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「出物腫れ物所嫌わず」造物主の為すがままに=「辟易賦」⑤・完

成島柳北の「辟易賦」の5回目、いよいよ最終回です。「コト」「シテ」の記号が出ないので、それぞれ片仮名で表してあります。

(赤壁賦) 蘇子曰く、「客も亦た夫の水と月を知るか。逝く者は斯の如くなれども、未だ嘗て往かざるなり。盈虚する者は彼の如くなれども、卒に消長する莫きなり。蓋し将た其の変ずる者自りして之を観れば、則ち天地も曾て以て一瞬なること能わず。其の変ぜざる者自りして之を観れば、則ち物と我と皆尽くる無きなり。而るを又た何をか羨まんや。且つ夫れ天地の間、物各おの主有り。苟くも吾の有する所に非ざれば、一毫と雖も取ること莫し。惟だ江上の清風と、山間の明月とは、耳 之を得て声を為し、目 之に遇いて色を成す。之を取れども禁ずる無く、之を用うれども竭きず。是れ造物者の無尽蔵なり。而して吾と子との共に食う所なり」と。

(辟易賦) 社主曰ク、卿モ亦屁ト瘡トヲ知ル乎、出ル者ハ斯クノ如クニシテ未ダ嘗テ尽キズ、膨腫ル者ハ彼レガ如クニシテ急ニ引込ムコト無シ、蓋シ其ノ悪クム者ヨリ之ヲ観レバ、則チ片時モ以テ用捨スル能ハズ、其ノ悪マザル者ヨリ之ヲ観レバ則チ人モ我レモ皆罪無キ也、又何ゾ危ブマンヤ、且夫レ天地ノ間人各心有リ、苟モ吾レノ是トスル所ニ非レバ、一寸デモ引クコト無シ、圧制ノ旧習ト頑固ノ偏人トハ、耳之レヲ聴ケバ腹ヲ立チ、目之レヲ視レバ色ヲ変ズ、之ヲ諭シテモ益無ク、之レヲ説テモ聴カズ、是レ攘夷家ノ無法者也、而シテ吾レト子ト共ニ嫌フ所ナリ、


「夫の水と月を知るか」―。蘇東坡の客に対する問いかけが始まります。一方の社主も僕に対して「屁ト瘡トヲ知ル乎」と問いかけます。かたや「水と月」、こなた「屁と瘡」。自然の事物と人間の出物。ここは、風流なものと俗物を対比させる柳北の真骨頂です。

「逝く者は斯の如くなれども、未だ嘗て往かざるなり。盈虚する者は彼の如くなれども、卒に消長する莫きなり」。水は流れゆく先でなくなるのではない。月は盈ち虧けするが消えたり大きくなったりはしない。「出ル者ハ斯クノ如クニシテ未ダ嘗テ尽キズ、膨腫ル者ハ彼レガ如クニシテ急ニ引込ムコト無シ」。屁は出てゆく先でなくなるのではない。腫れ物は一旦できたらすぐに引っ込むことはない。

「蓋し将た其の変ずる者自りして之を観れば、則ち天地も曾て以て一瞬なること能わず。其の変ぜざる者自りして之を観れば、則ち物と我と皆尽くる無きなり。而るを又た何をか羨まんや」という赤壁賦。「蓋シ其ノ悪クム者ヨリ之ヲ観レバ、則チ片時モ以テ用捨スル能ハズ、其ノ悪マザル者ヨリ之ヲ観レバ則チ人モ我レモ皆罪無キ也、又何ゾ危ブマンヤ」という辟易賦。自然の変化という立場からすると、一瞬たりとも不変ではありえないし、変化しないという立場からすると、自然も人間も尽き果てることはない。どっちもどっちで羨む必要などない。哲学でげすな。

一方、屁や瘡を嫌う人から見れば、いついかなるときも不要だと思われるし、別にいいではないかと思う人から見れば、人間だれでも罪はないと思うもの。どっちもどっちで危険に思うことはない。変化しようと変化すまいと立場の違いこそあれ自分が信じる立場を取ればいい。同じように主義主張は異なれども自分が信じる立場を信じればいい。相手が嫌いなら嫌いでいいではないか放っておけば。。。これが柳北の本音です。政府よ、国民の意見は放っておけばいい。「出物腫れ物所嫌わず」というではないか。統制を図ろうと思うのが間違いの元である。

