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目指すは己の目と耳で得た情報を世に知らしめる新聞=「柳橋新誌」二編(41)

成島柳北の「柳橋新誌」(岩波文庫、塩田良平校訂)二編シリーズの41回目です。前回で二編の「本文」は終了した、と紹介したのですが、紕繆でした。実はあと一つあり今回が最後の一節。ざっと目を通して妓女の「妓」の字も見えなかったものですから、「跋文」的な位置付けかと錯誤してしまいました。柳北が二編に対するネガティブな風評のあることを知り、書いたことに全くの嘘偽りはないと反論をしながら、正真正銘の掉尾を飾ります。そして、世に阿ることなく真実を伝え、社会の木鐸たる「ジャーナリスト」の“萌芽”を垣間見せます。

仙史此の編を草(カク)するの際、一客1)かに之を読み額を2)■め(ニガイカホヲシテ)眉を3)めて曰く、子の書は世教に益無くして徒らに人を4)バリす。無用の文を作つて以て世の怒に触る。何の故に狂愚此の若きの事を為すや。子其れ悔有らんと。仙史笑つて曰く、吾は固より無用の人也。何の暇(ヒマ)か能く有用の事を為さん。且つ吾が5)ノノシる所の者は皆世の風流罪過也。而して吾の人をノノシるも亦是れ吾が風流罪過也。6)セジン若し風流の7)■(イカリ)を以て吾が風流の筆を罪せば、吾将に甘んじて其の罪に服せんとす。何ぞ其れ之を辞せん。且つセジン孰か風流罪過無からん、唯之を公にすると之を密にするとの異なる有る耳。若し一個の8)■■(カタイ)先生有つて、殷の9)に乗り周の10)を服し右に唐典を接し(シラベ)左に明律を11)■し(クリ)侃々々(コムヅカシク)、来つて吾が風流罪過を責めば、則ち吾将に之に対へて君は8)■■を講じ吾は風流を好む、唯是れ半文に借貸(カリカシ)も相及ばず、慮らざりき君の吾が事に12)■(カマウ)らんとは、何の故ぞと曰はんとす。彼若し又爾の著する文章善からず、読む者以て意味を解する無し、13)■■(セツシヤ)是れ嘆く、記事14)■■(カイタコトウソ)にして実ならず、13)■■是れ疑ふと曰はゞ、吾亦将に対へて、文の善からざるは無学の故也、敢て正を乞はざらんや、記事の実ならざるは君其れ諸を柳橋に問へと曰はんとす。吾亦何の恐れか之有らん。昔静軒翁繁昌記を著はす。当時の幕吏其の15)ヒボウの語を怒り、翁を獄に繋ぎ其の書を焚き其の罪を鳴らして竟に之を逐ふ。世其の16)■■17)■■(キリヤウセマキ)なるを笑つて而して翁の書猶ほ今に行はる焉。且つ子聞かずや、泰西諸国刻する所の新聞紙は多く是れヒボウバリの言にして、君主罪せず官吏咎めず君子怒らず小人怨みず、争つて之を読み、以て聞見を博め以て警戒を知る焉。吾書の若きは則ち亦新聞紙にして用無き者耳。子何ぞ慮るの過ぎたる也。客黙して退き、戸を出て曰く、愚を療するに薬無し(バカニツケルクスリガナイ)。

柳橋新誌二編 尾


1) 偸かに=ひそかに。こっそりと行うさま。音読みは「トウ」。「ぬすむ」「うすい」の訓読みもあり。偸看(トウカン=ちらっと見ること、偸眼=トウガン・カンをぬすむ=)、偸間(トウカン・カンをぬすむ=忙しい時に少しの暇を求めて心を楽しませる)、偸取(トウシュ=そっと中身を奪い取る)、偸儒(トウジュ=なまけて苦労しないこと)、偸生(トウセイ・セイをぬすむ=死ぬべき時に死なないで、むだに生きながらえる)、偸惰(トウダ=かりそめに安易をむさぼる、偸懦=トウダ=)、偸薄(トウハク=人情が薄いこと)、偸楽(トウラク=仕事をなまけて遊び楽しむ)、偸利(トウリ=不正なことをしてそっと利益を獲る)。

■戯訓語選択、一字音読みヒントヴァージョン。


2) 「ニガヒカヲ」→シュク・ジュク・キョク・ギョク。
7) 「イカリ」→アン・イン・ウン・シン・サン。
11) 「クリ」→ヒン・フン・ハン・へン・ホン。
12) 「カマウ」→ギョウ・ショウ・ジョウ・ヒョウ。



