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ここしかない「花橘も茶の匂ひ」は駿河路、「山吹も巴も出づる田植かな」は木曾路=麗水の紀行文を評す(5)

明治のアルピニスト、小島烏水の「『日本名勝記』を読みて麗水の紀行文を評す」(近代デジタルライブラリー、「銀河」所収)の5回目です。動かしがたい自然を写し取るのが紀行文。烏水は続いて松尾芭蕉の例を挙げます。奥の細道の有名な一節をご覧あれ。

嘗て芭蕉の句を読む、「駿河路は花橘も茶の匂ひ」さまでの秀吟とはおもはれねど駿河路の三字、茶を待て一篇の好風土記をなす、鏃の石に没したるごとく援く可らず。三河路と改むるも不可、相模路武蔵路も同じく適せず。今の静岡ならではこの七五を下す可らず。然れども若し冒頭より駿河路と地名を冠らせたるは露骨に過ぐといはゞ、許六の「山吹も巴も出づる田植かな」とはいづこの道中に於ける即興ぞ、日本六十余州木曾路を措て他にこの句を活かす土地はあらじとぞおもふ。古池の蛙、枯枝の鳥はわが庭にもあり、詩才あるもの膝を抱きA)吟髭を捻断して苦悶一日なれば即ち獲るに難からず、只だ花橘も茶の匂ひと活を入れるに至りては衣袂1)イッコクの玉露を浴びせられる心地して2)ホウクン怡ぶべく、これB)杖と草鞋との厚賚なり

芭蕉が「奥の細道」に高館の古跡を吊したる一文と、仙台の俳人大淀三千風が平泉中尊寺に詣でたる文とを3)テキメンに対照せよ。

 三代の栄耀一睡の中にして大門の跡は一里こなたにあり、秀衡が跡は田野になりて金鶏山のみ形を残す、先づ高館にのぼれば北上川南部より流るゝ大河なり、衣川は和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落ち入る。泰衡等が旧跡は衣が関を隔てゝ、南部口をさしかため夷を防ぐと見えたり、偖も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢となる。国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠打敷て時のうつるまで涙を落し侍りぬ。

 夏草やつはものどもが夢の跡 芭蕉

古人の成句を交へたるところあれど、さすがに山河縈帯せる4)キントウの固めも今は牧童の夢を安んずるに過ぎざる威愴はほのかに見えたれど、

 いつしか老松枝を垂れて御坂をかくし、蒼蘿蕗ざれては参詣の履を滞む、杉外の一燈5)コウコウとして神寂びたり、石室金床いつしか蛍蜹の閥となり、百房千舎いたづらに臥猪の宿と成にけり。  三千風

に至りては文の6)ベンレイ巧ならざるにあらず。而もこれ水滸伝に見まほしき一古刹の7)コウリョウ、平泉の中尊寺にはあらざりき。実に山水は其普通名詞を描くことの難きにあらず、某の山、某の水と指れたる固有名詞を写すことの難きなり。されば絃を放れたる箭の金的を洞するか、銀的を貫くか、抑も大地を8)ふて土を穿つかを自ら弁へざる臆病武士の傍目にをかしきは、春か、秋か、砥石か、9)コンニャクか、錦繡の10)か蒔絵の盆かを11)ケンベツす可からざる恠物を絵くゑせ風流の文人といづれ。

★「恠物」は「カイブツ」。怪物。「恠」は「怪」の異体字です。




芭蕉の「駿河路は花橘も茶の匂ひ」は「花橘」、「茶の匂ひ」と続け、駿河路を詠んだ風景はこれしかないとぴったり当て嵌まっている、と烏水は言います。前回、「動きが取れぬ」と言ったのですが、この意味を敷衍しています。これしかない。冒頭に「駿河路」と地名が置かれていてあまりにも露骨であるかもしれないというのなら、森川許六の「山吹も巴も出づる田植かな」を見るがいい。これなら地名は何処にも出てこない。けれども誰がどう見ても全国で「木曾路」をおいてこの句が描写した風景は浮かぶはずはないという。「山吹」も「巴」も木曾義仲の愛妾を諷喩しているからです。風景を描写する言葉の必然性。どれにでもあてはまるステレオタイプではない。これこそが紀行文が描くべき世界であると烏水は考えます。何処にでもあることばを此処にしかない風景に当て嵌めてこそ紀行文の真髄であるとでもいうのでしょう。わざわざ足を運んだ結果なのだ。自分の眼で見て感じて言葉に表した。想像で誰もが浮かぶ言葉で置き換えてはいけない。言葉が浮ついているだけだから。

