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「その三 千曲山脈横断記」から抜粋=「鎗ケ嶽探険記」(3)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの3回目です。今回は「その三 千曲山脈横断記」から幾つかのシーンを抜粋します。

(前略)

碓氷峠は夏と秋の間に横たはれる1)カンヌキなり、青字と黄字との間に点ぜられたる,コンマなり、汽車が2)ズイドウに入りたる間は、暫く「自然」と「人」とを描きたる写真帖を閉ぢられて、太古の闇に入りたる如くなりしが、その二十有六の怖ろしき穴―こは夢の洞窟なるべし―を過ぎ去りての後、披きたる自然の態はいかにぞや。知んぬ、峠の以東は濃墨にあらずんば厚色、峠の以西は軽光にあらずんば淡彩なるを、見よ満目は荒涼たる大野原にして、霉爛せる熔岩より3)カイシしたる土層にも、種子あれば草あり、草あれば花あり、花あれば蝶あり、ここに熔岩の4)ライライたる大塊まで、5)鶸茶色となり、剥げ落ちたる上に生えたる落葉松も、金茶色となり、はては女郎花、男郎花、尾花、車百合、撫子、萩、月見草など、その大部分は黄色、もしくはそれより一層冷たき白色を以て代表せられざるはなく、その間にひよろりと高く挺きたる6)柞櫨の類のみは、紅を潮すといへども、三分ばかりは7)梔染の黄葉を簇々として8)カザしたり。かくの如くしてこれら白練黄摺の大和錦は、十度内外の傾斜を以て、浅間の裾野を延展せり、恨むらくは雨雲に妨げられて浅間を見ず、幾回となく眼鏡の曇りを拭ひたれど、重き大気を昇る能はざる狭霧の、僅にその八合目以下に9)タムロんで、原上の地平線に微けき半円形を画き、その間より葡萄染めの裳褶を延けるあるのみ、しかも我浅間山下に来るごとに、万有は彼の前に草となりて靡き、人は彼の前に10)凍蠅となりて11)チッするをおぼえて、頭上重さ万斤なるを感ぜざるはあらず。霽れたる日は鮮やかなりと言ふ勿れ、浅間山はいかなる時、いづこよりこれを見るも、一個の幻(ミレージ)のみ、火けざるときは静かなりと言ふ勿れ、我が冷灰の心も、これを山上に移せば即ち燃ゆるをや。

(中略)

西条駅の中央を、一小川貫通して、ゆるやかに流れ、小禽虫を12)ツイバみながら、飛び翔けりては草を出でて草に入り、その後景を作せる山側は、13)くして曲線に欠潰せらる、川の右側には低檐茅宇、不揃ひなる14)クシの歯を引くごとく、その15)リラクには、菊、天竺牡丹、16)満咲して千斛の露を瀉ぐ、偶ま子女三、五、傘を掲げ17)高屐を穿きて、かの川に架けたる「へ」の字形の橋を渡るところ、身は汽車中に在るを知りて、山中の客たるを知らざりし。

 西条停車場より半里ばかり、工事の困難と長距離とを以て、冠着ズイドウと比肩するに足るべき白坂ズイドウを出でたるころより、高台は次第に下りとなりたれど、これより軌道を夾みて高聳せる絶壁は、18)モウドウを立てたる如し、路右に屋高く廂長き紫黒の大頑石あり、19)トウハンとも紛ふばかりの披麻縦横して寸土を剰さず、その天辺より息をも吐かず放射せられたる雨は、石を20)きて鳥の毛を21)れる如くに飛ぶ、軌道は22)カンコクを両斜面にしたる、その三角尖点に布かれたる如く、右も左も赭岩、黒松、白水、黄河なれば、その23)嶮絶なること碓氷の及ぶところにあらず、まじろぎもせで雨中の光景に見惚れたる間、偶ま熊の子の如き黒毛の小獣あり、截り立てたる崖の上より、トボトボと転げ落ちて、ざんぶと渓流に入り、水を爬かんとして麦酒樽の24)テンテンする如く、二、三十反ばかり押し流さる、今にその何物といふことを知らず。

(後略)


