スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「小便にも一徳」、何せ生きているからこそなのです…=「鶉衣」(14)

江戸中期の俳人、横井也有の「鶉衣」(岩波文庫上・下巻、堀切実校注)シリーズの14回目は、「一徳弁」(続編上一一二、下巻49~55)を取り上げます。一見すると「九損」あるいは「十損」しかないと思える物にも「一徳」はあるというお話。也有が御題にしたのは、……ちょっと下ネタです。御心配なくそれほどに際どい内容ではありませんから。くすりと笑えます。安心してお読みください。

1)マリをすかぬ人は九損ありとそしり、好く人は一徳ありと尊ぶ。あらゆる遊芸九損はこれに限るべからず、もしは十損もしりがたし。さはいへ、いかなる不用の事にも、しひて求むれば一徳もなきといふ事なし。つらつらおもふに、人のもとめてなす業の外、天よりしからしめ、身に備りたる業は何ぞといふに、只飲食と二便にとゞまる。然るに飲食の重きこと、聖主の国を養ひ民をめぐむといへるも、2)ヒッキョウはたゞ飲食なり。さるから、奢れば法にすぎて、三条中納言の大食には医師もあきれて逃げ、何曾が3)バンセンには料理人の手も廻らず。されど二便はこれが類にてもなし。4)セッチンに高麗縁の畳を敷き、きんかくしに5)マキエを粧ひ、たとひおかはを6)ナシジにするとても、いくばくの費えをかなさん。道具好の茶人とても、南京7)セイジのしゆ瓶は尋ねず。しかれば出入の違ひありて、飲食とは各別のさた也。

そも又大小の二ツが中に、大は人の平生に長セッチンの時をうつすも、8)かに一昼夜に一両度に過ぎず、只小便のわづらわしき、さのみ隙はとらねども、しきりに是を催す時は、いかなる公卿・僧正も9)コシグルマにたまりかね、武者の戦場に急なる場にても、草摺をたゝみ上げて、思はぬ敵に後をもみすべし。まして談議芝居の中に、こらへ袋のきれかゝる時は、群集の膝をおし分け出でて、往生の要文を聞きもらし、大事の狂言の所作を見残す。あるは下馬先に供をはづす鎗持、長舟にもみ尻する女中など、是が為に悩まさるゝ事世に多し。されど馬方・小揚の身の上のみ、あるきながらもやり放し、清水をけがし、雪にも跡をつけて、人目を恥ぢぬは論ずるにたらず。

かくとりへなき物なれども、猶其徳を尋ぬるに、地蔵の開眼に、一休の法力は茶のみ噺の真偽をしらず。昔10)コウモンの会に、高祖は是にかこつけて危き座敷をはづし給ひ、越王はこれをなめて11)カイケイの恥をすゝぐ。今も世上の途中にて、いやなる人に行きあうたる時は、たちやどるべき家もなく、逃ぐる方なき道芝の露とこたへて消えたき時には、件の用をとゝのふ振にて、やがて溝端に後をむけて、時宜にもおよばずやり過したるぞ、此ことなくてはいかで此難をのがれん。これを小便にも一徳ありといふべし。幼子の居びたれは乳母の油断と叱られて、其子の12)にはならざるを、老人の取はづしは子にも恥かしく、娵にうとまれて、老いてふたゝび児とはいへど、昔の児より大きにきたなし。さらでも老の身の苦しき、霜冴ゆる夜もすがら、深草の少将の九十九夜を一夜の心地して、見る人もなきといひけん師走の月を、あかぬ顔に詠めて折々通ふ寒さは、13)御衣をぬがせ給ひけん有りがたき御心にも、是迄の事はおよぼしもよらざるべし。あはれ今宵も風さわがし、幾度の行きかひかせんと、寝よとの鐘に寝所とゝのへて、例の縁ばなにまづ立出でたるに、14)余所にも夜なべの身しまひにや、戸のからからと鳴る音のしければ、一首はかうぞおもひつきける。

死ざまに念仏申さぬ人はあれど
ねざまに小便せぬ人ぞなき



今回のテーマは排泄に紆わる損と徳。冒頭、遊びごとが人にとってほとんど利益をもたらさないという世の戒めを説いています。百害あって一利なし。ギャンブル、賭け事などがその最たるものなのでしょう。也有は、どんなものでも見方を変えれば「一徳」はあると温かい眼差しを注ぎます。例えばとして上げた物が「飲食」と「排泄」。飲食にはお金を掛けるが、排泄にはお金は掛けない。人に入る飲食と人から出る排泄の「出入」の大きな懸隔と言えるでしょうか。

