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馬の骨でもええじゃないか、占いも大概にし~や=「柳橋新誌」(10)

成島柳北の「柳橋新誌」シリーズは10回目です。柳橋芸者の生活実態がこれでもかと暴かれていますが、本日のお題は「落籍」。「ひかす」とも訓み、質屋から質物を取り戻す言い方に「請け出す」というのがありますが、芸者にも同様の意味で用います。芸者の足を洗わせて自分の妻や妾にするにはどうしたらいいか。女に狂った男の欲望は、物として専恣独占することに行き着くのでしょうか?本日は平日にも拘わらず内容が盛り沢山で、多岐にわたっており、しかも、ちょっと長い。御ゆるりとご覧下さいましな。疲れたら中坐もOK。気が向けば再度ご訪問くだされ。ご訪問くだされ。。。


凡そ客の妓を贖つて(ウケダシ)妻若しくは妾とする者、其の価其の姿色技芸と冷熱(ハヤラヌハヤル)とに従つて1)軒輊      )す。多くして一百金、寡くして二三十円、権貴富豪に至つては其の計(カズ)を論ぜず。而して仮母は貪惏2)く無くして、真母は否らず。情を以ての故也。曼翁が板橋雑記に云く、親母は則ち費を取る多からず、仮母は則ち高価を勒索すと。人情に東西(ニツポンカラ)無きこと知るべし矣。親母(ウミノハハ)は或は其の衣服器物を併せて亦之を送る。義母(マゝ)に至つては則ち其の皮を剝ぎ裸にして之を3)る。故に真は猶ほ愛すべくして仮は最も悪むべし。況や仮者は其の誰氏の女なるを知らず、乞食の児耶、抑も王侯の種耶。之を贖つて妻妾と為す、何等(ドウイウ)の意思(リヨウケン)ぞ。伝に云く、妾を買ふに其の姓を知らざれば則ち之を卜すと。噫、彼の徒果して能く之を卜する歟。斎戒沐浴して諸を4)カビョウに卜するは則ち礼也。二十四銭(モン)を懐にし走つて柳原(ハラ)の厳君平に問ふも亦卜也。





1) 軒輊=アガリサガリ。これは戯訓ですが、分かりやすい。音読みは「ケンチ」。これはマストです。もともとは、前の部分の高い車(=軒)と、前の部分の低い車(=輊)をいう。転じて、あがりさがり・高低・優劣などをいう言葉に。株価の乱高下も「軒輊」です。

2) 厭く=あく。あきること。「厭きる」は「あきる」。「厭く無く」は「飽きることなく、厭くまで」。音読みは「エン」で、厭飫(エンヨ=食べ飽きる、飽き足りる、厭飽=エンポウ=)、厭倦(エンケン=あきていやになること)。

3) 沽る=うる。「かう」の意味も。商品と代金を交換すること、値を付けて売買すること。音読みは「コ」。沽価(コカ=値段、代価)、沽券(コケン=品物のうりね、人の品位、人の体面)、沽酒(コシュ=かった酒、うり物の酒、酒を買うこと・売ること)、沽洗(コセン=十二律の一つ、音楽の十二の調子のことで陽の六律・陰の六呂がある、このうち沽洗は陽に属する、詳細は「礼記」にて)。

4) カビョウ=家廟。先祖を祀る堂。みたまや。廟堂(ビョウドウ)、廟宇(ビョウウ)ともいう。廟祀(ビョウシ=先祖の霊をみたまやにまつる)廟社(ビョウシャ=天子・諸侯がまつる宗廟=先祖のみたまや=と、社稷=土地の神と穀物の神=)。



落籍するには相当の金額が必要です。縹緻や人気ランキングで多少の違いはありましょうが、「多くして一百金、寡くして二三十円」。「権貴富豪」になると、金に糸目は付けないケースもあるという。仮母はどんどん値を釣り上げるが、真母は情が入ってそれほどでもない。「曼翁が板橋雑記に云く、親母は則ち費を取る多からず、仮母は則ち高価を勒索すと。人情に東西(ニツポンカラ)無きこと知るべし矣」とありますが、ここでいう曼翁とは「西溪山人」のこと。彼が著した板橋雑記は「明末清初の金陵(いまの南京)の秦淮で名の有る妓女の列伝」です。柳北の「柳橋新誌」もこれに大いに触発されて書かれている模様です。生みの母親の情が深いのは中国も日本も区別はないというのです。例えば、真母は「其の衣服器物を併せて亦之を送る」(多少の衣服は身の回りの物を付ける)のに対して、義母は「其の皮を剝ぎ裸」にして売るという。完膚無き迄に自分の利益が優先するのです。「故に真は猶ほ愛すべくして仮は最も悪むべし」と柳北は言い、最後はやっぱり「育ての親」より「生みの親」だとしみじみします。

