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王昭君の墓の秘密を暴け!=維新後は下野し風刺文を書いた元幕臣の成島柳北

幕末維新に生きて死んだ志士を中心とした漢詩シリーズは明治期に突入します。明治書院「新書漢文大系7 日本漢詩」によると、この時期の作者は「幕末に旧体制の下で漢学の教養を身につけた人々と、洋学の波に洗われながらも漢詩の面白さにとりつかれた人々である」とあります。前者の代表が森槐南らプロ漢詩人であり、後者は夏目漱石ら文人や知識人だといいます。続けて、「欧米の学問が主流となる時代において、漢詩の道はしだいに廃れてゆき、大正に入ると特別な教育を受けた者でなければ漢詩を作れなくなってしまう。今や日本の漢詩は遠い時代の遺物になろうとしている」と危惧も示されています。

明治期以降の漢詩も面白い。幕末のような「わくわく感」は無いかもしれないが、あらゆる卑近な出来事や事物も漢詩で詠もうとする“チャレンジング”な存在足り得ている。こうした例を見ていると、われわれ現代人にとっても漢詩はもっと身近な存在となる可能性を秘めていると思います。これまでと同じようなことを何度も述べて恐縮ですが、漢詩は作れなくてもいい。やはり古人之糟魄として味わえる素養だけは身につけ、養いたいところです。そのためには古来の作品を何度も何度も読むことです。歴史を学びましょう。思想を学びましょう。文化、芸術、宗教の知識も必要だ。……勿論、漢字であり言葉も習得しなければならないことは言うまでもありません。国粋主義者でも何でもない迂生ですが、自国の文化の一角を担ってきた漢詩を通して自国を学ぶことは、これから益々国境の意識が薄れゆく国際社会において、自国のアイデンティティを確立し、その存在を確実に残していく上で重要なプロセスの一つだと考えます。すなわち「己の存在」を知ることです。とりわけ、大国・中国との関係を考える際に、漢詩の知識や味わい方を知ることは不可欠でしょう。いい関係をキープしなければ恐らく日本は生き残れないでしょう。もっと謙虚に、そして、発展的に漢字や漢詩の学習を捉えてよいのではないでしょうか。そうでなければ本家本元の中国には到底かなわないでしょう。戦うという意味ではありませんので念のため。国際社会を生き抜く競争という意味です。

さて、本日は成島柳北(1837~84)の「那耶哥羅観瀑詩」。「那耶哥羅」、読めますか?外国地名の当て字読みですが、なんとなく音読みを当てはめれば朧げながら浮かんでくるでしょう。最大のヒントは「観瀑」。「瀑」は「巨大な滝」ですから…、「ああ~、ナイヤガラかぁ」ですな。

客夢驚醒■■雷    客夢驚き醒むチンジョウの雷
起攀老樹陟■■    起って老樹を攀じてサイカイを陟る
夜深一望■■白    夜深一望ケンコン白し
万丈■■捲月来    万丈のシュレン月を捲いて来る



【解釈】 わが旅の夢も枕もとの雷の響きに驚きさめ、起き出でて老木にすがりつつ、けわしい山坂を登ってゆくと、深夜だというのに見渡す限り天地も白く、万丈の珠すだれが月光を巻き込んだように美しく輝いて、眼中に飛びこんでくるのだった。



チンジョウ=枕上。まくらの上、寝床に居る時のこと。まくらもと。枕頭、枕辺ともいう。

サイカイ=崔嵬。岩石がごろごろしているうずたかい山。山がでこぼこで険しいさま。崔崔(サイサイ)、崔巍(サイギ)ともいう。

ケンコン=乾坤。天と地。あめつち。

シュレン=珠簾。真珠で飾ったすだれ。珠箔(シュハク)ともいう、珠履(シュリ=宝玉で飾ったくつ)、珠楼(シュロウ=真珠で飾ったたかどの、美しい宮殿、珠殿=シュデン=、珠閣=シュカク=)、珠瓔(シュエイ=真珠の首飾り)、珠纓(シュエイ=真珠で飾ったかんむりのひも)、珠樹(シュジュ=真珠をちりばめたように美しい木)、珠唾(シュダ=真珠のような美しいツバキ、美しい語句のたとえ)、珠珮(シュハイ=真珠のおびだま)。



