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夢に出てきた蠅は駿馬の尻に乗り千里の道を行くが如し=「鶉衣」(18)

江戸中期の俳人、横井也有の「鶉衣」(岩波文庫上・下巻、堀切実校注)シリーズの18回目は、「笠の次手序」(続編中一四一、下巻124~128頁)を取り上げます。今回も句集の序文を人から頼まれています。東羽とは現在の山形県にあたる出羽国のこと。東北に彼方に住む花雲と号した僧侶からの依頼。会ったこともほとんどないというのに趣味や心が通じ合っているようで、遠路はるばる手紙をよこして序文を頼んでいます。断るのも申し訳ない也有ですが、荘子に擬えた夢を見たことを書き連ねて序文に代えることを思いつきます。いや~それにしても中国の故事来歴がたっぷり詰め込まれています。也有の文章はとことん勉強になりますね。



東羽に花雲師は、予と時をおなじうし、好む所も同じうして、只其国のおなじからざる故に、つひにA)半面の識ともならず、わづかに紙筆に風雅を通ずれども、それさへ幾重の山を隔て、海を渉れば、あるは洪喬が1)フラチにあふこともなきにあらず。B)されども芦垣のまぢかくて、心のうとからむよりは、萩の葉の稀なる音信も、心のしたしきは老を慰む友なるべし。一日仮初に昼ねのひぢを曲げたるC)漆園の2)コチョウにもあらで、人もすさめぬ身は、似合しき蠅となりてたはむれしが、そこにも3)イッカの玉の上に、卒然として立ちどまりたるを、我ながらおほけなく物汚したる心地して夢さめぬ。蠅や我ならん、われや蠅ならんと、分別いまだ定まらざる所に、花雲師の消息到りぬ。4)を披けば、さればこそ書中にいへることあり、師曾てD)掛錫の所々、或は其地に5)モンジンの句どもを輯めて、「笠の次手」といへる一集6)シコウの志あり、予に其小序をそへよとぞ。先づ名を聞きてより、其集の玉なるべき俤こそおしはからるれ。さるに其地は文人の7)フクソウする東都にもいと近し、8)キンセイの序文は得るも易かりぬべきを、雲水遠き9)ヘイユウの老拙に請はるゝことや、E)たとへば崑山の下に居ながら、遥の鞍馬に便して10)ヒウチ石を求むるがごとし。実に不才のあたらざるを以て辞せむとするに、彼の思ひ合する夢あり。天已に是を定め、物已に知りて11)るまじきを諭すにこそと、只此物がたりを述べて其せめに代ふ。思ふにまた其蠅のかゝる笠の次手を得て、12)キビにつき千里に13)を遺さむは、李漢が韓文に序かきて、世にしらるゝためしにも似たりと、厚顔に筆とりてF)雁の14)を労することしかり。




この序文の最も面白い点は、荘子にある故事を捩って自分を蠅に擬えた点にあると思います。遠く離れた花雲師とはそんなに接点があったわけではないが共通の趣味でつながり同朋・同好の間であることでしっかりとつながっていました。「蠅や我ならん、われや蠅ならんと、分別いまだ定まらざる」。也有は、夢の中に蠅が出てきた時は、なにかしら自分が蠅になったようで嫌な気持ちになった。

そんな時に花雲師から便りが届き、心をもう一度きれいに澄みきらせる必要があると強く感じたのです。「笠の次手」という集題を見て、なお更に強くそう感じました。そして、夢の中でみた蠅が止まった「玉」がそれだったのだと気づきます。わたしに序文を書くように、天の神様のお告げだったのではないか。そして、この蠅であるわたしは親愛なる友人の句集のなかに名を残すことで世の中に送り出す価値を高めることができるのではないか。それはあたかも中唐の韓愈の文章を集めて、自ら序文を書いたことによってその名を世に知らしめた婿・李漢と同じようだ。ちょっと傲岸不遜かなと思いつつも手紙の返事を認めましたと結んでいます。あくまで韓愈が優れていて李漢は二の次ということですが、也有はその二人の関係に擬えて遜っているのです。

