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「明治」に捕まった「江戸」の鳴き声にも不撓不屈の魂を見たり=「柳橋新誌」二編(26)

成島柳北の「柳橋新誌」(岩波文庫、塩田良平校訂)二編シリーズの26回目です。客からの身受けの申し出を頑として断る妓女が、その理由を話し始めます。本日も語彙が豊富。ゆっくりと丁寧に味わいましょう。



妾身を1)■■(ドロミヅ)に委ぬと雖も、固より娼婦(ヂヨウロ)と業を同じくするを願はず。絃歌興を売つて以て母を養ふ耳。妾が父元武弁(ブシ)、2)■■(タカ)五百。父没して兄嗣ぐ。兄少くして文武の業を勤め、略々忠孝の道を知れり。往年の変(サワギ)都下3)キョウキョウ、同僚(ヤク)数百皆錯愕4)を失ふ。妾が豈独り5)■を発し■を忘れ、執政に建言すること三たびにして行はれず。忼慨の余り妾に遺言し以て老母を託し、同志の士と東6)■(ハテ)に走り百戦7)タワまず、竟に8)ホウテキの間節に死(ウチジニ)せり。爾来(ソレヨリ)親戚9)ホンザンして在る所を知らず、朋友も亦去つて顧みず。妾独り母と処り惸々依る無し。邸宅(ヤシキ)は官に没(トリアゲ)し10)■■(ドウグ)は賊に11)くされ、12)キカン日に迫つて計の支ふ可き無し。妾が幼時幸ひに歌舞を習ふを以て、此に来つて籍を掲げ耻を忍び醜を売る。諸君(ミナサン)の13)■(オカゲ)に頼つて以て僅かに母に衣食す。妾今命に従はず定めて14)り無きの福を享け、老母も亦安く余生を送らん焉。然りと雖も独り父兄の名を涴すを何奈せん、祖先の霊を辱むるを何奈せん。主公(ダンナ)幸ひに諸を諒せよ。言い終つて15)イッキクの紅涙自家(ジブン)の膝上に向ひ滴滴として揮ひ来る。時に聞く隣猫鼠を捕ふ、鼠声哀を送る其の声忡々。





■戯訓語選択。

1) 「ドロミヅ」
2) 「タカ」
10) 「ドウグ」


シキョウ・オデイ・レンコウ・ショクロク・ソウロウ・キジュウ・キンジュウ





■正解

1) オデイ=淤泥。どろ、どろどろの水たまり。汚泥とも。「淤」は「どろ」「とどこおる」「にごる」とも訓む。淤塞(オソク=どろがつまってたまる、淤閼=オアツ=)、淤澱(オデン=沈んでかたまったどろ、どろのかたまり、淤淀=オデン=)。

2) ショクロク=食禄。主君からもらう扶持。俸禄(ホウロク)。食俸(ショクホウ)。

10) キジュウ=器什。いろいろなうつわ。什器とも。日常生活のためのもろもろの道具のこと。



■戯訓語選択。一字音読みヒントヴァージョン。


6) 「ハテ」=ズイ・クイ・スイ・エイ
13) 「オカゲ」=コイ・ケイ・セイ・メイ




■正解

6) スイ=陲。大地の果て、辺境の地。「ほとり」「さかい」とも訓む。

13) ケイ=恵。思いやりの気持ちで物を与えること。「めぐむ」とも訓む。






3) キョウキョウ=洶々。波が逆巻くさま。大勢の人が集まって騒がしいさま、騒ぎ立てるさま。

4) ソ=措。この場合は「失措」(ソをしっす・シッソ)と用いて「措置を誤る、取り乱すこと」。「措」は「上に重ねて置く、台に置く」の意で挙措(あげたりおいたりする動作・ふるまい)を指す。挙措失当(キョソシットウ=事にあたって対応の仕方が適当でないこと)。




5)■を発し■を忘れ=憤を発し食を忘れ。発憤忘食(ハップンボウショク)の四字熟語にもなっており、心を奮い立たせて、物事に夢中になって励むこと。論語「述而」に、孔子が自らの為人を称して言ったと出てくる。「其為人也、発憤忘食、楽以忘憂、不知老之将至云爾」。

7) タワまず=撓まず。「撓む」は「たわむ」。しんなりと曲げる、柔らかに曲げる。音読みは「ドウ」。「トウ」は慣用読みで不撓不屈(フトウフクツ=くぼまずたわまず)がある以外は、撓乱(ドウラン=乱す、乱れる、擾乱=ジョウラン=)、撓曲(ドウキョク=たわめ曲げる)、撓屈(ドウクツ=たわんでへっこむ、恐ろしくて尻込む)、撓擾(ドウジョウ=乱して、こまらせる)、撓北(ドウホク=闘いに敗れること、撓敗=ドウハイ=)。

