記とはせよとて贈ることしかり。


知り合いが営むのは「書店」(書坊)。心静かに古の文人たちの書物に触れ、耽ることができることから也有も羨ましがるほど。「お乳の人」、つまり乳母のことで、赤ん坊を人質の如く扱うので物をねだったりとかく素行が乱暴な者、が訪れる場所でもないので安心していられるという。孟母の故事を持ちだしたのも、商家とは言え書店は別格であって、安心して子供を教育できる場所でもあると言いたいのです。

ある先生の俳句の門下生であった彼は「指峰」という号をもらいましたが、その意味する所が今一つ判然とせず、也有にその由来を含めて「記」をものしてほしいと頼みます。「かの天に張ゆみといひ出でけむ安らかなるためし」というのは、枕草子・一三七段にある故事を踏まえています。中宮定子の君が、謎合(なぞあわせ)の御物語をされる条で、人々が難しい「なぞなぞ」の題が出るだろうと思っていたら、出された題は「天に弓張」という易しいものだったため、敵は侮り、却ってしくじって負けてしまったというもの。そんな簡単なものではなくて、「指峰」の「記」を書くという難題を与えられた也有の困惑ぶりを伝えています。人の意図など他人の私がどうして知れようか。老いぼれにはとても無理ですよと再三固辞すれども承知しない書店の主人。ああ煩わしいと、「取次のすゞごと」を認めてお茶を濁しました。岩波によると、「書店を取次ぎするための、とりとめのないこと」とありますが、書店にちなんだことを書き殴ったのでしょう。

彼の店は「孟母三遷の教え」とは違うと最初に持ちあげていたのですが、結局は煩わしいところだと聊か閉口している様子が伺えてくすりと笑えます。同一人物の二律背反的な二面性のコントラストが面白い。駄々っ子みたいな書店の主人にたじたじの也有。七十五歳の作とあり、かなり晩年ですね。この歳になっても人から「記」を依頼されていることからすると、念願の隠遁生活は叶えられていない。次から次へと人が訪れ、俗世間との関係は断ち切れていない。しかも、他人のことを忖度せよという無理難題も突き付けられており、何のための隠遁か分からないといったところでしょうか。好々爺然として人間味溢れる也有の風情が髣髴とします。



■下線部A)はどうして羨ましいのか。


■下線部B)はどういうことか。


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キツネやタヌキが穴に住むのは雨が降るのを知るためなのだ…=「鶉衣」(10)

江戸中期の俳人、横井也有の「鶉衣」(岩波文庫上・下巻、堀切実校注)シリーズの10回目は、「知雨亭記」(前編下四三、上巻187~191頁)を取り上げます。前回ご紹介した「知雨亭後記」の前段とも言えます。

市中はなはだ遠からねば、1)ジョウトウに銭をかけて酒を(おぎの)る足を労せず、市中また近からねば、2)ソウテイに枕を支へて夢を求むる耳静なり。こゝに少しの地を求めて、聊膝を容るるの幽居をいとなむ。よしかの鬼はわらひもすらん、我世のあらましたがふまじくは、花とならびの岡ならずも、A)有りとだにしられでぞ老の春をも過ぐさばやと、人しれず思へるなりけり

かの3)山雀の身のほど隠して、4)シヘキたゞ風をふせぎ、5)サンケイわづかに草を払ふ。こゝに汲むべき山の井なければ、井戸ひとつこそ過分のたくはへなれ。あたりは夕がほ小家がちになれば、枕に鶏の暁を告げ、夜はとがむる犬も声して、ひたすらとをきほどにもあらず。門を出てて東北の方、しばらく十歩の杖を曳けば、指頭万畳の山横ほれ、眼下千町の田つらなり、村落6)ガトの中に入る。南は高くらの森高く、鳴海の浦風も通へばや、熱田潟も名のみして、夏はしらぬ日も多かり。やゝ賤が屋の蚊やりも細りて、衣うつ声、虫の音もよそよりは早き心地するは、夜寒の里も近ければならし。年くれ年かへり、垣ねの梅は遅からねども、7)マンザイ・鳥追ひなどいふものゝ、うき世の春には一日二日も立ちおくれたるなど、さすがに片里めきたり。

されば名付けて知雨亭とよぶ事、かの蘇氏が喜雨にも習はず、何がし黄門のしぐれをも追はず。只これ8)ケッキョに似たればなり。やゝ多病の老にともなひ、しげきことはざに物ぐさなるには、あはれ思ひし儘なるをと、我は心ゆきて覚ゆるを、こゝもまた府城のB)辰巳なれば、「世をうぢ山」と人はいふらんかも。





三段落目にある「蘇氏」とは蘇東坡(蘇軾)のこと。二十七歳のとき、旱が続いていたが、大雨が降って人民が大喜びしたのを機に、自分の庵の名を「喜雨亭」と名付けた故事と、「何がし黄門」とは藤原定家。彼が洛西小倉山にある別邸を「時雨の亭」と呼んだ故事に擬えて、也有の「知雨亭」は雨繫がりで似ているけれど、「穴居」に似ているのが名の由来だと言います。「漢書」第七十五巻に「巣居風を知る、穴処雨を知る」とある。つまり烏や鵲などは巣で風のあるのを知り、狐や狸は穴に居て雨の来るのを知るという。也有は狐・狸に自分をなぞらえて穴を隠れ家と称したのです。

齢五十三ともなると病気がちともなり、繁雑な仕事や務めに億劫になったこの身には、ああ自分の思うがままに生活するのが一番だと思う。ここはお城の南東の方角にあるので喜撰法師の有名な歌「宇治山」とそっくりだと言われてしまうかもしれないなあ。。。

人がどう思おうと己の欲するままに行きたいと思う也有。その理想を具現化する舞台が「知雨亭」だったのです。誰にも邪魔されず起きたい時に起き、食べたい時に食べる。ある意味、動物と同じ、そうキツネやタヌキと同じ生活を送るのです。俗世間の人々との交わりを絶つことが重要なのですが、どうやらいろいろな文章を読んでいると、全く関わりがなくなったというわけではないようです。世間から離れようとすればするほど世間が追ってくる。ああ煩わしい。ああうるさい。「雨」が降るのを知っているだけに何とも落ち着かない様子もうかがえますね。本当に人と会いたくなければもっと山奥にでも引っ越せばいいのに、何とも中途半端な場所に庵を構えたものです。このイージーさがまた也有の魅力でもあるのでしょう。人が放っておかないというか。。。徹底的に人嫌いになり切れないのが人間の臭味に溢れている。この「鶉衣」にはそのエッセンスがたっぷり詰まっています。まだまだ也有の魅力は掘り下げる必要がありそうですね。


■下線部A)の意味を記せ。


■下線部B)はどの方角か。

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「俗」の中で逃げず生きてこそ本物の「隠者」なり=「鶉衣」(9)

江戸中期の俳人、横井也有の「鶉衣」(岩波文庫上・下巻、堀切実校注)シリーズの9回目は、「知雨亭後記」(後編下九七、上巻390~394頁)を取り上げます。「知雨亭」というのは以前も登場しましたが、前津(現在の名古屋市中区上前津)にあった也有が致仕後に幽棲した庵のことです。別名を「半掃庵」とも言います。宝暦四年(1754)也有53歳のえとき、かねて願ってきた引退許可が下り、城南・前津にある別宅を「終の栖」としたのです。この段の後半に、その時の心境が切実に綴られています。世俗から離れ切れない自分の葛藤。世間は斯くもお節介なのか?それとも自分に未練があるのか?…「城北の市中」に住んでいるという「おそろしきおのこ」を見習いたいと感じているようです。。。。

城北の市中におそろしきおのこ有りけり。世々薬を1)ぎて業とす。表には児玉屋の2)ノレンをうき世の風になびかせ、世わたる塵の紛々と見ゆれど、内々は孤松軒の額を3)カンテキの月に照して4)ヒッケンにあそび、詩を賦し文章をつゞりて、見ぬ世の人を友とす。此楽しみ世の俗客は夢しらず。A)吏隠・B)禄隠の類にして、C)商隠とこそいふべかりけり。昔伯休は身も名も隠して、薬を売らんとしてかへつて安く見知られぬ。今此おのこは隠れずして売る故に、其心をよく隠る。一日我が幽栖を敲いて後、はじめて其5)コウチをしれり。そもそも我は隠遁の容をまねびたれども、猶世に隣るが故に、旧識遊人に撩(みだ)されて、6)シュクシの閑を得る日少し。かれは中々7)セロに立ちて、人しれず閑を得る、8)サギと烏のうえを見るに、夏木立のしげみによれば、烏よく隠れてサギはあらはなり。雪のあしたに見わたせば、サギよく隠れて鴉は紛れず。黒白の隠見いづれをか得たりとせむ。されば我亭のもとより知雨と号する其意を汲みたりとて、頃日例の金玉の文をつらねて我に試み問ふ。文意誠に面白く、くり返して9)ゲキセツに堪へず。されども此二字を取る事、聊別に微意あり。巣居知風、穴居知雨の語あり。

