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目指せ小妓の「赤心」獲得、それが至上の幸せだ=「柳橋新誌」(11)

成島柳北の「柳橋新誌」シリーズは11回目となりました。なかなか興味深い記述の連続ですね。出来得れば全文を通読していきたいのですが、やはり迂生の時間的制約、力量にも限りがあります。残念ながら抜萃で進めることをご容赦ください。成るべく面白そうなくだりを詳述していくように心掛けますから。。。本日は哀しき女性の性(さが)がテーマ。柳橋の芸者も女でありんす。弱いのでござんす。でも、芸者の矜恃だけは亡くしたらいけません。いけません。でも、男に縋りたい、頼りたい、身を任せたい。。。。ああ、どうすればいいのかしらん。。畢竟、芸者の「赤心」とは何かを問うています。

この項は戯訓が多く、漢字の問題は寡ないのでご容赦ください。


1)リゴに云く、女郎の赤心(マコト)と鳥卵(タマゴノ)の方形(シカク)と必ず無し焉。者し有れば則ち晦夜(ミソカニ)も亦円月を出す(ツキガデル)矣と。嗚呼娼妓も亦人也、豈赤心(マコト)無からん乎。但々2)鄭衛    )風声の中に浸(ヒタリ)し詐偽貪猾(ウソヤヨクニカシコイ)の事に熟す、習ひ智興に長じ、化心と与に成つて而して此の如きに至る耳。然れども歌妓と娼婦(ジヨウロ)と自ら間(ヘダテ)有り。妓の気概有つて★媚(ベンチヤラ)を喜ばず、淑良(ヲトナシク)にして淫蕩を好まざる者往々有り焉。何ぞ其の宝を検せずして諸を晦月方卵に比するを得ん乎。然れども妓の淫蕩無籍(シヨウナキモノ)、俳優(ヤクシヤ)を愛して財を費し防火丁(シゴトシ)を喜んで身を託(マカセ)し、竟に私奔(カケヲチ)して一生を壊了(ダナシニス)する者固より多し矣。世人3)斯の輩有るを見て、淑行4)儁才にして5)だ妬妻(ヤキモチ)悍妾(フンバリ)に勝る者、其の間に在るを察せざるや亦宜なり矣。





1) リゴ=俚語。古くから言い慣わされていることば。雅語に対し、いささか下品な内容が多い。俚言(リゲン)・俚辞(リジ)ともいう。「俚」は「いやしい」とも訓み、俚諺(リゲン=民間にある典拠の無いことわざ)、俚耳(リジ=俗人の耳、話や音楽を聞いてもその高尚な趣を理解できない人をいう)、俚俗(リゾク=いなかびて卑しい、世の中の俗わし、俚鄙=リヒ=)、俚謡(リヨウ=民間で歌われるはやりうた、里謡)。

2) 鄭衛=柳北の戯訓では「ミダリナ」が付されていますが、音で読めば「テイエイ」。「鄭衛之音」という成句があって「鄭の国と衛の国の音楽のこと。人心を惑わすみだらな音楽とされた」の意。鄭は春秋戦国時代の一時期に栄華を誇った国名です。鄭衛之声ともいう。鄭声(テイセイ)・鄭音(テイオン)は「鄭の国の音楽、みだらな音楽」。論語に出てきます。また、衛も周代の国名。桑間濮上(ソウカンボクジョウ)の成句があり、「淫乱な音楽、国を滅亡に導く亡国之音」の代名詞となっています。周の前の殷を滅亡に至らせた不吉な音楽として晋の師曠が演奏をやめさせた故事がある。

3) 徒=ただ。漢文訓読語法。限定する意。

4) 儁才=シュンサイ。ひときわ目立つ才能のある人。「儁」は「すぐれる」の意。儁異(シュンイ=ひときわすぐれている)、儁秀(シュンシュウ=俊秀)。

5) 絶だ=はなはだ。非常に、ひどく。「はなはだ」はほかに、「太だ、甚だ、孔だ、已だ、很だ、狠だ、苦だ」がある。





まず、冒頭の俚言ですが、「女郎に真剣な気持ちはないので信じてはいけない。四角い鳥の卵がこの世にないのと同じだ。晦日に満月が出ることもありえない」。とにかく「不可能不可能あり得ない」と巷間言われることに対して柳北は「嗚呼娼妓も亦人也、豈赤心(マコト)無からん乎」として、そんなことはないよ、女郎も人の子、真心はあるよと擁護しています。婬らな世界で生きている彼女たち。虚飾や欲望にまみれて、勢い変わらざるを得ないだけ。柳橋の芸者の、「女郎ではない」という心意気は買ってほしいというのです。貞操が固く色事はそれほど好まないものだっている。そうした実態も知らない者が勝手に月末の満月や四角い卵を引き合いにあり得ないなどと喩えるのは間違っている。。。かなり肩入れしています。

