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いよいよ鎗ケ嶽の登攀開始へ=「鎗ケ嶽探険記」(8)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの8回目です。今回は「その七 霞沢の急湍を渉る記」の一回目です。いよいよ鎗ケ嶽の登攀が始まります。


待ちに待ちたる朝とはなりぬ。

導者二人、一は大石屋の主人、一は筒木市三郎と呼べる、齢二十三、四ばかりなる猟師、二人共に山稼ぎ用の筒袖甲斐甲斐しく、腕より手首へかけては盲縞の手甲を蒙ぶり、股引きと袴を折衷したるげなる、例の猿袴を穿ち、この辺の山地に常用せらるる蒲にて編みたる1)キャハンを着け、槻の皮を剥いて手際よく綴ぎ合せたる長方形の袋に、A)■■箱、草鞋、鑵詰その他の食糧品を詰めこみ、鍋をその口に冠せて、その上をまた麻縄にて十文字に括りたるを、緊と背負ひ、腰には山刀(2)ナタの細きもの)に半鞘をあてがひたるを横たへたるが、しとしとと露を宿せる秋草を踏みしだき、3)シワブキに狭霧を破りて先立つ。

白骨温泉より北行すること二丁ばかりにして、歩々爪先上りとなり、谷底よりすくすくと涌き来る霧を、屯ろさせたる樅の枝の、4)スイウ滴らんとしてX形に入れ違ひたる間を、右に左に5)カイクグリて、6)蜀魂の頻りに悲叫するを聴きながら、仰いで上れば北の方霞沢山は、霧の裂け目にピラミッドを据ゑ、焼嶽は突兀としてこれと高峻を競ひ、一段高くして帝冠を戴ける如き奇瘤を尖起す、この山の筋肉凸隆して、うち見るからに目も醒むるばかりに雄々しく、附近の山は風を望みて靡き7)タワみけむ如く、藍靛色の大小塊は、8)ヒョウコより淡々乎たる9)セイクウによどみ、その大なるものに至りては沈める暁霧の平波に、長鯨の背を出没するが如し。

急坂登りつくせば、傾斜は約二十度を以てだらだら下りとなる、木は暫く絶え、野もせ一面秋草にて足の踏みどころもなく、桔梗や、女郎花や、月見草や、あるいは紫唇を10)ホコロばして姉妹相抱いて接吻する如く、あるいは原頭に大月を落したる如く、あるいは瑠璃の眼に珠の涙を湛へたるあり、春の魂を追ひあくがれたる黄蝶の、木楡に翅を懸けて秋早く到るに迷ふがごとくなるも、いと哀れなり。

地獄谷を眼下に瞰るところにて、阿房峠や平湯道と分岐す、このわたりにて人の手に成りたるは、これのみならむとおもはるる芍薬畑四、五反ばかりを斜視して、末は梓川に合流すといふなる湯川の瀬音、急雨石に激するごとく、狭霧の11)モウモウたる中より遠く聞ゆ、足許には焼け残りたる杭の如く点々たる紅の櫨にぞ、頬白の来て12)サエズるなる。

路に遇へるは草刈に往く村女のみ、訝かしげに我らを目送しては囁き合ふもをかし、坂を下りつくせば山の裾と裾と蹴合はんとして、13)蹙促せる峡となり、㵎水上下に乱流して草沢を作る、この沮洳の中を横行すること少時にして、また林に入る。しかもクヌギ、コナラの如き14)シンタン林にはあらで、栃、柏、朴など、その葉15)カツダイにしてかつ葉量に富む、中にサルノヲガセの懸垂するを見るに、その灰白にしてやや蒼味を帯び、糸の如く網の如くフツサリとして、そよ吹く風にも16)ヨウトウし、空中に浮游するところ、あまりに繊細にして、かへつて深山豪宕の景像に適ふをおぼゆ。

淘湧せる梓川一支の谿谷には、柴の粗橋を架けたり、水中より羅漢面の如く突起せる巨石、むくむくとしてその橋の底に三角の頭を突きかけ、自ら支柱を成す、渡ること半にして、川畔遥に万葉の娑婆たる緑の大波小波、畝ねれる奥に、白水17)インライの吼ゆるごとく、水烟を蹴立てて直下するを見るに、名を知らねど甲斐昇仙峡の仙娥瀑より大なるべしとおもはる、ただ潭碧き中に起伏する石、磊々としてその間に山鯇の群、18)アイクチの如く游行するを覗ふのみ、渡り了れば細径を挟んで紫陽花最も多く、19)ロカは涼、瑠璃の如く、冷、星の如く、その間より危岩出没、赭身、裸身、河馬の如く人を覗ふの状を作す。