つらつら我身の上を思ふに、幸に上国世臣の家に生れて、不肖の見のおほけなくも父祖の禄を伝へ、剰へこちたき官に10)ショウボウして、D)南郭が竽を吹きしも二十とせ余り、たとへば狐狸の人らしく化けて、よく尾を蔵したるが如し。程ふるまゝに、しかすがに青松葉の辱を恐れて、みづから妖の皮を脱ぎ、11)ロドンの正体を12)し、卒に13)ホウコウのもとに穴を営み、かく世の外に余齢を守るなり。知雨の因縁かくの如し。今は焼鼠にも迷はじとこそ思へるに、人やゝ穴を嗅ぎつけて、侘びたる14)も面白きやらむ、今は15)に道ふみひろげて、腹つゞみの閑を妨げらるゝ事しばしばなり。されども、しか16)イトふは17)ジンカクの事、孤松のあるじは同調相応ずるの人、E)世にいふひとつ穴の狐なれば、来ん来んといはむには、昆布に山椒の渋茶をまうけて、我も亦、快々とかたらふべし




■下線部A)~C)はいずれも所謂「隠者」の一形態。それぞれ意味を記せ。


■下線部D)はどういうことか。



■下線部E)はこの段の落ちである。也有のどういう覚悟を言おうというのか。記せ。


「おそろしきおのこ」とは、「児玉屋」との看板を掲げる薬屋の主人のこと。商人ですからまったくの俗人にしか見えないのですが、実は陰では「孤松軒」の額縁を手に、月明かりを照明にして文章を書いたり詩を詠んだりして密かに隠者の生活を送っている、まさに「おそろしきおのこ」なのです。彼の友人は古人の文章。だれもこのことを知らないというのですが也有はどうしてこの事実を知り得たのでしょうかね?堂々と薬売りをやっているが故にその本質を外に表すことがないという。これこそ隠者の鑑でしょう。招隠詩の「大隠朝市」という言葉がまさに当てはまります。真の隠者は隠れる場所や形にはこだわらないのです。心が隠れていればいいのでしょう。だから也有は「隠遁の容をまねびたれども、猶世に隣るが故に、云々」と、本当の隠者になり切れない自分の現状を嘆くのです。

かの「おそろしきおのこ」を鷺と烏の色に喩えて、「黒白の隠見いづれをか得たりとせむ」。雪の時は鷺が隠れ、夏木立の時は烏が隠れる。白黒で見え隠れするのはどちらがいい悪いではない。見え隠れするのではなく見え隠れが気にならないようにするべきである。だから、也有は穴籠もりのキツネやタヌキに喩えて「知雨亭」を構えたのです。薬屋の主人とは気が合うようで時々、訪ね合ってはお互いの文章を批評したり語り合ったりしていたようです。

後半では隠遁生活を望んだ理由とそれがなかなか叶えられない現実の相克を説いています。代々尾張藩の重臣の家に生れ何不自由はなかったのですが、自分を省みるとそれほどの才能も取り柄も無いことが恥ずかしく、分不相応な待遇に堪えられなくなったと言います。謙遜も甚だしく、或意味嫌味にとも受け取れますが、逆に言えば、生れた家を選ぶことは出来ない運命に嫌気がさしていたのではないか。過分にも大仰なお役目を戴いたがそれは決して本意ではなかった。自分は穴に籠もるキツネかタヌキに過ぎないのに。。。幸いに二十年間はその尻尾を顕すことも無かったが、年も経れば自ずと本性が現れ、身を隠すことを強く望むようになった。まさに化けの皮が剥がれた思いがする。これが知雨亭なのだ。どんなに美味しそうな餌があっても飛びつくまいぞ。。。ところが、折角の穴も次から次へと人々が訪れ休まる暇がない。孤松軒の主人だけが私の気持ちを分てくれる。こんこんと啼き合う狐の仲間なのだ。同じ穴の狐なのだ。

「知雨亭」の名の由来は実は「前編下四三 知雨亭記」に記されています。これは次回の懸案ということにいたしましょう。

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真の「隠居」を獲得するには必要以上に追わず逃げぬ姿勢が求められる=「鶉衣」(8)

江戸中期の俳人、横井也有の「鶉衣」(岩波文庫上・下巻、堀切実校注)シリーズの8回目は、「隠居弁」(後編上五十、上巻242~247頁)を取り上げます。也有は五十三歳で仕事を辞めて悠悠自適の隠居生活に入りました。人と交わるのが煩わしかったのではないようで、也有はその後も様々な文人墨客と交際し、書画の画讃や俳文の序文を頼まれたりしています。お殿様に仕えるのもいいが、あくまでも自分のペースで生きたかったのではないでしょうか。

1)キザンの月は高うして望むべからず、五湖の水も深うして窺ひがたし。垣は2)シハクに隣れどもA)タイインの市にもへだゝり、庵は黄稲の陰にまじはれどもB)ショウインの陵藪よりも浅し。されば昔の隠者を思ふに、徳ある人の世にしたふをむつかしがり、仇ある人の敵を恐れて、さてこそ名をもかへ、かたちをも忍びけめ。徳もなく仇もなき人の、たとへ四条五条に金の看板を出したりとも、問ふべきよしの人こそとはめ、さもなき人は見むきもせざらむ。おさな遊びのかくれんぼも、尋ぬる鬼のあればこそあれ。さるをうき世にかくれ顔なるぞ、中々はづかしき心地ぞずる。

いでや世に隠居の二字全からむと、みそかにちかき有明の月さしこめて、門は3)に閉ぢさせ、かりにも人にあはじあはじとひそまりたらむ、さは見事なる隠居ぶりかな、是を4)見ならへと、出すりこ木なる隠居をはぢしめて、人もよしとはほむるならむ。それは後世にもかたぶきたる人の、あが仏をこらへ力にして、たまたまたへてもとげぬべし。さもなくて命つれなき人は、朝ね昼寝のしづかづくしにも飽けば、次第にさびしくくらし佗びて、かれはかくいふゆかりあり、これは久しき友なればと、おとづれかはすほどに、野中の清水にことよせて、そろそろ昔をとりかへし、始には似ぬ人もあるべし。花山の上皇も、かゝるうき名には立たせ給ひたりとか。さるは北山の神霊にもいかられ、俗の諺には「よりがもどけた」ともいふなりけり。されば物の始にぞゆく末はよく思ひはかるべき事にこそ。

そもや我身の上をいはゞ、かしこき陰を頼み奉り、5)カンロに立ちしも久しけれど、もとより毒にも薬にもならねば、人にあかれし身とも覚えず。6)ウロの恵み深くして、すなをなる国にも鬼もなければ、世に人に我もあかず。只病になやまされ、今は弓も引きがたく、馬にも乗りがたく、さてもものゝふの名にかずまへられんは、南郭が7)を吹きけん此身のうへのはづかしければ、老と病を8)イッカにして、うき世の関はのがれ出でたるなり。しかれば誰をおそれ何を恥ぢて、さのみは逃げもかくれもすべき。さりとて又9)キケンの門松をくゞり、桃に菖蒲に袖ふりはへて、ここの嫁入かしこの法事にもつらならんは、いと見ぐるしう、官事をさへ辞したればいかでかは。こゝにうき世の店をしまへば、まことはたゞ10)トンセイ者とこそいふべけれ。さるを押付けて隠居々々とは、いたみ入りたる名目ながら、是非なき世の通称となりて、行灯・挑灯の取ちがへも、多勢に無勢叶はねば、益なき事はあらためぬをよしとこそ。

過ぎし比、いづくの程にか、市中の門柱に隠居某と書ける家札をみて、これはとしばらく目さむる心地はしけるが、今や身の上になりぬれば、隠居したる悦びとて、したしき限はいふに及ばず、うとき人々にまでとはれて、門前しばらく11)イチめけば、きのふのうき世よりやかましく、それ又謝せずば有るべからずとて、家を尋ね門たゝかせて、物まうに人を驚かし、隠居の礼にいそがはしきは、おかしかりける世のさまかな。やいとげに食傷して煩ふ人のたぐひなるべし。

 四角なる浮世の蚊屋はしまひけり


也有自身病気がちでもあり隠居したのですが、周囲が放っておかず「隠居」「隠居」と押し付けがましく言われるのは困ったことだと嘆いている場面があります。最後のくだりは隠居とは何かを問うています。市中にあって「隠居」などと公言しない方がいい。かえってそんなに親しくない人さえ訪ねてくる始末。隠居する前よりにぎやかしい生活となってしまっては何のための隠居か分からなくなるから。

最後の一句は、四角四面の煩雑な礼儀作法にも気を使わずに済むように「浮世の蚊屋」をしまった自分。俗世間から離れた隠居の身を楽しもうとしている意気込みが強く感じられます。