ところが、中にはどうしようもない“好き者”もいて、役者にのめり込んだり職人に惚れ込んだりして出奔して、一生を台無しにしてしまう芸者が多いのも事実。こうした例が多いせいで、世間の人々はとんでもない焼き餅焼きや悍婦(柳北の戯訓にある「フンバリ」とは江戸期の俗語で「下等な遊女、遊女を罵る言い方」)ばかりでない、淑やかな才女がいることに気が付かないのも致し方ないですがね。。。

★=「女+武」媚(ブビ=心が誘い寄せられるように美しいさま、かわいらしい)。「女+武」は「嫵」の異体字。「ベンチヤラ」の戯訓が付されていますが、「おべんちゃら」。口先だけの媚び諂いのこと。




蓋し絃歌の趣、杯杓の歓を取るは、則ち大妓に非ざれば不可なり。若し其の材質(キシツ)を論じ、必ず淑良の者を求めんと欲せば、則ち宜しく小妓を択ぶべし。小妓の質美(モチマヘヨク)にして年十五内外、其の醜習(アシキナラヒ)に染む未だ深からず、5)サジュツを学ぶ未だ熟せずして未(マダ)だ6)破瓜  )せざる者も有り焉。多情の客若し能く之を梳櫳(ミツアゲ)し得ば、則ち謂いつ可し、花柳場裏の7)シラクなりと。其の之を懐くるに情を以てし、之を激ますに義を以てすれば、則ち竟に貪冐反覆(ヨクバルネガヘリ)の計を生ずること無き必(ウケアヒ)せり矣。而して大妓は転じ易し、貪るが故也。小妓は転じ難し、貪らざるが故也。或ひと曰く、小妓は趣(オモシロミ)少く大妓は趣多しと。是の言至当(モツトモ)なり。然れども徒に杯杓上の趣を取るは、亦何ぞ赤心(マコト)の有無(アルナイ)を論ずるを用ひん哉。興騰し歓8)きを取つて足れり矣。




5) サジュツ=詐術。人をいつわるはかりごと。詐計(サケイ)・詐謀(サボウ)ともいう。「詐」は「いつわる」「あざむく」とも訓む。詐譎(サケツ=ずるいうそ、いつわり、譎詐=ケッサ=)、詐誕(サタン=うそをいったり、おおぼらをふいたりして人をあざむく、虚誕=キョタン=)、詐病(サビョウ=ニセの病気、仮病、詐疾=サシツ=)、詐妄(サボウ=でたらめなつくりごと、うそ、いつわり、詐佯=サヨウ=)、詐力(サリョク=いつわりと暴力)。

6) 破瓜=うぶ。音読みは「ハカ」。女子の十六歳、瓜の字を二つにわけると八と八になることから。男子の六十四歳(八かける八は六十四になる)も言いますが、もちろんここは前者の意味で「うぶ」。「破瓜せざる」と動詞で用いていることから、まだ「未通娘」だというのでしょう。

7) シラク=至楽。このうえない楽しみ、極楽。そうした境地。「シガク」と読めば、非常に楽しい音楽のことですが、ここは前者。

8) 洽き=あまねき。「洽し」は「あまねし」。全部に行き渡っているさま、全体を覆うさま。「うるおす」「やわらげる」の訓みもあり。音読みは「コウ」。洽浹(コウショウ=広く行き渡る、知識・学問にあまねく通じている)、洽著(コウチョ=広く知れわたる)、洽暢(コウチョウ=広くのびひろがる)、洽博(コウハク=知識や学問がひろく、物事に通じている)、洽比(コウヒ=やわらぎ親しむ、なかよくする)、洽聞(コウブン=見聞が広い)、洽平(コウヘイ=天下が残すところなく平和におさまること)、洽覧(コウラン=書物を幅広く読む)、洽和(コウワ=心が打ち解けてやわらぐ、浹和=ショウワ=)。




三味線を弾いて歌う芸の技術や酒の酌の相手の軽妙なトークが上手な者こそ大妓であると言える。ただし、気立てがよくて貞淑な女がいいというのなら小妓に限る。年の頃なら15前後で、まだ苦労も駆け引きも知らず、男も知らないものいるくらいウブである。あちこちに手を出す男がもしこのおぼこい小妓の初めての男(柳北の戯訓は梳櫳(ミツアゲ)=おそらく「水揚げ」のことで「芸者・娼妓が始めて客に接すること」)になったとしたら超ラッキーだとしています。小妓の気持ちに寄り添って接して男らしく激励したりなんかすればイチコロ。手懐けて騙すことなどはあり得ない。柳北は請け合うと言い切っている。

