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違う物は違う描写で、同じ物でも違う描写で=麗水の紀行文を評す(6)

明治のアルピニスト、小島烏水の「『日本名勝記』を読みて麗水の紀行文を評す」(近代デジタルライブラリー、「銀河」所収)の6回目です。自然を描写する際、言葉を峻別することの重要性を説きます。


 天地間の森羅万象皆特色あり、特色は自らなる区別を劃す、同じく山を描くも、1)カコウ岩と火山岩とは、一は麗、一は壮、一は錦画の如く、一は文人画の如く、一は和歌の如く、一は唐詩の如かるべし、星月夜鎌倉山より眺めたる七里ケ浜と、2)コサ吹く風に曇る春の夜のおぼろ月を漂せる陸奥の海とを比すれば、一は3)ソウロウなるべく、他の一は4)インメイなるべく、一は妖嬈なるべく他の一は5)ゴウトウなるべし。只だ混沌として石の大をいひ、水の壮を説くとも、そは姝の髩と姫の眉を区別する眼力なくして、ボンヤリと塗り立てたる麗人に恍惚たると一斑のみ。

 余が諸家の紀行文を査する、私に眼を着くるところは旨としてこゝに存したりき、麗水氏の文を誦する亦然りき。氏が構文に巧なる、造句の奇なる、用語に富める、いづれも凡に超ならざるはなきものから、何とて只だ特殊の景象、即ち龍にありては睛、仏にありては6)ビャクゴウ、人にありては性格ともいふべき特殊の景象を閑却せるかを疑はずんばあらず。由井ケ浜も、瀬戸明神も、千本松原も、三保松原も、所謂「白砂青松」とか、「蟹荘蜑舎」とかいふ一種の符合(シンボル)に過ぎざる名詞を7)サクソウして大づかみに輪郭を画し、余は多少の手加減を施したるのみ、富士に登れば雲を形容していふ、「金剛力士の金兜を戴き朱甲を擐し」伊豆石廊崎の8)ハトウを形容していふ「銀兜素甲の軽騎」同国外浦の乱礁皆赭色なるを形容していふ「朱色金兜の金剛力士の9)ゲキシュして」この類のみ。又江の島龍窟を「10)谺然として人を呑まんとす」熱海錦浦を「巨巌谺然として海を呑まんとす」妙義の金洞山を「洞谺し雲を呑み」と、この例尚序を逐ふて十を挙ぐることを得べし。同一の形容詞を累出すること斯の如き、他人にありては或は文字に11)しく用語に貧なりとなるものもあらむ、用語に12)フセンなる麗水氏に負はすに至りては、断じて13)フゲンとして之を14)ヒンセキするを躊躇せざるなり。

★「妖嬈」(ヨウジョウ)→妖艶でなまめかしいさま。




「余が諸家の紀行文を査する、私に眼を着くるところは旨としてこゝに存したりき、麗水氏の文を誦する亦然りき」。烏水が紀行文で最も大事な点は同じ事物、風景でもその描写のありようはその時々の状況や気持ちによって全く違うということです。いわんや、違う事物であるならばなおさら異なるはず。ところが、麗水の紀行文では全く違う事物の描写に同じ表現が幾つも取り入れられている。あたかもぼんやりとお化粧を施した支那の麗人の如く。。。

ただし、烏水が麗水に一目を置いていることは「氏が構文に巧なる、造句の奇なる、用語に富める、いづれも凡に超ならざるはなきものから」でお分かりだと思います。文章は美味い、語彙も豊富、所謂美文という奴であることは間違いない。それだけに紀行文としての価値が貶められているのではないか。そんな不満が募っているのです。

例えば、「蟹荘蜑舎」。これは漁村の風景には必ず出てきたのを覚えています。面白い言葉だとは思ったものですが、支那風味たっぷりすぎて日本の漁村には似わないきらいもあります。烏水は麗水を尊敬しているからこそ、あまりにも単調な形容が多くて、日本の風景を書いていないと閉口している。芭蕉を見習えとでも言うのでしょうかね。

作家がに多様な語彙や表現を多用するのは文体や一種の癖のような気もしますが、烏水にすれば、あまりにも麗水のスタンスがアバウトなので耐えられなかったのでしょう。

1) カコウ=花崗。「花崗岩」は、「かたくて美しく、建築や装飾などに用いる、御影石」。「崗」は「岡」の異体字です。

2) コサ=胡沙。モンゴル地方の砂漠。ここは黄砂のことか。

3) ソウロウ=爽朗。さわやかでほがらか。

4) インメイ=陰冥(陰暝)。空が曇り月も星もなくてくらいこと。

5) ゴウトウ=豪宕(豪蕩)。意気が盛んでおおらかで、些細なことにこだわらないさま。豪放磊落。

6) ビャクゴウ=白毫。仏の三十二相の一つ。仏の眉間にあって、右にまわりながら、絶えず光を放つという毛。仏像では額に珠玉をちりばめてこれをあらわす。

7) サクソウ=錯綜。たくさんのものが複雑に入り混じって集まる。

8) ハトウ=波濤。なみ。

9) ゲキシュ=戟手。手を振り上げひじをV字に曲げて人に殴りかかる。また、指をY型に開いて、指さしてののしる。

10) 谺然=カゼン。こだまが響くさま。「谺」は「こだま」。

11) 匱しく=とぼしく。中がからっぽになっているさま。音読みは「キ」。匱窮(キキュウ=貧しくて苦しむ、貧窮、匱困=キコン=)、匱竭(キケツ=中身がつきて、とぼしい)、匱乏(キボウ=衣食が足りない、からっぽで貧しい、貧乏)、匱盟(キメイ=内容が充実していなくて頼りにならない同盟)。

12) フセン=富贍。財産が豊かなこと、富裕。「贍」は「たりる」。十分に足りていること。贍逸(センイツ=才能などが豊かですぐれている)、贍給(センキュウ=不足分をたして与える、与え充たす)、贍恤(センジュツ=不足する物をめぐんで救う)、贍賑(センシン=不足する物を与えて助ける)、贍富(センプ=物がたくさんあって豊かである)、贍麗(センレイ=ことばが豊かで美しい)。

13) フゲン=誣言。ないことをあるように偽っていいふらす、また、そのことば。誣説とも。「誣」は「しいる」とも訓み、「そういう事実がないものをあるように、いいたてて人をそしる」。誣陥(フカン=人を悪く言って無実の罪に落す)、誣構(フコウ=罪の無い人を罪のあるように偽ってしたてる、こじつけて仕組む)、誣告(ブコク・フコク=むりにこじつけて偽って告げる)、誣奏(フソウ=ないことをあるように偽って申し上げる)、誣服(フフク=無実の罪に落され仕方なく刑罰を受ける)、誣謗(フボウ=ないことをあるように偽って悪口を言う、誣詆=フテイ=)、誣罔(フモウ=ないことをあるように偽っていう、誣妄=フモウ=)。

14) ヒンセキ=擯斥。おしのける、のけものにする。排斥。擯棄(ヒンキ)・擯却(ヒンキャク)ともいう。「擯」は「しりぞける」。
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2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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