スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

不必要なエロは求めないが徒に忌避する必要もなし!=「柳橋新誌」二編(19)

成島柳北の「柳橋新誌」(岩波文庫、塩田良平校訂)二編シリーズの19回目です。本文の前に雑観を一くさり。このところやや“下ネタ系”のお話が続いたことについて少しだけ触れさせてください。四十八手を駆使する芸妓にモテモテの力士、春画本に描かれた散切り頭の情ない男、十人の情夫と交際し父親の判別できない子を孕んだ妓女。。。同書の塩田氏の「解題」(93頁)によると「諷刺や滑稽や時に淫泆の分子も見られなくはない」との記述が見えます。「作者の拉し来るの人物は主として痴愚の男女であるが、これは作者が醜を描いて歓ばんとするが為ではないことを読者は知るべきである」と続け、柳北の真意が奈辺にあるかを問いかけます。

迂生もまったく同感です。恐らく弊blogの読者氏の中にも、こんな下世話なネタを読みたくないと顰蹙する向きはいらっしゃるでしょうし、もしそれを以て継続閲覧をお辞めになる方がおられても、それは致し方ないとも思います。ここまでの下品なネタは漢字学習の観点からも必要ないのではないか?――迂生も正直迷ったし、敢えて全文を掲載する必要もないのではないかと考えたこともあります。しかしながら、柳北のように軽妙洒脱で類稀な才能を持つ人物の理解を深め、彼の描く世界を味わううえでは、こうした話を吟味することも避けて通れないのではないかと考えました。

「由来人情の反覆、世代の交替の激しきこと、花街に如くものはなく、且つ維新の大変動を受け、落花狼藉の地たらしめられた処、この柳橋に如くものはなきが故に、彼の詩情は此処に奔り、ここに流離の精神を発見して、一篇の風俗詩を点描し得るに至つたと認むべきである」と解題は続きます。則ち、柳北でしか描けない世界だということです。弊blogは漢字学習に主眼を置いていますが、あくまで漢字は「切り口」にすぎない。古人之糟魄という「奥座敷」に分け入っていくための「とばぐち」でしかないのです。ところが、その行き着いた奥座敷には何があるか分からない。「柳橋新誌」をこれでもかと味わっているのも、そこに描かれた世界が日本の一時代に確かにあったことを肌で感じることができるからです。奥座敷にはこんなにハチャメチャな世界だってあるのです。さらに、

「革新者には、つはものどもが夢のあとを哭する余裕はない。新時代の為に蹂躙された廃墟にたつて旧時代の遺珠を拾ふは、時代から置きざられたものの有する感傷ではあらうけれど、さういふ感傷の中に、作者柳北は流石に江戸子らしく、新しき者の持つ暴力に都会人的な反撥を感じて之に揶揄を加へるのである。そこに本書の過渡時代文学たる所以のものが存するのである」(同書「解題」の94頁)。

なるほど、「過渡時代文学」ですか。言い得て妙なる表現です。時代の変化が激しいからこそ生れた必然的な作品だというのであれば、それにもまして速く激しく変化する現代社会の中に生きているわれわれこそ、柳橋新誌の価値を認めるべきではないかとも思います。だから、そこに描かれた世界は以上でも以下でもなく、ありのままに受け止めたいし、その背景を考察してみることには相応の価値があるのではないでしょうか。つまり、昔も今も全然変わらない部分と大きく劇的に変貌した部分とがあることに気づくでしょう。そして、「エロの世界」は不変なんです。それこそが生きる源泉のパワーだということでしょう。これがなくなったら文学や文化や芸術はもちろん、社会の構成員たる人類が存在を維持できなくなるのは論を俟たない。