心静かに自分を貫き通すことこそ真の隠居ではないでしょうか。山籠もりするという形式はさておき、自分もが求めるものを只管追うこと。誰彼に左右されず。周囲の環境はさまざまに変化するだろうが揺るがすことのない信念を持って自分を押し通す。人に合わせることがこんなにも疲れるのか。と病んだ挙句の境地かもしれません。人がいて自分がいるのか。はたまた人がいようがいまいが自分はいるのか。人との関わりを否定するものではありませんが、もっと自分に自信を持って生きたいもの。自分の価値観を大切にしたいもの。也有の憧れの境地は現代人にとっても普遍性の強い世界だと思います。

徒に長寿を貪るくらいならさっさと見切りをつけたいが、自ら棺桶の蓋を閉めることはできないのですから、理想的な隠居だけは実現したいものですね。難しいけどね。




■下線部A)、B)に当てはまる漢字を記すとともに、その対比によって也有が言いたいことを記せ。



問題の正解などは続きにて。。。

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下手の横好き?実ある長寿目指し「琴棋書画」を物しよう!=「鶉衣」(7)

江戸中期の俳人、横井也有の「鶉衣」(岩波文庫上・下巻、堀切実校注)シリーズの7回目は、「四芸賦」(後編上四九、上巻237~241頁)を取り上げます。「四芸」とは「琴棋書画」(キンキショガ、也有は「琴碁書画」としています)、琴を弾き、碁を打ち、書を書き、絵を描くといった、中国で古来、紳士の教養として重視されてきた嗜みのこと。「芸は身を助ける」とも言います。現代人にとっても、この四ついずれもは無理としても、四つのうち一つでも極めようという意欲を持てさえすれば、「楽しく老いる」というテーゼに対して一つの「解」を満たすことができるのかもしれませんよ。

琴碁書画は異国の沙汰なるべく、こゝにあはぬ評ながら、しばらく名をかりて論ぜむに、琴はことさら品の異なるやらむ、かしこにはもつぱら隠者1)カンジンのもてあそびにして、十三絃だに所せきに、二十五絃のいそがしきも、いかなる嶺の松風にやかよいけん。さるもA)無絃の琴を撫でて、意ありと楽しみけんは、こゝにも上戸の樽のせんを齅(か)ぎて、月みたる咄には似たりけり。

碁にすける人ほどうらやましきはなし。さしむかひたる内の無念想なる、士は金門に腰を折りしけさのつかれを忘るれば、2)ヒンソウはあすの3)コメビツのあてなき事を思はず。夏は入日の西に迫りて、膝の上までさし入れども、たゞ地を造り、はま巻尽してぞ、始めて蚊の口のかゆさを覚え、菓子盆に蟻の付きたるを驚く。冬はみづばなの露落ちて、無常を死石の上に観じ、火燵蒲団に吸物はいつの間にかこぼれけん。たゞかの蟬といふものゝ、をのれなく音にのみ心を入れ、それをねらふものは、うしろに鳥の窺ふをしらぬに似たり。その4)トウロウの斧朽ちて、七世の孫にあひし時、久しき年月の別ながら、咄すべき事のひとつもなかりけんは、大きなる損といふべし。我もとより5)フキコンにて、此楽しみをしらざるはふかき恨なり。

さて手跡のつたなからぬは、ことにあらまほしきわざなり。6)も7)上品の人は、詩歌文章にのみ筆を染め、8)ショカンもいやしからぬ文躰に、万世の後も名はとゞむべし。品下りたる人は、日用の事々にも用ゆれば、或は文庫の覚書に、何匁何分何厘、此銭何百何十文と、定家やふの筆法もいと口おしく、又は此暮、利分ばかりに御了簡偏に頼み奉ると、文徴明が跡をのこすもにげなきわざにして、心の外なる事ながら、世わたるならひいかゞはせむ。悪筆兵衛が出るまゝ口に、「手は只よめ安きこそ要なるべけれ、たとへ9)ノウヒツが書きたりとて、一字が二字の用もせず」といひたるは、ことはりに似て無下に覚えしか。

そも又画ばかり位の品々なるはなし。能画のうへはさらにもいはず、鳥羽絵の男は痩せてさびしく、大津絵の若衆は肥えて哀なり。うき世絵は又平に始り菱川に定り、今、西川に尽きたるといふべし。10)ハタゴ屋の屏風には、けしか牡丹かしれぬ花咲きて、人より大きなる鶏の、屋のむねにとまりたるこそ目さむるわざなれ。又は藪寺のふすまには、遠水に波高く、遠人の目鼻あざやかに、帆かけ舟に乗りて跡へ走る、これらも絵にあらずとはいはざるべし。俳諧師の絵は、上手下手の沙汰なしとて、翁も跡をのこし給へば、我も我流の筆ぬらしそめて、破れ鍋の11)ガサンをかけば、12)トジブタの望みありて、こゝかしこにちりぼふ。あはれ恥しらぬわざながら、「はゞからず書きちらすはよし」と、吉田の法師を無理なる13)荷担人にして、此年比、硯の海にも遊ぶ事にぞありける。




まずは「琴」。音楽ですね。楽器の弾ける人は羨ましいですな。松籟とともに奏でる琴の根は風習極致にいたるもの。しかし、たとえ弾けずとも酒を飲んでいれば自らの中に音楽を奏でることは出来ようぞという落ち。どうやら也有は音楽はからきしダメだったようですね。

続いて「碁(将棋)」。碁に没頭すれば日常の憂さも忘れられるという。蚊に刺されても有りがお菓子に群がろうともお構いなし。水洟が垂れてもお吸い物が零れていても気づかない。あまりにも無邪気だが危なくもある。蝉が一心不乱に啼き、気づいたら自分より七代も下の孫に遭ってしまうという浦島伝説。会話すら成り立たない。これは危ないぞ。幸い也有は囲碁も嗜まなかったようでセーフ?パチンコに没頭して我が子を車に放置、熱中症で死なせてしまう親もいるらしいから、やはりギャンブルや遊びは要注意か?

さらに「書」。「手跡」は「筆跡」のこと。字は上手いに越したことないですな。あとあとに残るだけに憖、下手糞だと恥ずかしさだけが伝わってしまう。「字なんざよめりゃあいいのよ、上手い下手より読みやすさこそ肝心。どんなに優れた書家でも、『あ』は『あ』、一文字が二文字分にはなるめぇ~」。也有は書にも自信はなかったようですね。

最後に「画」。絵が最も上手い下手のランキングが激しいと也有は言います。鳥獣戯画も大津絵も也有からすれば??扱き下ろしの対象。遠近法も滅茶苦茶な絵が至るところに飾られて興ざめすること甚だしい。かの芭蕉翁も俳諧師に絵の上手い下手もあるものかと書き残されている。也有も負けずに絵を書きまくっていると言います。吉田兼好も書け書けといっているのをいいことに恥を忍んで今日も私は墨を摺る~。岩波文庫を表紙を見る限り、上手いとは思いませんが軽妙な筆致でいかにも洒落者といった雰囲気は滲み出ています。絵心はあった方のようです。

齢八十二歳まで長寿を嬉しんだ人です。さまざまな体験や事物を文章に書き残すだけでは納まらず、絵をしたため続けた。下手の横好き。もしも現代人が否応も無く長寿を強いられているとしたならば、やはり「生」を謳歌してこそ本望。日々生きた証を残すのが楽しく生きるエネルギーとなるはずです。琴棋書画の何か一つくらいは取り組んでも罰は当たらないでしょう。人の価値基準は異なると雖も、古来、先人の口に膾炙してきた嗜みこそ受け継ぎ残していくべきではないでしょうか。それが自分の生にもつながるのですから。


■下線部A)は中国の詩人の重要語である。誰か。


問題の正解などは続きにて。


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民主も自民も糞味噌、五十歩百歩なのだと痛感させられました=「鶉衣」(6)

江戸中期の俳人、横井也有の「鶉衣」(岩波文庫上・下巻、堀切実校注)シリーズの6回目は、「夢二客賦」(後編下八四、上巻358~363頁)を取り上げます。「とざい、と~ざ~い。世にも不可思議な漫才が始まるよ」。。。残暑厳しい折から、涼しい夕暮れを待って昼寝をまどろんでいると、夢の中でおかしな二人?もとい二匹?もとい二本が、口角泡を飛ばして諍いをしています。テーマは、兎に角、相手を扱き下ろし、自分の方が如何に優れているかを競い合っています。この二本の正体は一体?はたまた、漫才の落ちや如何???

