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車井戸と総後架を保存したい「世間無用の間人」=「礫川徜徉記」(8)

永井荷風の「礫川徜徉記」(岩波文庫、「荷風随筆集(上)」・野口富士男編)シリーズの8回目です。大田南畝の遷喬楼の址を辿ることはできませんでしたが、小石川の散策はまだまだ続きます。


また六樹園が狂文『吾嬬(あづま)なまり』に鶯谷のさくら会と題する一文ありて、1)コウランの前なる桜の咲きみだれたるが今日の風にやや散りそむといへど、今はそれかとおぼしき桜の古木もさぐるによしなし。このあたり今は金富町と称ふれど、むかしは金杉水道町にして、南畝がいはゆる金曾木なり。懸崖には2)キョウボクなほ天を摩し、樹根怒張して巌石の3)をなせり。4)カンドウを下るに竹林の間に椿の花開くを見る。人家の犬5)リハの間より人の来るを見て吠ゆ。6)エンゼン田家の光景なり。細径に従つて7)バンカイすればおのづから金剛寺の域に出づ。寺はわづかに8)ドウウを遺すのみにして墓田は尽く人家となりたれば、旧記に見る所の実朝の墓も今は尋ぬべきよすがもなし。本堂の前を過ぎ9)クリと人家との間の路地に入るに、迂回して金剛寺坂の中腹に出でたり。路地の中に稚き頃見覚えし車井戸なほあるを見たり。大都の10)コウソウは年々面目を新にするに反して窮巷屋後の11)シュウロは幾星霜を経るも依然として12)キュウカンを13)めず。これを人の生涯に観るもまたかくの如き歟。人一たび14)セイリの巷に15)ホンチするや、時運に激せられて旧習に16)アンジョたる事能はず。たまたま鄰人の新聞紙をよみて衣服改良論を称るものあれば忽雷同して、腰のまがつた細君にも洋服をまとはしめ、児輩の手を引いて、或時は劇場に少女歌劇を見、或時は日比谷街頭17)シュウロウなる官吏の銅像を仰いでその功績を説かざるべからず。然るに独吾輩の如き世間無用の間人にあつては、あたかもロウコウのシュウロ今なほ車井戸と18)総後架とを保存せるが如く、七夕には妓女と19)彩紙を截つて狂歌を吟じ、中秋には月見団子を食つて泰平を皷腹するも、また人のこれを咎むることなし。幸なりといふべし。

最後の「皷」は「鼓」の異体字で「鼓腹」のこと。衣食住が足りて満足するさま。「鼓腹撃壌」のごとく「平和な世の中を謳歌すること」を言います。この「コフク」も問題にしたいところで、「胡服」とやったらアウトです。

六樹園は国学者、狂歌師である石川雅望(1754~1830)の雅号。南畝から狂歌を学んだ弟子。国学者でもある。荷風は最後のくだりで「世間無用の間人」と自らを称しています。私淑する成島柳北の「天地間無用の人」と軌を一にする心持ちでしょうか。世の役に立つ文章など書くつもりはなく、昔の風習を墨守しつつ、己のやりたいがままに時を過ごす。これほどの悦楽はあるまい。少年時代を過ごした小石川を散策するにつれ、昔と変りない風景を発見してはもの思いに耽っています。その少し前にある、「大都の康荘は年々面目を新にするに反して窮巷屋後の湫路は幾星霜を経るも依然として旧観を革めず。これを人の生涯に観るもまたかくの如き歟。人一たび勢利の巷に奔馳するや、時運に激せられて旧習に晏如たる事能はず」。時と共に変化する街の姿と決して変わることのない風景のコントラスト。人の人生に喩えている。時勢に恵まれ勢いのいい時は昔のことなど忘れて先へ先へと進みがち。しかし、わたしの望みはのんびり妓女と月見団子を食って享楽的にすごすこと。栄達を知った者がその後は落ちていくことを悟っているのでしょうか。このとき荷風は45歳。人生の曲がり角にあったのでしょうか。ほぼ同時期である迂生も身につまされます。


