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息づく批判精神のDNA=赤壁賦と辟易賦もう一度読み比べ・復習篇

さあ、成島柳北の「航西日乗」と行きたいところですが、もうしばらく我慢をば。。。折角の「赤壁賦」と「辟易賦」。あっという間に終わってしまいました。それぞれもう一度一挙掲載しますので、読み比べてみてください。そして、今度は書き取り問題で復習もしてみてください。いささか長くなりますがご容赦ください。


(赤壁賦)

 ジンジュツの秋、七月の既望、蘇子 客と舟を泛べて、赤壁の下に遊ぶ。清風徐ろに来って、水波興らず。酒を挙げて客に属し、明月の詩を誦し、ヨウチョウの章を歌う。

 少焉にして、月東山の上に出で、斗牛の間にハイカイす。白露江に横たわり、水光天に接す。イチイの如く所を縦にして、バンケイの茫然たるを凌ぐ。コウコウコとして虚に馮り風に御して、其の止まる所を知らざるが如く、ヒョウヒョウコとして世を遺れて独り立ち、羽化してトウセンするが如し。

 是に於て酒を飲んで楽しむこと甚だし。舷を扣いて歌う。歌に曰く、「桂の櫂蘭の槳、空明に撃ちて、流光に泝る。ビョウビョウたり予が懐い、美人を天の一方に望む」と。

 客にドウショウを吹く者有り、歌に倚って之に和す。其の声、オオゼンとして、怨むが如く慕うが如く、泣くが如く訴うるが如し。余音ジョウジョウとして、絶えざること縷の如し。ユウガクセンコウを舞わしめ、孤舟の嫠婦を泣かしむ。

 蘇子シュウゼンとして、襟を正しキザして客に問うて曰く、「何為れぞ其れ然るや」と。客の曰く、「『月明らかに星稀れに、ウジャク南に飛ぶ』とは、此れ曹孟徳の詩に非ずや。西のかた夏口を望み、東のかた武昌を望めば、山川相い繆い、ウッコとして蒼蒼たり。此れ孟徳の周郎に困しめられし者に非ずや。其の荊州を破り、江陵を下り、流れに順いて東するに方りてや、ジクロ千里、セイキ空を蔽う。酒を釃(した)みて江に臨み、サクを横たえて詩を賦す。固に一世の雄なり。而るに今安くに在りや。況んや吾れと子と、江渚の上にギョショウし、ギョカを侶としてビロクを友とし、一葉のヘンシュウに駕し、ホウソンを挙げて以て相属し、フユウを天地に寄す。渺たる滄海のイチゾクなるをや。吾が生のシュユなるを哀しみ、長江の窮まり無きを羨む。飛仙を挟みて以てゴウユウし、明月を抱きて長えに終えんこと、驟かには得可からざるを知り、遺響を悲風に託せり」と。

 蘇子曰く、「客も亦た夫の水と月を知るか。逝く者は斯の如くなれども、未だ嘗て往かざるなり。エイキョする者は彼の如くなれども、卒にショウチョウする莫きなり。蓋し将た其の変ずる者自りして之を観れば、則ち天地も曾て以て一瞬なること能わず。其の変ぜざる者自りして之を観れば、則ち物と我と皆尽くる無きなり。而るを又た何をか羨まんや。且つ夫れ天地の間、物各おの主有り。苟くも吾の有する所に非ざれば、イチゴウと雖も取ること莫し。惟だ江上の清風と、山間の明月とは、耳之を得て声を為し、目之に遇いて色を成す。之を取れども禁ずる無く、之を用うれども竭きず。是れ造物者の無尽蔵なり。而して吾と子との共に食う所なり」と。

 客喜びて笑い、盞を洗いて更に酌む。コウカク既に尽き、杯盤ロウゼキたり。相共に舟中にチンシャして、東方の既に白むを知らず。


(辟易賦)

 オツガイ之秋八月既望、社主僕ト机ヲ並ベテ燭台ノ下ニ集ル、投書頻リニ来タツテ編輯終ラズ、紙ヲ展ベ筆ヲ握ツテザンボウノ律ヲ調ベ条例ノ文ヲ誦ス、

 少焉アツテ汗両腋ノ下ヨリ出デ、横腹ノ辺ニ沾滴ス、心配胸ニ横タハリ困苦肝ニ銘ス、一身ノ置キ所ヲ失ヒ万事ノ茫然タルヲ覚ユ、リツリツコトシテ邪ヲ受ケ風ヲ引キ、其ノ寝タ所ヲ起コサルヽガ如シ、ズイズイコトシテ一生懸命軽業デ綱渡リスルガ如シ、