秋の蟬猶梢の暑さをのこし、暮待つ翁の1)ヒジを曲げたるかりの夢に、怪しき二客の争ひを見ける。一人は色黒くして疎なる髭の如く、みづから2)コンロン先生と名のる。一人は面長に頂すこし3)なるが、真桑居士と称す。共に酒臭きは、いたく酔ひたるやらむ。

先生まづ進みて云く、「我そも居士の下に立つべくもあらぬを、今一桶の内に在りて、何ぞ我より上つかたに横たはれるや」と。居士云く、「我もまたいかでか先生の下とは定まらむ。予はひたぶる賤しき農夫の手にのみもなれず、昔邵平が東門に作り、殊に4)リザンの温湯を分ちて、二月中旬の走りをも献ぜしものを」。〽いな、もろこしの事はしらず、山時鳥里馴るゝ比は、駿河のはつなり価玉のごとく、籠に盛り馬にのぼりて、東都に下る勢ひを見ずや。たまたましろ瓜といふものありて、わづかに其威を借れども、我目には5)キビの蠅とこそ見れ。〽そもそも6)カンジンの他郷の役に倦みて、故国へ還る悦の時を、7)カキとて殊に待たるゝものを。〽さらば一富士二鷹に並びて、夢の吉兆とするにはいづれ。〽我聞く、むかし禅僧にふみ8)ニジられて、9)ムリの10)蝦蟆となりて命を請ひし妖怪はいかに。〽いざ我も亦聞けり。一条帝の御時に、怪しき毒を含み、清明に占はれ、行尊に祈られて、踊り狂ひし不祥こそ増りぬべけれ。〽山城のこまのわたりの瓜作りと、故人の詞にもつらねしぞかし。〽扨はかのわさゝの糟につけ置きてと読みける歌はしらざりけるよ。〽うたてやそれは秋茄子の11)に立ちけるうき名ならずや。〽大原や田中の村の瓜作り秋は果つともかりもりなせそとしめしける歌も有りしを、見ぐるしく世にすさめられ、名をさへかりもりとは、平家の公達を似せけるやらむ。〽只己が身を省みるべし。味噌に油に味ひをかざりて、寺に12)シギ焼の仇名こそにくむべきを。

かくいひいひて果しなければ、今は翁も枕をもたげて、あなよしなしあなよしなし、かれはかれ、これはこれ、瓜の13)ツルに茄子はならず、只己がさまざまにて、何ぞ尊卑の品あらむや。不用の争ひをして、なれそこなひ味変じなば、人に疎まれ捨てられて、畠のこやしと成りや果てなむ。やみねやみねと扇を把りて席をうつ事三下り、ふたつの姿たちまち消えて、夢も亦さむれば、只青丹よし奈良漬桶のみ、依然として棚本に残れり。


この漫才コンビはかたや「菎崙先生」こと茄子。こなた「真桑居士」こと瓜。しかしながら、茄子と瓜に綢わる諺や故事成語がこんなにもたくさんあるとは驚きです。日本人にとって両者はかくも食生活に無くてはならないものだったのでしょう。列挙しますと。。。

「昔邵平が東門に作り」→「邵平」は「召平」のあやまりで、秦の東陵侯のこと。秦が漢に破れたため、民間人になって貧乏に苦しみ、長安城の東に瓜を育てた。その味はとてつもなく美味であると人口に膾炙されました。

「殊にリザンの温湯を分ちて、二月中旬の走りをも献ぜしもの」→玄宗皇帝が楊貴妃のために好物の瓜を促成栽培したのです。いまではライチということになっていますが。

以上は真桑居士が中国の故事を持ちだして瓜の素晴らしさを礼讃したものです。

続けて。。。

「山時鳥里馴るゝ比は、駿河のはつなり価玉のごとく」→茄子はとくに駿河産の二月ごろに出回る初物がおいしく、その価値も高いということが「嬉遊笑覧」に載っています。籠に載せて江戸・徳川将軍家に献上されたのでしょう。

「たまたましろ瓜といふものありて、わづかに其威を借れども、我目にはキビの蠅とこそ見れ」→白瓜といえども茄子よりおいしくはあるまい。

以上は崑崙先生の反撃です。

さらに今度は。。。

「カンジンの他郷の役に倦みて、故国へ還る悦の時を、カキとて殊に待たるゝものを」→瓜の成る九月に地方官を故郷に帰らせたという故事が春秋左氏伝にみえ、真桑居士が瓜の重要性を強調しています。

翻って。。。

「一富士二鷹に並びて、夢の吉兆とするにはいづれ」→諺の「一富士二鷹三茄子」。駿河国の名物で、吉夢の順番を言います。もちろん、崑崙先生の反撃です。

はたまた。。。

「むかし禅僧にふみニジられて、ムリの蝦蟆となりて命を請ひし妖怪はいかに」→「俳諧類船集」に「闇の夜に蛙を踏ころしたると思ひて、明けてみれば茄子なりしと也」とあり、ここは真桑居士が崑崙先生を貶しています。

崑崙先生も負けてはいません。

「一条帝の御時に、怪しき毒を含み、清明に占はれ、行尊に祈られて、踊り狂ひし不祥こそ増りぬべけれ」→陰陽師の安倍清明が、一条天皇の御世、藤原道長が物忌みをしたとき、奈良から初瓜が献じられたが、清明の占いに拠り、一つの瓜に毒のあることが分かり、解脱寺の僧侶に祈禱させると瓜が動き出し、その中に大蛇がいたという故事があります。瓜は斯くも不吉な食べ物であると崑崙先生が口角泡を飛ばしています。

さあ、真桑居士も必死です。

「山城のこまのわたりの瓜作りと、故人の詞にもつらねしぞかし」→謡曲の「催馬楽」に瓜を誉めちぎるくだりがあると歌います。

「扨はかのわさゝの糟につけ置きてと読みける歌はしらざりけるよ」→岩波によると、出典不明ながら、「わさゝ」は早酒のことで新酒の糟に漬けた秋茄子は美味だから嫁には食わすなということ。茄子はこんなにも美味しいんだぞ~い。

「うたてやそれは秋茄子の娵に立ちけるうき名ならずや」→秋茄子は嫁に食わすなというシンプルなことわざもありますね、嫁の立場に立てば、単なるいやがらせなのじゃないかと真桑居士が真っ向から反論しています。

「大原や田中の村の瓜作り秋は果つともかりもりなせそとしめしける歌も有りしを、見ぐるしく世にすさめられ、名をさへかりもりとは、平家の公達を似せけるやらむ」→瓜の裏成りは見苦しい物で世の人に嫌われ捨てられている。平家の公達には「●●盛」という名前が多いのも一致しますね~と揶揄する崑崙先生。

「味噌に油に味ひをかざりて、寺にシギ焼の仇名こそにくむべきを」→腹が立って仕方がない真桑居士は、シギ焼といっても鳥の肉ではなく茄子を代わりにしたもの。茄子味噌焼きの別名を、あだ名として小馬鹿にしています。
「瓜のツルに茄子はならず」→平凡な親からは非凡な子供は生まれない。蛙の子は蛙、瓜の子は瓜、茄子の子は茄子。。。相容れない者同士は一生交わることは出来ないのだ。。。二本の掛け合いは放っておくと一生も続く公算が大。まどろく翁、すなわち也有も流石に堪忍袋の緒が切れて干渉役に回り大喝一声します。

「只己がさまざまにて、何ぞ尊卑の品あらむや。不用の争ひをして、なれそこなひ味変じなば、人に疎まれ捨てられて、畠のこやしと成りや果てなむ」

茄子も瓜もどっちが上で下などありはしない。糞味噌、五十歩百歩ですな。美味であるがゆえに人々から大事にされ、珍重してもらえるのだから、変に喧嘩して味を損なうと見捨てられるばかりか、畑の肥やしと化してしまうぞ。

そして、「落ち」です。

夢も亦さむれば、只青丹よし奈良漬桶のみ、依然として棚本に残れり。

奈良漬けの桶だけが棚に残っていたとさ。肝心の要の茄子も瓜もない。あ~あ空っぽ、ひもじいな~。腹ぺこの也有が夢に見た茄子と瓜でした。也有69歳にしたためた漫才でした。ほのぼのとした描写ながら、故事来歴をふんだんに織り交ぜるいかにも也有の文章。事物に注がれる温かな眼差しはあるとき人をドキリとさせます。なぜなら、それは特定の人間を指しながら風刺しているからでしょう。読む人が読めば自分のことだと判じるはず。民主党も自民党も○○党も糞味噌、五十歩百歩。茄子も瓜も優劣がないなら大連立も仕方ない哉~。ちゃんちゃん。。


それにしても、酔っ払いの珍問答のスタイルは、中江兆民先生の「三酔人経綸問答」を想起しますね。兆民先生は也有のこの文章から着想したのかもしれませんね。。。

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長寿を目的にすることなく楽しく老いればそれでいい=「鶉衣」(5)

江戸中期の俳人、横井也有の「鶉衣」(岩波文庫上・下巻、堀切実校注)シリーズの5回目は、「歎老辞」(後編上四八、上巻233~237頁)を取り上げます。迂生のプロフィールをご覧いただくと、「不惑以上知命未満の云々」とありますが、これは三年前に開設した時のがそのまま。迂生の齢はいまだこの範囲には納まってはいますが、いずれあと数年後には「知命以上(耳順未満)」と書き換えねばならない時が来るやもしれません。人が何年生きるのかは「棺の蓋」が閉じた時に初めて言えるものではありますが、できうるのならば事前に知りたいのが人情でしょう。

