スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

大望抱き亨らざりき 悔恨残し散りにける負けじ魂

橋本左内シリーズも本日が最後です。漢詩人としての彼の才能を味わいましょう。左内は、二百数十年の安逸をむさぼり瓦解寸前だった江戸幕府に対し、天皇を中心に徳川かそうでないかの隔てなくユニティを築き、外の国と付き合い独立国家に生まれ変わることを提唱しただけといえばだけ。歴史を振り返ると、末期症状にある政権中枢の人物、ここは大老・井伊直弼ですが、時々とんでもない“方向違い”のことをしでかすのです。所謂産みの苦しみという奴です。左内はその狭間でちょっとだけ時代を早く読み過ぎました。いつの世も時代を少し早く読む奴はつぶされるのです。残念ながら…。



【書懐】(七言律詩)

ゼイシ 君を得て聖明に逢ふ
躬を撫して常に愧づ恩栄に負くを
書を上りては狂直 庸吏を汰せんとし
乏きを承けては菲才 監黌に職す
誰か祖山に認む鉄礦を穿つを
吾は大海に於いてゲイゲイを掣せん
洋行の禁 紓むこと知る遠きに非ざるを
春帆を掛けて太平に泛ばんと要す



(大意)異例の大抜擢を受け御殿様のお側に仕えることができたが、我が身を振り返れば、その恩遇と名誉にそむいていると、常々恥ずかしい思いでいっぱいである。そこで、無鉄砲なことではあるが御殿様に対して意見書を奉り、役立たずの役人を整理すべきことを具申したのだが、才能乏しきこの身ではあるが藩校・明道館の幹事という要職に任ぜられ、校務を監督することとなった。藩校の教育ではわが故郷・越前の山に鉄鉱脈を発見し採掘もする人物の台頭こそ望まれるのだ。そして私自身は大海に出てそうした暴れん坊を自由自在に支配したいと思っているのだ。わが国の鎖国政策は近い将来、必ずや渡航の禁止令も緩和せざるえまいが、その時は春風を帆にいっぱい受けて太平洋を渡航するつもりでいる。

若くして藩主松平慶永から抜擢され大出世を遂げた左内の気概に溢れる詩です。「学制に関する意見箚子」を具申した安政四年ごろの作ではないかと推察されます。人材発掘の焦りを感じる一方、自分自身は外洋に目を向けており、世界に飛び出したくてむずむずしています。国造りの礎を築きたくて仕方ないのです。わが国の政権中枢を担当させたかったと思わないわけにはいきませんね。


【秋夜】(五言古詩)

絡緯 秋を知るに似たり
悽悽として草中に鳴く
回風 寒葉を掃き
簌簌として雨声かと疑ふ
愁ひ結びて燈火細く
神澄みて魂しばしば驚く
男児 志サタして
三十 未だ纓を請はず
剣を撫して起つてチュウチョウすれば
列星 前楹に燦たり
仰ぎ瞻る天漢の上
愧づ吾が名を記すなきを
歳華 シンシンとして去り
白露 芷蘅を凋ましむ
酒薄くして酔を成し難く
病骨いたづらに崢たり
吾が道 天地に存す
大運いづれの時にか亨らん



(大意)クツワムシが草むらの中で、いかにも秋が来たと分かっているかのように物悲しく鳴いている。凩が雨声にも似た切ない響きを立てて、僅かに残る木の枯れ葉を吹き払って行く。時に自分は暗い燈火のもとに愁い、わだかまり、神の気が冴えてしばしばはっと胸のつぶれる思いがよぎった。男児と生れたのに、その志はつまずきの連続。齢三十にもなろうというのに、仕官も出来ず幽閉の身。剣を持って起ちあがると満天の星がその光を縁の柱に投げかけているのが目に入った。天の川を見上げてわが名が歴史に残るような仕事を成し遂げてないことを恥じた。時の過ぎゆくのは止められず、夜の白露は香高き草草の生長を留め、あたかも我が身の失脚と重なるようだ。心の憂いを銷すために酒を飲んだが薄酒では酔うことも出来ず、心身共に病んだ自分の気持ちだけが高ぶってくる。我が行く道は天地の間にあって方向は間違っていないと確信する。しかし、いつになれば大運が開けその志が遂げられるのだろうか。


一転こちらは悔しさに溢れる詩。安政五年、安政の大獄により謹慎幽居中の作。死の約一年前。魏の時代の阮籍(例の竹林の七賢の一人)の「詠懐」という詩の体裁に倣い、沈痛な懐中を述べたものです。自分の信念は揺るぎなく確かなものだという自信はあるものの、所詮は人に使われる身であり、その思いがどうにもならない歯痒さに打ち拉がれています。酒に酔うことすらできず苛立つちが募るばかり。最後の「亨」は「とおる」と訓読。「易経」の用語で「物事が順調に進むこと」。これを持ち望んで叶うことを見なかった人の悔恨はいかばかりでしょうか。人生において斯様な悔いだけは残したくないものです。


問題の正解などは続きにて。。。


ゼイシ=筮仕。はじめて仕官すること。「春秋左右伝」鬢公元年にある「畢方、筮仕於晋」から。「筮」は「うらなう」とも訓み、仕官する際には吉凶を占う習慣のあったことが分かる。

監黌=カンコウ。藩校を監督する職、ここは越前藩の藩校・明道館の幹事。「黌」は「まなびや」。学校、学舎のこと。黌宇(コウウ=学校、黌校=コウコウ=・黌舎=コウシャ=・黌堂=コウドウ=・黌序=コウジョ=・黌室=コウシツ=)。

ゲイゲイ=鯨鯢。雄のクジラと雌のクジラ。転じて、弱い者いじめをする悪人の魁に喩える。

■「紓む」は「ゆるむ」。

サタ=蹉跎。つまずいて思い通りにならないこと、事のはこびがちぐはぐになること。「蹉」は「つまずく」とも訓む。蹉跌(サテツ=つまずいて足をすべらす、ちぐはぐになって失敗する)、蹉跎歳月(サタサイゲツ=むなしく時をすごすこと)。

チュウチョウ=惆悵。がっかりして元気をなくすこと。「惆」も「悵」も「うらむ」「いたむ」と訓む。悵恨(チョウコン=思い切りがつかず残念がる、うらみに思う)、悵然(チョウゼン=思いきれずうらめしげなさま、悵悵=チョウチョウ=)、悵望(チョウボウ=思いきり悪くうらめしげにながめるさま)。

シンシン=駸駸。馬がどんどん進むさま、転じて、物事が急速に進行するさま。

■「絡緯」(ラクイ)は「クツワムシ(聒聒児)」。蟋蟀説や螽斯説もありますが、いずれにせよ秋に物悲しく鳴く虫です。

■「簌簌」(ソクソク)は「葉などが風に揺れ触れあって発する音の形容」。

■「芷蘅」(シコウ)は「香りの高い草の名」。志が気高いさまを喩える。

■「崢」(ソウコウ)は「高くけわしい形容」ですが、ここは左内の体が痩せ細ってがりがりであるさまをいうのでしょう。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

profile

char

Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

calendar
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
recent entry
recent comment
category
monthly archive
search form
RSS links
links
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。