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犬もいなくなれば棒にも当たらん、糞も踏まん、人もおらん=「柳橋新誌」二編(33)

成島柳北の「柳橋新誌」(岩波文庫、塩田良平校訂)二編シリーズの33回目です。本日のテーマは狗と猫の関係。猫は猫でもただの猫ではありません。以前、仮名垣魯文の「猫々奇聞」題言を取り上げたとき()に「猫魔社会」に警鐘を鳴らしましたが、その猫のことです。狗は猫を食うことはないが、猫の繁殖を抑える効果がある。その狗が衰えると猫の生命力が増すのです。一人の遊客とめくらの按摩師との会話から、今の柳橋の繁栄の根源が滲み出ることと成ります。やや長いので上下二回に分けます。




一客坐して待ち臥して1)つ。燈影滅せんと2)欲して復明かに、酒味酸に似て又苦し。3)■(ヒトリ)身影を吊し怏々として楽しまず。4)来り慰めて道ふ、本(コン)日一六にして各楼5)■■(ニギヤカ)、衆校書(ゲイシヤシユ)皆忙し。然れども6)■(ヒヨウシギ)已に7)戌(イツツ)を報ず、想ふに令寵(ゴヒイキ)早晩(モハヤ)帰り来らん、請ふ暫く諸を忍べ。客道ふ、待つこと久し矣。肩頭血凝(カタサキガコル)る、8)按摩師を招き来れ。婢諾して去る。乍ち見る9)瞽人階に及ぶを。客道ふ、某は此に在り。瞽、客背に坐し撲々肩(カタ)を拍ち軟々腕を握る。瞽道ふ、尊筋頗る硬し(スヂガスコシコリマシタ)、定めて時気に感ずるならん、徐々(ソロソロ)結を解いて可なり。客道ふ、10)■■(アンマサン)頃日新聞有り耶。瞽道ふ、無し焉、江戸も亦太だ衰へたり矣。客道ふ、何を以て之を知る。瞽道ふ、世人皆道ふ衰へも亦極まる矣と。而して奴(ワタクシ)の眼其の衰を視る能はず、然れども奴も亦一事以て其の衰を証する者有り。客道ふ、何の証か有る。瞽道ふ、奴日に出でて手を售る、家に帰る毎に其の履(ゲタ)を嗅ぐ糞臭有り、乃ち其の歯(ゲタノハ)を濯ふ。近来履を嗅ぐ臭を聞くこと甚だ罕なり、想ふに11)ガイク狗失(イヌノクソ)も亦少し。夫れ狗口(カズ)既に減ず、人口の減する知るべき也、衰に非ずして何ぞ、客道ふ、理有り理有り。



1) 竢つ=まつ。じっとまちうける。音読みは「シ」ですが熟語は見えません。

■2) 「欲して」の「欲」の意味を述べよ。ただし、「~がほしい」「~したい」ではない。



■正解=「だんだんと~になろうとする」。ある状態に近づきつつあることを示す。「なんなんとす」と訓読されることもある。




■戯訓語選択、一字音読みヒントヴァージョン。

3) 「ヒトリ」→ザツ・ゼツ・ゴツ・ケツ。
6) 「ヒヨウシギ」→チク・タク・トク・カン。





■正解

3) ケツ=孑。ただ一つ残ったさま、ひとりぼっちのさま。「のこり」とも訓む。孑遺(ケツイ=わずかにのこっているもの、わずかののこり)、孑孑(ケツケツ=たった一つぽつんとたったさま、小さいさま)、孑身(ケッシン=単身、独身)、孑然(ケツゼン=ただひとりのこったさま、ひとりぼっち)、孑立(ケツリツ=ひとりぼっちでいる、孤立)。

6) タク=柝。「き」とも訓む。合図としてたたく拍子木。柝撃(タクゲキ=夜警のたたく拍子木の音)、偃柝(タクをふす=夜警の拍子木を使わない、世の中がよくおさまって平穏なさまをいう)。




4) 婢=はしため。召使いの女。婢子(ヒシ=女子が自分をへりくだっていうことば、わらわ、身分の卑しい女、下女)、婢妾(ヒショウ=召使いの女と側妾、仕えている身分の卑しい女の総称)、婢僕(ヒボク=下女と下男、婢僮=ヒドウ=)。


