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草鞋の数え方は?=「鎗ケ嶽探険記」(28)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの28回目は、ラストの章「その十 鎗ケ嶽裏山越えの記」の五回目です。

日も昏れたれば、急げや急げと、疾駆して下るに、だらだら下りの阪道にして、路も埋まるばかりにオンバコ1)ソウセイしたれば、悦ぶこと限りなし、およそその畔たると堤たるとを問はず、オンバコは必ず人に踏まれたる土ならでは、生えぬものなれば、路に迷ひたる人はオンバコを道知るべの草として、その在るが方へ辿れば、人里に出でずといふことなし、漸く一軒屋を見つけ、強ひて剰れる草鞋を2)イッソウ乞ひ受け、二人各片方づつ穿きかへ、提灯に火をもらひてまた下る。

時に夕霧はしツとりと3)に沈みて、4)キヌを裂く谿流の声は人語を乱り、瑠璃玉くす玉の湧きかへりて仄立する四壁中に物言ふ如くなるに、山頂より崖を伝ひて、音もなく下り来れる夕闇は、いつしか天領を蝕みつくしつ、我らが背を望んで圧し伏せる如く追ひつかんとす、我らはいよいよ走れり。

林径にて、はたと行き違ひたるは猟士と覚しきもの連れ立ちて三、四人、先づ人を獲たるに安堵して、蒲田温泉までなほ何里ありやと問へば、直ぐにそこなりといふ、皆我らの服装を怪しみて「お前へツちどこから来さツした」と口々に訝る、鎗ケ嶽をこえて来れりと答ふれば、吃驚して「そりやお前ツち、どえらいこと、出来さツしたなあよ」「ひえい、剣ケ峰まで、上んなすつたかよ」(鎗ケ嶽の最高点三角測量標の在るところを、剣ケ峰といふことを、ここに至りて初めて知りぬ)など口々に賞めそやしぬ。

これらの人々に導かれて蒲田に入れば、はや夜目ながら黍や稗の火田水田を見るやうになり、路左渓流に沿ひたるところより、白烟蒸々すさまじき音させて5)衝つ立ち昇るは湯涌谷と知られて、硫黄の気紛として鼻を撲つに、立山の地獄谷より小に、箱根の大地獄よりは大ならむと思はる、山の裾開けて二渓流A形に合し、一本の尖りを作りて石は天に叫び、水はよどみの声を作るところ、板橋ゆらりと渡れば、提灯を振り翳して遠くより呼ぶものあり、近けば大石屋の主人なり、互に無事を祝し合いつつ、導かれて、とある宿へ草鞋を釈き、重さ6)バンキンの双脚を曳きつつ、二、三間ばかり離れたる浴泉小舎に入る、湯は二槽に別れて溢る、しかも熱くして堪ふべからず、往々湯殿に引きある筧の水を酌み入れて加減を作るに、四肢7)びて我膚ながら玉の如し、村人また仰向けになりて湯に浮び、悠々村歌を謡ふ、立ち出づるとき一群の村童七夕と書きたる提灯を手にしながら、板の上に蠟燭を点火したるを、8)寒筧の流水に浮べ、どよめいて去る。

一同座敷に通り、囲炉裏を囲みて飯したたむ、塩豆、塩菜、大根の古漬と、いづれも塩づくめにて醬油を用ひざるが中に、別けて嬉しかりしは9)キュウリの大さ、白瓜の如きものを生のまま、塩にて揉みたるにて、数日来肉も菜も、鑵詰に飽きはてて、青物を見るを得ざりし、我らなれば、何よりの珍味と、キュウリのみ三椀を所望したり、茶は何の葉とも知らねど、10)トソの如く衣に包みて湯にひたすなれば、ただ麦酒の如く赭く濁りたるばかりにて香はなく、味によりて察するにおそらくは半年前の出し殻ならむ。



1) ソウセイ=叢生(簇生)。たくさんのものがむらがりはえる。叢菊(ソウキク=むらがりはえた菊、むらぎく)、叢棘(ソウキョク=むらがってはえているいばら、牢屋)、叢談(ソウダン=いろいろな話を集めた本)、叢竹(ソウチク=むらがりはえている竹、たけやぶ、むらたけ、叢篁=ソウコウ=)、叢芳(ソウホウ=むらがり咲いている花)、叢莽(ソウモウ=くさむら)、叢林(ソウリン=やぶや林、寺院)。

2) イッソウ=一双。二つで一組となるもの、その数え方。一対。A pair of。ここは「草鞋」を数えている。

3) 峡=はざま。山と山の間にはさまれた谷。「かい」とも。

4) キヌ=帛。白い絹布。転じて、広く絹織物をいう。「帛を裂く」「裂帛(レッパク)」は成句で「女の悲鳴、勢いの激しい叫び声や音、ホトトギスの声などの形容」。裂罅(レッカ=われめ、さけめ)、裂眥(レッシ・まなじりをさく=まなじりがさけるほど目を見開く、激しく怒るさま)、裂繻(レツジュ=さいた布切れ、絹を二つにさいて、通行手形などに用いた)、裂膚(レップ・はだえをさく=皮膚をさく、寒さが非常に厳しいことの形容)。

5) 衝つ立ち=つったち。「つったつ」は「勢いよく立ちあがる」。「衝く」は「つく」。「突っ立つ」が一般的。

6) バンキン=万鈞。非常に重いこと。「マンキン」とも読む。「鈞」は「重さの単位で、一鈞は三十鈞」。

7) 暢び=のび。「暢びる」は「のびる」。長くのびる。音読みは「チョウ」。暢月(チョウゲツ=陰暦十一月の別名)、暢叙(チョウジョ=思い切り述べる)、暢達(チョウタツ=のびのびとしている、文章などが流暢で行き届いている)、暢茂(チョウモ=草木が伸びて茂る)、暢気(のんき=心配がない、気にしないさま、吞気)。

8) 寒筧=カンケン。筧を伝う冷たい水の流れ。辞書には記載なし。音読みで読めるかどうかを問いました。

9) キュウリ=胡瓜。ウリ科の一年生果菜。漬物・ピクルスが美味い。

10) トソ=屠蘇。屠蘇散(トソサン)のこと。魏の名医、華佗が処方したという、年始めに飲む薬。山椒・防風・白朮・桔梗・蜜柑皮・肉桂皮などを調合し、屠蘇袋に入れて酒・味淋に浸して飲む。一年の邪気を払い、寿命を延ばす。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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