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体を張って部下を助けた名君と山陰の麒麟児の異名を持つ忠臣=山陰道五日の旅「日本道中記」(3)

遅塚麗水の「日本道中記」(近代デジタルライブラリー所収)から「山陰道五日の旅」シリーズに3回目です。鳥取エリアに入ります。地味な街ですが、麗水の心に訴え、琴線に触れる人物が数多く輩出しています。



鳥取の一夜

鳥取は池田侯の故1)テイホウ、2)き瓦屋根、低き3)、薄暗き町、鼠色の土、やゝ陰鬱なる裏日本の名邑に金字塔(ぴらみつど)形せる久松山あつて4)メイジョウの気象を添へたり、城跡は5)されて在りし昔の面影を天主台の石垣に留むるのみなり、天正九年城将吉川経家(きっかわつねいえ)、羽柴秀吉の6)コウイを受けて苦戦月を7)ね糧尽き勢ひ窮まりて後、使を秀吉の陣に遣はし、己れ自殺して城を開き、士卒の死を宥されんことを乞ふ、秀吉義として之れを諾し、酒肴を贈りて籠城の苦労を慰めたり、経家士卒と8)ケツインして、山下の寺に入り、秀吉の検使を迎へて従容として9)トフクせるその壮烈なる武将の終焉は、備中高松の清水長治と時を同じうして、誠に武士道の10)セイカを発揚したる者也、新品治町の玄忠寺には11)ケンキョウ荒木又右衛門の墓あり。


★末川経家は1581年2月、鳥取城に入城しましたが、城内の兵糧の蓄えは、わずか3カ月分しかなく秀吉の包囲網により兵糧搬入の糧道を絶たれ、陸路および海路を使った兵糧搬入作戦も悉く失敗、城内の兵糧は尽きていきました。鳥取城の守備兵は四千、秀吉率いる侵攻軍は二万を数えましたが、秀吉は名将経家の策をおそれて、むやみに襲いかかることなく鳥取城を遠巻きに包囲し続けました。孤立無援のなか城内の将兵は4カ月の籠城に耐えたものの、餓死者が続出し始め、終に同年10月、吉川経家は、ここに至って城兵の助命を条件とし、降伏を申し出る。秀吉は経家の奮戦を称え、山名家重臣たちの自害のみを要求、経家には城外へ退去せよとの意思を伝えましたが拒否し自分だけが自害しました。

★清水長治は恐らく清水宗治の謬りではないでしょうか?いずれも攻城戦で開城する際、士卒の命と引き換えに潔く散った戦国武将の代表です。

★荒木又右衛門は江戸時代初期の剣客。鍵屋の辻の決闘での活躍で名高く、講談や時代小説、時代劇映画などで題材となりました。鳥取市に墓があったんですね。



湖山の池、宝木、浜村、嶽々12)ギョウメイ誰か鹿と喚ぶ、虎狼の世界に麒麟を見ると山陽氏に歌はれたる山中鹿之助幸盛の墓は、浜村駅を距る二里半の鹿野村の幸盛寺に在り、青谷、泊、泊は伯耆最西端の駅にして、車窓再び紺碧の海を見るなり、松崎を過ぎて東郷湖、温泉ありて鰻に名あり赤碕駅に入りて大山の13)センガンは車窓より人を覗く、所謂伯耆富士なり、御来屋駅は海に近し、風薫る大山の大裾野に野馬の群れつゝ遊ぶを見る、木立の黒みわたりて見ゆる山は、船上山、海に近くの甍の光るは御来屋町なり、元弘三年春二月、後醍醐の帝の、隠岐より八重の潮路を渡りて、石の錨を卸させ玉ひしはこの浜なり、成田の小三郎勅使となりて名和の館に赴くや、一門感激し、帝を奉じ館を焼きて船上山に錦の御旗を翻し、中国13)ショウギの14)シュコウを成就す、其の館の在りしところに名和神社あり、町に辺りに帝御着船の記念碑ありて立てり。

★「山中鹿之助幸盛」=出雲国の武将戦国大名、尼子氏に仕えた忠臣、山中幸盛。山中鹿介が正しく、鹿之助は謬りが伝わったもの。山陽の七言絶句「山中鹿介を詠ず」に「嶽嶽たる驍名誰か鹿と喚ぶ 虎狼の世界麒麟を見る」と謳われ、「山陰の麒麟児」の異名を持つ。

★伯耆富士は大山の異名。標高1729メートル。見る角度で形が変わるのですが、とくに米子市方面から見ると富士山(これ)。

★「元弘三年春二月、後醍醐の帝…」は、1331年、鎌倉幕府転覆を狙った後醍醐天皇の計画が吉田定房の密告で露見し、頓挫した「元弘の変」を指す。帝は隠岐の島に流罪となったが再び、倒幕を呼び掛け、伯耆の名和長年に迎えられ船上山で決起し倒幕の綸旨を各地に出した。

