スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

遅塚麗水に物申す!紀行文に漢文体は適すのか?=明治のアルピニスト・小島烏水

紀行文の定義とは何でしょう?以前迂生は弊blogで、「実際行かなくても当地に行った気になる錯誤感を与えてくれ、恰も曾遊の地を増やしてくれる」として、お気に入りの読書ジャンルの一つだと申したことがあります(永井荷風の項を参照、ここ)。見たものを見たまま書けばいいのですから。他人が旅したものを読めるのが紀行文です。逆に言えば、誰でも旅すれば紀行文が書けるのです。他人が読みたいかどうかは別として。我々が紀行文を読みたいのはその内容よりもむしろ誰が旅をしたのか、誰が書いたのかによるのではないでしょうか。幸田露伴が何処へ行き、何を感じたのかを知りたくて彼の紀行文を読む。名も知らぬ作家の書いた紀行文など読みたくなるものでしょうか。ただ、何かの理由である場所に行きたくて、そこがどういうところかを知りたくて、誰が書いたかを問わずに場所によって読みたいというケースはあるでしょうね。

紀行文作家なるものが存在するかどうかは分かりませんが、古来、文学ジャンルとして紀行文は下等な物、というよりは、本業のおまけみたいなもの、とくに明治期は小説家たちによって片手間に旅した物見遊山の作品としての扱いを受けていたように思われます。その文体は内容よりも和漢混交の美辞が陳ねられた美文体が特徴でした。誰某を尋ねた道中に見聞した風景や事物、食べ物、動植物などを、故事来歴や漢文素養に裏打ちされた言辞で飾り立てたものと言ったら言い過ぎでしょうか。

例えば、遅塚麗水や幸田露伴らがその代表格だったと言っていいでしょう。いかに語彙、しかも漢語を知っているかが問われたのです。潤沢な無数の漢語を景色などに当て嵌めていったのです。言葉を知っているものが勝つ。麗水の紀行文ロングランシリーズを連載いたしましたが、そこに鏤められた華麗なる語彙に圧倒されたのは迂生だけではないでしょう。お陰で漢字の勉強には「持って来い」でもあったのです。一方で、語彙が「ステレオタイプ」であるように感じたのも事実。短絡的というか、同じようなタイプが多く、ある種パターン化している。それは作家個人の「癖」と言ってしまえばそれまでですが、文体が簡勁かつ雄渾である半面、聊か短調のきらいもあった。漢文体そのものが持つ特徴と言えるかもしれません。リズムがあって読みやすいのですが、実際には恐らくもっと情緒豊かだったはずなのに文章にすると「金太郎飴」のように描写が紋切り型のようにも感じました。語彙は光っているのに表現に深みがない。情景が目に浮かぶようで浮かばない。日本を旅していても中国の風景にしかならない。これが漢文素養が有り余るが故の弊害だったとは言えないか。

ところで、麗水とほぼ同じ時代を生きた小島烏水(こじま・うすい、1873年=明治6=~1948年=昭和23=)という人物を御存じでしょうか?あるサイトの解説によりますと、「日本山岳学会創設者、山岳登山家、紀行作家として有名であるが、他に文芸誌の編集者、氷河地形の研究家、安藤広重などの浮世絵の研究家でもあり、生業は銀行員という七つの顔を持つ多才なアルピニストであった」とある。アルピニスト(alpinist)、すなわち登山家です。烏水は紀行文というより、山岳紀行文を数多く書いています。岩波文庫から「日本アルプス~山岳紀行文集」(近藤信行編、緑135-1)が刊行されています。のちのち題材として取り上げたいと思っています。