さて、当の芸者ですがその出自は、乞食の児なのかもしれないし、王侯の種なのかもしれません。誰にも分からない。だから、これを買って妻妾としようという輩は一体全体何を考えているのやらと若干、柳北も呆れ気味です。聞くところによると、芸者を請け出す際に、まず彼女の出自を占うしきたりがあるそうです。でも、本当のことが分かるのかなと疑問を呈しています。斎戒沐浴して祖先に占ってもらうのが礼記に書かれているが、かたや、安い金を払って「柳原(ハラ)の厳君平」に占ってもらうのもどちらも所詮占いは占いですよ。この「柳原の厳君平」は今一つ出典が不明です。恐らく漢代の名高い占術家なのでしょうが、その占いが当らないことでも有名なのでしょう。いやそれは失礼か。高額ではないけどよく当たると解釈した方が無難か。いずれにせよ、芸者の出自を占ってもどうにもなるまいと揶揄したいのが柳北の真意でしょう。落籍そうという女の素性を調べでどうするの?と疑問を持ちながら、次は実際に見聞したエピソードを披露してお笑い草にしています。



余嘗て一卜者の人の為に妓を贖ふを5)ゼイするを見る。蒙「☶☲」の蠱「☶☴」に之くに遇ふ。曰く、女を6)メトるに用ふる勿れ。金夫を見て7)を有たず、利しき所無し。此れ其れ久しからずして奔らん乎。蒙は昧にして明ならざる也。蠱は壊れて事有る也。不明にして以て其の欺を信じ、壊れて則ち変を生ず。況や此の女、唯利を是れ視る、豈能く家を守つて以て終へん乎と。余傍より問ひて曰く、此の女子其の種の8)キセン如何と。卜者曰く、9)を馬と為し、10)を臭と為し、11)を毀折と為す。知らず、個は是れ那(ドコ)の臭馬骨(クサイムマノホネ)ぞと。少頃(シバラク)首を回らして曰く、坎は正北方の卦也。此れは是れ小塚原(コヅカハラ)上の馬骨而已と。余聞いて大に笑ふ。退いて窃かに疑ふ。彼の徒、財を費し狂奔して此の馬骨を贖ふ。知らず、何等の用ふる所。既にして本草を読むに云ふ、馬骨は12)オンエキの気を13)く、★囊に盛つて佩ぶ、男は左女は右にすと。始めて悟る、馬骨も亦用ふる所有るを。昔郭隗、燕の昭王に告げて曰く、古の人君、14)ケンジンをして死馬の骨を五百金に買はしむと。然らば則ち彼の徒贖ふ所の馬骨価百金なるは、豈高値価とせん哉。豈高価とせん哉。(注:★=糸+「峰-山」、意味は不明?)




5) ゼイ=筮。うらなう、めどぎを使ってうらなう。筮仕(ゼイシ=はじめて仕官すること)、筮竹(ゼイチク=占いに用いる、竹で作った細い棒、めどぎ。上は丸く下を四角にしてある。五十本で一組)、筮卜(ゼイボク=めどぎでうらなうことと、亀甲をやいてうらなうこと、転じて、占いの総称)、筮問(ゼイモン=めどぎを用いてうらなうこと)。

6) メトる=娶る。嫁を貰う。音読みは「シュ」。嫁娶(カシュ=嫁を貰うこと)。

7) 躬=み。わがみ、自身。音読みは「キュウ」。躬行(キュウコウ=自分で実際に実行する、実践する)、躬耕(キュウコウ=自分で田畑を耕す)、躬身(キュウシン=からだ、からだをまげて礼をする)。

8) キセン=貴賤。身分の高いことと低いこと。

9) 坎=カン。周易の八卦の一つ。☵の形で、水・北・次男・陥(くぼみ)の意を示す。また、六十四卦の一つ。☵☵(坎下坎上カンカカンシヨウ・坎為水・習水シュウカン)の形で、困難が重なり進退両難であるが、信念を失わなければよいさまを示す。坎穽(カンセイ=おとしあな、陥穽とも)。