「且つ夫れ天地の間、物各おの主有り。苟くも吾の有する所に非ざれば、一毫と雖も取ること莫し」という蘇東坡は、物にはそれぞれ所有者があるから、かりに自分の物でなければ毛筋と雖も取ってはいけないと戒める。「一毫」は「イチゴウ」で「毛すじ一本」のこと。ただしここは否定文に用いて「まったく~ない」の意。自然を賞でる気持ちはそれぞれでいいのだ。

「且夫レ天地ノ間人各心有リ、苟モ吾レノ是トスル所ニ非レバ、一寸デモ引クコト無シ」という柳北は、人にはそれぞれの気持ち、考えがあるから、かりに人の意見が自分と同じでなかったとすれば、少しも引いてはいけないと戒める。考えはそれぞれでいいのだ。

赤壁賦によれば、「惟だ江上の清風と、山間の明月とは、耳 之を得て声を為し、目 之に遇いて色を成す」。河の上を吹く清風と山あいに上った明月は誰のものでもない。耳でひびきを賞でて、目で美を楽しめばいい。辟易賦によれば、「圧制ノ旧習ト頑固ノ偏人トハ、耳之レヲ聴ケバ腹ヲ立チ、目之レヲ視レバ色ヲ変ズ」。上から圧力を掛けた言論統制と頑迷固陋の偏った考えの人はほかでもない、その意見を聞けば腹も立つし、姿を見れば怒りで顔色も変わってしまう。

「之を取れども禁ずる無く、之を用うれども竭きず」という赤壁賦。「之ヲ諭シテモ益無ク、之レヲ説テモ聴カズ」という辟易賦。自然を賞でる気持ちは誰にも止められないし、どんなに玩わってもなくなりはしない。分からず屋を諭しても土台無理な話で、どんなに説得しても意は通じない。

「是れ造物者の無尽蔵なり。而して吾と子との共に食う所なり」というのは、蘇東坡の名言です。「造物者」は、天地の間に存在するすべてを創造したと考えられる抽象的な人格のことで、「荘子」・大宗師篇に「偉なるかな、造物者」と見える。蘇東坡が好んで使うターム。「無尽蔵」とは、共有物は永遠になくなることがないということ。中唐の白居易も「遊雲居寺贈穆三十六地主」で、「勝地本来亭主無」と詠じ、美しい自然はそれを愛する人々が共有するものだと説きました。

翻って、「是レ攘夷家ノ無法者也、而シテ吾レト子ト共ニ嫌フ所ナリ」とは、柳北の大いなるボヤキ節です。明治維新政府は、幕末に蔓延った「攘夷」主義者と変わらない、われわれ言論人にとっては大敵である。

(赤壁賦) 客 喜びて笑い、盞を洗いて更に酌む。肴核 既に尽き、杯盤 狼籍たり。相共に舟中に枕藉して、東方の既に白むを知らず。

(辟易賦) 僕驚イテ黙シ墨ヲ磨ツテ之ヲ記ス、蝋燭既ニ尽テ座敷真ツ暗ナリ、相共ニ机辺ニ仮寝シテ薮蚊ノ頻リニ刺スヲ知ラズ



こうした蘇東坡の説に客は頷いて大喜び。もっと酒を飲みましょうよと「盞」(さかずき、サン・セン)を献じてくる。時がたち、「肴核」(コウカク)が尽き、つまり、たかつきに盛った酒のさかながなくなり、「杯盤狼籍」状態だと言います。狼籍は狼藉とも書く。さかずき(杯)やおおざら(盤)が乱雑に散らかった風景をいいます。客と蘇東坡は船で「枕藉」(チンシャ)して、枕を敷いてかさなりあうように眠りこけること。

一方、社主の説を聞いて僕は驚き言葉が出ない。墨を磨ってその言葉を記事にするしかなかった。気がつけば蝋燭の明かりが消えて座敷は暗闇の中。二人ともデスクでうたたねしている。

「東方の既に白むを知らず」という蘇東坡に対して、「薮蚊ノ頻リニ刺スヲ知ラズ」という柳北。朝日が射しかかる中、船の上で眠り続ける大らかな自然の風景。暗澹たる中、藪蚊が「ぶうぅ~ん」と五月蠅く、人の血を吸うに任せて睡り続ける光景。三国志の激闘の址でいい気分に浸る蘇東坡。讒謗律の激闘の渦中で反吐が出そうな成島柳北。蘇東坡対柳北。彼らの対決の軍配はどちらに上げられますか?
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