排泄と言っても、「大」と「小」とがある。大はせいぜい一日に一度か二度あるかの頻度ですが、小の方は限りなく細かく「わづらわしき」ことこの上ない。一回一回の所要時間は大したことないのですが、塵も積もれば何とやらで、戦場や芝居見物などで催すと、事によっては肝心かなめの急場を逃してしまうこともあると言うから、聊か大仰ですな。身分の低い場合は、至る処、垂れ流してもお構いなしですから、これは人間として恥ずかしいことこの上なき、この上なき。。。

也有に言わせれば「とりへなき物」ではありますが、その「徳」を尋ねればこれがまた奥ゆかしいばかりにあるのだともいう。一休僧正、鴻門之会、会稽之恥。。。古来、下ネタでピンチを脱したエピソードも数多い。いまなお、遇いたくもない人とすれ違う場合、トイレをするふりこそ最も簡単で効果的だという。「これを小便にも一徳ありといふべし」。也有の弁です。とはいえ、赤ん坊のおねしょは乳母の怠慢、老人の粗相は嫁に憎まれる始末。ああ見苦しや、恥ずかしや。

斯く言うわたしだって、老いさらばえた身。寒き冬の日の夜に、小野小町に通った深草の少将ではないが、吉田兼好も詠んだ師走の月をながめながら、トイレに何度も通うはめになったのは迚辛き事。醍醐天皇がお着物を脱いで民の苦しみを悟ったのだが、このわたしは夜気の寒さが身にしみる。ああ、齢は取りたくないものだ。夜ごとのトイレ通いがこんなにも堪えるとは。。。そこで一句、死に際に念仏を唱え忘れることはあっても、寝る前にトイレに行き忘れることはあるまい。ああ、哀しき生理現象。トイレはするのではなくて、させられるのだよなあ。。。これって生きている証だもんなぁ。。

軽妙な流れ。分かりやすいたとえ。卑近なものを題材に笑いを取りながら、真理を看破する巧みなプロット。これぞ也有ワールドの真骨頂ではないでしょうか。前回御紹介した「贈或人書」が余りに特定の個人攻撃が過ぎていて少し眉を曇らせたのとは対照的。表面的に見えないどこかにぴりりと辛いひと粒が雑じっているのだけれど、全体には何ともいえぬ諧謔性に富んだペーソスが溢れている。こんな文章を書きたいものです。


問題の正解は続きにて。。。


1) マリ=鞠。ここは蹴鞠(けまり)をさす。「鞠は九損一徳」という諺があり、「蹴鞠に夢中になると十のうち九までは損で、得るところが少ない。転じて、損ばかり多くて利益の少ないもののたとえ」。「九損」は「キュウソン・クソン」と読む。

2) ヒッキョウ=畢竟。結局、要するに。

3) バンセン=万銭。たくさんのお金。転じて贅沢の限りを尽くすこと。

4) セッチン=雪隠。便所、かわや。「セツイン」とも読む。

5) マキエ=蒔絵。漆で描いた絵・模様に金銀の粉をちらし、つやを出す工芸。

6) ナシジ=梨子地。蒔絵の地蒔の一種。漆地に金や銀の梨子地粉を蒔き、上に梨子地漆を塗り、粉が露出しない程度に研ぎだしたもの。金銀粉が漆を通してまだらに見え、梨の実の肌に似る。梨地とも。

7) セイジ=青磁(青瓷)。鉄分を含有し青緑色または淡黄色を呈する釉。また、これを掛けた陶磁器のこと。含まれる鉄分が還元炎で焼成されたときに発色する。宋代の青磁が特に名高い。

8) 纔かに=わずかに。やっとのことで。はじめて。

9) コシグルマ=輿車。輦車(レンシャ)のこと。轅の中央に車をつけた乗り物で、轅を腰のあたりにあてて手で引くので「てぐるま」ともいう。主に、天皇・皇族・摂関らが乗用。

10) コウモン=鴻門。現在の陝西省臨潼県の東。「鴻門之会」は「鴻門で漢の劉邦(のちの高祖)が楚の項羽と会見したこと」。項羽は范増の勧めで劉邦を殺そうとしたのですが、劉邦は便所に行くふりをして逃走しました。

11) カイケイ=会稽。現在の浙江省中部地方、紹興市のあたりで、春秋時代の越の中心地。山の名で越王勾践が呉王夫差に敗れた故事があり、「会稽之恥」は「敗戦の恥辱」。

12) 科=とが。等級をつけた罪。「とが」はほかに、「咎、過、謫、辜」。

13) 御衣=おんぞ。衣服の尊敬語。お召物。

14) 余所=よそ。ほかのところ、別の場所。「他所」とも書く。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

profile

char

Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

calendar
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
recent entry
recent comment
category
monthly archive
search form
RSS links
links
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。