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「猫魔社会」を孔子に為り代わり筆削す可し=「猫々奇聞題言」(4)・完

成島柳北の「猫々奇聞題言」シリーズの最終回です。小分けにして玩わってきましたが、それだけに「猫」の恐ろしさもしみじみとお分かりになったことでしょう。男を「金蔓」にしか思っていないあそびめたち。しかし、それは彼女らを「欲望の道具」としかみていない男どもの「裏返し」とも言えなくはないか。明治政府の高官も猫どもに誑し込まれているから、それを止める術を知らない。そして、柳北は、仮名垣魯文がそれを寓意していることを見抜いているのではないか。それはなぜなら、自分が一番そう思っているから。彼自身もいわば「遊冶郎」を佯狂するがゆえに、シンパシーを感じる僚友には励ましの賛辞を贈り、自らをも鼓舞するのです。



斯クノ如キ22)ユウブツノ人ニ害スル深クシテ、国家ノ23)ケンリツト雖モ亦之レヲ24)ボウアツスルニ足ラザル所有ルヲ以テノ故ニ、魯翁ハ自カラ奮テ之ヲ懲罰セントス、是レ猫々奇聞ノ作ル所以ナリ、然ラバ則此篇ハ之ヲ称シテ、猫魔社会一部ノ春秋ト云フモ亦不可ナル無カラン、深川ノ金崋山人、猫々奇聞ヲ仮名読新聞ヨリ抄録シテ一冊子ト為シ、余ニ一言ヲ題セシム、山人ノ奇聞ヲ抄スル、既ニ25)コウジノ癖ニ属シテ無用ノ長物タル、猫児ト何ゾ異ナラン、而シテ余ノ之ニ題スルハ即チ其ノ26)ゼイナル、固ヨリ猫尾ノ27)リヲ免レズ、吁世ノ猫児ヲシテ奇妙ノ所為ヲ絶チ、魯翁ノ筆ヲシテ下ダスニ処無カラシムルニ至ルハ、其レ何レノ日ニ存ルヤ、余輩ハ28)ヲ引テ之ヲ待ツ29)





22) ユウブツ=尤物。目だって優れた者。美人を指すこともあるが、ここは前者。「尤」は「すぐれる」とも訓む。「とがめる」「とが」「もっとも」の意もある。尤異(ユウイ=ほかよりひときわすぐれている)、尤悔(ユウカイ=後悔している事柄)、尤隙(ユウゲキ=仲たがい、いさかい)、尤最(ユウサイ=最もすぐれていること)。

23) ケンリツ=憲律。国家の法令・おきて。憲令・憲則・憲範・憲制なども同義。「憲」は「のり」の表外訓みがあるので要注意。≠繭栗、県立。

24) ボウアツ=防遏。来るものを防ぎ止める。防止。「遏」は「行く手をおさえる」の意。防芽(ボウガ=芽が大きく育ち過ぎるのをふせぐ、大事件になる前にふせぐこと)、防萌(ボウボウ=物事がそうなりかかるのをふせぐ)、防扞(防捍=ボウカン、ふせぐ)、防姦(ボウカン=よこしまなことや悪いことを防ぐ)、防閑(ボウカン=出入り口をとじてふせぐ)、防口(ボウコウ=人民が政治を批判するのをとめる、言論統制すること)、防塞(ボウサイ=とりで、ボウソク=ふせぎとめる)、防秋(ボウシュウ=北方の異民族の侵入をふせぎ守る、秋に侵入することが多かったから)、防絶(ボウゼツ=悪事の兆しなどをふせいで断ち切る)、防諜(ボウチョウ=敵の間諜(スパイ)をふせぐ)、防微(ボウビ=小さなきざしにも気を付けて重大なことにならないようにする)。

25) コウジ=好事。よいこと、めでたいこと。珍しいことを好む、物好き。日本訓みでは「コウズ」もあり。意味的には「物好き」であるので「コウズ」の方がいいかもしれません。≠柑、鉤餌、垢膩、好餌、鏗爾。