10) 巽=ソン。周易の八卦の一つ。☴の形で、風・南東・長女・入(はいる)の意を示す。また、六十四卦の一つ。☴☴(巽下巽上ソンカソンシヨウ・巽為風)の形で、すぐれた人に従えば、無難に事が行えるさまを示す。方角でいえば「たつみ」(南東の方角)。「へりくだる」の訓みもあり、巽与之言(ソンヨノゲン=遠慮して、人と調子をあわせることば)。

11) 艮=コン。周易の八卦の一つ。☶の形で、山・北東・三男・止(とまる)の意を示す。また、六十四卦の一つ。☶☶(艮下艮上ゴンカゴンシヨウ・艮為山)の形で、心が安定していれば、欲望に惑わされず、安全が保たれるさまを示す。方角は「うしとら」(北東の方角)。

12) オンエキ=瘟疫。熱がこもってひかない急性の感染症。「おこり、えやみの類。「瘟」は「えやみ」とも訓む。これ一字で「はやりやまい」とも一気に訓める。

13) 辟く=さく。「辟ける」は「さける」。横によける。「避」に当てた用法。辟易(ヘキエキ=横にさけ、からだを低めて退却すること、ここから転じて、閉口して退くの意になった)。この「辟」は非常に広範な意味のあるやや扱いにくい漢字です。「きみ」(君主)、「めす」(召す)、「つみ」(罪)、「よこしま」(邪)などの訓読みがあり、それぞれ熟語を持っています。慣れるしかないですね。辟席(ヘキセキ・ヒセキ・セキをさく=たって席をよける)、辟人(ヒジン・ひとをさく=よりごのみをしていやな相手をさける)、辟倪(ヘイゲイ=横目でにらみつける、睥睨に当てた用法)、辟遠(ヘキエン=土地などが中央からかたよっていて遠い、僻遠、ヒエン=しりぞけて遠ざける)、辟邪(ヘキジャ・ヒジャ=よこしまな、心がねじけている、ジャをさく=わざわいをとりのぞく)、辟書(ヘキショ=天子や役所からの呼びだし状)、辟召(ヘキショウ=官に任ずるためにめし出す)、辟小(ヘキショウ・ヒショウ=すみにかたよっていて小さい、土地が中央から離れていて狭いこと、僻小)、辟王(ヘキオウ=君主)、辟公(ヘキコウ=天子につかえる公卿・大臣、および天子の諸侯、一説に諸侯そのもの)、辟穀(ヘキコク・ヒコク・コクをさく=穀物を食べることをさけて神仙の道を求めること)、辟世(ヘキセイ・ヒセイ・よをさく=俗世間を避けてかくれる、「賢者辟世」は論語・憲問の一節)、辟説(ヘキセツ=かたよったつまらない説、僻説)、辟雍(ヘキヨウ=周代、天子がたてた大学で、礼儀・音楽・古典などを教えた、璧廱とも、周の文王の時代の名曲の名称でもある)、辟踊(ヘキヨウ=ひどく悲しんで、胸をかきむしったり、とびはねたりする、この「辟」は「胸をはだける」の意)、辟陋(ヘキロウ=意見などがかたよっていて程度が低い、土地が中心からはなれていて風俗が田舎びている、僻陋)。

14) ケンジン=涓人。宮中の清掃をつかさどり、取り次ぎをする人。宦官が多くこれに当たったという。いわば身分の低い役人を象徴することばです。「涓」は「水のしずく、小さい流れ、わずか」などの意があり、涓涓(ケンケン=ちょろちょろ流れる小川)、涓滴(ケンテキ=しずく、わずかなもの、「~石を穿つ」で「小さなことから兀兀と」)。涓埃(ケンアイ=ひとしずくの水とわずかなちり、ものごとのほんのわずかのたとえ)、涓潔(ケンケツ=清くてさっぱりしている)、涓流(ケンリュウ=小さい流れ、細流)。




周易(易経)の陰陽を示す符号(☶、☵ etc.)が登場しますが、ここは本当に不勉強で知ったかぶりになるのであまり触れることはよしましょう。漢和辞典をそのまままる写ししただけです。岩波文庫の「易経(上下)」も参照していますが、とても読み込むまで行ってはおらず太刀打ちできません。適当に流しましょう。柳北先生が言われたとおりにそのまま解釈しておきます。この符号は皆さんのパソコンでも表示されるのでしょうか?

