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元々私も漢文調が得意でした…=「鎗ケ嶽探険記」(1)

遅塚麗水の紀行文を酷評しまくった小島烏水ですが、アルピニストである彼の代表作である「鎗ケ嶽探険記」はまさに漢文そのもの。豊富な語彙には圧倒されます。岩波文庫(近藤信行編「山岳紀行文集「日本アルプス」所収)から刊行されアクセスは容易です。今回は内容そのものよりも文体や語彙を味わうことを主眼とします。漢字学習には最適のテキストかもしれません。全文掲載は難しいのでここぞという場面を抜粋して数回連載で紹介します。岩波の手先ではないですが、もし可能なら購入されて手元に置きながらこのblogを読み進められますとより効果的かもしれません。

鎗ケ嶽(槍ケ岳)に対する思いをつづっております。文字通り「尖」であるさまに惹かれている。そして、富士山は数多くの踏破記が残されているのに対して、鎗ケ嶽は急峻であるが故に誰もいまだその踏破した様子を文章に残していないのが魅力。この俺が一番に書くんじゃあああ。という一番乗りの名誉欲。これっきゃないよね、アルピニストの顕示欲だよね。

本日は冒頭の一節から。

その一 発端



余が鎗ケ嶽登山をおもひ立ちたるは一朝一夕のことにあらず。

何が故に然りしか。

山高ければなり。

山尖りて嶮しければなり。

試に思へ、山といへば本邦の如き火山に富める国にては、先づ富士山によりて代表せられたる円錐形、及び類似の形態を想像するにあらずんば、筑波山によりて目に熟したる、頂は扁平にして斜面は鈍角なること、1)ガギュウの如きものを推し測られ得るに過ぎざらむ、その然らざるものといへども、支那流のいはゆる文人画によりて、2)ハツボク淋漓たるツクネ芋的丘山を連想し来るに止まる。

而して、鎗ケ嶽は、いかにA)名称自詮とはいひながら、その3)矗々として鋭く尖れるところ、一穂の寒剣、4)コウコウとして天を削る、その体たらくは日本山嶽に通有せる尖塔形(ピラミッド)にあらず、一個無煙の煙筒形(チムニー)を成して聳ゆるなり、鎗ケ嶽が千山万嶽5)テットウの如く6)トエハタエに7)イニョウせる中に、8)コウコウ然として一肩を高く抽くさまは、これを草に喩ふれば、裾野に穂を9)ヒラメかす薄の如く、木に形容すれば、野路にひと際秀でたる一本杉の如く、人に具現すれば風骨珊として秋に聳えたる10)セイソウの高士の如し。


その高きこと、海抜一万一千七百尺、水は積層雲と厚さを競ひて脚下に渦き、山は衛星と高きを比べて肩を繞ぐれり、彼喝していへらく、汝ら何ぞ覇王の威を讃せざると、この一帯に在る群山は、日本に在りても11)テットウ峻抜、無二の高山大嶽のみ、しかも彼の前に12)ショウフクして、命を聴かざるはなし、西に加賀の白山、東に信濃の御嶽、北に越中の立山、南に飛騨の乗鞍嶽は、四天王の如く遠近よりこの山を13)ぐりて14)チョウユウす、或ものは額に雪の白鉢巻して立ち、或ものは頭上高らかに氷の刃を抜いて立ち、或ものは15)タテガミを逆立てたる肥馬の、今にも天風に嘶かんとせるさまなるに跨がりて、叱咤16)インアの態甚だ昂れり、もしこれに近かんとするものあれば、非情有情の何にてもまれ、危石を与へ、迅湍を与へ、風を起し霧を下し、彼らをして、17)ヒザマズいて哀を乞ひ、半途より18)キビスを旋らさざれば止まざらしむ、呵護の力の偉なる哉、かくして鎗ケ嶽は万山を統べて、東南の方を顧み、19)イブ遠く富士に迫れども、大霊の鍾まるところ、謙りてこれを凌がず、されば万山富士にはその徳を敬し、鎗ケ嶽にはその威を畏る。

