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キツネやタヌキが穴に住むのは雨が降るのを知るためなのだ…=「鶉衣」(10)

江戸中期の俳人、横井也有の「鶉衣」(岩波文庫上・下巻、堀切実校注)シリーズの10回目は、「知雨亭記」(前編下四三、上巻187~191頁)を取り上げます。前回ご紹介した「知雨亭後記」の前段とも言えます。

市中はなはだ遠からねば、1)ジョウトウに銭をかけて酒を(おぎの)る足を労せず、市中また近からねば、2)ソウテイに枕を支へて夢を求むる耳静なり。こゝに少しの地を求めて、聊膝を容るるの幽居をいとなむ。よしかの鬼はわらひもすらん、我世のあらましたがふまじくは、花とならびの岡ならずも、A)有りとだにしられでぞ老の春をも過ぐさばやと、人しれず思へるなりけり

かの3)山雀の身のほど隠して、4)シヘキたゞ風をふせぎ、5)サンケイわづかに草を払ふ。こゝに汲むべき山の井なければ、井戸ひとつこそ過分のたくはへなれ。あたりは夕がほ小家がちになれば、枕に鶏の暁を告げ、夜はとがむる犬も声して、ひたすらとをきほどにもあらず。門を出てて東北の方、しばらく十歩の杖を曳けば、指頭万畳の山横ほれ、眼下千町の田つらなり、村落6)ガトの中に入る。南は高くらの森高く、鳴海の浦風も通へばや、熱田潟も名のみして、夏はしらぬ日も多かり。やゝ賤が屋の蚊やりも細りて、衣うつ声、虫の音もよそよりは早き心地するは、夜寒の里も近ければならし。年くれ年かへり、垣ねの梅は遅からねども、7)マンザイ・鳥追ひなどいふものゝ、うき世の春には一日二日も立ちおくれたるなど、さすがに片里めきたり。

されば名付けて知雨亭とよぶ事、かの蘇氏が喜雨にも習はず、何がし黄門のしぐれをも追はず。只これ8)ケッキョに似たればなり。やゝ多病の老にともなひ、しげきことはざに物ぐさなるには、あはれ思ひし儘なるをと、我は心ゆきて覚ゆるを、こゝもまた府城のB)辰巳なれば、「世をうぢ山」と人はいふらんかも。





三段落目にある「蘇氏」とは蘇東坡(蘇軾)のこと。二十七歳のとき、旱が続いていたが、大雨が降って人民が大喜びしたのを機に、自分の庵の名を「喜雨亭」と名付けた故事と、「何がし黄門」とは藤原定家。彼が洛西小倉山にある別邸を「時雨の亭」と呼んだ故事に擬えて、也有の「知雨亭」は雨繫がりで似ているけれど、「穴居」に似ているのが名の由来だと言います。「漢書」第七十五巻に「巣居風を知る、穴処雨を知る」とある。つまり烏や鵲などは巣で風のあるのを知り、狐や狸は穴に居て雨の来るのを知るという。也有は狐・狸に自分をなぞらえて穴を隠れ家と称したのです。

齢五十三ともなると病気がちともなり、繁雑な仕事や務めに億劫になったこの身には、ああ自分の思うがままに生活するのが一番だと思う。ここはお城の南東の方角にあるので喜撰法師の有名な歌「宇治山」とそっくりだと言われてしまうかもしれないなあ。。。

人がどう思おうと己の欲するままに行きたいと思う也有。その理想を具現化する舞台が「知雨亭」だったのです。誰にも邪魔されず起きたい時に起き、食べたい時に食べる。ある意味、動物と同じ、そうキツネやタヌキと同じ生活を送るのです。俗世間の人々との交わりを絶つことが重要なのですが、どうやらいろいろな文章を読んでいると、全く関わりがなくなったというわけではないようです。世間から離れようとすればするほど世間が追ってくる。ああ煩わしい。ああうるさい。「雨」が降るのを知っているだけに何とも落ち着かない様子もうかがえますね。本当に人と会いたくなければもっと山奥にでも引っ越せばいいのに、何とも中途半端な場所に庵を構えたものです。このイージーさがまた也有の魅力でもあるのでしょう。人が放っておかないというか。。。徹底的に人嫌いになり切れないのが人間の臭味に溢れている。この「鶉衣」にはそのエッセンスがたっぷり詰まっています。まだまだ也有の魅力は掘り下げる必要がありそうですね。


■下線部A)の意味を記せ。


■下線部B)はどの方角か。


■ A)→自分が生きているとさえ知られないでひっそりと老いを楽しみたいものだ。

■ B)→南東。巽。「府城」は国府・尾張城のこと。知雨亭がある方角です。ここは百人一首にも録られている喜撰法師の「わが庵は都の辰巳しかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり」(古今集巻十八・雑歌下)を踏まえている。

1) ジョウトウ=杖頭。つえのあたま。杖頭百銭(ジョウトウヒャクセン)が成句で「晋の阮脩=ゲンシュウ=が外出する際、いつもつえのあたまに百銭をかけ、酒店でひとり楽しく酒を飲んだという故事がある。ここから転じて、酒を買う金、さかだい。杖頭銭=ジョウトウセン=ともいう」。ちなみに阮脩は阮宣ともいい、蒙求にも「阮宣杖頭」と載っている。竹林の七賢のひとり、阮咸のいとこ。この故事を踏まえ、也有は酒場が近くにあるので酒を買うことには不自由しないという意味。「賖(おぎの)る」とは「酒をつけで買うこと」。「おきのる」ともいう。「貰る」とも書く。ここは単に酒を買う意。だって百銭を持っているのですからつけで買う必要はないでしょ。。。

2) ソウテイ=窓底。まどのした、窓から見える庭などの風景をいう。今度は陶淵明です。「窓底」から「幽居をいとなむ」までは、「帰去来辞」にある一節、「南窓に倚りて以て寄傲し、膝を容るるの安んじ易きを審にす」を踏まえています。

3) 山雀=やまがら。スズメ目シジュウカラ科。敏捷、怜悧な鳥で、籠鳥として愛玩され、神社などで御御鬮を引く鳥としても親しまれている。「山雀利根」(やまがらリコン=一つのことは分かっているが、それを一般に応用できないこと、また、そういう小才の人を揶る言い方)。ここは「玉葉集」巻十六・雑歌三にある寂蓮法師の歌「籠のうちもなほうらやまし山がらの身のほどかくすゆふがほの宿」にちなんでいます。

4) シヘキ=四壁。家の四方の壁。粗末な家の象徴。「家徒四壁」(カトシヘキ=非常に貧しいさま、家の中には何も無くただ四方の壁だけが立っている)。

5) サンケイ=三径。庭にある三つのこみち。隠者の住まいの庭に喩える。これも淵明の「帰去来辞」に「三径荒に就き、松菊は猶存せり」を意識。もともとは漢の隠者・蔣詡(ショウク)が庭の竹の下に三径をつくり、親友の求仲、羊仲の二人と遊んだ故事にちなむ。

6) ガト=画図。絵、絵画。「ガズ」とも。

7) マンザイ=万歳。正月に烏帽子をつけ、直垂を着て、鼓を打ちながら滑稽な舞を舞って歩く芸人、また、その芸。万歳楽。正月祝賀の儀で奏でる曲。

8) ケッキョ=穴居。あなぐらに住む。穴処(ケッショ)・穴蔵(ケツゾウ)ともいう。ここはキツネやタヌキが巣穴に栖むさまを喩えている。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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