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售るのは「芸」か?「色」か?はたまた「魂」か?「命」か?=「柳橋新誌」(4)

成島柳北の「柳橋新誌」シリーズ(岩波文庫、塩田良平校訂)は4回目です。柳橋の栄えた理由とは、孔子の言う「水」こそがその源流だったのです。柳橋のパワーの源は水だったのです。水はそれを入れる器に応じて自在に形を変えると言いますが、ここ柳橋では「食」と「色」という欲望に姿を変えているのです。遊冶を求めて麕至する輩たち。そこで手薬煉引いて待ち構える遊女、芸妓たちこそが主役でした。

さて、続いてどのくだりを御紹介しようか、思案しました。やはり遊女の生態でしょうね。岩波文庫の21頁から書き写します。まず「娼妓」の定義から。「娼」は「あそびめ」「うたいめ」とも訓むのですが、「歌や音曲を聞かせて客をもてなす女、遊女」と定義に在ります。「倡」(わざおぎ)で書き換えるケースも多い。元々本来は「歌を歌って聞かせる人」の意味がありました。舞いも踊るし、世間話もうまい。ここから、二種類に派生します。


均しく是れ娼妓也。色を売つて芸を売らざる者、俗に呼んで女郎と謂ふ。芸を売つて色を売らざる者、呼んで芸者と謂ふ。往時深川の妓は則ち之を1)鬻(  )二通証書(ニマイショウショ)を以てして、色芸を兼ね売るを許す者也。之を女郎芸者と謂ひて可ならん。柳橋の妓は芸を売る者也、女郎に非ざる也。而して往々色を売る者有り焉。



1) 鬻=うる。「ひさぐ」とも訓む。柳北の戯訓にもなっています。ここで売る対象である「之」が何を指すのか?色と芸の両方ですね。



まずは、「女郎」。これが色だけ売って芸は無し。続いて、「芸者」。こちらは芸だけ売って色は無し。むかし繁昌した深川はこの両方を兼ね備える娼妓がいたという。「二通証書」って誰が公認するのでしょうかね?幕府か?別名「女郎芸者」、そのまんまですね。柳橋の「妓」は「芸者」が主流。色は売らないんです。ところが、最近は段々と色も売る輩が増えてきたようです。


公なる者は常にして為し易く、私なる者は変にして為し難し。是れ其の同じからざる所以也。凡そ人の女郎を嫖(カウ)するや、以て与に睡(ネル)可し、芸者を招くや、以て其の技を聴く可くして与に睡る可からず矣。而して其の睡る可からざるの人と睡り、其の敢て売らざるの色を売らしむ、之を転(コロバス)ずと謂ふ焉。按ずるに他をして其の定業を転移せしむ、2)蹯状動かざるの石を転了するが若きを以て也。或は云ふ、転は推倒の意、3)キツゼン節を守る所を失つて4)るを謂ふ也と。未だ孰れか当るを知らず、考証儒家の定説を俟つ矣。



2) 蹯状=ハンジョウ。辞書に見えない言葉。「蹯」は「たなごころ」。平らにひらいた獣のあしのうら、その部分の肉。「獣の足跡」の意味も見えます。前後の文脈からすると、動かない石をようやく転がすというのですから、大型の獣のように頑丈な存在を形容する言葉なのでしょう。熊蹯(ユウハン=くまのたなごころ)。

3) キツゼン=屹然。高くそびえたつさま。屹屹(キツキツ)とも。「屹」は「そばだつ」。屹立(キツリツ=山やがけがそびえたつ)、屹度(きっと=たしかに、必ず)。

4) 仆る=たおる。「仆れる」は「たおれる」。ばったりと前にたおれる。音読みは「フ」。仆偃(フエン=ばったりたおれ伏す、たおれること)、仆斃(フヘイ=ばったりたおれて死ぬ)、顚仆(テンフ・テンボク=ころんでたおれる)。



ここでいう「公」と「私」の意味が今一つ取りにくいです。「芸者」と「女郎」を云うのでしょうか?「嫖」に「カウ」の戯訓が付いています。「女を買う」の意。嫖客(ヒョウカク=女郎遊びをする男、遊女買いの客)、嫖子(ヒョウシ=遊女を買う客、軽薄な女たらし)。「かるい」の訓みもあります。覚えましょう。女郎を買うとは一緒に寝ること、芸者を呼ぶとは歌や踊りを楽しむのであって一緒に寝ることはない。だけど、寝ないはずの芸者と寝て、売らないはずの芸者が色を売るということがある。それを「転ばす」と云うようです。元々の仕事を転じるという意味がある。