それにしても、自らを蠅に見立ててる自虐的な諧謔性は、くすりと読む人の笑いを誘うのは勿論ですが、かたや心の友を駿馬であると持ち上げる効果があります。そればかりか、その心の奥底では、普段は会うこともないがこうして夢の中でつながっているという人と人の絆を深めるインパクトも絶大です。荘子、孟子、後漢書、韓愈などあらゆる古典、故事が全体に彩りを添えており、常人の追随を許さない珠玉の文章に仕上がっているのです。しかし、なかなか自分を蠅には譬えられないなあ。。。せいぜい狗か猫か、あるいは狸か狐だよね。







■下線部Aは、故事成語であるがどういう意味か。

■下線部Bは、どういうことか。

■下線部Cは、古代中国の思想家である。誰のことか。

■下線部Dの熟語を読むとともに、意味を記せ。

■下線部Eはどういうことをいっているのか


問題の正解などは続きにて。。。




■A)→以前にちょっと顔を見ただけの人を覚えていたということから、一度顔を合わせた程度の知り合い。浅い間柄の知り合いをいう。半面識ともいう。後漢書・応奉伝の注に見える、れっきとした故事。成語林によると、「応奉が20歳のころ、あるとき彭城の町長の袁賀を訪れた。折しも袁賀は外出中で門が閉まっていたが、車大工が中から扇(開き戸)を開け顔を半分出して(=出半面)応奉をじっと見た。応奉はかまわずにすぐ立ち去った。数十年後、応奉は路上でこの車大工を見つけて(=識)声をかけた」とあります。続けて、「応奉は幼時から賢く、成長とともに経験したことはみな記憶し、書物を読むときは五行ずついっぺんに読んで理解した。人々は強い記憶力や抜群の速読をたとえて、「応奉の五行」と言った」とある。

■B)→たとえ近くにいてしょっちゅう顔を合せていても心が通い合っていない人もいるので、たまにしか手紙のやり取りをしない人でも心の通じ合っている人は、この老い耄れにとっても貴重な友人であると言える。「芦垣の(葦垣の)」は「間近し」にかかる枕詞、「萩の葉」は「音信」の縁語です。

■C)→荘子。中国戦国時代の宋国の蒙(現在の河南省)という地方の漆園(=漆畑)を管理する小役人であったので荘子の別称となった。蒙の所在地については諸説あり。盛唐の詩人、王維の五言絶句にずばり「漆園」というのがあります。「古人傲吏に非ず 自ずから経世の務を闕く 惟だ一微官に寄せ 数株の樹に婆娑たり」(いにしえの人は小役人の身で威張っていたのではない。みずから為政者たる地位をきらったのだ。彼に倣ってわたしもささやかな職について大きな木の下をぶらぶら散策するだけだ)。


■D)→「ケイシャク(カイシャク)」。挂錫とも書く。錫杖をかける、つまり、僧侶が一か所に長くとどまること。あちこち修業を続けた花雲師があるとき一か所に滞在して修行することを許され悟りを開いたのでしょう。「挂」は「かける」。挂冠(ケイカン・カイカン=職を辞す、挂冕=ケイベン・カイベン=・挂綬=ケイジュ・カイジュ=)、挂歯(ケイシ・シにかく=取り上げて問題にする)。

■E)→「崑山」は中国の西方にある想像上の山で、その麓には多くの玉を産出するという。「鞍馬」は鞍を置いた馬。せっかく立派な玉石を産するように、すぐれた知り合いもたくさんおられる場所に住んでおられるのに、わざわざ人を遣わして、遠くの僻地から悪質なひうちいしを求めているようなものだ。立派な文人がたくさんいるところから、わざわざ田舎住まいの拙劣な文人に序文を依頼するとはあなたも大変な物好きですなあ。。。もちろん、也有の謙遜の言葉です。

■F)→便りを送る。「雁」は手紙を運ぶ代名詞、その翅に手紙を結びつけて送るということ。匈奴に捕らえられていた漢の将軍蘇武が、雁の足に手紙を結んで都へ消息を知らせたことから。雁書(ガンショ)といえば、手紙を指す。雁使(ガンシ)、雁信(ガンシン)、雁足(ガンソク)、雁帛(ガンパク)、雁素(ガンソ)ともいう。