問題の正解は続きにて。。。


1) カンヌキ=閂。門をしめる横棒。「関」もあり。
2) ズイドウ=隧道。トンネル。
3) カイシ=懈弛。心がゆるんでなまける、おろそかになる。「懈る」は「おこたる」。麗水は「解」を当てていますが、こちらを覚えておきましょう。
4) ライライ=磊々。数が多いさま、スケールの大きいさま。石がごろごろしている。
5) 鶸茶色=ひわちゃいろ。鶸色がかった茶色。黄みの強い茶色。鶸はアトリ科のとりの一群。黄緑色をしている。
6) 柞櫨=ははそはぜ。コナラ、クヌギなどブナ科コナラ属の総称とウルシ科のハゼ。
7) 梔染=くちなしぞめ。クチナシの果実から取れる赤みを帯びた濃い黄色で染めた染物。
8) カザし=翳し。「翳す」は「かざす」。かざしてかくす、おおう。
9) タムロんで=屯んで。「屯む」は動詞で「仲間やある職業の者が集まること」。通常は「屯する」。
10) 凍蠅=トウヨウ。寒さでこごえたハエ。冬まで生き残ったハエ。「いてはえ」の訓読みも。冬の季語です。
11) チッする=蟄する。かくれる、こもる。おとなしくとじこもるさま。蟄雷(チツライ=春の雷)、蟄竜(チツリュウ=地中にじっと隠れ潜んでいる竜、活躍の機会にめぐりあえない英雄にたとえる、伏竜とも)。

12) ツイバみ=啄み。「啄む」は「ついばむ」。くちばしで同じところをつんつんとつつく。音読みは「タク」。啄害(タクガイ=ついばんで傷つける)、彫琢(チョウタク=ほりきざむ)。
13) 赭く=あかく。「赭い」は「あかい」。音読みは「シャ」。
14) クシ=櫛。髪の毛をすきとかす道具。音読みは「シツ」。櫛櫛(シツシツ=くしの歯のように並んで続いているさま)、櫛梳(シッソ=髪をくしけずる)、櫛比(シッピ=くしの歯のようにすきまなく並ぶ)、櫛沐(シツモク=髪をくしけずりゆあみする、櫛風沐雨=苦労する)。
15) リラク=籬落。いけがき、まがき。「籬」は「まがき」「ませ」。籬辺(リヘン=いけがきのそば、籬畔=リハン=)、籬豆(リトウ=まがきのからんだ豆)、籬菊(リキク=かきねのそばにさく菊の花)。
16) 満咲=マンショウ。花が咲き乱れること。「咲」の音読みは「ショウ」。「わらう」とも訓む。
17) 高屐=コウゲキ。足の高い下駄、はきもの。現代ならハイヒールか?「屐」は「きぐつ」。屐履間(ゲキリのカン=道を歩く間、あわただしい場合)。
18) モウドウ=艨艟。いくさぶね、軍艦。「モウショウ」とも読む。艨衝(モウショウ)とも書く。
19) トウハン=刀瘢。刀で切った傷あと。刀痕(トウコン)・刀瘡(トウソウ)・刀創(トウソウ)ともいう。「瘢」は「きず」。

20) 爬く=かく。手でひっかく。音読みは「ハ」。爬痒(ハヨウ=かゆいところをかく)、爬羅剔抉(ハラテッケツ=かき集めてえぐり出す、人が隠している事がらをあばくこと、かくれた人材を広く探し求めること、韓愈の「進学解」に在る言葉)。
21) 挘る=むしる。つかんでちぎる。国字。「毟」もある。
22) カンコク=澗谷。谷川、渓流。澗渓(カンケイ)・澗壑(カンガク)とも。「澗」は「たに」「たにみず」。澗戸(カンコ=谷間にある家)、澗水(カンスイ=谷川の見ず)、澗底(カンテイ=谷川の底、谷底)、澗声(カンセイ=谷川の音、せせらぎ、澗籟=カンライ=・澗響=カンキョウ=)、澗隈(カンワイ=谷川のくま、澗曲=カンキョク=・澗阿=カンア)。
23) 嶮絶=ケンゼツ。地形が非常に険しい。険絶とも。「嶮しい」は「けわしい」。嶮路(ケンロ=けわしい山路)。

24) テンテン=転顚。ひっくりかえるさま。「転」は「ころぶ」、「顚」は「たおれる」。顚沛(テンパイ=さかさまにたおれる、ひっくりかえる)、顚殞(テンイン=さかさに落ちる)、顚蹶(テンケツ=つまずきたおれる)。

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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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