夫れ妓を転(コロバス)ずるや、易きに似て難く難きに似て易し、何ぞや。彼敢て売らざる所にして我之をして売らしむ焉。公禁を犯して私姦を為す、其の難き、一也。彼我の容技を悦べば、則ち彼も亦男子の5)サイボウを択ぶ、女郎の客の美悪を論ぜずして勉めて牀第(トコ)に侍する者と異なり矣、其の難き、二也。彼の肯(キカス)ぜざる所は則ち我強いて事を成すを得ず、之を強いれば即ち去る。人家の主翁(ダンナ)其の婢(ゲジョ)に於けるも亦然り。況や水中の浮萍(ウキクサ)適依する所無き者をや、其の難き、三也。善い哉、俳歌者に句有り、云く、浮萍今日他岸に開く(ウキクサヤケフハムカウノキシニサク)と、乃ち以て証とすべし。是れ所謂(ユハユル)易きに似て難き者也。



5) サイボウ=才貌。すぐれた知恵や能力と美しい顔かたち。天が与えた二物。「貌」は「かお」とも訓む。才穎(サイエイ=才智がすぐれてふきんでていること、才捷=サイショウ=)、才調(サイチョウ=才気と知恵の程度・ぐあい)。



本来芸しか売らない芸者をどうやって色も売らせることができるのでしょうか。それは簡単そうで難しいが、難しそうで案外簡単だともいう。まず簡単そうで難しい其の一の理由。公儀には御法度であるためひそかにできないから。其の二の理由。プライドが高いため、ブサイクな男は嫌であるため。「あたしゃ、そこらへんの女郎とはちと違うのよ、安かないのよ」。其の三の理由。説得に骨が折れるから。無理強いし過ぎると上手くは行かない。所詮は根なし草だから、力づくではダメなのです。俳句にもあるでしょう、「ふらふらと漂い明日は何処(イズコ)かな」。


彼も亦人也。豈情無からん哉。我情を以て遇し情を以て説く、彼動かざること能はず矣、其の易き一也。彼皆嬌糸淫哇(ウタ)の間に長じ、風月烟花の遊に慣る、人家の嬢子(ムスメ)深厳自ら守る者と同じからず、其の易き、二也。当今霄壌(テンチ)の間男と無く女と無く、好む所欲する所の者は唯黄金而已。一事一物之を縦にするも即ち金、之を6)衡(  )にするも亦金、金にして7)まざれば則ち王后節婦二流(キサキテイジヨノフタトウリ)を除外するの外、何等の女子か手に到らざる者有らん哉。況や8)ヒンク身を鬻ぐ彼の輩の如き者をや、其の易き、三也。川柳(センリウ)家の詞に云く、守宮効を譲る佐渡の9)(イモリヨリモツトキクノハサドノ  )と。守宮は俗に媚薬と為す者、佐渡の壌は金を謂ふ也。亦以て証とすべし。是れ所謂難きに似て易き者也。




6) 衡=ヨコ。これは柳北の戯訓でもある。合従連衡。

7) 吝まざれば=しわまざれば。「吝む」は「しわむ」。しみったれであること、ケチ。「吝い」が動詞になった形。

8) ヒンク=貧窶。貧乏でやつれること。「窶」は「やつれる」。

9) 壌=つち。表外訓みです。壌地(ジョウチ=土地、国土、壌土=ジョウド=)、壌奠(ジョウテン=祭りの供え物にする田畑からの収穫物)、壌墳(ジョウフン=農作に適する肥えた土地、はか)、霄壌(ショウジョウ=天地、「テンチ」の戯訓が振られています)。



今度は難しそうで案外簡単な其の一の理由。芸者も人の子。人情がある。情を通じれば通ず。歌に自信があり、風流を解する心を持っている。箱入り娘とは心根が違う。これが其の二の理由。一にも二にもお金がほしいのは男も女も関係ない。天子の妃か、節婦・阿多誉(あたよ、覚えていますか?)以外はどんな女子も手に入る。やっぱ金だというのが其の三の理由。川柳に云うではないか、「男女の色恋 媚薬のいもりか もっと効果は佐渡の金」。ここで注意すべきは「守宮」に「イモリ」と戯訓が振られていることです。現代では「やもり」が正しいでしょう。「いもり」は「蠑螈」か「井守」です。

諸事情あり、本日はここまで。中途半端感は否めませんがご容赦を。。。。
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Author:char
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2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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