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「その六 白骨温泉の記(上)」から抜粋=「鎗ケ嶽探険記」(6)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの6回目です。今回は「その六 白骨温泉の記(上)」から抜粋です。

(前略)

余らが投宿中は、人のけはひ至つて稀なり、空山1)リョウショウの中、2)コツザして3)ランキを浴ぶる仙客の如く、神澄み骨冷えて、浴槽に入れば、我ながら4)シシ玉の如きを覚ゆ、戻りて先づ何よりも新聞をと借りに遣りたるに、5)ショウヒ齢十六ばかり、色白くして6)しげなるが、今日のなりとて持ち来りたるを、二、三行読みかけて不思議におもひ日附を調べたるに五日とありたれば、呼び戻して日附の在るところを教へ、新しきを持ち来るやうに注意してやりたるに、今度は九日のを、今日のなりとて7)し来る、まことや人生字を識るは患ひの初め、少女は患ひを解せざりけりと、重ねては煩はさず、聞けばこの地に入り込む新聞は、大かた松本発行のもののみ、東京のは偶ま来客中にて取り寄するあるにすぎず、松本は二日遅れ、東京のは三日遅れに来るなりといふ。

(中略)

膳を引かせたる後、散歩がてらに件の蕎麦屋に入る、大黒屋といふ行燈看板を掲げあり、就いて蕎麦を命じたるに、この頃はお客さまが稀で打ちませむ、打てなら打ちもしませうが、十より以下では御免を蒙りますと、8)オクメンもなき若女房の挨拶に、いつかな9)ケンタンカも飯を済ましたばかりにて、10)セイロウ十個は退治られずと、これも沙汰止となりたるが、このまま指を11)へて引き返すも剛腹なりと、偶ま行燈の側面に「しるこ」と禿び筆にしるしあるを見つけ出して、これはいかにといひたるに、ありませぬと12)ニベなく刎ねつけられてけり、客の混み合ふときは、蕎麦のみにて一日平均十円の商ひあれど、平生は蚕にて13)はしといふ、せめて貰ひ水でもして引き揚げやうかと、我ながら情けなくなりて、懇請一番、上り口に二つ引きある14)カケヒの手近なるに就かんとしたるに、袂を控へて「そつちやの方が湯が交つてる水ぢやて、蕎麦には使ひませんがな、15)コッチのが清純ですよつて、それにしなされ」といふ、全体に山家の人は、無愛想にして狎れやすからざるに似たれど、人懐かしければにや、敲けば存外に懇切なる音を出すものなり。

宿屋一体、屋根は平たくして大に、雪国16)ツウユウの尖りて勾配急なるところなし、板葺なれど他の山村にて見る如く、石を乱措せざるは、この地三方山に囲まれて、17)コシキの一方欠はけたるやうなるところとて、風烈しからざればならむ、その屋根板も飾り昆布のやうに大にして粗きはなく、細きことは都会のそれに異ならず、ただ屋根の18)セキリョウに当るところに、19)シュロの皮を敷き、「一」文字状に小さからぬ石を駢べて、板の交又点の抑へとしたるのみ、棟頂より二、三尺下りたるところに、枕木やうなるのもの一本を縦に表裏へ長く貫通して、その端の突き出たるは、藤蔓の類にて棟を纏ひたる力木なり、また遇ま千木の如きもの見えたるもあり。

(中略)

乗鞍嶽の裾を繞ぐりて、飛騨の平湯は北に、これは東に、共に遠く人寰を絶し、玉の如く玻璃の如き天泉を湧かすところとして、並び称せらるれど、彼には内湯なくして、外湯の一浴槽あるのみ、これは到るところに内湯裕かなれば、外湯の要なし、彼の宿屋の平屋のみなるに反して、これは悉く二階建てにして、かつその20)コウキョウ大小はA)■■の談にあらず、全体に彼に比してこれの贅沢なるは、地勢気候などの関係もあるべけれど、他の一面において、飛州人と信州人と富の程度を卜するに足るべく、「信州の百姓は贅沢なり」とは、往々聞くところなれど、今更に思ひ当るなり、この宿にて名物葛の菓子といふを出したるを見るに、落雁やうのものにて、明らかに白骨といふ二字を型にて打ち出しあるなど、山中21)ヘキスウの温泉としては、いたく洒落たり、土地は乗鞍山麓のこととて、22)磽确不毛なれど、平湯の辛うじて稗と仙台芋(馬鈴薯)とを作り得るに比ぶれば、ここの蕎麦、小豆、麻、馬鈴薯、葱、芍薬などを獲るは未だしもなりといふべし。この中、蕎麦は最も地味に適す、他の作物は他村より発生遅々なれど、蕎麦のみは最も早く、一年に数回の収穫ありと、畑には芍薬最も多し、こは薬用として輸するなりといふ、麻は渓畔到るところ、23)イッサツの空地あればこれを植う、既に穿り了して乾しあるものをすら見受けらる、手織衣の材料にやあらむ、葱は春は根を掘ることあれど、今頃の根は堅くして、味悪しとて葉をのみ截り取りて、そのままにさし措く、一概に葱の白根を珍重せぬなり、馬鈴薯は発育最も悪しくして石の如し、当地にては白芋と呼ぶ、その他常食を補ふ用としては、24)ウド、★冬、蕨、紫蕨、薊菜、☆蓉菜、芹などその他なほあるべし。

