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静軒居士の衣鉢を継いで花街色街をスケッチしよう=「柳橋新誌」(1)

「あっ、あった」――。
某北の大地で思わず小声の快哉を叫びました。成島柳北の漢文書物である「柳橋新誌」を訓み下した本を、某高等教育機関の傍にある古書肆にて手に取ることができたのです。出張で訪れていた序でに、偶覗いただけの驚きの「邂逅」でした。岩波文庫(31-117-1)から同文庫創刊60年記念の「リクエスト復刊」と銘打った帯が被せられており、発行日は1987年11月5日の第2刷となっています(価格は当時250円、購入は400円)。「この漢文の訓読版を商品化していたとは流石は岩波もやるのぅ~」。ヴォリュームは100頁ほどの薄いもので、校訂者は塩田良平氏という方です。それにしても、第1刷発行を見ると、1940年10月26日ですから当時ですら何と47年ぶりの再版です。これは世間から完全に忘れ去られていたと言えましょう。

やはりその内容たるや、超の付くマニアックなもの。当時江戸の花柳街でも一、二を争って賑わっていた柳橋を悉に克明にリポートしているのです。初編と二編に分かれていて、解説(93頁~)によると、「初編は柳橋の風趣情態を叙したもの、二編も同じく柳橋事情を写したものではあるが、初編が稍々案内めくに対して二編は表面にその風趣を描いて裏面に嘲世罵俗の意を寓してゐる」とあり、「全体の価値も、この第二編に存するといつても失当ではない」と云っています(引用文はいすれも旧仮名づかいのまま、漢字の旧字体は新字体に改めてあります、以下同じ)。

それぞれの時代背景が異なるからです。初編は柳北が23歳の作。まだ幕臣のキャリアも日が浅く、血気盛んな少いころ。そして、二編は35歳の時に成立したもので、「作者はこの間に幕府倒壊といふ大きな運命悲劇を経験してゐるばかりでなく、年齢的にも老成して、その観察が現実的歴史的になつて来た」(解説文)とあり、やはり江戸幕府が瓦解し明治維新政府に大転換したことが大きな影響を与えているのです。

「柳橋といふ狭斜の巷を通じて、新文明の成長的な野蛮さと新時代の破壊的非伝統主義とを哭してゐる保守主義者の、一種の『スケッチブック』であると認められる」(同)

この分析が簡潔に正鵠を射ていると思われます。「天地間無用の人」を宣言して二君に仕えない義理を押し通した柳北ですが、一方で新政府に対する悲観的な思い、好戦的な態度は一生持ち続け、折に触れて文章にしました。この「柳橋新誌」でも特に二編においてはそうした思いを芸妓や遊女の風俗にかこつけて語ったのでしょう。

何はともあれ、折角の出逢いを大事にします。姑くはこの「柳北新誌」を断片的に味わいましょう。ただし、なかなか読了できません。全文は無理です。面白そうなくだりだけ抜粋してご紹介いたします。それにしてもかなり難解至極な内容です。

まずは初編の「序文」から。

1)オウジツ静軒居士なる者有り、江戸繁昌記を著す。備さに八百八街の景情を摸し、勝場劇区載せざる所無く説かざる所無し。其の文極めて2)カイギャクにして、其の事は則ち明詳、読む者をして臥して其の地の有る所を知らしむ。3)闔都の風俗を諳熟するの人有りと雖も、亦一事を4)フエキすること能はざる也。然れども其の今を距ること二十年に過ぎ、物換り俗移り、地の5)ネツドウ冷索相変ずる者少しとせず矣。往時、新地深川の妓院綺羅叢を為す者、今は乃ち6)サクゼンとして踪無く、神明芳坊の7)孌童肆、娼楼と相抗する者も亦寥乎として影を8)む。其の他各処の繁華、日に衰へ月に瘠せて、能く古に及ぶ者鮮し矣。芳原品川の若きも亦当日説く所に比すれば、則ち五六分を減ず。嗚呼居士をして方今の状を観せしめば、乃ち将に愕然として驚き慨然として嘆ぜんとす。知らず其の人尚ほ存するや否や。然れども此の大都の繁華、9)んぞ其れ地を掃つて尽くすべけんや矣。古に微にして今に盛なる者も亦有り焉。柳橋是れ也。柳橋は何に因つて然る、深川の廃するに因る也。凡そ物の太だ盛にして頓に衰ふる者、復た興らざること靡し矣。10)を将家に譬ふれば猶を新田氏のごとき歟。乃ち今の柳橋は亦深川の11)シカイ再び燃ゆる者にして、其の盛殆んど其の旧に12)ぐと云ふ。噫今にして其の盛を記せずんば、乃ち亦五年十年を過ぎ、安んぞ知らん13)チョウレイして今日に如かざるを。余や狂愚の一書生、凹硯禿筆、僅に其の口を糊する者、居士の学無し。之に加ふるに赤貧洗ふが如く、未だ嘗て一日も其の境に遊んで其の実を験せず、焉んぞ之を記するに足らん。然れども喜んで14)トウシの逸話を聞き、市街の図冊を覩て、其の概略を窺ふことを得たり。遂に一夕の閑を偸んで記す。文の15)ヒリ、事の16)ワイセツ、正人君子をして之を読ましめば、乃ち将に唾して棄てんとす焉。然れども正人君子の能く記する所の者は、固より余の之を記するを俟たず。正人君子の記すること能はざる所の者にして、余が輩の当に記すべき所也。蓋し余の知る所の者を記する耳。知らざる所の者は、亦将に狂愚余の若き者有りてフエキせんとす焉。