しかるに、大妓ときたら、すぐにいろんな男と寝る。厭く無き金の追求に邁進する。小妓はそうではない、正反対だ。こんなことをいう人がいる。「小妓は退屈で遊ぶなら面白い大妓に限る」。それは御尤も。仰せの通りでございます。だけど、ただ単に酒席の表面的な風流ばかりにとらわれるのではなく、真心が通っているかどうかにどうして着目しないのだろう。酒興ばかりにのめり込んでしまってその場が楽しければいいのだろうか。果して柳橋の芸者遊びはそんなことだけでいいのだろうか。柳北の持論が滔々と述べられます。


世人の赤心を論ずるは則ち其の意枕席上(フカイトコロ)に在る耳。然るが若きは則ち淑良なる者に非ざれば是ならず(ヨクナシ)。淑良なる者の如きは則ち諸を小妓に求むべし、諸を大妓に求むべからず。且つ(ソノウヘ)況や既に手に落つる(テニイル)の小妓亦三四年を出でずして大妓を為れば、則ち杯杓枕席豈両全ならず乎。余風流子弟(アソブワカイヒト)の其の人を択まずして事を挙げ、一杯地(イチドニハタキ)に塗れ、歓暫(タノシミワヅカ)にして9)    )長く財竭きて名壊るゝ者を哀み、戯れに之を書して以て情痴者(アソビズキ)に10)す、亦是れ一婆心(セハヲヤクココロ)而已。金陵の名妓李十娘、余澹心に語る言に曰く、児(ワラハ)、風塵の賤質と雖も淫蕩を好む者の流、夏姫河間婦の如きに非ず。苟も児が心の好む所は相荘する宝の如しと雖も、情之を洽き也。児が心の好む所に非ざれば勉めて枕席を同じうすと雖も、之と合はざる也と。噫々柳橋の妓夥し矣。若し深く之を求めば則ち一人の十娘に彷彿たる(ニタル)者無からん乎哉。

9) 孼い=わざわい。戯訓では「ハザハヒ」。動物や虫などのいたずら、また、妖怪のなすわるさ。音読みは「ゲツ」。「ひこばえ」の訓みもあり。妖孼(ヨウゲツ=災い、災いの起こる兆し)、孼孼(ゲツゲツ=小さいものが雑然としているさま、形が整っていないさま)、孼子(ゲッシ=側妾の子、孼庶=ゲッショ=、庶子=ショシ=)、孼臣(ゲッシン=ろくでもない家臣)、孼嬖(ゲッペイ=気に入りの側妾、愛妾・寵妾)。

10) 眎す=しめす。「眎」は「視」の異体字。「みる」「なぞらえる」の意。




★ここで問題です。「世人の赤心を……無からん乎哉」のくだりの中に、漢字の誤りが一か所ある。正せ。








正解=「一杯地」→「一敗地」。「一敗地に塗れる」は「泥まみれになるの意で、完全に負けて二度と立ち上がることができなくなる、再起不能となるまでに打ち負かされる」。読み方は「いっぱい、ちにまみれる」が正しい。柳北の戯訓は「イチドニハタキ」と付し、玉砕するさまを表現しています。




共に一つの枕で添い寝してみて初めて芸者と心の通った付き合いができるというもの。世間の人が芸者に真心がないというのもこれを知らないからだ。貞淑な女とでなければ味わえるわけがない。やっぱ小妓だ。大妓ではダメ。そのうえ、若くして自分の物とした小妓が3、4年して大妓に出世したとする。さすれば酒席の風流も、ベッドの上でのしっぽりとした付き合いも其の両方とも物にしていることになる。若い将来のある遊び人がそんなことも知らずに玉砕覚悟で大妓に手を出してはあっという間に財が尽きて柳橋から去っている例を何人も知っている。だからこそ、敢てその“極意”をここに書き記しているのだ。まさに老婆心以外の何物でもない。。。って、あんたまだ23歳でしょうが。。。って突っ込みは我慢しましょうね。。。

あの曼翁の書かれた「板橋雑記」に出て来る「金陵の名妓李十娘(リジュウジョウ)」のことを想起したまえ。名立たる遊び人の「余澹心(ヨタンシン)」に語った名台詞があるではないか。「あちきは、いやしい家の出ですがいやらしい色に血迷う夏姫、河間婦らとは一線を画しております。仮にもあちきの欲するものは心と心が通って初めて得られるもの。たとえ枕を同じうしても心が通わなければうまくいくことはありませぬ」。柳橋は溜息を吐きます。

柳橋に五万といる芸者衆よ。この李十娘の台詞を噛み締めるがいい。誰一人として近いものすらおらんではないか。。。いささか気持ちが入っている柳北でした。。。嘸や可成りの痛い目に遭ったんでしょうなぁ。。。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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