★=草冠+款、「★冬」=ふき、蕗。
☆=草冠+奐、「☆蓉菜」=みつば、三つ葉。



■下線部A) は「違いが大きすぎて比較にならない」という意味の成句である。■■にあてはまる熟語を記せ。

■文章中、一か所、言葉の使い方の誤りがある。それを記して正しい言い方に直してください。迂生が問題として改竄したのではなく、烏水が実際に使用しています。

問題の正解は続きにて。。。





■成句問題

A) ■■=同日。成語林によると、むかし中国で、功績の有無・大小を論じ、その功績にふさわしい恩賞を決めるのに身分・功績の内容などによって日を変えて行っていたことから。「同日の論にあらず」ともいう。ここは、飛騨の温泉と信濃の温泉を比べて、信濃の方が立派で比べようもないということ。

■誤字訂正問題

×剛腹→○業腹。
ここは蕎麦屋の態度が腹立たしいという文脈。したがって「業腹」(ゴウはら)が正しい。剛腹(ゴウフク)だと「胆力がある、胆が座っている」という意味。ただし、この二つは読み(かたや重箱読み、こなた漢音読み)ともども間違いやすい組み合わせとして斯界ではあまりにも名高い。事ほど左様に明治の作家ですら間違うのですから。。。



1) リョウショウ=料峭。春風のはだ寒いさま。

2) コツザ=兀坐。からだを動かさず、じっと座っている、ぼんやりと座る。

3) ランキ=嵐気。水蒸気の多い山の大気。

4) シシ=四肢。両手両足、からだ。四支・四体。

5) ショウヒ=小婢。わかいはしため。年端もいかぬ下女。

6) 慧しげ=さかしげ。「慧しい」は「さかしい」。心が細かく働き、気が効くさま。賢しい、伶しい、俐しい、悧しい、黠しい。音読みは「ケイ」。慧給(ケイキュウ=かしこく気が効いて口上手なこと)、慧悟(ケイゴ=知恵がありさとい、慧智=ケイチ=)、慧黠(ケイカツ=悪賢いこと)。

7) 齎し=もたらし。「齎す」は「もたらす」。持ってくる、持っていく。

8) オクメン=臆面。気おくれしたようす・顔つき。

9) ケンタンカ=健啖家。食べ物を普通以上に多く食べる人、大食漢。健食家ともいう。

10) セイロウ=蒸籠。ゆげで中の食べ物を蒸すための道具。唐音。漢音読みで「ジョウロウ」とも。日本の「せいろう(せいろ)」は蕎麦を載せる器のことをいう。

11) 咥へ=くわへ。「咥える」は「くわえる」。

12) ニベ=鮸膠(鰾膠、膠?)。「にべもない」と用いて「つれないさま、そっけないさま」。「鮸膠もしゃしゃりもない」ともいう。烏水は「膠」だけで「にべ」と訓ませていますが、問題で出たら「鮸膠(鰾膠)」と書かないと正解は頂けないでしょう。要注意。

13) 忙はし=せはし。「忙わしい」は「せわしい」。あれこれとせきたてられている、あわただしい。忙碌(ボウロク=うろたえるさま、忙しくて安む間もない)。

14) カケヒ=筧。地上に平らにかけわたして水を通し導く、竹製の筒。「懸樋」でも正解。「かけい」とも訓む。

15) コッチ=此方。こちら。「あっち」は「彼方」。

16) ツウユウ=通有。一般の人・物に共通してそなわっていること。「特有」に対する言葉。

17) コシキ=甑。せいろうを上に重ねて、下から火を燃やして、蒸気で穀物をむす器具。音読みは「ソウ」。坐甑(ソウにザす=こしきの中に座っているように、蒸し暑いたとえ、夏の暑さの厳しいこと)、堕甑不顧(ソウをおとしてかえりみず=あきらめのよいことのたとえ、後漢の孟敏が、こしきを落としてふりむきもしないので、郭林宗がそのわけをきくと、こわれてしまったものを見ても何にもならないと、答えたことから)。

18) セキリョウ=脊梁。長く続く高地の尾根。「脊」は「せ」。脊呂(セキリョ=せぼね、脊膂=セキリョ=)、脊令(セキレイ=鶺鴒、水辺にすむ小鳥)。

19) シュロ=棕櫚。ヤシ科の常緑高木。まっすぐな幹をしている。幹の毛で、ほうきやなわなどをつくる。

20) コウキョウ=広狭。ひろいこととせまいこと。広さ、幅。

21) ヘキスウ=僻陬。都会から離れたへんぴな土地、かたいなか。僻地・僻土・僻壌ともいう。「僻」は「かたよる」。僻遠(ヘキエン=中心地から遠く離れてへんぴなこと)、僻処(ヘキショ=いなかずまい)、僻説(ヘキセツ=道理からそれた正しくない説、僻論=ヘキロン=)、僻陋(ヘキロウ=土地柄がいなかびていて文化度が低いこと)。

22) 磽确=コウカク。石がごつごつしていて土地がやせていること。そのような土地、荒れ地。

23) イッサツ=一撮。ひとつまみほどのわずかな量・広さ。撮土(サツド=ほんのひとつまみの土、わずかな土地のたとえ、撮壌=サツジョウ=)、撮要(サツヨウ・ヨウをとる=要点を選び集める)。

24) ウド=独活。「ドッカツ」の読みもあり。ウコギ科タライノキ属の多年草。地上に出る前の若い茎はやわらかく食用。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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