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「泣く子と地頭には勝たれぬ」と諦めムードも=「赤壁賦」を捩った「辟易賦」④

元幕臣の成島柳北の珍文「辟易賦」シリーズの4回目です。今回はちょっと長め。本家本元の「赤壁賦」ともども、じっくりと玩味いたしましょう。魏呉蜀の三国志ファンも歴史を思い起こし、かつ、明治維新ファンも歴史に浸りましょう。「シテ」の記号文字が表示されないので片仮名に改めておきます。


(赤壁賦) 蘇子 愀然として、襟を正し危坐して客に問うて曰く、「何為れぞ其れ然るや」と。客の曰く、「『月明らかに星稀れに、烏鵲 南に飛ぶ』とは、此れ曹孟徳の詩に非ずや。西のかた夏口を望み、東のかた武昌を望めば、山川 相い繆い、鬱乎として蒼蒼たり。此れ孟徳の周郎に困しめられし者に非ずや。其の荊州を破り、江陵を下り、流れに順いて東するに方りてや、舳艫千里、旌旗 空を蔽う。酒を釃(した)みて江に臨み、槊を横たえて詩を賦す。固に一世の雄なり。而るに 今 安くに在りや。況んや 吾れと子と、江渚の上に漁樵し、魚鰕を侶として麋鹿を友とし、一葉の扁舟に駕し、匏樽を挙げて以て相属し、蜉蝣を天地に寄す。渺たる滄海の一粟なるをや。吾が生の須臾なるを哀しみ、長江の窮まり無きを羨む。飛仙を挟みて以て遨遊し、明月を抱きて長えに終えんこと、驟かには得可からざるを知り、遺響を悲風に託せり」と。

(辟易賦) 社主愀然トシテ眉ヲ顰メ、小声デ僕ニ問フテ曰ク、何為レゾ其困ルヤ、僕ノ曰ク、罪重ク罰速カニシテ末広家ニ蟄ス、是レ日新堂ノ咎ニ非ズヤ、北日報ヲ望ミ東報知ヲ望メバ、双方相ヒ並ンデ鬱々トシテ悄々タリ、是レ編者ノ分庁ニ呼バレタル訳ニ非ズヤ、其ノ刑事ニ及ビ口供ヲ奉リ、仰セニ従ツテ下ガルニ至テハ、罰金何円禁獄科ニ応ズ、口ヲ極メテ寃ヲ訴ヘ臂ヲ張テ理ヲ弁ズルモ誠ニ無益ノ事ナリ、而シテ何ノ為メニ成ランヤ、況ヤ吾ト子トハ貧乏ノ社ニ開業シ、許可ヲ願テ発兌ヲ事トス、一本ノ禿筆ヲ執リ報告ヲ得テ以テ相認メ、愚説ヲ天下ニ示ス、厳シキ条例ノ一件、吾ガ性ノ臆病ナルヲ哀シミ、御威光ノ窮リナキヲ感ズ、戸長ニ向テ以テ閉口シ役人ヲ望ンテ長ヘニ恐ル、迚モ勝ツ可ラザルヲ知テ泣ク子ト地頭ニ比ス、



「愀然」は共通ターム。訓み問題。「シュウゼン」と「ショウゼン」のどちらもありです。「顔をしかめるさま、心配そうなさま、表情をひきしめるさま」。「愁然」と同義です。「愀愴」(シュウソウ)も押さえて「心配し、がっかりするさま」。蘇東坡は「襟を正し」、柳北は「眉を顰め」。「危坐」は「端坐、正坐」の意です。「危」には「高くそそり立つ」の意があり、危檣(キショウ=たかくそびえたつ帆柱)、危然(キゼン=ひとり正しくしているさま)、危楼(キロウ=たかくそそりたった楼閣)。

客の吹く洞簫の音色の哀切な響きに胸打たれる蘇東坡。「どうしてかように哀しいのですか」と客に尋ねます。これに対して、辟易賦の社主は読者の投書を前にさえない表情の柳北に「どうしてかように困っているのですか」。

