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「さらば善人よ、健在なれ」で締めくくる=「鎗ケ嶽探険記」(30)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの30回目は、ラストの章「その十 鎗ケ嶽裏山越えの記」の七回目、いよいよ本編の最後となります。最後というのはいつでも名残惜しいものですな~。

ああ太初以来、万岳を率ゐる高御座の、いかに偉なるかを見よ、雲の八束穂を垂るる夕、先づ聖き眠に就くものはいまし鎗ケ嶽、朝日の金翳1)コンコンとして、かのダイバア河の水をも乾さむずといふ羅馬の巷火のごとく、天を焼くとき、先づ額を照らされて醒むるものはいまし鎗ケ嶽、今や暁星落ちむとしてかの寒剣の尖先にかかれるときや、永劫の精舎、2)承塵に光を放ちて見えたりける、たふとしともたふとし。

蒲田一村人戸八、九戸、昔ながらの共和制度ありて、宿は互に定まりたる客を3)はねば、4)ムツみ合ふこと一家の如く、家屋の建てざま二階はなく、戸々牛小舎を入口に控へるを以て、一種の臭気あり、牛は馬に代りて運搬交通の具となるものあれば、人々その肉を啗はず乳を飲むことなし、行儀作法鄙びたる中にも太古の俗あり、夜臥床に入らむとしたるとき雪洞を以て導かれたるもうれしく、朝いよいよ出立といふときに、結飯を焼かせたるに、木の葉を一枚宛てがひて、炙りたるは焦がすまじとの作法にや、一家の労を5)ネギラひてささやかなる銭取らせたるに「御大風さまに」と恭しく挨拶されたるに慙ぢ入りぬ。着きたる夜、宿帳を認むるとき、免倒なれば余と友と同番地にして退けたるに、同じ番地に家が二軒ありますかと念を押して、不思議さうに首を傾けたる、意外の質問に呆れたれど、荒山乱水の中、一里に二、三戸の6)スイエンを認むるに過ぎざるこの辺なれば、さる疑ひも起らずといひがたし。

しかも乱山環峙の中、荒水を渉りて蒲田谿谷、突如として前に展開するに遇ひては、たとひ笠ケ嶽つづきの大山崇嶺、天を衝いて十二曲の屏風を峭立するにもせよ、山を出でたる水はこれより海に向ひて流れ、人はこれより平原に向ひて奔るかとおもへば幾ど「出門一笑大江横」の感あり。

この日蒲田を発してより十町ばかり、高原川の上流に沿ひ、神崎といふところにて、我らは大石屋及び市三郎の二人と手を別ちぬ、大石屋とは一たび顔を7)らめ合ひて、荒らかに物言ひもしたれ、今となりてはさすがに名残の惜しからぬにもあらず、殊に市三郎の介抱懇篤なる、登山成就の功、大半を彼に帰すとして胆に刻すべし、彼は路々余の鎗ケ嶽行を、新聞へでも書くなら送つてくだされ、私には読めないが、村のものに読んで聞かせてもらひ、大事に保存つて置きますほどにといひ、また横浜へ出て8)ワサビでも商ひたしと熱心にいふに、我その9)シュツザンの不心得なるを諭したるに、聞いて一々「さういふ訳だ」と頷けるなど、二十六歳なほ頑児のみ、鉢巻を外して腰を10)カガめながら、柴の組橋の上に11)タタズみては幾回か振りかへる、げに可愛らしき男なりけり。さらば善人よ、健在なれ。(明治三十五年)


問題の正解は続きにて。。。

本編は終わりですが、小島烏水シリーズはまだ続きます。





1) コンコン=滾々。水がぼこぼこと、ころがるように流れるさま。

2) 承塵=なげし。音読みなら「ショウジン」。天井のこと。また、貴人の御座所などで屋根裏から落ちる塵を受けるために、室の上方に板・蓆・布などを天井のように一面に張り渡したもの。文字通り、「ちりうけ」ですね。ここは当て字で「なげし」と読ませていますが、長押のこと。和風建築で、鴨居の上や敷居の下などの側面に取り付けた、柱と柱の間をつなぐ横材。

3) 褫はねば=うばわねば。「褫ふ」は「うばふ」。さっと横から奪うこと。音読みは「チ」。褫奪(チダツ=官位・権利などをとりあげる)、褫気(チキ=気をうばわれる、たまげる)、褫魄(チハク=心をうばう、驚かして意気を失わせること)。

4) ムツみ=睦み。「睦む」は「むつむ」。数多くの人が仲よく同居すること。親族や隣人が仲よくする。音読みは「ボク」。睦親(ボクシン=むつみ親しむ、人と人が仲よくすること)。

5) ネギラひて=犒ひて。「犒う」は「ねぎらう」。飲食物を贈って陣中の将兵らをなぐさめる。もちろん「労う」も正解ですが、その前に「労を」とあるので重複感がやや強いですね。音読みは「コウ」。犒師(コウシ=飲食物を贈って兵士たちをねぎらう、軍隊を慰労する)、犒錫(コウセキ=兵士の労をねぎらって賞を与える、また、その賞品、犒賞=コウショウ=)、犒労(コウロウ=兵士をねぎらい、いたわる)。

6) スイエン=炊烟(煙)。飯などを炊く竃の煙。かしぎのけむり。

7) 赧め=あからめ。「赧める」は「あからめる」。恥じて顔を赤くすること。音読みは「タン」。赧顔(タンガン=顔を赤らめること)、赧愧(タンキ=恥ずかしくなて顔を赤くする)、赧赧然(タンタンゼン=恥ずかしくて顔を赤くするさま、赧然=タンゼン=)。

8) ワサビ=山葵。アブラナ科の多年草。根茎は強い辛味と香りを持ち、香辛料にされる。

9) シュツザン=出山。文字通り、山を出ること。隠者の出仕にたとえる。ここは市三郎が横浜で商売をすることを山にこもっていた隠者にたとえています。「シュッサン」「やまをいず」とも読む。

10) カガめ=屈め。「屈める」は「かがめる」。まがってくぼむ、へこむ。屈撓(クットウ=物がたわむ、おそれてひるむ)。

11) タタズみ=佇み。「佇む」は「たたずむ」。じっと一か所にたちどまる。「站む」「竚む」でも正解。音読みは「チョ」。佇眄(チョベン=たちどまって見る、佇見=チョケン=)、佇立(チョリツ=たちどまる)。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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