芭蕉が「奥の細道」の高館の古跡を詠んだ一節と、三千風が同じ場所を四六騈儷体のようか美文で詠んだ一節とを比べて見てもこのことが如実に分かると烏水は言います。芭蕉はさすがに日本の風景を杜甫の詩を織り交ぜながら詠んでいるが、三千風は完全に水滸伝。もはや支那の風景であって中尊寺のそれではない。文章は確かに美しいが、自分の眼で見たものと言うよりは中国の古典に置き換わってしまっている。だから、紀行文というものは、普通名詞を詠むのには適しており難しくはないが、故事来歴のある土地や名所を写し取るのは難しいという。戦のさなかに自分の役割が何なのかをわきまえない臆病な武士のように、季節がいつなのか、固いのか柔らかいのか、ふくさなのかぼんなのか、自分の見たものをはっきりと区別できずに絵を書いてしまう似而非文人墨客と言えるのである。見たものを言葉にするのは簡単ではない。ここをしっかりとわきまえて紀行文を書くことに臨まなければならなと考えている。麗水の漢文体の美文にはそこのところが弱いのではないかと烏水の眼には映っているようです。

この辺りは迂生には論じ切れません。麗水の美文とて故事来歴を弁えて自分の見た風景を写し取っているように思えます。烏水は日本の風景は日本の言葉で写し取りたいと考えているのでしょう。しかし、それは簡単なことではないのです。自分の知っている言葉で置き換えてしまうのは誰しもやること。それが麗水の場合は漢籍の素養に裏打ちされた言葉だというだけのような気がします。したがって、紀行文とは呼びたくない代物になっていると烏水は見ているのではないでしょうか。




下線部A)、B)をそれぞれ解釈せよ。




A) 吟髭を捻断して→句を詠むのに苦労すること。古来詩人には髭を生やしている者が多かった。このため、いい句を詠もうとしてその髭をひねりながら詩作をする姿を喩えることがままありました。吟髭は髭を生やした詩人の意か。捻断は「(髭を)ひねりぬくこと」。

B) 杖と草鞋との厚賚→全国各地を旅してまわったお陰である。杖と草鞋は旅に欠かせないマストアイテム。「厚賚」は「厚くもてなすこと」。「賚」は「たまもの」。

1) イッコク=一斛。大型のます一杯分。「斛」は「容量の単位。およそ48リットル」。

2) ホウクン=芳薫。かぐわしい香り。

3) テキメン=覿面。効果や報いなどが、はっきりとした形であらわれること。目の当たりに見えること、一目瞭然であること。天罰覿面(テンバツテキメン=悪い事をすると天の下す罰がすぐに現れること)。

4) キントウ=金湯。敵が近寄ることもできない、堅固な城。「金城湯池」の略。「湯池」は「熱湯の湧き立つ池や濠」。湯池鉄城(トウチテツジョウ)ともいう。

5) コウコウ=耿々(耿耿)。明るくひかるさま、明るいさま。

6) ベンレイ=駢儷。四六駢儷(シロクベンレイ)のこと。四字と六字の対句を用いて音調を整えて故事を多用する文体。内容よりも形式を重んじる。六朝から唐代にかけて流行した。

7) コウリョウ=荒寥。あれはててものさびしいさま。荒涼でも正解ですが、できればこちらを覚えておきましょう。

8) 匐ふ=はらばふ。腹をぴったりと地面につける。音読みは「フク」。匍匐(ホフク=はらばってでもかけつける、一生懸命に力を尽くすことのたとえ)。

9) コンニャク=蒟蒻(菎蒻)。こんにゃく。「クジャク」とも読む。「コン」は慣用読み。

10) 袱=ふくさ。物のうえにぴったりとかぶせてつつむきれ。袱紗(フクサ=うすでの絹の風呂敷、帛紗)。

11) ケンベツ=甄別。はっきり見分ける。区別する。「甄」は「すえ」とも訓み、「粘土で陶器をつくりあげる職人、そのこと」の意。ここから派生して「優秀な人材を育てる」「ものの優劣を見分ける」。甄者(ケンジャ=陶器をつくることを職業としている人、陶工)、甄序(ケンジョ=区別して順序だてる)、甄陶(ケントウ=土をこねて陶器をつくる、転じて、天地が万物をつくる、君主が人民を教え導く)、甄抜(ケンバツ=人材の優劣を見分ける)。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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