余はかつて木曾の渓谷に沿ひて旅せむとおもひ立ち、信濃上田より松本に到る途すがら、稲倉峠の頂にて初めてこの山を仰ぎたりき、20)トッコツとして尖葉形の高塔、21)ショウカンに聳えたるさま、四周(あたり)に山も無げなり、余はかの塔には人間の覗ひ得ざる何物かを秘めたるにあらずやと疑ひぬ、そは宇宙の創造記を刻みたるにてもあるべし。

その翌くる年、余は乗鞍嶽の22)ゼッテンを窮めぬ、浪の如き峻山は、虚空にうねりを打つて披麻(披麻皴=ヒマシュン=の略、線を幾重にも重ねて山や岩のひだを描く技法)鮮かに、ひたひたとして脚下に寄せたるが、その中に際立てる高波あり、紫影を乱し23)菫光を乱し揺つて、大荒波の中心より一気に凸騰す、鎗ケ嶽は即ちこれと。

次いで余は越後の大岳妙高山に登りぬ、面に当りて直前搶目、天柱の屹として揺がざるものあるを見る、その頂は純白に洗はれて24)瑩然たり、しかも明らかにその何万年以来の鎗ケ嶽なるを虚空に刻印したり、おもふに霧島山にありかと聞く鉄にて鋳りたる天の逆鉾は、これに比ぶれば霜柱よりはかなき運命を、25)へるものにあらむずらむ。

草鞋の緒はかくして結ぶものぞと、手を取り教へられてより今に至りて十年、人と為りては須く鎗ケ嶽の如く倔強ならざるべからず、文を作りてはまた須く鎗ケ嶽の如く骨力崢(ソウコウ=山がぎざぎざと乱れ立つさま)ならざるべからずとおもひぬ。

他は円錐にして彼は尖錐なり、吾性素より尖を愛す、他は26)エンヨウにして彼は冷峭なり、我は冷やかなるものに参して初めて醒むるの快きをおもふ、富士は詩に入り画に入りたれど、彼はただ天上の光線を浴びて白描せられ、混沌たる雲霧に刷かれて黒写さるるのみ、彼の影は紙に落ちず、筆に載らず、ただ宇宙の或一点にあやしげなる弧線を結ひつけて、千万年の後、これを解き得る天才の現ずるを俟つ。

神取は我が企て及ぶところにあらず、我は27)ヒッセイの力をつくしてなりと、せめてその一端を28)ボウシュし来らむ。



A)「名称自詮」は烏水氏の用語かもしれませんが辞書には掲載無し。おそらく別の四字熟語の誤りと思われるが、それを読みと共に記し、意味も書け。



A)「名詮自性」(ミョウセンジショウ・メイセンジショウ)=名はそのものの本質を表すということ。名称と実体とが相応ずること。ここは鎗ケ嶽の「鎗」という名がそのものの形状とぴったり一致しているということをいう。「詮」は「ときあかす」「そなわる」の意。

1) ガギュウ=臥牛。横になり伏せっている牛。山容をたとえる一つ。各地に臥牛山がある。烏水が言うところの「頂は扁平にして斜面は鈍角なる」がまさにこれ。「臥す」は「ふす」。臥竜(ガリョウ=まだ天に上らずふせっている竜、才能を発揮する前、在野にひそんでいる英雄のたとえ、臥竜鳳雛=ガリョウホウスウ=)。

2) ハツボク=潑墨。中国の唐代に勃興した水墨画の技法。画面に墨を落とし、そのかたまりをぼかしながら描く。山水画で用いる。「潑(溌)」は「そそぐ」「はねる」の意。潑溂(潑剌、ハツラツ)でも用いる。淋漓は「みずがしたたり勢いのあるさま」。