也有は常に「老い」を怖れました。五十三歳で念願の「第一線」からの引退がかなったのはいいとして、それがなんと八十二歳まで長生きします。現代に於いてもかなりの長寿となります。古来人々は不老不死へのあこがれもある半面、「寿則多辱」ともあり、「荘子」(天地)に出てくる言葉で「長生きはイコール恥をかく機会も多い」との意味で、長生きを「恥晒し」として「ネガティブ」にとらえる考え方も根強かった。也有が引退した直後に書かれたとみられる今回の文章をあじわい、長寿について考えてみましょう。但し、漢字の問題は少なくて申し訳ないです。

芭蕉翁は五十一にて世をさり給ひ、作文に名を残し難波の西鶴も、五十二にて1)イチゴを終り、「見過にしにけり末二年」の辞世を残せり。わが虚弱多病なる、それらの年もかぞへこして、今年は五十三の秋も立ちぬ。為頼の中納言の、若き人々の逃げかくれければ、「いづくにか身をよせまし」とよみて歎かれけんも、やゝ思ひしる身とはなれりけり。

さればうき世に立交はらんとすれば、なきが多くもなりゆきて、松も昔の友にはあらず。たまたま一座につらなりて、若き人々にもいやがられじと、心かろくうちふるまへども、耳疎くなれば咄も間違ひ、たとへ聞ゆるさゝやきも、当時のはやり詞をしらねば、それは何事何ゆへぞと、根問ひ葉問ひをむつかしがりて、枕相撲も2)ケンざけも、さはぎは次へ遠ざかれば、奥の間に只一人、火燵蒲団の島守となりて、「おむかひまいりました」と、とはぬに告ぐる人にも「3)カタジケナし」と礼はいへども、何のかたじけなき事あらむ。

六十の髭を墨にそめて、北国の軍にむかひ、五十の顔におしろいして、三ケの津の舞台にまじはるも、いづれか老を歎かずやある。歌も浄るりも落し咄も、昔は今のにまさりしものをと、老人ごとに覚えたるは、をのが心の愚なり。物は次第に面白けれども、今のはわれが面白からぬにて、昔は我が面白かりしなり。しかれば、人にもうとまれず、我も心のたのしむべき身のをき所もやと思ひめぐらすに、わが身の老を忘れざれば、しばらくも心たのしまず、わが身の老を忘るれば、例の人にはいやがられて、あるはにげなき酒色の上に、あやまちをも取出でん。

されば老はわするべし、又老は忘るべからず。二つの境まことに得がたしや。今もし4)ホウライの店をさがさんに、「不老の薬はうり切れたり、不死の薬ばかりあり」といはゞ、たとへ一銭に十袋うるとも、不老をはなれて何かせん。不死はなくとも不老あらば、十日なりとも足りぬべし。「神仙不死何事をかなす、たゞ秋風に向ひて感慨多からむ」と、5)薊子訓をそしりしもさる事ぞかし。

ねがはくは、人はよきほどのしまひあらばや。兼好がいひし四十たらずの物ずきは、なべてのうへには早過ぎたり。かの稀なりといひし七十まではいかゞあるべき。こゝにいさゝかわが物ずきをいはゞ、あたり隣の耳にやかゝらん。とても願のとどくまじきには、不用の長談議いはぬはいふにまさらんをと、此論こゝに筆を6)ひぬ。


也有が敬愛する芭蕉が亡くなったのは五十一歳、井原西鶴は五十二歳。とうとう彼らを超えてしまった也有の感慨が述べられています。若い人と話が合わなくなる一方。若い人の邪魔にならないように生きていくことの気詰まり。かといって、生きている者は仕方がない。自分で命を止めることもできない。それでは老いることを忘れて生きられることができるかと言えば無理なことを悟ります。不老不死。老い曝えて何かある。老いることは止められないが死ぬことは止められる薬だけあってもつらいだけ。適当な時宜で死ぬのが一番。とはいえ、四十じゃ早すぎ。杜甫が歌った古稀、七十では長く生きすぎか?ああどうしよう、どうしたらいいのか。老人の長話は嫌われるだけ。ああ、つらいやつらいや。。。

馬齢を重ねるという言葉もありますね。徒に長生きすることを愚かしいとするもの。三段落目にある「物は次第に面白けれども、今のはわれが面白からぬにて、昔は我が面白かりしなり」は身につまされる台詞ですね。年を重ねるといろいろな経験をして面白いことの妙味が分かるようにはなるのだけれど、自分自身は全然面白い人間ではなくなる。若い頃は魅力たっぷりの人間であったのだが。。。年を重ねるということの本質を言い当てていると思います。長生きは素晴らしいことなのです、屹度。長い時間を生きるということはそれだけ、経験をするということ、もちろん楽しいことばかりじゃない、辛いこともたくさん経験するのでしょう。大地震なんて経験した日にはこんなに長生きするのでは無かったと思う御老人も少なくはないでしょう。関東大震災と東日本大震災を二つとも経験した人はいるのでしょうか??

しかし、長生きをするということは老いるということでもあります。体の節々が老化し、思うように動かなくなり、病気に陥り寝たきりにすらなることもある。そんな状態になってまで長生きして何の得があるのだろうかとも考えてしまうでしょう。四段落目にある「されば老はわするべし、又老は忘るべからず。二つの境まことに得がたしや」。この二つの課題を抱えて生きなければならないのは辛いですね。老いることと長生きすることはイコールなのです。片方だけ都合よくなくしたり、片方だけ都合よくしたりすることはできない。長生きするのは老いること。老いた結果が長生きになる。となれば、老いることを恐れないで生きるしかない。その結果が長生きというのがいい。長生きを目的にはしたくないですね。老いることが不可避であるならきれいに老いたい。健康的に老いたい。也有が達した結論です。長寿社会を造ってしまった現代日本の抱える様々な課題を解決するヒントがありはしないか。長寿は目的ではないのです。楽しく生きることの帰結が長生きである。

実はこのあと、也有は「後編 中六七」に「六十齢説」というのも書いております。いわゆる還暦を迎えて認めた文章。愚かにも年だけ重ねて長生きしてしまったと述懐するのですが、半面、長寿は目出度いことでもなんでもないと実感する。恥ずかしいことなのだ。六十まで生きてしまった感慨と後悔にも似た思いに苛まれています。しかし、寿命は自分で決められないんですよね。どうやら也有は生涯、老いを恐れ、生と闘った人のようですね。


上寿は百歳、中寿は八十、下寿は六十とかや。7)ホリュウ多病の身の、いかで六十の齢に至り、かの寿の数にはつらなりけん。けふは長月の四日、我生れたる日なりけり。世の人の賀とてもさはぐは此日なり。妹あり妻あり男女の子どもあり。かれらが心にはうれしともめでたしとも思はゞ思ひもすらめ、只8)ケンバの年老いたるにこそあれ。もしはかなたこなたに詩を乞ひ和歌もとめなどして、世にしられ顔なる、我に於てはいと恥かし、必ず音なせそとかねていましめてさる事せず。げにや古人の恥多しといひけん、我は愚に知らずとも、人はかぞへても笑ふらんを。

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お臍にもいろんな顔がありまして悪さをするのもいるのです=「鶉衣」(4)

江戸中期の俳人、横井也有の「鶉衣」(岩波文庫上・下巻、堀切実校注)シリーズの4回目は、「臍説」(後編上五五、上巻258~262頁)と「臍頌」(同五九、上巻272~276頁)の豪華二本立てです。どうしてお臍があるか?そんな根源的なことを考えたことありますか?「蓬生のかげにかくれて、表のかざりともならず、何の益なき道具」(臍なんてあってもなくても同じだ)―。也有は、「臍説」では無用の長物だといいます。翻って、「臍頌」では臍を友達として大事にしようと称賛します。この変わり身は何なのでしょうか?迂生にとって臍への思いはもっと深いものがあります。というのも、今から何年も前のこと、臍の病気を患い手術をしたことがあるからです。意外でしょ?臍にも臍特有の複雑な病気があるのです。普段、何の存在感も無いはずの臍なのですが、その存在感の無さが極めて重要なのです。人知れず体の真ん中でしっかりと上下左右のバランスを保っているのです。しかし、この臍がいったん「火」を吹くととんでもない事態を引き起こすことに多くの、いや殆んどの人々が気付いていない。。。ま、気付かなくて正解なんですが、ともかく臍の話を読み進めましょう。

「臍説」

世を捨てたる法師の、物くるゝ人をよき友にかぞへたるは、にげなき心地するに、げに思へば、其庵に一鉢のまうけも1)ガイキにさへられ、あつものゝ2)も冬がれては、物くるゝ友のことにうれしき日もありけるか、もしは又くるゝものをよろこばねども、くるゝ心の慾なきをよろこぶや。我はかく世は捨てたれど、かしこきめぐみの禄を世々にして、そのかげにやしなはるれば、もとより3)トウタイの患ひはいはず。たゞ虫干も煤はきも世話なからむ事を思ふには、無用のものをたくはへず、うちある調度も事足るを限として、只A)一用に物の多からむをいとひ、一物にして多用ならむを思ふに、4)シャクシは定規にならざれども、煙草箱は枕となるべく、頭巾に酒は漉さずとも、火燵のやぐらは足代に足りぬべし。