問題の正解は続きにて。。。






1) コウラン=勾欄。宮殿・社寺・廊下・橋などにある、先端のそり曲がったてすり・欄干。勾闌・高欄とも。「勾がる」は「まがる」と訓む。

2) キョウボク=喬木。丈の高い木。高さは最低3メートルはある。灌木は低木。喬松(キョウショウ=たかい松の木)、喬遷(キョウセン=ウグイスが谷を出て高い木に移る、人の転居や地位の昇進を祝う言葉)、喬然(キョウゼン=おごりたかぶるさま)、喬志(キョウシ=おごりたかぶった心)。

3) 状=さま。すがた、かたち。

4) カンドウ=澗道。たにみず沿いの道。澗は「たに」。澗渓(カンケイ=谷川、渓流、澗壑=カンガク=・澗谷=カンコク=)、澗戸(カンコ=谷間にある家)、澗水(カンスイ=谷川の水)、澗声(カンセイ=谷川の水音、澗籟=カンライ=・澗響=カンキョウ=)、澗底(カンテイ=谷川の底、谷底)、澗隈(カンワイ=谷川のくま、澗曲=カンキョク=・澗阿=カンア=)。

5) リハ=籬笆。シチク(=いばらだけ)を絡ませた垣根。防風用。「笆」は「かき」とも訓み「いばらだけ=シチク」のこと。枝にとげがあって物にからみつく。笆籬(ハリ)ともいう。

6) エンゼン=宛然。そっくりそのままに。さながら。あたかも。まるで。

7) バンカイ=盤回。ぐるぐるとめぐること。うねうねとした道伝いに進むこと。盤紆(バンウ)ともいう。盤は「ぐるぐる回る、平らに円を描く、あぐらをかく、わだかまる、そのさま」の意。盤根錯節(バンコンサクセツ=くねくねと曲がりくねった根と、複雑に入り組んだ木のふし、物事が複雑で処置しにくいことのたとえ、盤錯=バンサク=)、盤盤(バンバン=曲がりくねるさま、平らに座って動かないさま)。

8) ドウウ=堂宇。お堂の軒。壮大な建物、殿堂。堂屋(ドウオク)とも。

9) クリ=庫裏。寺の台所や僧の居室。

10) コウソウ=康荘。四方八方に通じる道路、往来の激しい大通りのこと。康衢(コウク)が既出です。康達(コウタツ)ともいう。

11) シュウロ=湫路。土地が低くてせせまこしいところを通る道。「湫」は「くて」「いけ」とも訓み、みずたまり、水のへった小さな池のこと。湫隘(シュウアイ=せせこましい)。

12) キュウカン=旧観。昔のままの姿。

13) 革めず=あらためず。「革める」は「あらためる」。おもいきって新しくする。革故鼎新(カッコテイシン=古いものをあらためて、新しいものをとりあげる、つくりあげる、易経・序卦伝から)。

14) セイリ=勢利。権勢と利益。「勢利之交」(セイリのコウ=権勢と利益を目的とする交際のこと、打算の上だけでつながるまじわり)。

15) ホンチ=奔馳。馬を勢いよく速く走らせること。奔駛(ホンシ)とも。

16) アンジョ=晏如。安らかなさま。晏然(アンゼン)とも。「晏らか」は「やすらか」。清晏(セイアン=平安無事なこと)、晏晏(アンアン=おだやかなさま、やわらぐさま)、晏寧(アンネイ=安らかなさま、安寧)。「おそい」の意味もあり、晏眠(アンミン=朝寝坊すること)。

17) シュウロウ=醜陋。顔かたちがみにくくていやしいさま。

18) 総後架=ソウコウカ。長屋や多人数が共同生活をしている所の共同便所。総雪隠(ソウセッチン)ともいう。面白い言葉です。安アパートはいまも共同トイレでしょうが、「総後架」と言えば何かしら神聖なる響きがないこともないですな。「六畳一間、風呂なし、だけどトイレ総後架」な~んてね。

19) 彩紙=いろがみ。「色紙」の当て字ですね。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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