3) 矗々=チクチク。高くそびえるさま、直立不動のさま。「矗」は「そびえる」「そばだつ」。

4) コウコウ=晃々。ひかりかがやくさま。

5) テットウ=鉄桶。鉄製のおけ。甚だしく堅固なことのたとえ。

6) トエハタエ=十重二十重。幾重にも多く重なるさま。

7) イニョウ=囲繞。ぐるりととり巻く。「イジョウ」とも。

8) コウコウ=昂々。頭を高くもたげて進むさま、意気が高いさま。意気軒昂。

9) ヒラメかせ=閃かせ。「閃く」は「ひらめく」。一瞬きらりとひかる。

10) セイソウ=清痩(清瘦)。ほっそりとやせこけているさま。「清爽」もあるが、これだと「きよくさわやかなさま」で意味がずれる。

11) テットウ=跌宕。しまりがなくて勝手なこと。跌蕩とも。

12) ショウフク=懾伏。おそれてひれ伏す。おそれて屈服する。「懾れる」は「おそれる」。

13) 匝(ぐ)りて=めぐりて。「匝る」は「めぐる」。周囲をぐるりとひとまわりする。音読みは「ソウ」。

14) チョウユウ=長揖。両手を組み合わせ前方にあげて下におろす礼をすること。略式の礼儀。

15) タテガミ=鬣。馬や豚などのくびの上の長い毛。音読みは「リョウ」。

16) インア=喑唖(喑啞)。黙ってくちをつぐむ。怒りのために声が出ないでうなる。「喑」も「唖」も「おし」。発語ができないさま。喑噁(インオ=怒りのために、のどがつかえて声が思うように出ないさま)、喑畏(インイ=おそれだまる)。

17) ヒザマズいて=跪いて。「跪く」は「ひざまずく」。両膝を地面につけてももをたててすわる、かしこまった時の作法。音読みは「キ」。跪坐(キザ=ひざまずいてももをまっすぐに立ててすわる)、跪謝(キシャ=ひざまずいて感謝する、ひざまずいてあやまる)、跪拝(キハイ=ひざまずいておがむ)、跪伏(キフク=ひざまずいてふしかがむ)。

18) キビス=踵。「くびす」とも。かかと。「旋踵」(くびすをめぐらす)と用いて「その場から引きさがること、時間の短いたとえ、あっというまのこと」。

19) イブ=威武。威厳と武力。強く勇ましい力。

20) トッコツ=突兀。山や家などが高く突き出てそびえるさま。

21) ショウカン=霄漢。はるかな大空。「漢」は「天の川」の意。「霄」は「そら」。霄壌(ショウジョウ=天と地、雲泥)。

22) ゼッテン=絶巓。山などのいただき、てっぺん。

23) 菫光=キンコウ。すみれのような紫色の光。「菫」は「すみれ」。音読みは「キン」ですが用法としては珍しい。Violetは「スミレ色」。

24) 瑩然=エイゼン。ひかりあざやかに輝くさま。「瑩らか」は「あきらか」。瑩潤(エイジュン)・瑩徹(エイテツ)ともいう。
25) 荷へる=になへる。「荷ふ」は「になふ」。肩の上に物を載せてかつぐ。荷眷(カケン=人の好意や恩をうける)、荷戴(カタイ=君主の恩恵をつつしんでうける)、荷禄(カロク=俸給をもらう)。

26) エンヨウ=婉容。かどだたずおだやかで、おとなしいさま。しとやかな姿。

27) ヒッセイ=畢生。その物事が一生を終わるまで、一生涯をかけて。畢世でも正解。畢力(ヒツリョク=力の限りを尽くすこと、熱心に努力すること)。

28) ボウシュ=貌取。外見などからその本質を判断しようとすること。「貌」は「かお」。史記・仲尼弟子列伝にある「以貌取人」(貌を以て人を取る)から取っている烏水の独得の用語か。「外見で人を判断してはいけない」という戒めの句。ただし、この言葉自体は辞書に記載がなく、やや難問でしょう。ここは鎗ケ嶽に登ってみてその本質の一端を理解しようという意。
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char

Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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