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紀行文の大家としては認めるがその文体の癖はどうにも我慢出来ぬ=麗水の紀行文を評す(11)完

明治のアルピニスト、小島烏水の「『日本名勝記』を読みて麗水の紀行文を評す」(近代デジタルライブラリー、「銀河」所収)の11回目目、いよいよ最終回です。烏水は、麗水の特技である形容詞用法に一目を置いているものの、やはり好きではないのです。玉石混淆というか、千三つ。適切なるものはすくなくほとんどが屑ばかりと手厳しい。酷評します。


 さはれ、余は麗水氏の形容詞を用うることの豊富なるこそ服すれ、その形容詞を作る方法と、作られたる形容詞とに向ひて悉く1)コウトウすることを能くせざるなり。氏の形容詞抱負なりといへど、多大の屑を併せ貯へて徒に分量の多きと、目先の変れる珍品の多きに甘んずると見たるは2)ヒガメか。余は麗水氏が形容を作る方法を教ふ、景象を賦するに方り、兵糧として個々の小符調を製造し、之を準備し置き、某の土偶には某の鬘を冠らせ、某の衣裳を着せしめて可なるかの外形に専念にして、土偶に魂を入れること、土偶を舞はして一場の性格劇を演せしむることには、さまで謹慎ならざりしが如し。されば雲も、波も、暗礁も類似の色を認めしより、手帖の中なる「い」の何番道具方より朱兜金兜、「ろ」の何番人形方と餡と砂糖とを一盆に掻き回されては、舌も胃も3)フランして竟には閉口するなり。且つ張喩、活喩は虚飾と比隣すること、又密接する性質あること、磁石と鉄と相吸引するが如く然り、殆い哉。

 嘗て麗水氏の小説を読む、いかゞはしき形容詞の頻繁なること、必ずしも「めざまし草」の一評家が戯に萃めたる麗水形容詞4)ジイを待て後に之を知らざるなり。今にして5)カンゼン6)ヒョウシャクするを得たり、氏の小説は紀行より来る、水を形容し、石を形容し、只だ本来の主格を離れて、その手挌に類似の景物を求むるの習慣、殆ど先容を作り、紀行に臨むの眼と、紀行を草するの手を以て小説に傾注す、形状千様万態なる水石にこそ必要もあれ、形容を借らずともあるべき同じ四肢五体の人間をまで、成るべく7)ヒギ傍引、「一」の字を引くにも曲線にし8)ラセンにし、却てそお本質を9)るをも顧みず、「日本名勝記」にも、「店婦等鳩の如く迎へ、燕の如く顧み」「飯を喰ふこと流星の如く」「舟子、10)ボタモチ数個を喞みたるより脹やかに其頬を膨らせ」とは、何等の滑稽ぞや。

 これより氏が小説の用語に及べば、蜆貝の如き眼、柿の11)の如き燈火、玉黍の如き毛等12)ムイの形容詞、一一引用に倦む、紀行文の病的菌子が13)バイゲツしたる小説の毒は、竟に払拭す可らざる耶。

 14)遮莫、当代の作家15)ヒンピンたるが中に、紀行文に於ては麗水氏16)キョハクたるべし、殷なるかな。




眼新しい言葉遣いが多いのに違和感を覚える。彼が形容する方法をみると、魂より外見を優先させる。すなわち、言葉の意味よりも言葉の新奇さを前面に出す。お餅と餡子と砂糖を一つのお盆で掻き回されたようであると喩える。そして、胃が爛れ凭れるようなもので閉口する。派手な喩えは一つ間違えると虚飾である。麗水の紀行文はそういった危うさを孕んでいるのだ。

麗水は小説家としても名を馳せていますが、烏水によると、「いかがわしい」形容詞がかなり多いという。それは彼の紀行文に由来する特徴であることを漸く見抜くことができた。石や水なら形容詞を駆使してもいいが、同じ人間を表現するのに一々、直線を曲線にしたり、渦巻状にしたり敢えていわば歪曲する。人の態を喩えるのに「鳩の如く」や「燕の如く」「流星の如く」などわざわざ直接的な表現が多すぎて滑稽であると扱き下ろしています。

紀行文で培った悪い癖が人間描写にも及んでいる。小説に現れる奇妙奇天烈な形容詞群が読むに堪えない。それでも麗水氏は紀行文の大家であるのは間違いない。烏水はその美文には敬意を表しています。

