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背中に「菊慈童」を彫った兄貴がいろんな遊びを教えてくれたよ=「礫川徜徉記」(5)

永井荷風の「礫川徜徉記」(岩波文庫、「荷風随筆集(上)」・野口富士男編)シリーズの5回目です。悪友唖々子井上精一氏を蓮久寺に弔った後、小石川植物園のある方へ歩を進めます。お灸で有名な安閑寺。迂生が学生時代の第一歩を記した小石川のごく近所なのですが全く知りませんでした。大正十三年の四十年前、少年荷風が遊んだ場所でした。


旧交を追想して歩を移すほどに、いつしか白山御殿町を過ぎ、植物園に沿ひたる病人坂に出づ。坂の麓に一古寺あり。門に安閑寺の三字を掲げたり。ふと安閑寺の灸とて名高き1)モグサを售りしはこの寺なり。われら稚き頃その名を聞きてさへ恐れて泣き止みしものをと心づけば、追想おのづから2)ルルとして糸を繰るが如し。その頃植物園門外の小径は水田に沿ひたり。水田は氷川の森のふもとより伝通院兆域のほとりに連り一流の細水3)センセンとしてその間を貫きたり。これ旧記にいふところの小石川の流にして今はわづかに4)キュウコウの間を通ずる溝となれり。ああ四十年のむかしわれはこの細流のほとりに春は土筆を摘み、夏は蛍を撲ちまた赤蛙を捕へんとて日の暮るるをも忘れしを。赤蛙は皮を剥ぎ醤油をつけ焼く時は味よし。その頃金富町なるわが家の抱車夫に虎蔵とて背に菊慈童の筋ぼりしたるものあり。その父はむかし町方の手先なりしとか。老いて盲目となり5)虎蔵の世話になり極楽水の裏屋に住ひゐたり。虎蔵わが供をなして土筆を摘み赤蛙を捕りての帰道、折節父の家に立寄り6)ユウゲの菜にもとて獲たりしものを与へたり。貧しき家の夕闇に盲目の老夫のかしらを剃りたるが、7)コツゼンとして仏壇に向ひて8)カネ叩き経誦める後姿、初めて見し時はわけもなく物おそろしくおぼえぬ。わが家の女中ども虎蔵がおやぢはむかし多くの人を捕へ拷問なぞなしたる報にて、目も見えぬやうになりしなりと噂せしが、虎蔵もやがてわが家より暇取りし後いつか牛込警察署の刑事となり、わが十七、八の頃一番町の家に来りて、ゆうべは江戸川端の待合にて芸者の寝込を捕へたりなぞ、その後家に来りし車夫に語りゐたりしを聞きし事ありき。



荷風の生家は小石川金富町にありました。現在は春日二丁目の金富小学校のある辺りだそうです。地下鉄丸ノ内線の後楽園駅と茗荷谷駅の丁度中間の近辺になります。お抱えの車夫に虎蔵という名の若者がいました。永井家は結構金持だったんですね。その虎蔵は背中に「菊慈童」の彫り物が。古代中国を舞台とした説話で、罪を得て辺境の深山に流された少年が、菊の霊力によって不老不死を得て、長きにわたって子供の姿をとどめたという伝承。周代の穆王に愛された侍僮が菊慈童です。お稚児さんですな。永遠の若さを象徴するのです。虎蔵は、少年荷風に色々な話を聞かせて子供の好奇心を擽った存在だったのでしょう。小石川植物園のそばをそぞろ歩く荷風の胸にノスタルジーが去来しています。

1) モグサ=艾。モグサが原料の、お灸を据えるのに使うもの。「よもぎ」とも訓む。艾年(ガイネン=髪の毛がヨモギのように色つやがなくなる年齢、五十歳、艾老=ガイロウ=・艾耆=ガイキ=)。

2) ルル=縷々(縷縷)。物事が細々と続いているが、途切れないさま。「縷」は「いと」とも訓み、「いとのように細長くつらなるさま、くどくどしているさま」の意。縷述(ルジュツ=こまごまとことばをつらねて述べる、縷言=ルゲン=・縷説=ルセツ=・縷陳=ルチン=)、縷切(ルセツ=肉などをいとのように細かく切ること)。

3) センセン=潺潺(潺々)。水のさらさら流れるさま。「春の小川」のイメージで覚えよう。潺湲(センカン)ともいう。涙がはらはら流れるさまも「潺湲」ですが、こちらは潸然(サンゼン)ともいう。

4) キュウコウ=窮巷。むさくるしげな場末のまち。窮閻(キュウエン)ともいう。「巷」は「ちまた」。

5) 忰=せがれ。自分の息子を謙遜して言う言い方。転じて、他人の息子や少年を卑しめて言う言い方。「悴」の異体字です。もともと「倅(伜)」と書いたが、これの誤用とある。国字では「躮」とも書く。「悴(忰)」では「やつれる」「かじかむ」の訓みの方が大切か。悴容(スイヨウ=やつれた顔かたち)。

6) ユウゲ=夕餉。夕方の食事。「餉」は「かれいい」とも訓む。音読みでは「ショウ」。食事そのものを指しますが、その時間が短いさまをいうこともある。一餉(イッショウ=食事をするほどほんの短い時間)。餉遺(ショウイ=食べ物をおくること)、餉饋(ショウキ=食糧をおくり届けること、軍隊の食糧、兵糧、餉餽=ショウキ=とも)、餉給(ショウキュウ=兵糧をおくり届ける)、餉時(ショウジ=食事をするほどの短い時間)。朝餉(あさげ)、昼餉(ひるげ)ともども夕餉は和訓です。

7) コツゼン=兀然。孤立して動かないさま。兀坐(コツザ=体を動かさず、じっとすわっている、ぼんやりとすわっている)。

8) カネ=鉦。音楽で用いる打楽器、たたきがね。ここは鐘ではないですが微妙ではあります。普通、鐘と言えば寺などにある「つりがね」で大型、鉦は小形の「たたきがね」。鉦鼓・磬などをさす。個人の家の仏前で叩くのですから、少なくとも「鐘」ではないでしょうね。かといって「鉦」は楽器ですから、個人宅用の小型の「鐘」といったところでしょうか。
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不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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