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嫌いではあるが形容詞で飾る力量は認めざるを得ない=麗水の紀行文を評す(9)

明治のアルピニスト、小島烏水の「『日本名勝記』を読みて麗水の紀行文を評す」(近代デジタルライブラリー、「銀河」所収)の9回目です。麗水の文体における最大の特徴は「形容詞」だと見抜きます。語彙力豊富なだけにあらゆる形容詞を自在に駆使しているという。形容詞と言っても単純に「赤い」や「広い」といった類ではなく、ある名詞を言い換えたり、比喩的な表現を指しています。麗水の紀行文では「提喩」(全体と部分との関係に基づいて構成された比喩、花といえば桜をさす、換喩ぼ一種)、「換喩」(あるものをあらわすのに、これと密接な関係のあるもので置き換えること、角帽といえば学生をさす類)、「明喩」(直喩と同義、たとえば、あたかも、なががら、ごとしなどの語を用いて直接たとえるものとたとえられるもののを比較する、堅き事鉄の如しの類)、「張喩」(誇張表現、白髪三千丈の類)、「活喩」(擬人法)が多く、「暗喩」はほとんど見られないといいます。紀行文特有の性質によるものだと烏水は説きますが、麗水の場合はそれだけではなくやはり、漢文の素養が大きいとみています。漢文は直截性が命。回りくどい表現は好まないからです。烏水は麗水のこの特質については容認しています。

 既に1)コウカ相半したる特色を説く、今一層特色なるものを2)くに最も際立ちたる分子は形容詞なることを認めたりき。当代の文士中、麗水は最も形容に豊富にして駆使自在なり提喩(シネクドーク)、換喩(メトニミー)、明喩(シミリー)、張喩(ハイパーボール)、活喩(パーソニフィケーション)いと多かる中に、暗喩(メタフホーア)の少きは紀行文の性質、比喩を言語文字の中に埋蔵含蓄して隠約の間に人をして模索せしむるの要なく、(西詩には叙景にも多けれど)且つ漢文脈の系統を享くること多き麗水氏には御宗旨違ひのためなるなからんや。而して提喩は鎌倉の章に「和田義盛が白首3)ギョウユウ云々、刀折れ馬斃れ云々」のごとき、老人といはずして白首といひ、力尽き兵敗れといはずして刀折れ馬斃れといふ、全体に換ふるに、その全体中の首脳なる一部分を抽きておのが抱ける観念を他に伝ふること一層便利ならしめ、精確ならしめたるものなり。換喩の例は、少しく適切ならざれども江の島の条に「大岩の上を蝸附猿攀し」のごときなり。附攀にても通ずるところなれども、動詞のみにては強からねば、その動詞に随伴すべき性質の有形名詞、蝸と猿と捉へて一層具体ならしめたるものなり。これらの例は多く見えざるにあらねど、切に言へばこれ普通人の慣用せるところ、寧ろ麗水氏に特色を許す可けむや。只だ明喩、殊に張喩、活喩等粧飾に用ゐられたるものは、毎章十を以て算すべく、例を挙げんには其4)ハンルイに堪へざるなり。麗水氏の文を評するもの動もすれば浮華といひ、虚飾といふ。焉んぞ知らむ世の所謂真率といひ、樸茂といふは、多くは感動あまりありて之を表彰するの術に乏しく、浮華といひ、虚飾といふは技に裕かなるため、吾が包抱せる観念の大サより尚多くを潤色皇張し得るものなるを。浮華虚飾の如きは実用の文、吊傷の文、論策の文などにこそ禁物なれ、美文にありては、殊に紀行文にありては、山容水態の変幻出没に伴ひて、文亦雲烟を湧かし、或は頓旋して無生物が有生物になり、或は抑弛して一尺のものが一丈になり、5)シュウゼンとして兎起ち6)倒れ、水落ちて石露はれ、7)痩せて沙肥えゆる底の排列を許すは修辞学上、明かに許すところ、要は「白髪三千丈」の如くあまりに不釣合なるを避くれば足るのみ。形容詞、殊に張喩、活喩を以て虚飾視し、大袈裟視するやからは、写真器械に種板、暗箱、薬品の用あるを知りて、凡ての物体を倒写する透玉(レンズ)を忘れたるのみ。形容とは、精神の労を省くため、特殊の意象を喚起するため、尋常の題目を詩的性質に高むるため、「二に二を加へて四となる」的の理窟を避けて一飛躍に主格、もしくは主格の分身を攫み、之を面前に開展するをいふ。さればスペンサーは定義を規して「形容は倹約のためなり」といひき。(「文体論」)この言葉して8)ショウシツせりや否やと知らざれど、少くとも網を以て煙を9)ふものにあらじ。