そも一物にして多用の省略は、天地5)カイビャクよりその沙汰あり。今見よ、鼻は呼吸をかよはし、物6)ぐ用を兼ね、口は飲食をしながら、言語の用をかねたり。天もし人を尊からしめんとて、二つの鼻をあたへ、目を三つも四つも付けたらば、『因果物語』にのせられて、開帳芝居の見せ物となるべし。これ天の長物をとらざる所なり。又は鼻ばしらを眼鏡の台とし、耳を笠紐のたよりとする類は、天の理に則つて、聖人是をおしゆるもの7)。その中に臍といふものゝ、蓬生のかげにかくれて、表のかざりともならず、何の益なき道具にして、久しく不審の晴れざりしが、今此身にしてはじめてしりぬ、8)に天地カイビャクの時、余義なき方よりの貰物なるべし。その理いかにといはんに、我かく物の不用をいとふに、飲んでしまひ喰うてしまひ、又は遣ひてのこらぬ料紙やふのものは、得て嬉しき折もあらんか。さもなき調度のたぐひ、是は仕出しの風流なり、これは細工の面白しなどいひて、人のくるゝものあるに、のぞみてとらざれば心を破る、さすがにうれしき顔してもらへば、一つ二つと物のつもる、いとほゐならず思へどもいかゞはせむ。

こゝに世のためしを思へば、むかし西行の鎌倉にとゞめられて、銀の猫を給はりしを、やがて門前の童にうちくれてさりしとぞ。されば其人の身を思ふに、何ぞ王侯にも将軍にもへつらふ心あらむや。しかるを猫はいらぬともいひ難くて、其座は取りていたゞきければこそ、門前までは携へ出でけめ。是をもつて彼を思ふに、我はましてB)斗擻の身にもあらず、わが子の禄に命をかくれば、さすがに人の心をもやぶりがたし。是たゞかの臍と思へるなりけり。豈臍此理にあらざらむや。されば今我において、よき友三つと数へむには、物くれぬ人・物たのまぬ人・物とがめぬ人、面白からぬ友三つ、辞義ふかき人・一向物のわきまへなき人・利根に見られたがる人、是也。面にあらはさねども、世を遁れし上にてはいとむつかし。心は9)ハクガンにて向ふ友といふべし。



「臍頌」

臍を不用の物なりとは、我も謗りし人の数なり。されば他の一寸は見えて、わが一尺は見えずとか。世にやくなきものくらべせむには、まづ我こそは先なるべけれ。そもかの臍は物やは食ふ、10)ソサンの謗もなし。さらば物やはいふ、11)サンカンの警にも及ばず。わが世にありて物を費すには似るべからず。人の支体に不用を論ぜば、男の乳ばかりこそ、いかなる益のあるとも見えねど、C)今更これらをとり払はゞ、腹は混沌王の面かげして、世にすげなきものなるべし

いでかの臍は、12)トンシ急症のせんかたなきにも、まづとて是に灸する時は、13)センカの14)首途を留むるためしも多し。扨こそ腹のさしも草、「只たのめ」ともよみ給ひけん。たとへD)項羽が山を抜く力も、此垢を取れば忽に落つとぞ。15)ツウカイ臍をかむとは漢文の古語にして、我朝に人を嘲りては臍が笑ふともいへりけり。しかるにつましき隠居ありて、臍がねといふを溜められしより、天津空の鳴神もこのもしがりて、いかで是16)むとし給ふより、女こわらべの気づかふ事は、17)ジャコウの狩人を恐るゝにもこえたり。むかし祖翁の古郷にかへりて、「臍の緒に泣く年の暮」と、18)カイキュウの袖をぬらさせしは、E)耳も及ばじ鼻も及ばず。かれはかく風雅にも大功あれば、今は我身を何にたとへん。されば臍はわが下に立たむ事かたくとも、F)われも又臍の下といはんは、何とやらむ場所よからず。かれにならばむとするに、天に二つの日なく、腹に二つの臍なきためし、しかれば上下の品定はやめて、けふより只かれをそしるまじとぞ

友とせむ臍物いはゞ秋の暮





まず「臍説」で也有は、臍が何の役にも立たないことを言います。喩えとして、鼻や口にはさまざまな機能があって有益であることを挙げていて、臍の役割が何もないことを強調します。隠者にとって物がたくさんあることは厭わしい。できるだけ数は絞っておくのがいい。一つの物でいろんな機能を果たせるのが好都合。サバイバルキットとか。。。その論法で行けば臍は役立たずで、不用のものであるのですが、その不用であるところが今の自分と同じであることに気付きます。余計な機能が一切ない。あってもなくてもいいのであればあってもいいのではないか。ただし、あれこれ騒がず、あるのかないのか識別できないぐらいの存在感であるのがいい。邪魔にすらならないというか。これぞ隠者の奥義。

そして、「臍頌」では「無用の長物」と謗ったことを反省し、自分こそが無用ではないかと思い直します。それどころか、実は臍は大事なところであることをあらゆる諺や故事来歴を挙げて礼賛しはじめます。最後の句では隠者の生活は孤独であることを臍を友に見立ててうたっている。会話する者は誰もおらず黙考する毎日だが、もし、万が一、臍君がしゃべってくれたらこんなに楽しい毎日はないだろうね。臍とは、付かず離れずの関係を結んだ瞬間です。何の邪魔もしなければ。。。

さて、迂生の患った病気のことです。病名は「尿膜管遺残」(検索すると幾例か引っ掛かるはずです)。臍は母親の胎内にいるときに大いなる役割を発揮するのですが、生れてしまえばまさに「無用之長物」。芭蕉が泣いたという臍の緒がその証拠で、この管を通して栄養のやり取り(もちろん母→子の一方通行)をする。逆に、胎児は排泄物を母親側に送らなければならないのですが、これは臍の緒にある管(尿膜管、臍の入り口と膀胱を繋ぐ管)を通してやり取りするのです(もちろんこれは子→母の一方通行)。そしてこの管も生まれてしまえば何の必要性も無い物。殆んどの人は閉じてしまっているのですが、稀にそのまま管状で残っているケースがある。もちろん、これそのものは管状であれ、閉じているものであれ、なんの害を及ぼすものではありません。ただし、管状ということは黴菌などが忍びこみやすいということで、いったん菌が入ってしまったら化膿してしまう。閉じていればそんな心配がない。菌さえ入らなければ問題はないが、どうしても入ってしまう。迂生の場合は、突如として化膿してしまったのです。地獄の苦しみでした。ここからは詳細を省きますが、いずれにせよこの残ってしまった尿膜管を切除しなければならない。しかし、化膿状態を静めるのは容易ではなく膿を出しきらなければならない。激痛の極み。まともに歩けないのですから。体の真ん中にある臍だけに全身麻酔の手術となりました。

この時ほど臍の重みを感じたことはありません。抜山蓋世の項羽も萎えるという臍の垢ですが、つまり、臍を弄くると黴菌が入って化膿する場合があるよという昔の人の体験から生まれた諺なのだと思います。「臍の胡麻を取ると云々」も同じだと思います。医者によると、何人に一人の確率だと言っており、かなり珍しい病気のようです。尿膜管が閉じていないケースでも化膿さえしなければ何の問題もないのですから。さらに医者によると、尿膜管が閉じているのか開いたままなのかは病気が発症して初めて分かるという。したがって、現在は何もないあなたもいつか発症するかもしれませんよ。。。臍は大事ですよ。だから、臍を小馬鹿にしたり、変に弄ったりしないで、也有のように無言のお友達として一生お付き合いするのがよろしいですよ。。。病気というのは何時なんどき我々を襲うか知れないのです。窃かに潜行しているかもしれない。日ごろの摂生だけが身を救うのです。


■下線部Aを解釈せよ。

■下線部Bは「トソウのひと」と訓む。どういう人のことか。

■下線部Cはどういうことか。

■下線部Dの「項羽」は漢代の英雄、「項羽と劉邦」の「項羽」のことですが、ここで也有は何を言いたいのか、記せ。

■下線部Eを解釈せよ。

■下線部Fはどういうことか。

その他、問題の正解は続きにて。。。



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お前はもう死んでいる…借金返せない国民の悲惨な未来=「鶉衣」(3)

江戸中期の俳人、横井也有の「鶉衣」(岩波文庫上・下巻、堀切実校注)シリーズの3回目は、「借物の弁」(前編中二四、上巻107~111頁)です。借りたものは返さなければならないのは世の常ながら、とんずらこく奴ぁ多いのが実態で鼻持ちなりませんよね。ああいやな世の中だ。借りたものが誰でも使えるものならいいが、人によっては命に匹敵する大事な物である場合もあるからさあ大変。畢竟、物の貸し借りなんざしないのが賢明なのかもしれません。人と人との間に於いては「禍根」を残すしかないのでしょうから。。。

久かたの月だに日の光をかりて照れば、露また月の光をかりて、つらぬきとめぬ玉ともちるなり。むかし1)何某のみことの、このかみのつりばりをかり給ひしより、まして人代に及んで、一切の道具を借るに、かすものもたがひなれど、2)の挽臼のといへるたぐひは、かすたびに背ひきく、鰹ぶしはかりられて、痩せてもどるこそあはれなれ。金銀ばかりは徳つきて戻れば、もとかる事のかたきにはあらぬを、かへす事のかたきより、今は借る事だにたやすからず。