 安政屠維協洽の歳、早梅将に綻びんとするの月、何有仙史鎖春楼の南軒に書す。






1) オウジツ=往日。過ぎ去った日、以前。昔日。

2) カイギャク=詼謔(諧謔)。調子のよい冗談、たわむれ、ユーモア。詼諧(カイカイ)ともいう。「詼」は「たわむれる」とも訓む。詼笑(カイショウ=わざとおどけて笑う、あざけって笑う)、詼調(カイチョウ=冗談を言いながらあざける、皮肉をいう、詼嘲=カイチョウ=)。「謔」も「たわむれる」。謔笑(ギャクショウ=笑いふざける、ふざけ)、謔劇(ギャクゲキ=ふざけたわむれる、謔浪=ギャクロウ=)、謔語(ギャクゴ=たわむれのことば)。

3) 闔都=コウト。みやこじゅう。ここは江戸中。「闔」は「すべてあわせて、みんなふくめて」の意。闔郷(コウキョウ=村じゅうみんな)、闔境(コウキョウ=国境内すべて、領内残らず)、闔郡(コウグン=郡内ぜんぶ、一郡ぜんたい)。

4) フエキ=附益(付益)。つけ加えて、さらにふやす。増加させて多くする。

5) ネツドウ=熱鬧。通りなどが混雑してにぎわう、人々がこみあってさわがしいこと。

6) サクゼン=索然。分散して尽きてしまうさま。散り散りに散らばるさま。興味索然(キョウミサクゼン=興味や関心を急速に失うこと)。

7) 孌童=レンドウ。美しい童子、美少年。男娼、お児さん、かげまのこと。「孌」は「なまめかしい、見目好い」の意。「孌童肆」は「陰間茶屋」のこと。男色を売る茶店。

8) 歛む=のぞむ。ものほしそうにする、願う。音読みは「カン」。歛丐(カンカイ=物もらい、こじき)。

9) 奚んぞ=なんぞ。「どうして~か」と訳す漢文訓読語法。理由や原因を問う疑問の意。また、反語の意もある。ここは反語で「どうして~しないのか、いやそうするべきだ」の意。

10) 諸=これ。人・物・事を指す近称の指示詞。

11) シカイ=死灰。火のけがなくなった灰。活気のないこと、無我の境地のたとえとしても用いる。槁木死灰(コウボクシカイ=衰えて生気がないさま、意欲に乏しいさま、無為自然の境地にあること)。≠豕喙、尸解、四海、斯界、駟介、視界、歯科医。

12) 踵ぐ=つぐ。すぐあとに続く、あとを追う。「くびす」の意も。音読みは「ショウ」。接踵(くびすをセッす・くびすをつぐ・セッショウ=物事が絶え間なく起こること)、旋踵(くびすをめぐらす・センショウ=短い時間のたとえ)、踵接(ショウセツ=人がたえまなく続いていくこと)、踵息(ショウソク=かかとに通じるまで深く呼吸する方法、「荘子・大宗師篇」にみえる養生術の一つ)、踵武(ショウブ=前の人の業績を継ぐ、「武」は、足あと)。

13) チョウレイ=凋零。落ちぶれる、人が死ぬ、しおたれる、しぼむ。凋落・零落とも。「凋」は「しぼむ」。凋槁(チョウコウ=しぼみ枯れる、凋枯=チョウコ=)、凋残(チョウザン=衰え弱る)、凋謝(チョウシャ=人が死ぬこと)、凋傷(チョウショウ=しぼみ衰える)、凋悴(チョウスイ=やせ衰える、凋瘁=チョウスイ=、凋衰=チョウスイ=)、凋喪(チョウソウ=元気がなくなる、意気消沈する)、凋年(チョウネン=くれていく年)、凋梅(チョウバイ=花の落ちた梅の木)、凋弊(チョウヘイ=衰えてだめになる、凋敝)。

