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お腹の子の父親は誰ぞ?教えて清正公の神よ!=「柳橋新誌」二編(17)

成島柳北の「柳橋新誌」(岩波文庫、塩田良平校訂)二編シリーズの17回目です。今回はちょっと不気味なお話。エログロの類と云っていいかもしれません。高尚な中国の儒学の話もすれば、このような下世話なエピソードもさりげなく盛り込むのが柳北流です。でも、さすがにちょっとおどろおどろしいでげすよ。あまりにえげつないのでじっくりと読み進める上で二回に分けましょう。まず前半のくだりから。


妓にして夫あるは猶ほ酒中水を注ぐ(サス)がごとし、其の味薄して醇ならず。妓にして児有る、猶ほ酒中糖を加ふるがごとし、其の味重くして1)レツならず。往時妓の2)む者、皆羞怍(ハヂル)の心を懐く。薬を尋ねて胎を打する者有り、従良(ヒツコム)して籍を脱する者有り。頃年風習一変し、妓等児を産む人家と一般(セケンナミ)、多く乳母を倩ふて之を育(ソダテル)す。賓客席上亦公然之を話して3)■(ヘイキ)として愧づる無し、亦怪なる哉。一妓既に孕む、狎客(ワケアル)十人有り、其の父誰為るを審にせず。乃ち一客を招いて其の孕を告ぐ。客の曰く卿(オマヘ)数客を擁す、何ぞ独り我を目(メザス)す。又一客に問ふ。答へて曰く、卿数客を擁す、何ぞ独り我を目す。4)歴(□□□)く十客に問ふ、答一口に出づるが如し。妓甚だ惑ふ焉。乃ち清正公の祠に禱る。曰く、妾5)■(ハラム)有りて其の父を識らず願はくば神其の人を6)げよと。清正の神夢に見えて曰く、汝十夫有り均しく枕席を同じうす、神も亦其の主の誰為るを弁ぜず。汝の腹内の児当に自ら其の父を識るべし、汝其れ諸を問へと。




1) レツ=洌。きよい。さらさらと流れる清流のようなさま。水や酒がきよい。清冽(セイレツ)と用いる。「冽」もあるが、こちらは「水がぴりっとするほどつめたく澄んでいるさま」。微妙に意味が異なります。まぁ、区別は難しいけどね。冽冽(レツレツ=つめたい風がはげしく吹くさま、寒さの厳しいさま)、冽清(レツセイ=水が清くつめたく澄み渡ること)。

2) 孕む=はらむ。音読みは「ヨウ」。体内に子を宿す。受孕(ジュヨウ=子をはらむ)、孕婦(ヨウフ=妊娠している女、妊婦)。

★戯訓を参考に次の音から漢字一字を選択せよ。

3) 「ヘイキ」=デン・ケン・ヘン・テン・メン。

正解


=恬。やすらか、平然として落ち着いている、平気でいる。恬逸(テンイツ=安らかでのんびりしている、恬蕩=テントウ=)、恬豁(テンカツ=欲がなくてあけすけである)、恬虚(テンキョ=心が安らかであっさりしている、物事にとらわれない)、恬曠(テンコウ=静かで広々としている、何もすることがなくて暇なこと)、恬然(テンゼン=安らかでのんびりしているさま)、恬退(テンタイ=欲がなく、人と争うことはしない)、恬淡(テンタン=無欲であっさりしている、恬澹=テンタン=)、恬漠(テンバク=心が安らかで静か、恬静=テンセイ=)、恬愉(テンユ=心が安らかでしこりがない)。


★戯訓を参考に次の音から漢字一字を選択せよ。


5) 「ハラム」=ジン・シン・ギン・キン・ミン。

正解


=娠。はらむ、みごもる。「はらむ」はほかに、「妊む」「姙む」「胎む」「胚む」がありますが「シン」はこれだけ。



4) 歴く=あまねく。これは「次々と並んでいるさま」の意味から派生した当て字で、まさに戯訓でしょう。ただし、前後の文脈と送り仮名からは訓めると思います。歴訪や歴遊はこの意味の熟語です。