むかし男ありて、身代もならの京春日の里にかす人ありて、かりにいにけるより、やごとなき雲の上人も、かりだにやは君は来ざらんと、露ふか草のふか入り給へば、鬼のやうなるものゝふも、霜月3)よりはA)地蔵顔して、人にたのむのかりがねは、尾羽うちからして、春来てもこし地にかへらず、かりの宿りに心とむなと人をだにいさむる出家達も、借らでは現世の立ちがたきにや。C)二季の台所には掛乞の衆生来りて、色衣の長老これが為にをがみ給へば、又ある寺には有徳の知識ありて、これはこちらからかしつけて、きりの算用滞れば、貧なる檀房を4)カシャクし給ふ。かれもこれも共に仏の御心にはたがふらむとぞ覚ゆる。

そも顔子は5)ロウコウにありて、いかきのめし6)ヒョウタン酒に、貧の楽をあらためずとや。さるを今世の人々借金の山なして、「是を苦にすれば限なし、百までいきぬ身を持ちて、さのみは心をかなしめむや。一寸さきはやみの世ぞ」と、7)ホウゲンに腹うちたゝきて、「我は貧に安んじたり」など、おなじ貧楽の引ごとにいふは、やるせなき心のはらへならめど、まことは雲水の間違なり。なべて世にある人の衣服・調度をはじめて、人なみならねば恥かしとて、そのためにかねをかりて世上の恥はつくらふらめど、人の物をかりてかへさぬを恥と思はざるは、たゞ8)ケイセイの客にむかひて、飯くふ口もとを恥かしがれど、うそつく口は恥ぢざるにおなじ。

かくいへる我も借らぬにてはなし。かす人だにあらば、誰とてもかりのうき世に、金銀・道具はいふに及ばず、かり親・かり養子も勝手次第にて、女房ばかりはかりひきのならぬ世のおきてこそ有がたきためしなれ。

かる人の手によごれけり金銀花



我利我利亡者とは金に執着する輩のことを言いますが、人に金を貸して何倍もの利息をせしめようという浅はかな魂胆が見え見え。簡単に金を貸してくれる奴ほど罠を用意しているものです。安いものにはわけがある。人並みに生活したいが金は無し。金が無いなら痩せ我慢すればいいものを、簡単に貸してくれる人がいれば泣きついてしまうは悲しい性。こうして人は身を持ち崩すのです。有り難いお経を唱える僧侶とて例外ではありません。借りる方、貸す方にも回り、仏の教えと違うことを平気でやっている。親や子供ですら貸し借りの横行する時代、里親養子のことを言うのでしょうが、女房だけは借りてくるわけにはいかないと也有は言いますが、いまや偽装結婚もある時代です。也有の時代とは明らかに異なるのは人類の進歩なのか後退なのかはいさ知らず。いずれにせよ、金は貸し借りに於いて人の気持ちを汚してしまうことになりますね。簡単には貸し借りはせぬが無難。也有が詠んだ最後の句はそうした戒めが籠められていると思います。

昨今は人の貸し借りよりも国家財政の貸し借りが世の中を苦しめています。財政赤字と言う奴で、欧州のギリシャはもとより米国債務問題が最大の関心事。S&Pという訳の分からん格付け会社にいいように翻弄されて金融市場がズタズタになろうとしています。とはいえ、返す当てもないのに徒に借金を膨らませて国民、いや選挙民にばら撒いた政治家の浅はかさが問題なのでしょう。経済対策=票目当てのばらまき政策。他人の国のことではありませんよ。わが日本、他人事ではないのです。米国債格下げで円高となっていますが、いずれ日本国債格下げ(すでに下げているので一段の下げ)によって債務不履行が現実のものとなればマーケットは回復不能になるかもしれません。

大震災の復興財源も借金をあてにする向きが多い。用は返す当てもないのに将来世代へのつけの先送りなのです。目先の安逸のために麻薬をうつだけ。消費増税の議論を忌避しようというばかどもしかいない政治の世界に未来を託すことは出来ないでしょう。借金はここぞという効果的な場面でこそやるべきで、金がないなら何もしない方がまし。それでも必要なら、みんなで出し合って助け合うのが筋。そう、いまこそ国民全員が一丸となれる雰囲気作りが求められている。それが増税だと言いきるつもりはありませんが、その議論から逃げる奴らも信用は出来ません。日本が真の復興を遂げ新たな国家に生まれ変わるチャンスでもあるのです。

みずみす逃してはいけませんな。借りたものは返さなければならない。返せないなら借りてはいけません。返す手段はみんなでやりましょ。こんな簡単な筋立てすら書けず、演じきれない国民……おねだりする時は票をあげるからと穏やかな顔するくせに、返す時には仏頂面で選挙落とすぞとしか言えない低能国民。。。。「お前はもう死んでいる」-。どこかの漫画のセリフを言われてからではもう遅いんだがね。。。。


■下線部A)に関係する次の諺で(   )を完成せるとともに、意味を記す一方で下線部Bの漢字を訓め。

借りる時の地蔵顔、B)す時の(   )。

■下線部Cを解釈せよ。



問題の正解は続きにて。。。




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過去を忘れず復興の「ほととぎす」を待てば未来は開けるはずだ=「鶉衣」(2)

江戸中期の俳人、横井也有の「鶉衣」(岩波文庫上・下巻、堀切実校注)シリーズの2回目は、「閑居記」(前編中二八、上巻130~135頁)です。親孝行したい時に親はなし。「風樹之歎」という成句もあるように、あれほど疎ましいと思ったことさえある親といえども、時期が来れば居なくなるのは必定。その時になってからでは時機は失しているのです。也有も例外ではなかったようです。悔恨の一念。今回はそんな親を大切に思う気持ちに綢わる言葉が目白押しの一齣です。親を想う子の気持ち。現代人は今一度、噛み締めるべきではないでしょうか。

忘るまじ、此一室は古き世のわがゆかりなりけり。もとは城西の閑居にして、我曾祖母のいまそかりし、今は四十年の昔ならむ。その人おはせずなりて、鴉の軒をあらし、鼠の壁を穿ちしほどもやゝ年あり。そののち母のすみ給へるかたに、ふたゝびいとなみしつらひつれば、A)あけくれの定省に1)カンケンをとひ馴れしは十とせあまり三とせばかり、千代もと祈りしそのかひもなく、むなしくB)風木のかなしみを抱き、2)トウリ物いはぬ昔とはなりぬ。しかればこぼつに忍びず、今官邸に閑地あるにまかせ、暫くこゝに引移し、猶菅原や伏見の里もと契り置きて、平生3)ザガの一間となせるよりは、馴来つる真木柱も我を忘れじを、我はまして馴れこしかたの花もなつかしく、風も忍ばしく、窓に雪みる夕べは早梅4)ショクヨウの笑をふくみ、軒に月もる暁は鶏声5)カンソウの期を告げて、猶孝情の尽さゞりし事を惜む。

されば一室は八畳の南を請けて、床も押込みももとみしまゝの名ごりとどめつ。北に三畳のおくまりたる所、夏はあけわたして風を通はす便あり。中はまして冬ごもりによろし。6)に7)フスマさし、ともし火をかゝげて、読書8)セイザのかくれ所とす。その窓に子猷が竹あり、陰を愛して杖にもきらず。その軒に弘景が松あり、声をたのしみて蚊やりにも手折らず。背戸には淵明が9)セイチュウありて、雪間の若菜をつみそむるより、10)も酢味噌にとぼしからず。茄子はもとより世に久しくて、あけくれのあつものには、少しあかるゝもつれなしや。午房はほそくとも大根はふときをいとはず。まして芋は地に叶ひて、いかめしきまでそよぎたち、豆も実入の折すぐさねば、せみの小川の影ならずとも、月も此軒をたづねずやはあらむ。十日11)クチのさはがしきも、一日の閑にとりかへして、これだに治世の住みよきをしるにも、おはさぬ人のいかでかと、あかずただ口おしく、忍ぶ草の忘られず、へだちゆくあとのみおしまるれば、額に「無待」の二字を書きしも、たゞこの心に思ひよれるを、いさほとゝぎす、我なうとみそとぞ。



■下線部Aの意味にふさわしい四字熟語を記せ。


■下線部Bの意味を記せ。

「午房」は「牛蒡」の当て字か。「午」か「牛」か迷うところですね。

母親の住んだ部屋に也有も一時住んだのです。閑居を求めたのです。齷齪した日々も、この部屋で過ごすと、たった一日で忘れ、取り戻すことができる。と同時に、今は亡き母親の思いばかりが去来する。そこで也有は「無待」の二文字を額縁に入れて飾ったのです。後悔ばかりが沸き起こる昔の思い、それは母親への愛情であり、もっと長生きしていらしったらもっともっと孝行が出来たのになと悔恨の情をを以て振り返るばかり。これからの未来のことなど歯牙にもかけないということです。すなわち、先だった母親を想う気持ちを表している。しかし、最後には「ほととぎす」にことよせて、そうはいっても囀るお前のことを待たないわけではないのだ。

