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釣鐘のように重い思いで照らせば暗闇に提灯は必要なし?=「鶉衣」(15)

江戸中期の俳人、横井也有の「鶉衣」(岩波文庫上・下巻、堀切実校注)シリーズの15回目は、「為或人書序」(続編中一二三、下巻81~83)を取り上げます。親を大切にする心持ちの大切さを説いています。「或人」が孝養の情に厚く、也有の琴線に触れたようで、そのさまを称えている文章になっています。

五十にして親を慕ふは、世にありがたきためしとか、昔1)タイケンもの給ひし。七十にして慕ふ人、今参陽の2)キザン翁か。此秋3)センコウの五十回の忌に、仏事4)サゼンのいとなみはさら也、其生前にすける道とて、四方の俳士に手向の句を求む。されば心の水の浅からぬより、かげ見ぬ人までもよせおくり、やごとなきかたにもきこえあげて、かたじけなく給はりし句どもゝありとか。誠に人を動かすこといつはりにはあらざりけり。そもかの先人烈志子は、貞享・元禄の比にありて、其角・嵐雪が5)を友として、深く風雅に遊べりとぞ。其世の詠句は古集にも見えたり。其子・うまごまでも猶風月の才に富めること、ためしはた世に多からむや。昔曾子が6)ヨウソウを食はざるは、父の7)タシナみしことをわすれざれば也。今此キザン子の俳諧を翫べるも、又父のタシナめるを慕へば也。それは孝よりして捨て、是は孝よりしてすてず、捨つると捨てぬと表裏ながら、追慕、孝情の重さを荷はゞ、只釣がねとつり鐘にして、挑灯のさたに及ばず。もとより挑灯何ぞたのまむ、孝子の追福よく8)冥闇はてらすべしとぞ。


冒頭の一節、「五十、云々」は「孟子・万章章句上」に載る「大孝は終身父母を慕ふ。五十にして慕ふ者は、予、大舜に於て之を見るのみ」を踏まえています。自分が五十歳になって親のことを慕える気持ちでいられるのは珍しいことだといいます。現代のような長寿社会ならいざしらず、短命の多かった当時は矢張りそうそうあることではなかったのかもしれません。ましてや今回の主人公である「箕山翁」は七十歳にして亡父五十回忌をおやりになられている。感心しきりの也有です。

その「烈志子」は俳諧にも通じておられ、芭蕉翁の高弟である、かの宝井其角や服部嵐雪とも親交が深く、俳諧を詠じ合った間柄であることは何とも素晴らしいことではないか。その子孫がみなみな俳諧の際に富んでおられるとは稀有なことである。曾子が父親の大好物だったナツメを口にしなかったのは、父親を敬慕して余りあるが故の行動だったが、かの箕山翁が俳諧を嗜んでいるのもかの父親の影響が大きく、敬慕しているからなのである。

曾子は敬慕の余り(羊棗を)捨てたのに対して、箕山翁は敬慕の余り(俳諧を)捨てなかった。表向きは「捨てる」「捨てない」と対照的ではあるが、その父親を敬慕する思いは文字がちょっと違うだけで同じように重い。「釣がね」と「つり鐘」ほどの違いにすぎず、言ってみれば二人共が父親に対する敬慕の情は、諺にある「提灯と釣鐘」ほどの差がある重い物である。故人の徳を偲ぶには提灯などで照らす必要はあるまい。何となれば、孝行息子には追福の情が余りあるので暗闇などなくなってしまうから。

「提灯と釣鐘」は「月と鼈」と同様の喩えをいいます。形は似ているが重さや大きさは天と地ほども離れているというのです。釣り合いの取れない男女のカップルを皮肉っぽく言う場合に用いますが、ここは曾子の孝養の情を引き合いに出して、友人である箕山翁の父親に対する思いの深さを形容しているのです。それにしても父親の五十回忌を為すというのは我が身に置き換えてみれば途方もないことだと思わざるを得ません。幸い、迂生の父親はいまだ健在であり、迂生の年齢から言っても五十回も命日を迎えるのは計算上成り立ちませんね。

1) タイケン=大賢。非常に賢い人。ここは孟子のことをいう。対義語は大愚(タイグ)。諺に「大賢は愚なるが如し」があり、「本当にかしこい人は、こざかしい知恵をはたらかせないから、一見すると愚者のように見えるということ」。「大智は愚なるが如し」ともいう。でも、これは人に対して用いるべき言葉であって、自分に向かって声高に言ってはいけませんな。

2) キザン=箕山。山の名、河北省行唐県の北西にあるとされるが諸説ある。「箕山の志」が成句で「世を逃れて自分の節操を守ろうとする志、箕山之節ともいう」。ここは恐らく、そのような志を持った翁が三河国に居たのでしょう。

3) センコウ=先考。死んだ父。先妣(センピ)の対義語。先人(センジン)・先君(センクン)・先子(センシ)ともいう。「考」は「老人」の意。

4) サゼン=作善。善根を作すこと。例えば、仏像・堂塔の造営、写経、僧侶への施しなど。対義語は造悪(ゾウアク=悪事をすること)。

5) 曹=ともがら。「やから」でも正解。多くの同輩。転じて、複数の仲間のことをいう。吾曹(わがソウ=われわれ仲間)、汝曹(なんじがソウ=きみたち)。

6) ヨウソウ=羊棗。木の名、ナツメ(野生の垣の説もあり)。「棗」の一字で「ナツメ」。ここは説明が必要。岩波によると、「孟子・尽心章句下」に「曾は羊棗を嗜めり。而して曾子は羊棗を食ふに忍びず」とあり、「曾子」は「曾」の子。生前の父を想って、羊棗を食べられなかったという故事。

7) タシナみ=嗜み。「嗜む」は「たしなむ」。すき好んで親しむ。音読みは「シ」。嗜好品(シコウヒン=栄養摂取を目的とせず、香味や刺激を得るための飲食物)、嗜玩(シガン=好みもてあそぶ、愛玩する)、嗜虐(シギャク=残虐なことを好む)、嗜僻(シヘキ=特に好む傾向)、嗜眠(シミン=眠りたがる、むさぼり眠る)、嗜慾(シヨク=見たい、聞きたい、食べたいなどという欲望)。

8) 冥闇=くらやみ。当て字か。「冥」は「くらい」。暗冥(アンメイ=まっくらやみ)。
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2006.6  2級合格
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