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ジキルとハイド、隠者と俗人、誰にでも潜む二つの顔…=「鶉衣」(11)

江戸中期の俳人、横井也有の「鶉衣」(岩波文庫上・下巻、堀切実校注)シリーズの11回目は、「指峰堂記」(後編下八九、上巻396~399頁)を取り上げます。「孟母三遷の教え」という故事があります。かの孟子の母親が、幼いわが子の教育のために適当な場所を探して、三度も転居したというもので教育は環境が大事だという教え。教育熱心な母親というのはいつの時代にもいるものですが、所謂「教育ママ」とは紙一重の違い。お受験ブームも過熱気味の昨今。孟母は、市場の傍らで子供が遊ぶと変な遊びを覚えてしまうものと忌み嫌ってのですが、也有は知り合いの商人にそれは当てはまらないだろう。いや教育をするなら寧ろ彼の傍らにこそ住むべきではないかとさえ言っております。ところが。。。

年比相知れる1)コウズの2)あり。あらたに世わたる業をいとなむとて、書坊の主と成りけり。げに世に3)ショウコのさまざまなる中に、A)是ぞうらやましきなりはひならし。店静にして秤・4)ソロバンもさはがず。常に文人雅士になづさひて、我智の5)るたづきとなるべく、諺にさがなきものにかぞへたるお乳の人はいさしらず、船頭・馬かたのゑせたるかぎりは、立よるべき店にはあらず。むかし孟母の借屋を撰びて、6)ゲンバイとていやがられしは、三銭五銭の利を争ひ、手をうち(ののし)る商家のうへにして、かゝる類にはさしもあらじ。

いでや市中に栖を求むとならば、此隣こそ子を育つる最上の所なるべけれ。然るにあるじかつてある先生の門に乞ひて、7)を指峰と定めけるとぞ。其意いかならむ、あるじもおぼろおぼろとして、予に此記を書きてと求む。されば思ふに、高きを望む8)丈夫の志を表せるもの歟。猶も心の奥の海の深き心やあらむ、又は山の井の浅きやらむ、いさ汲みしらぬ予にもとむる事や、かの天に張ゆみといひ出でけむ安らかなるためしにもあらで、B)いとむつかしきなぞなぞを造りて、予に解けといふに似たり。9)ロウランの手に及ばずと、むつかりて固辞すれどもうけひかず、とまれかくまれ筆染めてとひたぶるに責められて、聊取次のすゞろごとを書きちらして、是を記とはせよとて贈ることしかり。


知り合いが営むのは「書店」(書坊)。心静かに古の文人たちの書物に触れ、耽ることができることから也有も羨ましがるほど。「お乳の人」、つまり乳母のことで、赤ん坊を人質の如く扱うので物をねだったりとかく素行が乱暴な者、が訪れる場所でもないので安心していられるという。孟母の故事を持ちだしたのも、商家とは言え書店は別格であって、安心して子供を教育できる場所でもあると言いたいのです。

ある先生の俳句の門下生であった彼は「指峰」という号をもらいましたが、その意味する所が今一つ判然とせず、也有にその由来を含めて「記」をものしてほしいと頼みます。「かの天に張ゆみといひ出でけむ安らかなるためし」というのは、枕草子・一三七段にある故事を踏まえています。中宮定子の君が、謎合(なぞあわせ)の御物語をされる条で、人々が難しい「なぞなぞ」の題が出るだろうと思っていたら、出された題は「天に弓張」という易しいものだったため、敵は侮り、却ってしくじって負けてしまったというもの。そんな簡単なものではなくて、「指峰」の「記」を書くという難題を与えられた也有の困惑ぶりを伝えています。人の意図など他人の私がどうして知れようか。老いぼれにはとても無理ですよと再三固辞すれども承知しない書店の主人。ああ煩わしいと、「取次のすゞごと」を認めてお茶を濁しました。岩波によると、「書店を取次ぎするための、とりとめのないこと」とありますが、書店にちなんだことを書き殴ったのでしょう。

彼の店は「孟母三遷の教え」とは違うと最初に持ちあげていたのですが、結局は煩わしいところだと聊か閉口している様子が伺えてくすりと笑えます。同一人物の二律背反的な二面性のコントラストが面白い。駄々っ子みたいな書店の主人にたじたじの也有。七十五歳の作とあり、かなり晩年ですね。この歳になっても人から「記」を依頼されていることからすると、念願の隠遁生活は叶えられていない。次から次へと人が訪れ、俗世間との関係は断ち切れていない。しかも、他人のことを忖度せよという無理難題も突き付けられており、何のための隠遁か分からないといったところでしょうか。好々爺然として人間味溢れる也有の風情が髣髴とします。



■下線部A)はどうして羨ましいのか。


■下線部B)はどういうことか。





■A)→書店の主人は商人ではあるが、そろばんの音もしないし、いつも昔の文人や気高い人の書いた書物に慣れ親しんでおり、知識人たちが訪れるから。つまり、僅かの利益に齷齪することなく市中に住みながらさながら隠者の如き生活を送ることができるから。

■B)→「指峰」と名付けた由来など本人しか知るはずもないのにどうして他人の私ごときが文章を書けるだろうか。それはあたかも難解ななぞなぞの答えを言えというようなもので、無理無体なことである。



1) コウズ=好事。変わった物事を好むこと、風流を好むこと。ものずき。好事家は「ものずきの人、風流を好む人」。

2) 漢=おのこ。「おとこ」でも正解。

3) ショウコ=商沽。商人、あきんど。商估・商賈でも正解。「商」は「行商」、「沽」は「店を構えてする商売」。「沽る」は「うる」。

4) ソロバン=十露盤。計算道具、横長の薄い箱形で、くしざしのたまがついている。算盤でも正解。

5) 益る=まさる。やや当て字っぽい訓み。不足分を満たしてみっぱいとなるの意。

6) ゲンバイ=衒売。商人が品物の外見をよく見せたりほめたりして売りつける、自分を実力以上に見せて売り込む、衒沽・衒賈=ゲンコ=。孟母三遷で二度目に住んだ場所が市場の傍らだったため、息子が衒売を真似した遊びをしたことから、三か所目に引っ越すことになりました。衒耀(ゲンヨウ=自分の才能・学問を実力以上に見せかける)、衒達(ゲンタツ=自分を実力以上に見せかけて出世しようとする)、衒鬻(ゲンイク=実力以上に誇張して自分の才能を売り込む)。「衒う」は「てらう」で「学問・才能があるかのようにごまかしてみせびらかすこと」。

7) 号=よびな。実名に対して平常呼びならわしている名前。仮名(けみょう)・通称。本名や字とは別にもつ「ペンネーム」みたいなものか。

8) 丈夫=ますらお。成人した男子。益荒男とも。「ジョウフ」とも読むが熟字訓を覚えよう。

9) ロウラン=老懶。年老いて物事をすることが億劫であること。老贏(ロウルイ=年老いてからだが弱ること)、老悖(ロウハイ=老いぼれる)、老耄(ロウボウ・ロウモウ=おいぼれ、老旄とも)、老衲(ロウノウ・ロウドウ=年取った僧侶)、老措大(ロウソダイ=年取った書生)、老憊(ロウハイ=年老いて元気が衰える)、老獪(ロウカイ=物事になれていてずるがしこい、老狡=ロウコウ=・老猾・老黠=ロウカツ=)、老嫗(ロウウ=年取って衰え弱った女性、老媼=ロウオウ=)。
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不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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