過去と未来の狭間に生きる現在の自分の存在が確乎としない揺れるさまをうたっている。大震災や原発事故の傷跡はいまだ消えぬばかりか、日毎に新たな傷が生じ、痛みがあらゆるところに広がっている日本の現状。過去を悔いてばかり。未来など描けるはずがない。それでも生きなければならない。復興という陳腐なフレーズなど虚しいだけ。どうやって過去を消化し、未来を正視できるのか。亡くなった人、終わったことを消すことは出来ない。その前提に立てば、これからのことを期待していいのです。懐かしい人たちの思いは忘れずに、ほととぎすが来るのを待てばいい。気がつけばその明るい囀りが耳に届く頃おい、人々は新たにステージに立っているのかもしれません。果してこの国にほととぎすがやって来るのかどうかは知りませんが。。。

「小人閑居して不善を為す」という成句のあるせいか、「閑居」という言葉にはネガティブなイメージが付き纏います。ひまですることがない=碌なことではない、のような。。しかし、大事な古の人を想い偲ぶには格好のチャンスでもあるのです。もちろん、「小人」であり続けてはいけないのでしょう。その戒めとしてこの成句が意味を持つと思います。閑居をもっと大事にしてもいいのではないか。未来を描くために過去を黙殺ではなく黙考するのです。われわれは忙殺にかまけてあまりにも大事な物を見失ってはいないか。天の声はもっと地に足を着けろと言っているのではないか。足許を見詰め、身の回りを見渡せば見えてくるものがある。「焦りなさんな」。也有の黙考からそんな思いに浸ってしまいました。

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蓼花の巷にようこそおいで下さいました=横井也有の「鶉衣」(1)

あやしくはへもなききれぎれをあつめつゞりたるを、「うづら衣」とはいふなり。げにその鶉ならば、たゞふか草のふかくかくろへて、かりにだも人にはしらるまじきものにこそ。

                                             也 有


江戸時代中期の俳文人、横井也有(1702―83)の文集「鶉衣」の「前編」冒頭に掲げらた自身の序文です。鶉という鳥が体全面小さな羽根で覆われて宛も「襤褸」を纏っているかのように見えるさまを「うづら衣」と称し、自分が認めた文章の数々もそれと同じ愚にもつかない襤褸切れのようなものだと諷喩しています。鶉の生息する名所として有名な山城国(京都)深草の里にひっそりと鶉が姿を隠しており、人にその存在を知られるべくもないように、仮初にも自分の雑文は人に向けて書いたものではない。自分でこっそり楽しむだけのものだというのでしょうか。

岩波文庫シリーズから横井也有の「鶉衣(上)(下)」(堀切実校注)が今年になって再刊行されました。かつて書肆で手に取りいつかはblogネタにと温存しておりました。その「機」が漸く到来したようです。同書の表紙裏にある解説文によると、「和漢の古典と民間里謡に精通し、修辞的技巧を凝らしながら、機智に富んだ温かなまなざしを身の回りの器物や動植物に注ぐ」とあります。

前編・後編103篇(上)、続編・拾遺119篇(下)の多量の雑文は、軽妙洒脱な筆致の中に、謙虚に生きることを教えてくれる箴言が盛り込まれています。決して美文とは言えないが、漢籍や古典の裏付けがないと味わい尽くせない。漢字よりも仮名が多い古文は意味をとらえるのに聊か時間もとられます。それでも、じっくりと読みこなしてその奥深い味がしみ出し始めるや、ユーモアのセンスに満ちた也有の人柄の俘にならざるを得ないのです。

ボリュームがあり、いまだ全てを読み尽くせていない段階でblogに認めるには早計の謗りは免れないかもしれません。ただ、「古人の糟粕を嘗める」という弊blogのコンセプトに基づき、できるだけ現代人が生きるヒントを獲る視点で掲載していこうと思います。もう一つの「漢字」という切り口で言えば恐らく明治期の文人たちと比べてそれほど難解な語彙はない。しかし、奇を衒うことのない古代中国の故事来歴に裏打ちされた「王道の語彙」はたっぷり。改めてスタンダードを思い出す、このblogを始めた原点に回帰するという意味からも、也有の文章を繙く価値は決して低くはなさそうです。正直申しますと、現在迂生が抱え悩んでいる「マンネリ」の打破につながればとも、淡い期待も籠めております。

順不同でつらつら文章を掲載し、適宜、岩波文庫の注釈を借りながら、自分なりの解釈や漢字や語彙の問題を織り交ぜつつ読み進めて行くこととします。漢字学習を強く志向される読者からすれば若干の期待外れとなることはご容赦ください。ただし、古人の糟魄を嘗める上ではこの上ない珠玉の文章が陳ねられていることだけは請け負います。

記念すべき第1回は前編・上の「二 蓼花巷記」(岩波文庫「鶉衣(上)」23~25頁)を取り上げます。

一もとの芭蕉、五株の柳の、其人の徳にてらされて、枯れぬ名をとゞめしもあるに、不仕合なる榎木は、ある僧正の号に呼ばれて、つゐに斧の怒をかうぶり、なを切杭・堀池の名をさへ流しけむ。我剣冠の1)シトに身を置きながら、一ッの隠家あり。これを蓼花巷と名づく。蓼花にむつかしき心はなけれど、夕日・朝霧の気色心ゆくばかり、その一もとのゆかりなきにもあらず。「松茸ざふの声きけば」と、俊成卿の庭もせもなつかしく、世にわびたるさまのおかしげなれば、みづからこれが名とせり。

そも此2)ユウセイ、3)ムカウの郷にとなりて、山に向ひ海にそひ、河あり野あり、月雪花鳥は四の時の4)ナガめを供し、時わかぬ松の夕風、竹の夜雨の音までも、きくにいとはず、見るにとぼしきものあらず。5)ジョウシを出でて遠からねど、人たゞ杖・6)ワラジをもてとはせむとせば、たとへ方士がまめはふみ出すとも、三輪の山もと杉立てる門に迷ひて、ふせ屋のはゝ木々の昼狐に化され、うつの山辺の道とふべき人にもあはで、ふたゝび桃源に棹さすごとくならむ。たゞ梅の色も香もしりて、思ふ事いふべき人ならば、今も壺入にたづねあたらん7)ボウモンとはしるべしとなり。

 物ずきの虫はきてなけ蓼の花



細かな解釈や注釈は岩波文庫を参照してください。内容や語彙、漢字はそれほど難解ではないでしょう。也有が致仕後に隠棲した廬を「蓼」の花に擬えて称しています。さりながら、この短い文章の中は、松尾芭蕉、陶淵明や徒然草、古今集、荘子、長恨歌、伊勢物語、桃花源記、後漢書など和漢の古典を踏まえた件のオンパレード。そうした知識がないと読んでも何のことやら判然とせず、その上、掛け言葉や捩りが多いため、上っ面の意味が取れても心底味わうことができません。迂生とて岩波文庫の注釈があるから判じたものも多いです。ただし、全てとは言いませんが、弊blogが題材として触れてきたものもあり、例えば、弊blogの一発目のネタである陶淵明の「桃花源記」や白居易の「長恨歌」など、多少なりともここ数年間の学習の成果が生きるのかなとも感じました(あくまで手前味噌です……)。

そういう意味では也有の「鶉衣」は一見すると平板で澹泊なようですが、さらりと読み流すのではなく、じっくり立ち止りながら玩味することこそ必要です。これまでの学習内容なども振り返りながら、急がず地に足を着けて読みたいですね。一直線ではなくいわば螺旋状に進むことで、新たな方向性が見えてくるかもしれません。

取り上げた文章では、隠遁した隠れ家の名前を「蓼花巷」と名付けた由来が書かれています。音読みで読んでくださいね。「リョウカコウ」。也有にとっては「ユートピア」。四季折々に姿を変えて歌を歌いたくなる。お城からはそう遠くないところにあるが訪れる人々は迷ってしまう。陶淵明の桃花源記の漁師が二度と辿り着けなかったように。咲き匂う梅の花をめでに来たいならお出でなさいませ。壺中天に迷うが如く粗末な庵ですが、そう「蓼食う虫も好き好き」と言うではないですか。一緒に梅を賞でて歌を歌おうじゃありませんか。

風流ですな~。宝暦四年(1754)53歳にして御役目から引退、82歳で没するまで30年間弱も余生をここで過ごしました。羨ましい限り。四十代半ばにして引退を請うていたがまだ尚早と許されず、知命過ぎて漸く念願がかなったのでした。松尾芭蕉や陶淵明に憧れつつ独自の也有ワールドを築きました。今回のシリーズでその一端でも咬ることができれば幸甚です。連載はいつまで続くか知れません。飽きが来るまでゆっくり進みますのでのんびりと付いてきて下さい。


(問題の正解などは続きにて。。。)

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char

Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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