■戯訓語選択。

5) 「ニギヤカ」
10) 「アンマサン」→ここは按摩を職業とする技術にたけたプロの意。

ドウドウ・コクシュ・シュビ・セイドウ・


■正解

5) セイドウ=盛鬧。にぎやかなさま、殷賑。熱鬧(ネツドウ)ともいう。鬧事(ドウジ=やたらに事件をおこす、騒動)、鬧熱(ドウネツ=人が多く、にぎやかで、活気のあること)。

10) コクシュ=国手。芸術・技術などで、国じゅうで一流の手腕をもっている人、名人。特にすぐれた名医をいうこともある。

■7) 「戌(イツツ)」とは何時ごろのことをいうか。



■正解=現在の午後八時およびその後二時間をいう。いつつどき。





8) 儞=なんじ。あなた、そなた、二人称の代名詞。

9) 瞽人=コジン。目の見えない人、盲人、瞽者(コシャ)。「めしい」と戯訓で読めばやや侮蔑表現か。瞽言(コゲン=実物を見ないでいうことば、正確でない内容のことばのこと、瞽説=コセツ=)、瞽師(コシ=盲人の音楽師)、瞽女(コジョ=女性の盲人、ごぜ=三味線をひき歌を歌ってものを貰って歩く女性の盲人)、瞽叟(コソウ=子大、伝説上の帝舜の父の名)。

11) ガイク=街衢。四方に通ずる広い道、また、まちを指す。街衝ともいう。「衢」は「ちまた」。衢巷(クコウ=ちまた、まち)、衢室之問(クシツの問い=昔の理想的な天子とされた帝尭が、政治の資料として人民のいうことを聴いたこと、広く人々の意見を聴くことのたとえ)、衢道(クドウ=わかれ道、四方八方に通ずる道、衢路=クロ=・衢涂=クト=)。






一六日は役所がお休みであり、役人たちが挙って宴会を挙げます。よって、この日は柳橋も書き入れ時で芸妓も大忙し。個人で馴染みの妓女に会いにやってきたものの、アポが思うように取れず待ち惚けを食らっています。坐るでもなく寝るでもなく悶々と時間が過ぎていく。次第にイライラが募りはじめます。下女が言うには「お姉さんは忙しいのですが午後八時も過ぎたのでもうそろそろお戻りになるのではないですか。もう暫くご辛抱下さい」。肩が凝りまくったので按摩を呼びます。盲である按摩の馴れた手つきで腕や肩をもんでもらっているうちに、会話が弾んでいきます。客「最近面白い話はあるかね」。按摩「ないですね。江戸もさびれていますよ」。客「どうしてかね」。按摩「世間ではここまでさびれが極まっていると聞きます。私は目が見えません。それでもさびれを実感することがあります」。客「それはなんだい」。按摩「こうやってお客さんの肩を揉みに外に出るんですが、家に帰るたびに下駄の臭いをかぐんですよ。むかしは犬の糞を踏んでしまってその臭いがしました。下駄の歯を濯わねばなりませんでした。ところが近ごろは犬の糞を踏むことがなくなったせいか臭いがしません。想像ですが犬の数が減ったのでしょうね。犬の数が減ったということは人間の数も減ったに違いありません。これはさびれでなくて何と言えましょう」。客「一理あるな」。

犬の数が減った=人口減。。。。この理屈は今一つすっきりしません。江戸は無血開城によって戦火を免れました。戊辰戦争も舞台は江戸ではありません。江戸っ子たちが戦争に駆り出されたというわけではないでしょう。江戸で人口減が起きている理由は何でしょうか。食料難ということでしょうか。明治政府の愚策、無策を皮肉っているのでしょうか。ただ言えることは冒頭の描写との相関関係です。一六日には柳橋は大繁盛しているということです。明治政府の役人は宴会を挙げるだけの財力がある。そのお陰で柳橋は潤っている。按摩師は、面白い話はないと言いながらも、柳橋の繁昌のお零れで食っているのも事実なのです。この矛盾。御一新の世の中はもしかしたら万人に幸せを与えられてはいない。一部の人だけが得をする世の中でしかないのかもしれません。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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