■正解


2) シュク=蹙。「しかめる」とも訓む。顔を額にしわを寄せる。蹙蹙(シュクシュク=物がちぢこまってのびないさま)、蹙竦(シュクショウ=ぐっと身をひきしめる、びくびくおそれて安心できないさま)、蹙然(シュクゼン=身をひきしめて安心しないさま)、蹙沓(シュクトウ=せまい所により集まって、こみあう)、蹙迫(シュクハク=おしつめられて切羽詰まる)、蹙眉(シュクビ=両眉の間をしかめる、間の詰まった眉)。

7) シン=瞋。目をわくいっぱいに開く、かっと目をむく。瞋恚(シンイ=目をむいて怒る、瞋怒=シンド=)、瞋目(シンモク・メをいからす=怒って目をむく)。

11) ハン=繙。巻物の形の書物を広げて読む、広く書物を開いて読む。「くる」は「本のページを次々とめくる」の意。「ひもとく」とも訓む。繙繹(ハンエキ=書物を読み、その内容をたどって理解する)、繙閲(ハンエツ=書物を読んで調べる)、繙読(ハンドク=本を開き読む、書物をひもとく)、繙訳(ハンヤク=ある言語で表現された内容を、他の言語になおして表現すること)。

12) 「ショウ」=渉。「かかわる」とも訓む。離れている先方にまで関係する、先方と関係を以てやりとりする。干渉。無渉(ムショウ=かかわりあいがない)。



3) 攢め=あつめ。「攢める」は「あつめる」。ひと所に寄り集まる。音読みは「サン」。攅眉(サンビ・まゆをあつむ=眉を寄せるさま、憂えるさま)、攢蛾(サンガ=眉をひそめる、また、ひそめた眉)、攢攅(サンサン=木の葉などの密生しているさま)、攅蹙(サンシュク=一か所にあつまり縮まる)、攢聳(サンショウ=多くの山が群がって連なりそびえていること、攢竦=サンショウ=)、攢簇(サンソウ=群がりあつまる、攢叢=サンソウ=・攢聚=サンシュウ=)、攅仄(サンソク=声・音などが幾重にも重なりあつまるさま)、攢蹄(サンテイ・ひづめをあつむ=馬がきわめて速く走ること)、攢巒(サンラン=群がっている山々、攢峰=サンポウ=)。

4) バリ=罵詈。ののしる、ののしり。罵詈雑言(バリゾウゴン)。

5)ノノシる=罵る。相手かまわず悪口をかぶせる、大声でわるいことばを使って悪口をいう。罵譏(バキ=ののしり、そしる)、罵言(バゲン=ののしること)、罵坐(バザ=その場にいる客をののしる)、罵辱(バジョク=ののしりはずかしめる)、罵声(バセイ=ののしる声)、罵倒(バトウ=ひどくののしる、相手をののしってやっつける)。

6) セジン=世人。世間一般の人。

9) 輅=くるま。天子の乗る車。音読みは「ロ」。輅車(ロシャ=大きな車、天子の乗る車)、輅馬(ロバ=天子の乗る車を引く馬)、玉輅(ギョクロ=天子の乗る車)。

10) 冕=かんむり。天子から大夫までの礼装のかんむり。身分の高い象徴。音読みは「ベン」。冕者(ベンシャ=冕服をつけた身分の高い人)、冕服(ベンプク=古代、身分の高い人が礼装用として身につけた冠と衣服、また、それを身につけること)、冕旒(ベンリュウ=かんむりの前後に垂れ下げる飾りの玉)。

15) ヒボウ=誹謗。悪口をいう、そしる、そしり。「誹る」は「そしる」。「謗る」も「そしる」。誹毀(ヒキ=悪口をいって他人の名誉をきずつける、誹譏=ヒキ=)、誹謗之木(ヒボウのボク=天子のあやまちを人民に書かせる立て札、帝舜が行った行動)、誹誉(ヒヨ=そしることとほめること)。


■戯訓語選択。

8) 「カタイ」→堅物。

13) 「セツシヤ」→拙者。

14) 「ウソ」

16) 「キリヤウ」→器量。

17) 「セマイ」

フショウ・ヘンアイ・モウタン・フネイ・ドウガク・キョクリョウ・アイキョウ



■正解



8) ドウガク=道徳を説く学問。儒教を指す。

13) フネイ=不侫(不佞)。自分の才智を謙遜して言う言葉、自分を謙る言い方。拙者。「侫」は「佞」の異体字。佞諛(ネイユ=こびへつらう)、佞媚(ネイビ=こびへつらう・そのような人)、佞猾(ネイカツ=口先が上手く悪賢い・そのような人)、佞姦(ネイカン=口先がうまく心がねじけていること)、佞給(ネイキュウ=口先が上手くへつらう)、佞倖(ネイコウ=こびへつらって主君に気に入られる者)、佞才(ネイサイ=口先が上手くて人にへつらう才能・そのような人)、佞弁(ネイベン=上手く調子を合わせて相手の気に入るように言うこと)。

