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哀愁漂うサイゴンに巨大蛍が乱舞する=「航西日乗」9

成島柳北の「航西日乗」シリーズの9回目です。サイゴンは旧南ベトナムの首都。現在のホーチミン。「柴棍」と書くのが一般的のようですが、柳橋は「塞昆」の字を充てている。以前、日本漢詩シリーズでご紹介した「巨大蛍」の詩が登場します。

二十五日、日曜、晴。風波起らず。身の舟中に在るを忘る。十一時遥に灯台及び人家を認む。乃ち知る塞昆港近きを。1)テイゴ港口に入る。両岸緑樹幽草、風景画の如し。処々に蘇鉄の大樹有り。又2)獼猴の群を為して遊ぶを見る。人家ある処は秧針青々として本邦四、五月の候に似たり。大河なれど流れは緩く水は濁れり。屈曲して上流に3)る。舟人に問ふ。一は曰く、是れ瀾滄江なりと。一は曰く、是れ柬埔寨川の下流なりと。余、地理に4)し。他日詳かに地図を按ず可し。四時塞昆に達す。是れ安南の5)トユウにして近年仏国の所領となれり。人種は支那に類す。男女其歯黒し。6)ヤシを食ふに因るか。屋舎の7)ボウガ皆赤色なり。始てヤシ樹林を見る。此日寒暑針九十四度。本港は赤道を8)る僅に十度十七分なりと云ふ。夜舟中に眠るに両岸の虫声9)シュウシュウとして耳に盈ち、流蛍乱飛するを見る。其の形頗る大なり。10)ブンゼイ亦多し。

針路縈回入港門    針路11)縈回、港門に入る。
長流一帯不知源    長流一帯、源を知らず。
夾舟雲樹奇於画    舟を夾む雲樹、画よりも奇なり。
誘得■■到塞昆    12)セイジンを誘ひ得て、塞昆に到る。

夜熱侵人夢易醒    夜熱人を侵して、夢醒め易し。
白沙青草満前汀    白沙青草、前汀に満つ。
故園応是霜降節    故園、応に是れ霜降の節なるべし。
驚看蛮蛍大似星    驚き看る、蛮蛍、星よりも大なるを。






1) テイゴ=亭午。昼にあたった時。正午。「亭」は「とどまる」とも訓み、「ちょうどその点にあたってとまる」の意。亭亭(テイテイ=樹木や塔がすっくとたったさま)。

2) 獼猴=ビコウ。大きなサル。「獼」は「さる、アカゲザル」。「猴」も「さる、アカゲザル」。猴猿(コウエン=サル、猿猴=エンコウ=)。

3) 泝る=さかのぼる。川の流れにさからって進むこと。「遡」と同義。音読みは「ソ」。泝沿(ソエン=川の流れをさかのぼることと、流れに沿って下ること)。

4) 昧し=くらし。物事を何も知らない、道理にくらい。音読みは「マイ」。愚昧(グマイ=おろかで物の道理にくらいこと、愚蔽=グヘイ=、愚蒙=グモウ=、愚暗=グアン=)、昏昧(コンマイ=くらくて見えない、愚か、正しくない)、昧死(マイシ=「あえて死罪にあたることも知らず」の意で、失礼をかえりみずあえてすること、臣下が君主に挿し出す文に用いる言葉)、昧旦(マイタン=夜明け、未明)、昧昧(マイマイ=薄暗い夜明け、深く思い沈むさま)。

5) トユウ=都邑。都会、みやこ。「邑」は「いなか、むら」の意。ここは偏義複辞で「都」に重きを置いた意味。

6) ヤシ=椰子(椰)。ヤシの木、ヤシの実。「椰」の一字で「やし」とも訓む。

7) ボウガ=甍瓦。いらかとかわら。家の屋根がかわらぶきであるさま。「甍」は「いらか」と訓みますが、音読みが「ボウ」であることに注意。なかなか難語です。甍宇(ボウウ=かわらぶきの屋根)。