柳北先生によると、ある男が芸者を請け出そうとして、占ってもらった卜者の口上はこうです。「女を娶るに用ふる勿れ。金夫を見て躬を有たず、利しき所無し。此れ其れ久しからずして奔らん乎。蒙は昧にして明ならざる也。蠱は壊れて事有る也。不明にして以て其の欺を信じ、壊れて則ち変を生ず。況や此の女、唯利を是れ視る、豈能く家を守つて以て終へん乎」。妻にはしてはならぬ。金のある男に目がないので貞操は保てない。いい点はない。早晩、お前の元から離れてしまうであろう。蒙昧、破壊。お前は目が眩んで見えなくなっている。壊れてからでは遅いぞ。この女は欲に目が眩んでいるだけなのだ。家庭をしっかり守る良妻賢母にはなれぬぞ。最悪の占い結果でしょう。こんな女に大金を叩くのはいかがなものでしょうか。

するとすかさず柳北先生は尋ねます。「この女の出は貴賤のいずれですか?」。卜者。「坎を馬と為し、巽を臭と為し、艮を毀折と為す」。「馬」「臭」「毀折」と謂い、要は生まれながらに最悪だというのでしょう。そして、先生。「それではどこの臭い馬の骨なのでしょうか」。卜者、長考した後、「坎は正北方の卦也。此れは是れ小塚原(コヅカハラ)上の馬骨而已」。言うに事欠いて、思い付いたのが、柳橋の北の方角にある小塚原の処刑場の生まれだという。あの吉田松陰、橋本左内らが処刑された曰く付きの場所です。これを聞いた先生は大笑いです。なんじゃそりゃ。。。やっぱ胡散臭いわ、この占い。。。それにしてもどうしてこの芸者を落籍そうと云うのか、そして、一体、何に使おうと云うのか、いささか疑問じゃわい。

と、好奇心旺盛な柳北先生は、本草綱目を繙いて発見します。馬の骨はえやみ防止に効果があるという。袋に入れて、男は左側にぶら下げ、女は右側にぶら下げると効果満点だと書いてある。なになに、馬の骨がこんなに有用なものだと初めて知ったぞ。こりゃ偉いこっちゃ。あの占い師の言うことは満更でもないのかもしれん。そうだとすれば、あの郭隗の台詞を思い出すぞ。。。。柳北が最後に言及した「涓人」。これは郭隗の「先従隗始」(カイよりはじめよ、センジュウカイシ)の故事に出て来ます。

この「馬骨」のくだりは、郭隗が燕の昭王に「先従隗始」を進言する前提となるエピソードです。戦国策によると、「郭隗先生曰く、臣聞く、古の君人に千金を以て千里の馬を求むる者有り、三年にして得ること能はず、涓人、君に言って曰く、『請う之を求めん』と、君之を遣る、三月にして千里の馬を得たり、馬已に死す、其の首を五百金に買い、反って以て君に報ず、君大いに怒って曰く、『求むる所の者は生馬なり、安んぞ死馬を事として、五百金を捐てんや』と、涓人対えて曰く、『死馬すら且つ之を五百金に買う。況んや生馬をや。天下必ず王を以て能く馬を市うと為さん。馬至らん』と、是に於いて年なること能はざるに、千里の馬の至る者三ありきと」とあります。

(概訳・一日に千里を走る名馬を手に入れたいと思った王さまがいました。千金を出しても惜しくないと考えていましたが、三年待ち焦がれても手に入れることはできませんでした。すると、「わたくしめが手に入れてまいりましょう」という小間使いの男が現れ、王は期待を胸に躍らせて待っていました。三ヶ月後、この男は約束通り、千里の馬を見つけたのですが、既に死んでいました。そこで、男は半分の五百金でその死んだ馬の首だけ持って帰ってきました。王は瞋りました。「わしがほしいのは生きている馬だ。どうして死んだ馬などいるものか。お前は五百金を棄ててきたのだぞ」。ところが、男の言い分がふるっています。「いえいえ。王様は死んだ馬を五百金を払ってお買いなさったのです。これが生きた馬なら大変なことです。王様は馬の値打ちのお分かりになる方だと天下の人々は思うこと必定でしょう。千里の馬はすぐにやってきますよ」。果して男の言う通り、一年もしないうちに千里の馬は三頭も手に入ったといいます)。

柳北先生は芸者の出自がどうであれ、惚れて落籍そうとした女なのだろう。それで十分ではないか。これが乞食なのか、高貴な血筋なのかはどうでもいいではないか。「何処の馬の骨か分からん」とは世間の謂いではあるけれども、死馬の骨に五百金も払った昭王のことを思えば、百金など安いものさ。そう、殆んどタダみたいなものさ。それで幸せ買えたらハッピーじゃないか。。。本日はシュールな終わり方にて失礼いたします。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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