14) モウタン=妄誕。「ボウタン」とも。うそ、出鱈目。「誕」は「うそ」。妄批(モウヒ・ボウヒ=でたらめな批評、自分の批評を謙遜した言い方、妄評=モウヒョウ・ボウヒョウ=)。

16) キョクリョウ=局量。心の大きさ。器量。

17) ヘンアイ=偏隘(褊隘)。片意地で度量が狭いこと。人を受け入れないこと。偏狭(褊狭)とも。「偏」も「褊」も「隘」も「せまい」。偏僻(ヘンペキ=心がかたよってひがむこと)、偏狭(ヘンキョウ=かたいじで度量が狭い)、偏頗(ヘンパ=かたよっていて物事が不公平なこと)。褊忌(ヘンキ=心にゆとりがなくてねたみ深い)、褊急(ヘンキュウ=心にゆとりがなくせっかちなこと、褊促=ヘンソク=)、褊小(ヘンショウ=小さくてゆとりがない)、褊心(ヘンシン=せっかちで狭い心)、褊迫(ヘンパク=ゆとりがなく、こせこせしているさま)、褊陋(ヘンロウ=狭くていやしい、かたくなで見識が狭いこと)。隘路(アイロ=物事をすすめていくときに妨げとなる問題や困難、難関)。




「この書物は世間を教導する内容が一つもない。ただ単に他人に悪口雑言を浴びせているだけの無用の文章である。お上の怒りに触れてまで気違い沙汰にも等しい本を出すのはなぜなのか」―。柳橋を知る遊客の一人が柳北に苦言を呈しました。とりわけ鋒鋩が向けられた旧薩長藩の士族に対する揶揄、嘲笑。あまりにも過激で鋭過ぎて身の危険すらあるのではないか。そんな老婆心からのことではないかと思われますが、当の柳北は一向に気に書けない風体です。

「ぼくはもともと『無用の人』を任じている。どうして有用のことを意識する必要があろうか。ぼくが罵詈するものは、世の風流の罪と過ちさ。ところが、ぼくが人を罵詈することもぼくの風流の罪と過ちと言える。もしも世間の人が風流が汚されたと怒って筆禍の罪があると言うのなら、甘んじてその罪は受けよう。ぼくは逃げない。しかし、風流の罪と過ちのない人なんているのだろうか。こうやって書くか、書かずに胸の内に秘めるかの違いだけだ。道徳を重んじる儒学の先生が、譬えて言うなら殷王朝の車に乗って周王朝の冠をかぶり唐王朝の教典を調べ明王朝の法律をひもとくようにしながら、小難しい条文を述べ立てて、ぼくの行為に罪と過ちの有無を論じたとしよう(「侃々々」は「カンカンギンギン」。議論の是非を論じるさま。「侃々」は「堂々と論じる」、「々」は「穏やかに論じる」)。風流罪過があると言うならこう反論する。『儒教は君の専門だが、ぼくは風流が好きなだけだ。この二つは相交わることもない無関係のことにすぎない。興味のないことに一々口を出すのはどうしてか』。また、『読みづらい文章で読書が意味が取れない。書いてあることは嘘なのではないか』と言われたら、『読みづらい文章と言われれば無学の故。読みやすくすることを心掛けたいと思う。しかし、書いてあることは嘘だと言うのなら柳橋に言って関係者に尋ねるがよい』と言ってやるさ。恐いものなんてないよ。かの寺門静軒翁が著された『江戸繁昌記』が幕府を誹謗中傷したという廉で牢屋に入れられ焚書され江戸追放の罪に服せられた。しかし、幕僚の器量の狭いだけであって内容はどうということのない物ばかり。だって現在も翁の本は堂々と流通しているじゃないか。さらに、西洋諸国の新聞を知らないか。そこに書かれた記事は誹謗中傷、悪口雑言ばかり。それなのに政府は咎め立てもせず王室も目くじらを立てず市民も恨み事を言わない。そればかりか市民は挙って買い求め読み耽る。見聞を広めるとともに世の戒めを知るためなのである。ぼくの柳橋新誌もいわば新聞紙みたいなものさ。用無しでいいじゃないか。君の心配は御無用さ。放っておいてくれたまえ」。呆れ返った客の放った一言。「馬鹿に付ける薬は無いな」。

ここから読みとれるのは言論の自由というジャーナリズムのシンプルなスピリット。書きたい物を書いて何が悪い。しかも、自分の目や耳で得た情報をもとに真実を書いているという自信。飛耳長目の重要性。道徳も色事も紙一重だという人間の本質の看破。開かれていく日本国が歩む方向をすべて言い当てているような気がします。ただし、その自由、自信、看破いずれもの“使いどころ”を今の日本は間違えている、穿き違えているような気もするのは迂生だけでしょうか。柳北先生に問うてみたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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