麗水の紀行文は行き先々の歴史、故事来歴を知る上で大変勉強になります。日本史や地理がお嫌いな方も紀行文に沿って色々調べたりすると面白いですよ。行った気にもなれるし、行きたくもなるし。それにしても本当に細々と巡っています。日本全国行っていない所はないのかも。鳥取を抜けて島根に入ります。次回は宍道湖、出雲大社がメーン。

附録


頼山陽の「山中鹿介を詠ず」を採録しておきましょう。岩波文庫「頼山陽詩鈔」から。

存孤杵臼何忘趙   孤を存する杵臼何ぞ趙を忘れん
乞救包胥暫託秦   救を乞ふ包胥暫く秦に託す
嶽嶽驍名誰喚鹿   嶽嶽たる驍名誰か鹿と喚ぶ
虎狼世界見麒麟   虎狼の世界麒麟を見る

「杵臼」は「春秋時代晋の趙朔の食客」。「包胥」は「申包胥。春秋時代楚の臣」。「虎狼」は「残虐なる者に喩える」。「麒麟」は「仁義の士・俊秀の士に喩える」。出雲尼子氏の忠臣である山中鹿介の行動を中国春秋時代の杵臼、包胥に準えています。鹿という驍名が轟くが、虎でも狼でもないまさに伝説の動物、麒麟なのであると山陽は大絶賛です。



問題の正解は続きにて。。。





1) テイホウ=堤封。領地内のすべて、目印。

2) 赭き=あかき。「あかつち」の意。「そお」の和訓もあり。音読みは「シャ」。赭衣(シャイ=罪人が着るあか色の服、罪人)、赭汗(シャカン=名馬が出すというあかい汗)、赭山(シャザン=はげ山)、赭石(シャセキ=あか色の石、染料・顔料に)、赭土(シャド=あかつち)、赭鞭(シャベン=赤色のむち)、赭面(シャメン=あからがお、赭顔=シャガン=)。

3) 簷=のき。ひさし。音読みは「エン」。簷雨(エンウ=のきばに降りかかる雨)、簷楹(エンエイ=のきの柱)、簷燕(エンエン=のきばにいるツバメ)、簷下(エンカ=のきの下、簷底=エンテイ=)、簷間(エンカン=のきば、のきのあたり、簷際=エンサイ=)、簷滴(エンテキ=のきばからたれる雨垂れ、簷溜=エンリュウ=)、簷頭(エントウ=のきば、のきさき)、簷馬(エンバ=のきに吊るした鈴、風鈴、簷鈴=エンレイ=・簷鐸=エンタク=)。

4) メイジョウ=明浄。あきらかできよいこと。明窓浄几(メイソウジョウキ)は「きちんと整理された清らかな書斎のこと」。

5) 夷されて=ならされて。「夷す」は「ならす」。たいらかにする、たいらかにならす。「イす」と読んでもOK。夷延(イエン=土地がたいらで広いさま)、夷坦(イタン=土地がたいらかなこと、たいらかな土地、平坦)、夷道(イドウ=たいらな道、夷塗=イト=・夷路=イロ=)、

6) コウイ=攻囲。包囲して攻撃すること。兵糧攻め。

7) 累ね=かさね。「累ねる」は「かさねる」。月日を重ね加わえる。

8) ケツイン=訣飲。わかれのために酒を酌み交わすこと、別れの盃を酌み交わすこと。別れの酒盛り。

9) トフク=屠腹。腹を切って自殺する、割腹、切腹。「屠」は「ほふる」。屠戮(トリク=残酷に殺す)。

10) セイカ=精華。その中で、純粋で特にすぐれた物事。物事の真価とすべき優れた所、真骨頂、真髄。

11) ケンキョウ=剣俠(剣侠)。剣術に優れた男気のある人。剣豪。剣客。

12) ギョウメイ=驍名。勇ましく強いといううわさ、武勇の評判。「驍い」は「つよい」。驍果(ギョウカ=強くてすぐれた決断力がある)、驍悍(ギョウカン=気性が荒くて強い)、驍騎(ギョウキ=強い騎兵)、驍将(ギョウショウ=勇ましく強い大将)、驍騰(ギョウトウ=背が高く体重の軽い馬)、驍猛(ギョウモウ=強くて荒々しい)、驍勇(ギョウユウ=強くて勇ましい、驍壮=ギョウソウ=)、驍雄(ギョウユウ=強くて勇ましい)。

13) センガン=孱顔。山が痩せ細って険しいさま。この「顔」は「山の高くかどだったところ」の意。「孱い」は「よわい」。孱弱(センジャク=よわいさま、孱羸=センルイ=)、孱孱(センセン=軟弱で無力なさま)、孱夫(センプ=よわい、臆病な男)、孱王(センオウ=貧弱な王様)。

14) ショウギ=倡義(唱義)。人の先に立って人としての道(正義)をとなえること。ここは義兵決起をさす。

15) シュコウ=首功。戦場における第一等の手柄。敵将の首を討ち取ることなど。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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