最後に結論ではないですが、漢文調の誇張表現は明治の後期から大正にかけて姿を消します。言文一致体が主流となります。人々の自由表現に対する渇望がそうさせたのだと思います。西洋流の人間描写が日本人の手にも伝播したのです。必然、自分の感情を押し殺す漢文体が廃れる。漢詩も廃れるのと軌を一にしているでしょう。そうして日本人は自由と引き換えに言葉を失って行く。どっちがいいのかは分かりません。その弊害の答えはまだ出でいないでしょう。失った物と得た物の差引勘定はプラスかマイナスか。常に自問自答してこのblogをしたためています。紀行文における文体の変化はその答えの示唆を与えてくれるのではないでしょうか。烏水自身が麗水に敬意を表しながらも非難するのは自分自身に対するものでもあります。なんとなれば、烏水自身、雄渾な漢文調の紀行文を書いているからです。それが「鎗ケ岳探険記」。吃驚する位に豊富な語彙、それこそ形容詞軍の羅列は麗水に勝るとも劣りません。そんな彼が麗水の文章をこれほどまでに扱き下ろすのは得心がいかない面もあります。しかし、烏水は明らかに漢文体を捨て去ります。蠟燭の炎が燃え尽きる前の最後の燃え盛りだったようにも思えます。渾身の筆。次回以降はしばらくこの探険記を瞥見していくこととします。お楽しみに。

問題の正解は続きにて。。。







1) コウトウ=叩頭。額を床や地面につけ敬礼する。ぬかずく。叩首(コウシュ)とも。叩叩(コウコウ=くりかえしたたく、誠心誠意尽くすさま、懇切なさま)、叩心(コウシン=自分の胸をたたく、嘆きをあらわすときの動作、この「心」は「心臓」)、叩門(コウモン・モンをたたく=人の家をノックする、人の家を訪う)、叩問(コウモン=質問する)。

2) ヒガメ=僻目。ひねくれた見方。「僻」は「ヘキなり」。ひねくれていること。文章や語句が普通のもので
なく妙にひねくれていること。僻見(ヘキケン=かたよっていて正しくない見方、偏見)、僻説(ヘキセツ=道理からそれた正しくない説、僻論=ヘキロン=)、僻陋(ヘキロウ=土地がらがいなかびていて文化の程度が低いこと)。親の欲目と他人の僻目。

3) フラン=腐爛。物がくさりただれる。腐乱。腐鼠(フソ=くさったネズミ、取るに足らぬ卑しいもののたとえ、狗鼠=クソ=ともいう)、腐儒(フジュ=この世の実用に役立たない学者、象牙之塔に生きる者たち、腐れ儒者)、腐渣(フサ=くさったかす、豆腐の搾り滓、オカラ)。

4) ジイ=字彙。漢字の字典。「彙」は「集めた物」。

5) カンゼン=煥然。煥然一新(カンゼンイッシン)と用いて、目を見張るほど物事が新しくなること。新年や改革をした際の形容。輪奐一新(リンカンイッシン=建築が新しくなり壮大で美麗なことの形容)とは似ているが微妙に違うか。「煥」は「あきらか」。煥発(カンパツ=光が発散するように、その人のすぐれた点などが表面にあらわれ出ること)、煥炳(カンペイ=光があかあかと広がって輝くさま、文章があやがあって美しいさま、煥乎=カンこ=・渙渙=カンカン=)。

6) ヒョウシャク=氷釈。氷が解けるように、わだかまりや疑問がすっかり解消すること。老子一五章の「渙兮若氷之将釈」を参照。この「釈」は「とく」「とける」の意。

7) ヒギ=比擬。くらべてほかのものにたとえる。比況(ヒキョウ)ともいう。

8) ラセン=螺線。渦巻状の線。螺旋ではない。

9) 毀る=そしる。評判をぶち壊す。

10) ボタモチ=牡丹餅。御萩、萩の餅。

11) 核=さね。たね。

12) ムキ=無諱。いみはばからない、口にすることをさけない、堂々とした(皮肉をこめて)。何の遠慮もしないということ。不諱(フキ)の方が一般的かもしれません。「諱」は「いむ」。

13) バイゲツ=媒糵。。「媒」は「酒のもと」、「糵」は「麹(こうじ)」「もやし」。酒麹をつくるように人の罪をじわじわと醸成して陥れること。やや難問か。下は「米」です。「木」だと「ひこばえ」、「子」だと「わざわい」。

14) 遮莫=さもあらばあれ。ええいままよ、しかたがないどうとでもなれ。

15) ヒンピン=彬彬。並びそろうさま、外形も内容もともによいさま。文質彬彬。

16) キョハク=巨擘。親指、転じて、非常にすぐれた人。「擘」は「おやゆび」。
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Author:char
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言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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