26) ゼイ=贅。よけいなもの、むだ。余分で不必要なもの。「いぼ」の意もあり。贅言(ゼイゲン=いわなくてもよいよけいなことば、むだぐち、贅弁=ゼイベン=、贅辞=ゼイジ=、贅語=ゼイゴ=、贅説=ゼイセツ=、贅句=ゼイク=)、贅物(ゼイブツ=役に立たないよけいな物)、贅肬(ゼイユウ=いぼ、よけいなもの、役に立たないもの、贅疣=ゼイユウ=)、贅瘤(ゼイリュウ=こぶ、無用なもの、よけいなもの)。≠蛻、税、噬、勢。

27) 譏リ=そしり。「譏る」は「そしる」。鋭いことばで非難する、つめよる。「とがめる」の訓みもあり。音読みは「キ」。譏呵(譏訶=キカ、きつくそしりしかる)、譏議(キギ=過失や欠点をあげて非難する)、譏嫌(キゲン=そしりきらうこと)、譏察(キサツ=罪などを細かくとがめて調べる)、譏讒(キザン=口を告げる、そしり)、譏刺(キシ=きつく相手の欠点をつく)、譏揣(キシ=人の長所・短所を非難してもみくしゃにする)、譏誚(キショウ=とがめてけなす)、譏排(キハイ=非難して退ける)、譏評(キヒョウ=事物の欠点などをあげて批評する)、譏諷(キフウ=遠回しにそしる)、譏謗(キボウ=きつくそしる、悪口をいう、譏誹=キヒ=)。

28) 領=うなじ。すっきりときわだったくびすじ、えりくび。転じて、大筋・大切なところ。要領(ヨウリョウ)とは「腰とくびすじ、転じて人体の大切な部分、物事の重要な所の意」、領袖(リョウシュウ)は「えりとそで、転じて大人数を率いる、かしらとなる人物、人の手本となる人、衣服を着る時にはまず上方のえりやそでをとらえることに由来」。

29) 耳=のみ。漢文訓読語法。文末に置かれ「~だけ」「~なのである」と訳す。前者は限定、後者は断定の意。ここは両者どちらの意味も解釈可能。前者なら「待つしかない」、後者なら「待つのである」。前者は受け身で諦め風、後者は積極的な前向き風。



要するに、柳北は「猫魔社会」だという。江戸幕府が瓦解して御一新が成ったのはいいとしても、為政者が攻守所を変えただけで世の中が何ら大きくは変わっていない。もっと変えねばならん。そんな猫みたいな女どもにかかずらって籠絡されている場合ではないのではないか。猫魔社会の構成員たるあそびめたちではあるものの、それを支え築いているのは明治政府で新たに権力を握った男たち。

「春秋」というのは、孔子が簡潔な表現ながら厳しい批判を込めて著した歴史書のことです。そうした孔子の表現方法を「春秋の筆法」「春秋の筆削」と言いました。表面的なことだけで判断せずに、間接的な原因や結果も見落とさないで厳正に批判する。そうした「孔子然」とした態度を魯文の「猫々奇聞」の中に見出したが故の表現でしょう。最大級の賛辞です。

そして、それは権力を失い転落した柳北だからこそ語れるスタンスですね。韓愈の「雑説」をモチーフにしながら、名伯楽である魯文がいるからこそ、猫が鼠を捕らえることができる今の世の中をたっぷりと皮肉っている。諷喩している。猫は表面的な現象です。間接的な要因である鼠こそが大問題なのです。

「深川ノ金崋山人」は魯文本人かとも思ったのですが、どうやら別の人。魯文の仮名読新聞に連載された「猫々奇聞」から抜粋して抄本として一冊の本にまとめました。それに今でいう「帯書き」を柳北に頼んだのです。

最後の「吁世ノ猫児ヲシテ奇妙ノ所為ヲ絶チ、魯翁ノ筆ヲシテ下ダスニ処無カラシムルニ至ルハ、其レ何レノ日ニ存ルヤ、余輩ハ領ヲ引テ之ヲ待ツ耳」と、柳北が鶴首した時代は21世紀の今も実現したとは言えないのではないか。そんな哀しい危惧を感じる今日この頃です。今の世に猫はいなくなったのかどうか。そして、魯文は必要ないのかどうか?はたまた猫はいるけど魯文がいないだけなのかどうか?…柳北にご覧頂いて批評を頂戴したいですな、今の世を。。。。
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2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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