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「その四 梓川を溯る記」から抜粋=「鎗ケ嶽探険記」(4)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの4回目です。今回は「その四 梓川を溯る記」から抜粋です。

(前略)

倏ち見る、大江の開くが如く、1)ソウメイの落つるが如く、東岸に方りて屯れる雲は、惨として風に吹き2)され、天外横さまに3)ホフクする菫色の大塊、かしこに一つ、ここにまた一つ、皺条縦横に波をうつて4)エンエン幾里。


5)コウコウたる日光に反映して、朱を秘むる甕の長きにも似たるかな、指点して傍人に問へば、和田峠、蓼科山なりといふ、あまりに偉なる山態に、小心に移歩しては、みかへりがちに岸を行く、対岸の6)ホウランは、腹よりかけて潤緑を帯び、その裾は幾にも截られて層々段階を成し、稷や7)ラフクを8)う、その下なる9)ゲキタンは、雨をしどろに吹いて、川に挿める危石に声あり。この川のありさまをいかにといふに、乱山入り違ひて仄立し、歩々に10)まれる峡より水は漲り落つるなり、山は展画の如く、11)ジョウジョウたる夏草にて十二分に緑を捏したる上に、また杉樅の12)アンリョクの刷きたれば、13)ノウショウ滴りて水に融和せむかとおもはるれど、水は連日の雨に濁りて、灰色を成し、石か木か川底に抑へつけられたる隆堆の、何物かに躓いて石灰に獅子の頸毛を彫りたらむさまにて渦まく波は、怖ろしといはむもおろかなり、試に一介の拳石を投じたるに、件の石は鉄線に中りたるかのやうに鳴震して沈みたりしが、おそらくはこの激流にて木の葉の如く流されやしつらむ、四山の水は昨日の雨にて14)カサを増し、百道の白気となりて川に落つるに、或ところは吹雪の風に狂ふが如く、或ところは藍を拖いて15)ダクロウに注ぐに似たり。

(中略)

上赤淵に至りて一橋を渡り、川を左に視る、初めて東岸に移れるなり、これより山漸く深く、崖の水を挺くこと次第に高く、漲痕緑を帯びて雑木茂叢、その下、寒流急なること16)より疾くして、河畔に連なれる戸々、17)セイラン窓に入りて翠光いづくんか飛び去んぬる。偶ま18)ロウオウの声、19)帽檐に落ちかかるに、幾度となく振り仰がれ、双耳頓に涼を生ず。

(中略)

されど登山の20)サチより、何となく力脱けしたる我は、友と相顧みて無言に崖の上に佇み、何事を考ふるともなく頭を低れてゐたりしが、ここに我らがためには天祐としも謂ひつべき男こそあらはれたれ、年のころ二十を少しは超えたるらしく、色の生白くて、この辺の人とは見えざるが、21)シリハショりになり、ひよこりと崖の曲り角より立ち出でて、我らの顔を穴の明くばかりに見つめ、22)キョキョゼンとして行き過ぐるさまの怪しきに、友は呼び留めて、いづこより来りたるにやと問ひたるに、彼はかなたの山を指さして「あの山から」と答ふ、どうだね鎗ケ嶽へ登れるかねと、益にも立たぬ問ひを掛け捨てに去らむとしたるに、「実はその鎗ケ嶽から下りて来ましたので」と。我ら覚えず愕然。

(後略)


1) ソウメイ=蒼溟(滄溟)。あおい海、あおうなばら。蒼海(ソウカイ)とも。

2) 頽され=くずされ。「頽す」は「くずす」。自動詞で「くずれる」の方が一般的。音読みは「タイ」。頽弛(タイシ=おきてなどがゆるみすたれる)。

3) ホフク=匍匐。地面や床上に身をふせて手足を動かす、はらばう。

4) エンエン=蜿蜒。竜や蛇がうねりながら動くさま。屈曲しながらうねうねと長く続くさま。

5) コウコウ=杲々。日の光が輝くさま。「コウコウ」に当てられる漢字は数多く、意味も微妙な物が多いですが、ここは後の「日光」が大ヒント。「杲」は「あきらか」とも訓み、太陽が白く輝くさま。

6) ホウラン=峰巒。連なった山々。峰嶂(ホウショウ)とも。

7) ラフク=蘿蔔。草の名、ダイコン。

8) 芸う=うう。「芸える」は「うえる」。手を加えて栽培する。芸植(ゲイショク=草木・作物をうえる)。

9) ゲキタン=激湍。流れのはげしい早瀬。「湍」は「はやせ」。

10) 蹙まれる=せばまれる。「せまる」とも。物事がさしせまる、切迫してくる。きゅっとちぢめる。音読みは「シュク」。蹙迫(シュクハク=おしつめられて切羽詰まる)。

11) ジョウジョウ=茸々。雑草がふさふさとしげっているさま。「茸る」は「しげる」。

12) アンリョク=黯緑。こいみどり。「黯い」は「くらい」。黯靄(アンアイ=うすぐらくたちこめたもや)、黯惨(アンサン=くらく陰気なさま)、黯然(アンゼン=陰気でどす黒いさま、くらいさま、胸がふさがるさま、気がめいるさま、黯爾=アンジ=)、黯澹(アンタン=うすぐらいこと、黯淡=アンタン=・黯湛=アンタン=)。

13) ノウショウ=濃漿。魚・肉などを濃い味噌汁で煮る。

14) カサ=嵩。体積。

15) ダクロウ=濁醪。かすをこさないどろりとした酒、にごりざけ。濁酒(ダクシュ)とも。どぶろく。

16) 梭=ひ。機織りの道具。横糸を通す管のついているもの。細長いO型をしていて、その中に糸巻きをおさ
める。音読みは「サ」。梭投(サトウ=機織りのひを、さっと縦糸の間に通すこと、時の過ぎるのが速いたとえ、物事の速やかなたとえ)。音読みは「サ」。梭投(サトウ=機織りのひを、さっと縦糸の間に通すこと、時の過ぎるのが速いたとえ、物事の速やかなたとえ)。

17) セイラン=晴嵐。晴れた日にたちのぼる山の気。晴れた日の山のかすみ。

18) ロウオウ=老鶯。鳴き方の上手いウグイス。春に鳴くべきなのに、春が過ぎても鳴いているウグイス。残鶯(ザンオウ)・晩鶯(バンオウ)とも。これは引っ掛け問題で「老翁」では不正解。前後の文脈を見ると、突然おきなが出てくるのはおかしい。

19) 帽檐=帽子のつば。「檐」は「ひさし」。鳥打帽の前部にでた部分。

20) サチ=蹉躓。つまずくこと、失敗すること。蹉跌(サテツ)ともいう。

21) シリハリョり=尻端折り。和服の裾を外側に折って。帯の間に挟むこと。しりからげ、しりっぱしょり。

22) キョキョゼン=遽々然。あわてるさま、にわかであるさま。「遽」は「にわか」「あわただしい」。遽急(キョキュウ=さしせまる、遽疾=キョシツ=)、遽止(キョシ=ぎょっとしてやめる)、遽色(キョショク=あわてた顔つき)、遽人(キョジン=宿場で働く人夫、命令を伝える使者)、遽卒(キョソツ=にわかに)。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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