彼は、漢文体が紀行文を書くのに適していないことを説くのですが、彼自身も漢籍の素養たっぷりで初期のころはまさに雄渾な漢文体を用いています。明治初期の生まれですから当然でしょう。しかし、西洋文化・文学の影響も受け、その文体はのちのち言文一致体に変化していきます。そして、麗水の描く紀行文を尊重しながらも真っ向から反論する論文を書いています。タイトルもずばり「日本名勝記を読みて麗水の紀行文を評す」。なんとも挑戦的、刺激的な題でしょう。彼らの間に何があったかは調べても分かりませんでしたが、何か個人的なやり取りがあったのか、麗水の紀行文をかなり事細かに分析していちいち反論しているのが面白い。日本の文学ジャンルの中で紀行文とは何かを考える上では非常に興味深い論稿と言えるでしょう。近代デジタルライブラリー所収の小島烏水著「銀河」に収められています。ネットは便利です。このようなマニアックな物まで拾えるのですから。

稍長いですが全文掲載を前提に10回程度のシリーズとします。彼が麗水のどこがダメだといい、紀行文はこうあるべきだという持論を展開している内容中心で読んでいただければ幸甚です。端折りながら読み進めます。もちろん漢字のお勉強も。しかし、今回はあくまで紀行文斯くあるべしを浮き彫りにしたい。付加的として簡潔にさせていただくことをお許しください。

今回は冒頭のくだりだけ。

 小説家にして紀行文を以て名ある麗水氏、小説と紀行文の評価を市に求むれば四と六の割合を以て正札を貼らるべき麗水氏の「日本名勝記」上巻は1)発售せられたり。この巻関東及び奥羽北陸の各地を収めて目ぼしきところは剰さゞるに2)庶幾く、体裁は略ぼ藤村氏の「一葉舟」に似たるものから印刷遥に鮮明、この良紙にこの美文を印したるは珠と櫃と並びて恰好といふべし。写真版の大なるは二頁の中に一個、小なるは三個より四個に及び、色は赤、青、黒の三種を用ゐて刷せり、奇を凝らしたる本書の如きは近刊稀に観るところなれど、恨むらくは文画に随はず、画亦文に伴はず、関東には多くして奥羽に少き、関東にても乙女峠、道了社の如きは大版の図ありて文中一言もこゝに及ぶものなし、奥羽は松島を除きて神割岩、平泉中尊寺、五串、八龍湖、雄鹿島、文稍密にして一円を挿むものあるを見ず。駿州佐野瀑園の図を誤りて白糸瀧と称し、却て佐野に文を省き、白糸に図を逸したるごとき、尋常一様児女の眼を娯しまする雑誌の口絵ならばいざ知らず、旅人の伴侶ともなり、詩人の書架をも飾るべき書としては、杜撰の譏を免る能はざるべし。


いかがですか?漢文体の紀行文を批判する烏水の文体がまさに漢文体なのが愉快でしょう。この人態とやっているんじゃないかとさえ思ってしまいます。麗水が発刊した「日本名勝記」は大々的に宣伝され世間の評判を博したのでしょう。島崎藤村の「一葉舟」にならっている。写真も豊富ですばらしい体裁ながら、写真と文が一致していなかったり、写真そのものが誤りだったり細部に誤りが多いことを捉え、女子供の読む本ならいざ知らず、紀行文としては「杜撰の譏を免る能はざるべし」と扱き下ろしています。まあ、このあたりはまだ揚げ足取りの範疇を出ていないかもしれませんが。次第に舌鋒は鋭さを増しますが、根底には麗水に対する尊敬の念も感じられる文章です。

小島烏水についてはおいおい紹介していくこととします。


1) 発售=ハッシュウ。発売。「售」は「うる」。物を流通させる。

2) 庶幾く=ちかく。「庶幾い」は「ちかい」。「まもなくそうなりそうだ、のぞましい状態にちかい」の意。「ショキ」と読めば「希望する」、「こいねがわくは、こいねがう」と訓めば、「ぜひ望むことは、どうか…であってほしい」。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

profile

char

Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

calendar
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
recent entry
recent comment
category
monthly archive
search form
RSS links
links
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。