8) ホウテキ=鋒鏑。刀のきっさきと、やじり。刀と矢。転じて、武器、戦を言う。「鋒」は「ほこさき」、「鏑」は「やじり」。

9) ホンザン=奔竄。はしり逃げる、逃げ隠れる。「竄」は「かくれる」「にげる」とも訓む。竄改(ザンカイ=他人の文章を改め直す)、竄斥(ザンセキ=追い払いしりぞける)、竄窃(ザンセツ=他人の詩や文章の一部、または全部をこっそりぬすみとって、自分がつくったもののようにする、剽窃=ヒョウセツ=)、竄定(ザンテイ=詩・文章などのよくない部分を取り去って改める、こっそり他人の文章をなおす)、竄逃(ザントウ=見つからないようにかくれて逃げる、竄奔=ザンポン=)、竄匿(ザントク=もぐりこんでかくれる、竄伏=ザンプク=)、竄入(ザンニュウ=逃げ込む、詩文の中に原作以外の文句がまぎれこむ)、竄流(ザンル・ザンリュウ=罪人を遠い地方に追放する、竄逐=ザンチク=、竄謫=ザンタク=)。

11) 殲くす=つくす。小さく切り刻む、細かく切ってつぶす、ころしつくす。「ころす」「ほろぼす」とも訓む。音読みは「セン」。殲撲(センボク=うちたいらげて皆殺しにする)、殲滅(センメツ=皆殺しにする、滅ぼして根絶やしにする、殄滅=テンメツ=、鏖殺=オウサツ=)。

12) キカン=飢寒。うえとさむさ。饑寒でもOK。飢餒(キダイ=必要なだけ食べられず飢えてやつれること)。

14) 涯り=かぎり。はて。地の果て、いちばんはじ、おわり。涯際(ガイサイ=水際、みぎわ、かぎり、はて、涯岸=ガイガン=)、涯分(ガイブン=身分相応の程度、分際)。

15) イッキク=一掬。両手でひとすくいしたほどの量。涙の量に用いることが多い。「掬」は「すくう」。「むすぶ」とも訓むので要注意。

まずは幾つか難しい漢字言葉があるのでこれらの説明から。

■惸々=ケイケイ。ひとりぼっちのさま。「煢」と同義。憂心惸々(ユウシンケイケイ=孤独をさびしがるさま)、惸独(ケイドク=身よりのない者、ひとり者)。

■涴す=けがす。「汚」と同義。

■忡々=チュウチュウ。うれえるさま。心の中が痛むさま。憂心忡々(憂いに心が痛む)。





妓女の長口舌の続きです。「あちきは身を貶めたと言っても、からだまで売るつもりはございません。三味線と歌で席を盛り上げて収入を得てお母様と暮らしているだけなのです。もともと武家の出でございます。父の死後は兄が継ぎました。兄は勉学にも武芸にも励んで主君に仕える男でございました。あの幕末の政権交代幕府の同僚諸氏は慌てふためき心を失ってしまいましたが兄だけはただ只管に挽回策を建言し続けたのです。それでも聴きいれられず怒りで世をはかなんだ挙句に母上をあちきに頼み同志と戊辰戦争に闘い、善戦空しく討ち死にとあいなってしまいました。以後、わが家は親戚一同も友人たちもちりじりに孤独の身となったのでございます。屋敷も明治政府に接収され家財道具は盗賊に奪われ寒さとひもじさで生計を立つ瀬もございませんでした。そこで幼いころに修練した歌舞音曲で芸妓に身を落とし生計を得たのでございます。お客様方の御贔屓に支えられて母と二人なんとか暮らすことができております。あちきがいま旦那様の命に従わず、いただいたお恵みを以て年老いた母親も心安く暮らすことを望んでいます。さりとて父上と兄上の名を汚すわけにはまいりません。御先祖様の霊を辱めることもできません。旦那さま、お許しください」。言い終わった妓女の眼には一筋の涙が流れ落ち膝の上に溢れていた。ときに鼠を捕らえる猫の姿あり、鼠の鳴き声チュウチュウと寂しげであった。

元幕府側にいた娘のプライド。言うまでも無く柳北の同朋と言っていいでしょう。体も売らないし、もちろん魂は売らない。潔く散った兄の魂を継いでいるのです。生計の手段で仕方なく花街の世界に身を置いているという女たちは数多いのでしょう。だれも好き好んで色と欲の渦巻き、男女間の駆け引きが横行する泡沫の世界に飛び込む奇特な者はいないのです。人生を背負い、運命を呪い、それでも生き長らえなければならない。柳北は天地間無用の人に自らを貶めましたが、幕府側にいた女たちは無用は無用でも好きでもない男と一緒になることはできないのです。柳北の描いた妓女の中でも相当に背筋を伸ばした生きざまを見せている。時代の変化の荒波に揉まれた柳北と妓女とが重ね合わさった涙のエピソードです。猫は「明治」、鼠は「江戸」。チュウチュウ鳴くのはもちろん、取って代わられた江戸の慟哭と言えるでしょう。切ないながらも気概だけは見失わない、いや、見失えない悲しい性なのです。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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