6) 誥げよ=つげよ。「誥げる」は「つげる」。「告」と同義。教え諭す、いましめる。注意するべきは音読みが「コウ」。「コク」ではない。誥誓(コウセイ=「書経」の中の、天子のいましめのことばと、天子のちかいのことば)、誥命(コウメイ=天子が下の者につげ、また、命ずる文、みことのり)、典謨訓誥(テンボクンコウ=「書経」にある典・謨・訓・誥の四体の文。「書経」の篇名の併称)。





以前、初編のなかで柳北は妓女の中には夫のある者もいれば子供のいる者もいると書いていました。今回は子供を身籠もってしまった妓女のお話です。冒頭ではお酒の味に喩えています。酒のことを「百薬之長」とも「天之美禄」とも言いますが、人妻である妓女は、せっかくの酒に水を入れて薄くしたようなものだ。つまりは芳醇な味も香りもせず、何とも味気ない。要は手が出せないから詰まらないというのでしょう。さらに、子持ちの妓女は酒に砂糖を加えたようなものだ。味が重たくなってぴりっとしない。つまりは所帯じみて刺激的ではない。要は女ではなく母親風だというのでしょう。一昔前ならば妓女が妊娠した場合は「羞怍」、いずれも「はじる」ですが、妓女の風上に置けないものと恥入って堕胎薬を飲んで降ろすことが多かったといいます。またあるいは、「従良」、すなわち落籍ですね、女郎の足抜けをせざるを得なかったといいます。

ところが、最近は恥も外聞も変化したようで、妓女といえども一般の女子と同じになってしまったようだ。乳吞み児を世話する乳母(うば)を雇って働き続けるのであります。現代のシングル・マザーの「魁」とも言えるでしょう。しかし、こうした風潮に柳北は顔を蹙めているようです。「賓客席上亦公然之を話して恬として愧づる無し、亦怪なる哉」というフレーズがそれを物語っています。お座敷の席上、子供のいることを話しても愧じる風も無く平気であるさまはおかしなことであると言います。柳北の思いは、恐らく「プロ意識」の欠如ではないかと思われます。柳橋の芸妓は人前でプライベートを曝すのではなく、己の磨いた芸を披露して客を嬉しませることにあるべきだ。

そして、ある身籠もった妓女の話に転じます。この妓女は十人の客と関係があったが、父親が判然としないという。まぁ、これも現代の尻軽女の走りでしょうか。父親も分からなくなるほど短期間のうちにとっかえひっかえ関係を結ぶというのは女として如何なものか。それでも女性は「分かるもの」と聞きますが、くだんの妓女はその十人それぞれに妊娠を告げます。答えは「卿数客を擁す、何ぞ独り我を目す」と異口同音。何人の男がいるのだろ?どうして俺だと云い切れるのかい。あれれ、この口裏を合わせたかのような台詞は嵌められたかもしれませんね。客にすれば所詮遊びの女。あまりにも軽い。これも今の柳橋の現実なのでしょう。レベルが低すぎます。困惑の度を深める妓女は「清正公の祠に禱る」。この清正は、豊臣秀吉の朝鮮出兵で活躍し、虎退治のエピソードを残した加藤清正のことでしょうかね。清正公を祀った祠に行って、にだれが父親なのか教えてほしいと祈禱したのです。しかしながら、どうして清正なのでしょうか。清正に「そんな能力がある」という信仰があったのでしょうかね。

ま、とにかく「清正の神」が彼女に夢の中で現れてこう言います。「汝十夫有り均しく枕席を同じうす、神も亦其の主の誰為るを弁ぜず。汝の腹内の児当に自ら其の父を識るべし、汝其れ諸を問へ」。お前は十人の男と関係があったが、律儀にも均等に付き合っていたではないか。そうなるとさしもの神とても子供の父親を特定することは出来まいぞ。こうなればお腹の子供なら誰が父親か知っているであろうから、直接聞いてみたらよかろう~。ノリノリの清正の神は、神様らしくない本音を漏らして、人間らしいアドバイスを与えました。半分以上ギャグですが、父親のことは子供に聞けと真顔で嗾けます。まぁ、聞く方も聞く方ですが、答える方も答える方ですな。さて、この結末やいかに。はたして父親は特定されるのでしょうか。されるといいのですが、ややこしくなるような予感もいたします。ここまではそれほどエログロではなかったですね。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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