 是ニ於テ筆ヲ投ジテ嘆クコト久シ、机ヲ敲イテ之ヲ歌フ、歌ニ曰ク、猫ノ説狸ノ話、空論ヲ出シテ流行ニ連レル、漸々ニシテ予レ凌ギ、ヒイキヲ国ノ四方ニ望ム、

 僕ニホラヲ吹クノ癖有リ、口ニ任セテ之ヲ書ク、其事アイマイゼントシテ眠ルガ如ク酔フガ如クウナサルルガ如シ、其種少々ニシテ絶エザル糸ノ如シ、幽霊ノ虚説ヲ録シ情死ノ痴情ヲ記ス、

 社主シュウゼントシテ眉ヲヒソメ、小声デ僕ニ問フテ曰ク、何為レゾ其困ルヤ、僕ノ曰ク、罪重ク罰速カニシテ末広家ニチッス、是レ日新堂ノ咎ニ非ズヤ、北日報ヲ望ミ東報知ヲ望メバ、双方相ヒ並ンデウツウツトシテショウショウタリ、是レ編者ノ分庁ニ呼バレタル訳ニ非ズヤ、其ノ刑事ニ及ビ口供ヲ奉リ、仰セニ従ツテ下ガルニ至テハ、罰金何円禁獄科ニ応ズ、口ヲ極メテエンヲ訴ヘ臂ヲ張テ理ヲ弁ズルモ誠ニ無益ノ事ナリ、而シテ何ノ為メニ成ランヤ、況ヤ吾ト子トハ貧乏ノ社ニ開業シ、許可ヲ願テハツダヲ事トス、一本ノトクヒツヲ執リ報告ヲ得テ以テ相認メ、愚説ヲ天下ニ示ス、厳シキ条例ノ一件、吾ガ性ノ臆病ナルヲ哀シミ、御威光ノ窮リナキヲ感ズ、戸長ニ向テ以テ閉口シ役人ヲ望ンテ長ヘニ恐ル、迚モ勝ツ可ラザルヲ知テ泣ク子ト地頭ニ比ス、

 社主曰ク、卿モ亦屁ト瘡トヲ知ル乎、出ル者ハ斯クノ如クニシテ未ダ嘗テ尽キズ、膨腫ル者ハ彼レガ如クニシテ急ニ引込ムコト無シ、蓋シ其ノ悪クム者ヨリ之ヲ観レバ、則チ片時モ以テ用捨スル能ハズ、其ノ悪マザル者ヨリ之ヲ観レバ則チ人モ我レモ皆罪無キ也、又何ゾ危ブマンヤ、且夫レ天地ノ間人各心有リ、苟モ吾レノ是トスル所ニ非レバ、一寸デモ引クコト無シ、圧制ノ旧習ト頑固ノヘンジントハ、耳之レヲ聴ケバ腹ヲ立チ、目之レヲ視レバ色ヲ変ズ、之ヲ諭シテモ益無ク、之レヲ説テモ聴カズ、是レジョウイ家ノ無法者也、而シテ吾レト子ト共ニ嫌フ所ナリ、

 僕驚イテ黙シ墨ヲ磨ツテ之ヲ記ス、蝋燭既ニ尽テ座敷真ツ暗ナリ、相共ニ机辺ニ仮寝シテヤブカノ頻リニ刺スヲ知ラズ




時の流れの速さと瞬間瞬間を生きるわれわれ人間の儚さを対比してとらえた蘇東坡の赤壁賦。歴史を振り返れば人をおセンチにさせるけれども、そんな自分もまた後世から見れば歴史になるのです。どうやっても造物主には勝てない人間のちっぽけさを知ることが大事。だからこそ、生きている今を精いっぱい生き抜くことが求められている。一方、言論を封じようとする明治新政府に対峙する成島柳北の辟易賦も同じことを言っている。どうやってもお上に勝つことはできないかもしれないが、今は精いっぱい生き抜くことしかできない。後世の歴史が我々の主張が正しかったことを証明してくれるはずだから。いずれも己の信念を曲げずにスタンスをぶれることなく生きよと教えてくれます。その実践こそが生きることなのだと感じざるを得ません。辟易賦は単なるパロディーではない。時代の変革期にあった日本人のちっぽけながら脈々と息づいている批判精神のDNAを感じさせてくれます。
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