まず客の答え。「月明らかに星稀れに、烏鵲 南に飛ぶ」という曹孟徳の詩を持ちだします。曹孟徳は魏の曹操のことです。「文選」巻27にある「短歌行」の一節。「烏鵲」は「からすとかささぎ」で、寄る辺なく異郷に身を置く境遇を譬えている。一方、柳北の答えは「罪重ク罰速カニシテ末広家ニ蟄ス、是レ日新堂ノ咎ニ非ズヤ」。いよいよ、ここが辟易賦のポイントです。「末広」というのは、東京曙新聞主筆の「末広鉄腸」で、「日新堂」というのはその発行所であり曙新聞を指す。讒謗律と同時に布告された新聞紙条例を批判した廉で禁錮(2か月)・罰金(20円)を科せられました。柳北と同じ主張で讒謗律や新聞紙条例を批判して逮捕された鉄腸の境遇を引き合いに出し、近く訪れるであろう自らの運命も悟っているかのようです。

赤壁賦では、建安13年(208)の赤壁の戦いにおける曹操ら英雄たちを詠じたくだりが続きます。「西のかた夏口を望み、東のかた武昌を望めば、山川 相い繆い、鬱乎として蒼蒼たり。此れ孟徳の周郎に困しめられし者に非ずや」。「繆い」は訓めますか?「まとい」。音読みは「ビュウ」。気持ちがからみつくさまを言う「綢繆」も必須です。「鬱乎」は「ウッコ」。樹木がこんもりと茂っているさま。書き取り問題で出したいところ。「蒼蒼」は、あおぐらく茂っているさま。「曹操」と掛けているかもしれません。ここで出て来る「周郎」とは、呉の孫権の部将である「周瑜」、すなわち、赤壁の戦いで80万と称する俄か仕立ての曹操軍が、周瑜帥いる僅か3万の軍勢の火攻めの計に遭って大敗したことを指しています。「困しめ」は表外訓み。「くるしめ」。

一方の辟易賦では、明治8年(1875)の讒謗律・新聞紙条例における言論の自由を奪われた新聞人たちを詠じたくだりです。「北日報ヲ望ミ東報知ヲ望メバ、双方相ヒ並ンデ鬱々トシテ悄々タリ、是レ編者ノ分庁ニ呼バレタル訳ニ非ズヤ」。「日報」とは「東京日日新聞」、「報知」は「郵便報知社」で、いずれも当時の新聞社の名称。「悄々タリ」は「ショウショウタリ」。しょんぼり、しおしおと。各新聞社の編集者たちが挙って警察に呼ばれて事情聴取を受けたことを指しています。

「其の荊州を破り、江陵を下り、流れに順いて東するに方りてや、舳艫千里、旌旗 空を蔽う」。「荊州」は蜀の治めるエリア。赤壁の戦いに敗れる前、ここで曹操は劉表の子劉を破った。「江陵」は、荊州の要衝の地。そこを目指して長江に沿って軍艦を大挙して劉備を討つべく、曹操軍が「からうしの尾」を飾りながら意気軒昂なさまを「舳艫千里、旌旗空を蔽う」と活写しているのです。このフレーズは超有名ですね。

「其ノ刑事ニ及ビ口供ヲ奉リ、仰セニ従ツテ下ガルニ至テハ、罰金何円禁獄科ニ応ズ」。一方の柳北の説明では、刑事の取り調べに対して申し開きをし、言われるがままに罰を受け入れ、罰金いくら、禁錮・投獄に甘んじる。なんとも哀しい現実でしょう。何を言っても聞き入れられない苛立ちに明治政府に対する怒りが充満しているかのようです。

「酒を(した)みて江に臨み、槊を横たえて詩を賦す。固に一世の雄なり。而るに 今 安くに在りや」。「」は難語ですが、濁酒を竹かごで漉して注ぐこと。長江の水神を祭る儀式です。戦捷を期すために行うのです。「槊」は読み問題。「サク」。もちろん訓読みなら「ほこ」。「槊を横たえる」とは「戦いから離れること、すなわち、移動する間など戦場に居ない時のこと」。曹操は名詩人(さきほどの「短歌行」も有名)でもあり、多くの詩を残しています。曹操は「横槊の詩人」とも呼ばれています。そんな文武両道を窮めた当時の英雄ではあっても、いまはいったいどこでどうなっているというのでしょうか。「固に」は表外訓み。「まことに」。当時から800年以上もたった時代の変遷に思いを遣り、嘆息しています。