提喩や換喩の例も枚挙に遑がないが、これらは通常の人の紀行文でもよくあること。むしろ、「麗水氏に特色を許す可けむや。只だ明喩、殊に張喩、活喩等粧飾に用ゐられたるものは、毎章十を以て算すべく」といいます。誇張表現こそ麗水の真骨頂。したがって、世間の麗水評は「動もすれば浮華といひ、虚飾といふ」。ここは烏水が反論します。「焉んぞ知らむ世の所謂真率といひ、樸茂といふは、多くは感動あまりありて之を表彰するの術に乏しく、浮華といひ、虚飾といふは技に裕かなるため、吾が包抱せる観念の大サより尚多くを潤色皇張し得るものなるを」。

つまり、世間の凡人が感動を文章にする場合、その表現すべき言葉に乏しいがために朴訥なものにしかできていないだけであるのです。翻って、麗水は豊富な有り余る語彙があるが為、観念を凌駕する潤色、誇張の表現になってしまうのです。これは持って生まれた力量の違いだろうから致し方なし。

「実用の文、吊傷の文、論策の文などにこそ禁物なれ、美文にありては、殊に紀行文にありては、山容水態の変幻出没に伴ひて」。実用文ではアウトだが、美文の範疇においては最大の武器である。風景を誇張できるのだから。

「形容とは、精神の労を省くため、特殊の意象を喚起するため、尋常の題目を詩的性質に高むるため、「二に二を加へて四となる」的の理窟を避けて一飛躍に主格、もしくは主格の分身を攫み、之を面前に開展するをいふ」。

形容という詩的価値の向上。その能力は誰あろう麗水が最高のものを有していることは疑う余地はない。「形容は倹約のためなり」というスペンサーの言葉は知りませんが、麗水の紀行文の特徴を的確に言い表しているのです。簡素な表現に盛られた過大な形容語彙の数々。支那諷味のきらいは強いものの、風景を飾っているのは間違いない。好き嫌いで言うと嫌いなのだがその力量は認めざるを得ない。といったところでしょうか?




1) コウカ=功過。てがらと罪。功罪。

2) 剖く=さく。ふたつに切り分ける。剖決(ボウケツ=良い悪いをはっきりさせる、判断して裁決する、剖断=ボウダン=)、剖心(ボウシン=真心)、剖符(ホウフ・フをさく=割り符を二分すること、天子が諸侯を封ずる際に、符を二分して一方を朝廷に置き、他方をその人に与えて、任命や契約の証とした)。

3) ギョウユウ=驍勇。強くて勇ましい、そのような人。驍壮(ギョウソウ)とも。「驍雄」でも正解か。「驍」は「背の高い馬」「勇ましくて強い」の意。驍果(ギョウカ=強くてすぐれた決断力がある)、驍悍(ギョウカン=気性が荒くて強い)、驍騎(ギョウキ=強い騎兵)、驍将(ギョウショウ=勇ましく強い大将)、驍騰(ギョウトウ=背が高く体重の軽い馬、馬が勇ましくて強い)、驍名(ギョウメイ=勇ましく強いといううわさ、武勇の評判)、驍猛(ギョウモウ=強くて荒々しい)。

4) ハンルイ=煩累。わずらわしい関わり合い。煩労(ハンロウ=わずらわしくてつかれる、そのような仕事)。

5) シュウゼン=驟然。にわかに、すばやく。「驟」は「はしる」「はやい」。驟雨(シュウウ=にわか雨)、驟至(シュウシ=はやいテンポでやってくる、急に雨が降ったり風が吹いたりすること)。

6) 鶻=はやぶさ。「隼」と同義。飛ぶのが速く勇敢である。音読みは「コツ」。鶻淪(コツリン=物事が入り混じってはっきりしないさま)、鶻突(コットツ=明らかでないさま、ぼんやりして、はっきりわからない)。四字熟語の兎起鶻落(トキコツラク=書画や文章の筆致に盛んな勢いのあるさま)は必須です。

7) 蘆=あし。イネ科の多年草。音読みは「ロ」。蘆薈(ロカイ=アロエ、医者いらず)、蘆筍(ロジュン=アシの若芽、蘆錐=ロスイ=)、蘆荻(ロテキ=アシとオギ、水辺に生える草の総称)、蘆笛(ロテキ=アシの葉を巻いて作った笛、胡笳=コカ=、あしぶえ)。

8) ショウシツ=詳悉。物事をくわしく見極めること。詳尽(ショウジン)ともいう。

9) 撈ふ=すくふ。手や網をずるずると引き寄せて水中の魚などをすくいとること。「さらう」とも。これは難問か。音読みは「ロウ」。漁撈(ギョロウ=さかなをすくいとること、いさり、すなどり、撈漁=ロウギョ=)。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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