14) トウシ=蕩子。酒色におぼれる者、道楽者、遊蕩児。蕩児(トウジ)ともいう。「蕩」は「物事に締まりがなくだらしないさま」。蕩駘(トウタイ=かってきままにする、ふける)、蕩覆(トウフク=国家をくつがえす)、蕩漾(トウヨウ=ただようさま、水が揺れ動くさま)、蕩滌(トウテキ=洗い流して清める、けがれ、よこしまな事を除き去る)。

15) ヒリ=鄙俚。風俗や言葉遣いなどが、いなかじみていて下品なこと、粗野であること。「俚」は「ひな、いなか、いやしい」の訓みがある。鄙懐(ヒカイ=自分の考えの謙称)、鄙倍(ヒバイ=心が卑しくて道理に背くこと)、鄙樸(ヒボク=いなかじみて粗野である)、鄙陋(ヒロウ=いやしくて見聞が狭い)、鄙諺(ヒゲン=俗っぽいことわざ、世間で用いられることわざ、鄙語=ヒゴ=)、鄙儒(ヒジュ=見識のせまい学者、腐儒=フジュ=、俗儒=ゾクジュ=)。

16) ワイセツ=猥褻。男女の性に関するみだりがわしいこと。「猥」は「みだりに、いやしい」の訓みがあり。猥多(ワイタ=ごたごたと多い)、猥談(ワイダン=男女の性に関するみだらな話)、卑猥(ヒワイ=いやらしいこと)、猥雑(ワイザツ=みだれたさま)。


最後にある「安政屠維協洽の歳」とは安政六年(己未=つちのとひつじ)を指す。「屠維」(トイ)は「己」の異名、「協洽」(キョウコウ)は「未」の異名です。これは難しいです。そのほか十干十二支はいずれも異名を持っていますがここではこれ以上触れるのはやめましょう。

冒頭に出て来る「江戸繁昌記」とは、江戸後期の儒学者、寺門静軒(静軒居士、1796~1868)が天保年間に5編5冊刊行した風俗誌。発禁になっても書き続け幕府から罰せられます。後半生は「無用之人」を称して放浪生活を送ります。柳北の「天地間の無用人」宣言は静軒を範としたようですね。解説文にも、柳橋新誌の体裁は「江戸繁昌記」を模したものであると見えます。

若き頃の柳北は静軒の江戸繁昌記を読み、「其の事は則ち明詳、読む者をして臥して其の地の有る所を知らしむ」(明解かつ詳細な説明で宛もその場に赴いた心地がするほどリアルである)と感銘を受けました。しかしながら、「其の今を距ること二十年に過ぎ、物換り俗移り」(書かれてから既に二十年がたち、世の中も大きく移ろっている)として、静軒が写した深川の街の風景ががらりと変わってしまっている。「嗚呼居士をして方今の状を観せしめば、乃ち将に愕然として驚き慨然として嘆ぜんとす」(静軒がいまの情勢をご覧になったら、びっくりして溜息を吐かれるであろう)ので、ここらで花柳街のことを今一度きめ細かく書いておくのはあながち無駄なことではあるまい。

ただし、「古に微にして今に盛なる者も亦有り焉。柳橋是れ也」(当時は静かだったが今最も活気のある街が柳橋だ)といい、柳北は柳橋の風俗を写すという。今記録として残しておかないと五年十年を過ぎて、深川のようにまた消えてしまわないとも限らない。

面白いのは、柳北が「未だ嘗て一日も其の境に遊んで其の実を験せず、焉んぞ之を記するに足らん。然れども喜んで蕩子の逸話を聞き、市街の図冊を覩て、其の概略を窺ふことを得たり。遂に一夕の閑を偸んで記す」と言っている点です。すなわち、貧乏でお金も無い私は実際に柳橋で遊ぶことができない。だから、遊び人をつかまえては話を聞き(取材ですね)、図説を仔細に見て、そのアウトラインを捕捉するという手段で書き記すという。「正人君子」が読むに堪えない内容ではあるが、「正人君子」が書くようなことはわたしには書けないし、「正人君子」が知らない本当のことは書いてある。もし、もっとこんなネタもあるよと知る御仁がいたら附け加えていただきたい。

自分は遊びに行っていないというくだりは「本当かなぁ~?」と些か疑念も禁じ得ませんが、23歳の旗本如きの身分の安月給で高級娼楼で豪遊するのは容易でなかったのかもしれません。なにせ、飛ぶ鳥を落とす勢いの柳橋ですから。。。

さて、どんな風俗が展開されていることやら……そこは天国か地獄か?
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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