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心体は不具でも孫子や司馬遷に倣い諧謔文章を完成へ=「柳橋新誌」二編(42)・完

成島柳北の「柳橋新誌」(岩波文庫、塩田良平校訂)二編シリーズの42回目です。ここは清泉白石山人なる人物の手による後序、正真正銘の「跋文」です。

後序

今夏予偶ま1)ショクジを奉じて東京に在り、一日友人来つて何有仙史著する所の柳橋新誌二編を示す。且つ曰く、柳橋十年前の情態既に初編に尽く、当今は亦冷熱地を易る者有り、故に此の編以て其の変を記す、請ふ君抜いて之を知れと。余喜びて一読す。其の筆力2)テットウ、行文奇絶、之に加ふるに3)カイイの論以て方今の人情を摸写す。若し楽広潘岳の徒をして之を読ましめば、必ず将に其の筆硯を棄てて、4)シャジンの間に却退して5)ドウジャクたらんとす。夫れ仙史は旧友也、予具さに其の人と為りを知る。而して今斯の書を視れば則ち色を冒す6)トウシの如く然り、沈湎7)ヤロウの如く然り。仙史幼にして8)ジュリンの巣に育し文苑の餌を啄む。朝に韓柳の域に翔り暮に蘇の9)ネグラに棲む。既にして翼を九万里の天に伸る者、此の著の若きは則ち亦大鵬の一羽、鸑鷟の一翰なるか。予10)フセイ尫弱、之に加ふるに厳父の訓戒有り、足市街の間を踏まず、繁華地方の若き、耳に其の情態を聞く而已。今仙史の著に頼りて其の概略を知るを得たり。是亦鵬鸑の羽翰を藉りて以て其の遊観を為すに非ず乎。11)曩者仙史嘗て覇廷の庁壁に題して曰く、君看よ千載の上二卵12)カンジョウを棄つと。其の慷慨想ふべき也。既にして幡然途を改め諧謔此の如きの書を著して以て自ら適す。其れ猶ほ孫臏足を刖して兵を説き、司馬遷獄に13)れて史を著すの類のごとき乎。是に於いて仙史の心に感ずること有りて、区々の14)ユウゲンを題する者は誰そ。東鄙の狂生桂閣子也。

 辛巳芒種後八日、江東龍涎窩に書す。時に芍薬盛んに開き風香簾に満つ。

                       清泉白石山人書


1) ショクジ=職事。官職上のつとめ。

2) テットウ=跌蕩。ルールから外れて動きまわること。しまりがなくて勝手なこと。跌宕とも。「跌」は「足を滑らせる、踏み外す、道理からそれる」の意。「つまずく」の訓みもある。跌失(テッシツ=足をすべらせる)、跌墜(テッツイ=足をすべらせておちる)。

3) カイイ=解頤。下顎を外す、大笑いすること。また、非常に感心すること。「イをとく」とも訓読する。

4) シャジン=車塵。走っていく車のたてるほこり。

5) ドウジャク=瞠若。驚きあきれて目をみはるさま。瞠然(ドウゼン)・瞠乎(ドウコ)ともいう。「瞠」は「みはる」とも訓む。驚いたりあきれたりして、目を広く見開く。瞠目(ドウモク=目をみはる、目を見張るほど、あきれたり驚いたりすること)、僮僮(ドウドウ=驚いたりあきれたりして目をみはるさま)。

■「トウシ」と「ヤロウ」は類義語の関係にある。

6) トウシ=蕩子。酒色に溺れる者、道楽者、遊蕩児。蕩児(トウジ)ともいう。

7) ヤロウ=冶郎。芸妓遊びをする男、やさ男、うわき男。ナンパ野郎。

8) ジュリン=儒林。儒学者の仲間。また、その社会。

9) ネグラ=塒。土のへいで囲った鶏舎、鳥のすみか、とや。「とぐろ」「とぐら」の訓も。

10) フセイ=賦性。天から授かった性質、生まれつき。天性。賦分(フブン)・賦質(フシツ)・賦稟(フヒン)とも。

11) 曩者=さきに。さきごろ。「ドウシャ」とも読める。

12) カンジョウ=干城。たて、と城。主君の為にてたとなり城となって外敵を防ぎ、国を守ること。転じて、軍人や武士のこと。「干」は「たて、ほこ」。

13) 係れ=つながれ。「係ぐ」は「つなぐ」。牢屋に入れられること。

14) ユウゲン=莠言。もっともらしく見えるが、悪意のある言葉。まやかしのことば。「莠」は「善に似ているが、中身は悪な物、まやかしの物のたとえ」。





「楽広潘岳」は中国晋代の詩人。

「韓柳」は韓愈と柳宗元、「蘇」は蘇軾(蘇東坡)。

鸑鷟」(ガクサク)は、想像上の鳥。鳳凰の類の瑞鳥。鳳凰の古称という説も。
「尫弱」(オウジャク)は「虚弱、からだが曲がって弱い」。尫怯(オウキョウ=よわむし)、尫闇(オウアン=からだが弱く、知能が劣ること・人)、尫羸(オウルイ=からだがまがって弱い)。

孫臏(ソンピン)は中国戦国時代の兵法家。あしきりの刑((足を刖=ゲッ=す)に遇いながら兵法を説いた。孫子説も。

清泉白石山人なる人物の詳細は不明。本人は柳北の旧友だと言っており、もともとは西国の人のようです。たまたま仕事で東京に滞在している時に柳橋新誌二編を見せられ、跋文を頼まれたと書いています。柳北のように柳橋のような色街で遊ぶことは叶わなかったが、柳橋新誌を通じてあたかも自分がそこにいるかのような錯覚に陥るほどさまざまなことを教えてもらった。かれほどに大胆な筆勢で文章を書く人を知らないと大絶賛。あるとき柳北が朝廷の建物の壁にこう書いたことがある。

君看よ千載の上二卵干城を棄つ


成語林によると、正確には「二卵を以て干城の将を棄つ」という。「(人民から二個の卵を取り立てたことを理由にして有能な武将を見捨てるの意から)わずかな過失を取り上げて、すぐれた人物を用いないことのたとえ」とあります。中国の戦国時代、孔子の孫である子思が衛(エイ)の国に仕えていたが、有能な才を持つ苟変(コウヘン)という人物を推奨した。「彼を将軍として用いれば向う所敵なしでしょう」。ところが君主は「役人時代に人民から二個の卵を徴収し食べてしまったと聞いている。有為な者ではあるがその理由で採用しない」と言った。子思は「人を用いるには長所を見て短所は見捨てるのがよい君主である」と教えた故事をいう。有為な人材の小さな言い過ちををとがめ立て、その貴重な人物を用いないで失うことの愚かしいことを説くのです。

柳北がこの故事を朝廷の建物の壁に書きつけた慷慨の気持ちを忖度すれば、江戸幕府のちょっとした過ちを見過ごさずに政権を返上させたばかりか、剰え薩長藩の天下に代えられたことを言っているのでしょう。自らは徳川退陣と共に世を棄て天地無用の人を宣言しました。有為な才のあるのに佯狂したかのように振る舞ったのです。その代償として遊冶郎のような色街を舞台にしたユーモアルポを書いた。それは宛も孫子や司馬遷の如く体に不具を負わされながらも精進して兵法であり、史記であり「道」を築き上げた姿と重なるではないか。まさに柳北の生い立ちをはじめ、心の葛藤の正鵠を射ているように見えます。

ここに柳橋新誌二編が名実ともに幕を閉じました。

まだ終わりませんよ。。。。
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2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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