迂生が題材に選ぶ作品やネタは正直言って気紛れであり、一貫性や脈絡はありません。手近にあっただけの物もあります。でも、この行き当りばったりの荒唐無稽ぶりが兎に角面白い。柏木如亭の吉原詞だって、白居易の長恨歌だって、陶淵明の閑情賦だって、一休宗純の漢詩だってこれまでもエロ作品は扱ってきた“実績”もあります。あくまで自然体。エロはメインではないが徒に忌避するものでもないということです。したがって、望むと望まざるとに拘わらず、今後とも弊blogに於いては、エロの世界にも正面から向き合わざるを得ない場面が往々にしてあるということだけはここに付記しておきます。さりとて「節度」は必要でしょうから無尽蔵に、徒に下品なエロを追求することはいたしませんのでご安心のほどを。。。その前提でこれからも気の向いた方はお付き合いくだされば幸甚でございます。あくまで「古人之糟魄」を嘗めるblogという骨頂だけは見失うことはありませんから。。。

閑話旧題。本日のテーマは「お国の統治形態」。がらりと変わってお堅い話です。しかし、ここでも大活躍するのが柳橋の芸妓であり、情ない醜態をさらすのが旧薩長藩士と思われる似而非士族です。妓女が正義のヒーローで、士族が悪役というステレオタイプ。いささか前口上の長かったせいで二回に分けるとともに、本日は冒頭の部分だけにとどめることを御容認ください。

士人二個(フタリ)錦袴を穿ち(ハキ)金刀を佩び、某楼に対飲す。酒楼行談1)ウダイの形勢に及び、竟に郡県封建の得失(ヨシアシ)を論じ、2)ベンバク3)刻(□□)を移して決せず、口角火を吹き舌頭血を噴す。酒冷かに殽4)タダれて顧みざる也。




1) ウダイ=宇内。あめのした、天下、世界。この「宇」は「そら、てん」の意。寰宇(カンウ=天下、世界、寰内=カンナイ=、寰区=カンク=)、宇県(ウケン=天下、この県は「赤県神州の意で中国のことをいう」。

2) ベンバク=弁駁。議論の不合理なところを攻撃し非難する。

3) 刻=とき。漏刻(ロウコク=水時計)のきざみめ、転じて、時間のきざみ。刻鵠類鶩(コクコクルイボク・コクをきざみてボクにルイす=手本をまねようとしても似て非なるものになってしまうこと、高望みをしても何等得るものがないこと、立派な人を手本にして学べば其の人と同じ程度になれなくてもそれに近い人になれること、出典は「後漢書・馬援伝」)、刻轢(コクレキ=人をいためつけふみにじること、刑法の運用がきびしいこと)。

4) タダれ=爛れ。やわらかくなって形やわくがくずれるさま。ここは酒の肴が冷えて美味しくなくなったことをいうか。音読みは「ラン」。爛柯(ランカ=晋の王質は仙人の碁を打つのを見て斧の柄が腐るまで時の経つのを知らなかったという、琴の音を聞いていたとの説も)、爛額(ランガク=額にやけどをする、爛額焦頭と用いて、火事の消火の為に頭の毛をこがし、額にやけどをするさま)、爛熟(ランジュク=果物などが十分に熟して柔らかになること、その事がらを知り尽くしているさま、物事が十分に発達して盛りを過ぎ、やがて衰勢におもむくような状態)、爛酔(ランスイ=ひどく酒に酔う)、爛然(ランゼン=かがやくさま)、爛発(ランパツ=あふれ出るようにおこる、花が美しくさきみだれる)、爛漫(ランマン=花が美しく咲き乱れること、女性があられもない姿でぐっすりと眠るさま)。



二人の士族が「口角火を吹き舌頭血を噴す」の風情で甲論乙駁、不毛な議論紛紛に没頭しています。テーマが「郡県封建の得失」に遷りさらにお互いの舌鋒が鋭さを増す一方に。郡県制か封建制か。地方分権か中央集権か、どっちがいいのか、よかったのか。このころはやはりあちこちで議論が百出していたのでしょう。にしても、柳橋の酒楼に飲んでいて、妓女を蔑ろにしながらの議論はいかにも無風流。「あ~ぁ、退屈退屈」。かならずや、妓女から手痛い「竹篦返し」を食らうこと必定でしょうね。次回に続きます。今回はエロシーンは一切無しですよ、念のため。。。。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

profile

char

Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

calendar
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
recent entry
recent comment
category
monthly archive
search form
RSS links
links
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。