翻って柳北。「口ヲ極メテ寃ヲ訴ヘ臂ヲ張テ理ヲ弁ズルモ誠ニ無益ノ事ナリ、而シテ何ノ為メニ成ランヤ」。「寃(冤)」は「むじつのつみ」。「枉」とも書く。冤罪(エンザイ=冤枉)、冤獄(エンゴク=無実の罪で投獄されること)、冤訴(エンソ=無実の罪であることを主張する、冤訟=エンショウ=)、冤抑(エンヨク=無実の罪におとされる)。「臂」は「ひじ」。口角泡を飛ばし身ぶり手ぶりで理論立てて説明しても無意味なこと。何を言っても聞き入れられない。いったい奴らはなんのためにこんなことをやっているのか。同じ嘆息でも蘇東坡と柳北は乾坤の違いがあります。

「況んや 吾れと子と、江渚の上に漁樵し、魚鰕を侶として麋鹿を友とし、一葉の扁舟に駕し、匏樽を挙げて以て相属し、蜉蝣を天地に寄す」。「江渚」は「コウショ」、「漁樵」は「ギョショウ」、「魚蝦」は「ギョカ=さかなとエビ」、「麋鹿」は「ビロク=オオジカとシカ」。ここ長江のほとりで漁りときこりを生業にしつつ、魚やしかとたわむれ遊ぶ。蘇東坡と客の現在の境遇を隠者風に喩えている。「扁舟」は「ヘンシュウ」、「匏樽」は「ホウソン=ひさご、ひょうたん」、「蜉蝣」は「フユウ=かげろう」。一艘の小舟に揺られて、ひさごの樽の酒を酌み交わし、カゲロウのようなはかない命を生きている。

「況ヤ吾ト子トハ貧乏ノ社ニ開業シ、許可ヲ願テ発兌ヲ事トス、一本ノ禿筆ヲ執リ報告ヲ得テ以テ相認メ、愚説ヲ天下ニ示ス」。朝野新聞というちっぽけな新聞社でぎりぎりおまんまを食べている。お上からお許しを得て発行している身。「発兌」は「ハツダ」。書物などを印刷して発売すること。「禿筆」は「トクヒツ」。禿びた鉛筆で原稿を書いて自らの考えを世間に伝えるのが仕事なのだ。ジャーナリズムの原典ではありますが、お上の検閲を受けて中身が制約されて果して自由な言論が保障された新聞と言えるのか。まるで政府の広報紙ではないか。

赤壁賦の「渺たる滄海の一粟なるをや」。これは必須です。「滄海一粟」(ソウカイのイチゾク)。大きな海の中にある一粒の粟(あわ)。非常に大きな物の中のちっぽけな存在を言います。これを受けた辟易賦は「厳シキ条例ノ一件」。まさに讒謗律のこと。「吾が生の須臾なるを哀しみ、長江の窮まり無きを羨む」(赤壁賦)に対して「吾ガ性ノ臆病ナルヲ哀シミ、御威光ノ窮リナキヲ感ズ」(辟易賦)。いのちのはかなさをかなしみ、長江の流れが永遠であることを羨ましく思う。気の小ささをかなしみ、お上の威力の永遠であることを身にしみる。

「飛仙を挟みて以て遨遊し、明月を抱きて長えに終えんこと、驟かには得可からざるを知り、遺響を悲風に託せり」と赤壁賦。仙人となってあちこち飛んで遊び回り、明月とともに一生を終えたい。「驟かに」は訓み問題。「にわかに」。「遺響」は「余韻が残る洞簫のひびき」。哀切な風に音がいつまでも消えない余韻嫋嫋であるさまをいう。しかるに「戸長ニ向テ以テ閉口シ役人ヲ望ンテ長ヘニ恐ル、迚モ勝ツ可ラザルヲ知テ泣ク子ト地頭ニ比ス」と辟易賦。町内会の会長を前に黙し、警察を一生恐れて、とても言いくるめる気がしない。それはあの「泣く子と地頭に勝たれぬ」という諺がぴったり当てはまるではないか。道理や理屈が通らない相手に何を言っても始まらないから。暗澹たる気持ちに打ち拉がれる柳北でした。

ちなみに、末広鉄腸はこのあと1875年10月、朝野新聞の編集長に迎え入れられ、社長の柳北と机を並べます。翌2月には、井上毅、尾崎三良を誹謗した廉で、看板の2人とも投獄、罰金の憂き目に遭います。こうなると彼らも引かずに確信犯として投獄や罰金が一種の名誉みたいなものとなっていったようですね。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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