1) フラチ=不埒。法にはずれていること、道にそむいていること、ふとどき。言語道断な振る舞いをいう。ここに出てくる「洪喬が不埒」とは、岩波によると、晋の洪喬が豫章(ヨショウ)の太守であった時、都下の人士から書百余函を託せられたが、ことごとくこれを水中に投じて、沈むものは沈め、浮かぶものは浮かべと言ったという故事を指す。すなわち、便りがすべてなくなってしまうことの喩え。ここは、すべての手紙がちゃんと届くわけではないほど二人の住んでいる距離は離れているということをいうのです。

2) コチョウ=胡蝶。チョウのこと。荘子・斉物論第二の「胡蝶之夢」の故事。現実と夢との区別ができなくなったという「栩栩然の胡蝶」ですね。自分が胡蝶になったのか、はたまた胡蝶が自分になったのか分からなくなったのです。この世のはかなさをいう。

3) イッカ=一顆。ひとつぶ。「顆」は「つぶ」。円顆(エンカ=まるいつぶ)。一顆明珠(イッカメイシュ=この世はあたかも一つぶの玉のようなものであるということ)。

4) 縅=おどし。鎧の札(さね)を糸・細皮でつづりあわせたもの。国字です。

5) モンジン=問訊。問いたずねること。仏教語。

6) シコウ=梓行。書物を出版すること。上梓(ジョウシ)の方がポピュラーかもしれません。「梓」は、木版用の版木のこと。

7) フクソウ=輻湊(輻輳)。車の輻(や=車輪のスポーク)が轂(こしき=車輪の中央部)に集まるように、多くの物事が一か所により集まること。「三十輻一轂を共にす」(サンジップク、イッコクをともにす=空虚であり無為であることが、かえって有用であるということのたとえ、形のあるものが有用に見えるのは、形のない部分がはたらいているからであるということ)。一見、派手な三十本の「スポーク」が目立って有用に感じるものですが、実は地味な中心である「こしき」がしっかりしているからこそ車輪は回るのだというのです。

8) キンセイ=金声。智徳のすべて備わることのたとえ。也有がここで言うのは、「立派な文章」といったくらいの意味。孟子・万章・下に出てくる有名な「金声玉振」。孔子の人格をあがめる言葉です。集大成。「金」は「鐘」、「声」は「鳴らす」、「玉」は「磬」、「振」は「収める」。金を打ちならして糸竹に続いて磬を打ってしめくくった。

9) ヘイユウ=弊邑。片田舎の貧しい村。也有が自分の住んでいる場所を謙っています。

10) ヒウチ=燧。火を得るために用いる道具。音読みは「スイ」。燧石(スイセキ=火打ち石、石燧=セキスイ=)、燧烽(スイホウ=のろし)、燧人氏(スイジンシ=古代、伝説上の帝王、はじめて火をおこすことや食物を煮焚きすることを教えた)。

11) 遁る=のがる。「遁れる」は「のがれる」。何かにかくれてにげる、かくれて姿を消す。音読みは「トン」。遁逸(トンイツ=俗世間を離れて、のんびりと暮らすこと)、遁甲(トンコウ=人の目をくらまして自分の身をかくし、災いをのがれる術)、遁竄(トンザン=人目につかない所に、にげてかくれる、遁蔵=トンゾウ=)、遁思(トンシ=この世をのがれたいという望み)、遁辞(トンジ=責任などを免れるためにいうことば、いいのがれのことば、逃げ口上)、遁世(トンセイ=俗世との関係をたって静かに暮らすこと、隠居して俗事から離れること、俗世との関係をたって出家すること)、遁迹(トンセキ=俗世間を離れて隠棲する)、遁走(トンソウ=こっそりにげ走る、負けたり追いかけたりしてにげること、遁北=トンホク=・遁亡=トンボウ=)、遁逃(トントウ=こっそりかくれてのがれる、逃遁=トウトン=)。

12) キビ=驥尾。駿馬のしり。「附驥尾」(キビにふす=駿馬のしりについていく。後進の者が、すぐれた先輩に従って物事を行い成功すること、「驥尾に託す」、「驥尾に陪す」の言い方もあり)。

13) 蹤=あと。あしあと。音読みは「ショウ」。蹤跡(蹤迹、ショウセキ=足あと、人の行方)。

14) 翅=つばさ。鳥類や昆虫のまっすぐのびた短い羽。音読みは「シ」。翅翼(シヨク=鳥のつばさ)。「はね」とも訓む。これも正解。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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