8) 距る=さる。A地点とB地点の間の距離があいていること、へだて離れていること。やや特殊な訓みで、通常は「へだてる」と訓む。

9) シュウシュウ=啾啾。鳥・虫・獣や女・子供・亡霊などが細い声でなく声の形容。啾喧(シュウケン=子供の声が騒がしいさま)、啾喞(シュウシツ・シュウショク=小さな声を出す、たくさんの声のまじりあって騒がしいさま)。

10) ブンゼイ=蚊蚋。蚊のこと。「蚋」は「ブヨ」。似た者同士で蚊をいう。蚊睫(ブンショウ=蚊のまつ毛、ごく微細な物のたとえ)、蚊帳(ブンチョウ・かや=蚊を防ぐために寝室などに吊るすおおい)、蚊負(ブンフ=微力で重任にたえられないことのたとえ)、蚊虻(ブンボウ=蚊とアブ)、蚊雷(ブンライ=蚊の群がり飛ぶはねの音)。聚蚊成雷(シュウブンセイライ=多くの人が口をそろえて讒言を吐くこと)。

11) 縈回=エイカイ。ぐるぐると曲がりめぐるさま、その道。縈繞(エイジョウ)ともいう。「縈」は「めぐる」「まつわる」「まとう」とも訓み、「周囲をまわる、まわりにまきつく、ぐるぐるとまわりまといつく」の意。縈胸(エイキョウ=心の中にわだかまって離れない)。

12) セイジン=征人。旅人。征客(セイカク)ともいう。お洒落な言い回しです。現代語としてもぜひとも使ってみたい。



「秧針」(オウシン)は問題にしませんでしたが、稲の苗が針のようにピンと立って生えているさまをいうのでしょう。辞書には掲載がありません。「秧」は「なえ」とも訓みます。日本でいうところの4月か5月の田植えの風景だという。岩波文庫「幕末維新パリ見聞記」の「注」欄によると、「瀾滄江」(ランソウコウ)は、遠く中国中央部に源を発し、ラオスに入ってからはメコン川となり、瀾滄江の下流部分を「柬埔寨川」(カンボジアがわ)と称するそうです。

塞昆は安南の首都で1865年、フランス領コーチシナとなりました。住民は中国人風で歯が真っ黒。ヤシの実のせいかというのですが、「歯が黒い」とは虫歯のことを言っているのでしょう。北緯10度17分ですから、赤道も近い熱帯地域。寒暑針、すなわち温度計は34度強。夜になると、虫の鳴き声が響き渡り、巨大な蛍が飛び交う。

ちなみに、森鷗外の「舞姫」の冒頭のシーンは、このサイゴンが舞台となっています。青空文庫から引用します。

 石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余一人のみなれば。

 五年前の事なりしが、平生の望足りて、洋行の官命を蒙り、このセイゴンの港まで来し頃は、目に見るもの、耳に聞くもの、一つとして新ならぬはなく、筆に任せて書き記しつる紀行文日ごとに幾千言をかなしけむ、当時の新聞に載せられて、世の人にもてはやされしかど、今日になりておもへば、き思想、身の程知らぬ放言、さらぬも尋常の動植金石、さては風俗などをさへ珍しげにしるしゝを、心ある人はいかにか見けむ。こたびは途に上りしとき、日記ものせむとて買ひし冊子もまだ白紙のまゝなるは、独逸にて物学びせし間に、一種の「ニル、アドミラリイ」の気象をや養ひ得たりけむ、あらず、これには別に故あり。

 げに東に還る今の我は、西に航せし昔の我ならず、学問こそ猶心に飽き足らぬところも多かれ、浮世のうきふしをも知りたり、人の心の頼みがたきは言ふも更なり、われとわが心さへ変り易きをも悟り得たり。きのふの是はけふの非なるわが瞬間の感触を、筆に写して誰にか見せむ。これや日記の成らぬ縁故なる、あらず、これには別に故あり。……



何とも哀愁漂い、思わせぶりな書きだしです。この語り部は独逸で何があったのか?失意の帰国であるのは論を待たないようですが…。ご興味があれば青空文庫にて続きをご一読あれ(ここ)。

読み問題だけ。





熾熱燈=シネツトウ。
骨牌=カルタ。
穉き=おさなき。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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