☆藍靛(ランテン)=あいいろ。「靛」も「あい」。
☆沮洳(ソジョ)=湿気の多い土地。沮沢(ソタク)ともいう。「洳」は「みずびたしになった柔らかい所」の意。
☆山鯇(やまめ)



(和訓語選択)
A) 「べんとう」→コウチュウ・ホウチュウ・トウチュウ・ヨウチュウ・ロウチュウ


問題の正解は続きにて。。。






A) コウチュウ=行厨。弁当。わりご。箪食。


1) キャハン=脚絆。旅などで歩きやすくするためすねにまとう布。脛巾。脚の晒し。

2) ナタ=鉈。まき割りなどに使う、刃が厚くて幅の広い刃物。「屶」もあり。

3) シワブキ=咳。せき。音読みは「ガイ」。咳嬰(ガイエイ=ようやく笑い始めたことの幼児)、咳嗽(ガイソウ=せき、しわぶき)、咳唾(ガイダ=せきとつばき、目上の人のことば)、咳唾成珠(ガイダたまをなす=せきやつばきまでも珠玉となる。権力や勢力が強くて盛んで、言論が尊ばれるたとえ)。

4) スイウ=翠雨。青葉に降る雨。緑雨とも。また、穀物の生長を助ける雨。

5) カイクグリ=掻い潜り。「掻い潜る」は「かいくぐる」。「くぐる」を強める言い方。

6) 蜀魂=ほととぎす。

7) タワみ=撓み。「撓む」は「たわむ」。やわらかに曲がるさま。音読みは「ドウ」。撓曲(ドウキョク=たわめ曲げる)、撓乱(ドウラン=乱す、乱れる)。

8) ヒョウコ=氷壺。こおりを入れた玉製の壺。心が潔白であることを喩える。氷壺心(ヒョウコシン)という言い方もある。きよらかですきとおっている。

9) セイクウ=霽空。あめがやんですっきりはれたそら。「霽」は「はれる」。やや難問。霽月(セイゲツ=雨がやんだ後のすっきりした空の月)、霽止(セイシ=雨がやむ)。

10) ホコロばし=綻ばし。「綻ばす」は「ほころばす」。「綻びる」。つぼみがひらくさま。ここは唇を花に譬えている言い方。音読みは「タン」。

11) モウモウ=濛々。雨・霧・雲などがたちこめてうすぐらいさま。蒙昧(モウマイ)とも。濛雨(モウウ=降りこめる霧雨)。濛は「きりさめ」とも訓む。

12) サエズる=囀る。鳥が球をころがすように続けて鳴くこと。音読みは「テン」。

13) 蹙促=シュクソク。せまくて細いさま。度量が狭いさま。戚促とも。蹙迫(シュクハク=おしつめられてせっぱつまる)、蹙然(シュクゼン=身をひきしめて安心しないさま)。

14) シンタン=薪炭。たきぎとすみ。広く家庭で用いる燃料のこと。薪炭林は、薪や木炭の原料を生産するための森林。クヌギやコナラ、カシが多い。

15) カツダイ=闊大。ひろびろとして大きい。闊大淵深(カツダイエンシン=ひろくておくがふかい)。

16) ヨウトウ=揺蕩。ゆらゆらと動く。ゆり動かす。揺盪でもOK。揺動(ヨウドウ)ともいう。

17) インライ=殷雷。おんおんと重くこもった音をたてて鳴る雷。殷殷(インイン=大きな音が重々しく轟くさま)、殷軫(インシン=人数が多くにぎやかなこと)、殷阜(インプ=豊かで盛大なこと)、殷憂(インユウ=深いうれい)。

18) アイクチ=匕首。鍔がなく、柄口と鞘口とがよく合うように造った短刀。九寸五分(くすんごぶ)。

19) ロカ=露顆。つゆのつぶ、雨つぶ。やや難問か。「顆」は「つぶ」。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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