明治書院によると、この詩は「明治六年(1873)、本願寺の法主大谷光瑩と海外を旅行した折の作」(P169)とあります。ナイヤガラの滝は米国、カナダの国境に在り、高さ50メートル。「乾坤白し」というフレーズはナイヤガラ瀑布を形容したものです。夜暗いはずなのに一瞬にしてぱっと明るくなった世界を詠じています。結句の「珠簾月を捲く」については、「滝に月の光がきらめくさま。単なるダイナミックな表現ではなく、同時に神秘的な雰囲気を醸し出して効果的」と讃嘆しています。「捲」は「簾」の縁語です。なかなかのやり手漢詩人ですね。

柳北は東京生まれ。ジャーナリスト、漢詩人、随筆家。もと幕臣。代々幕府の奥儒者の家に生まれ、安政3年(1856)奥儒者に任命され、徳川家定・家茂に経学を講じました。幕末には外国奉行、勘定奉行、会計副総裁などの要職を歴任し、そのかたわら洋学を修めました。維新後は下野して世相を痛烈に批判しました。明治7年(1874)刊行の「柳橋新誌」は戯文の代表作です。同年9月には「朝野新聞」の主筆として迎えられ、諷刺に富んだ文章で名声を博しました。ジャーナリストとして文章を物するのが上手だったようです。華麗なる転身か?

明治書院にはもう一作品が見えます。詩題は「塞昆」。

夜熱侵入夢易醒    夜熱人を侵して夢醒め易し
■■青草満前汀    ハクサ青草前汀に満つ
故園応是■■節    故園応に是れソウコウの節なるべし
驚看蛮蛍大似星    驚き看る蛮蛍の大いさ星に似たるを



【解釈】 夜に入っても昼間の蒸し暑さは衰えず、人に迫って寝苦しく、旅の夢も醒めがちである。窓から外を見やると、白い砂と青い草が水際に盈ちみちている。考えてみれば、故国日本では、もうそろそろ霜の降りる時節だというのに、驚いたことにこの南の蛮地では大きな星のような蛍がスイスイ飛び交っているのが見えるのだ。


ハクサ=白沙。白い砂、白い砂地。白砂とも。

ソウコウ=霜降。霜が降りること。二十四節気の一つ。寒露と立冬の間、陽暦の十月二十三日ごろ。≠草稿、壮行、走行、滄江、蒼昊、綜絖、蒼庚、叢篁、妝匣、漕溝、痩硬、箱匣、糟糠、艙口、蒼惶、蚤甲。




明治書院によると、「場所はサイゴン、現在のホーチミン市である。この港は鷗外の『舞姫』冒頭の描写で名高いが、サイゴンはヨーロッパから帰郷する際の寄港地。ここで船を休め、あとは香港に寄るだけ。作者が立ち寄ったころのサイゴンは、それほど大きな町ではあるまい。船窓から見える岸辺は、白い砂と青い草ばかり。夜のせいもあるが、昼とて船荷を上げ下ろしする人夫と物売りのおばさん以外それほどの人ではないはず。異国で見る蛍の大きさが、はや霜降りているだろう故国を思い出させる」と解説されています。

先ほどの外遊の帰途の一齣でしょう。視るもの聞くもの珍しい風物ばかり。明治維新期の日本人が見聞を広げていくさまが髣髴とします。それにしても、この柳北ですが、なかなかの“書き手”であることが分かってきました。幕末を乗り越え維新期を迎えた一人ではあるが、さすがに幕臣であったがために新政府の要職に就くべくも無く、むしろ野に下りて自ら文筆業で名を成しました。近代デジタルライブラリーに柳北全集(ここ)が見え、漢詩も多数詠じるとともに、「雑文」と称してさまざまな随筆というか、日記というか、心に浮かびしよしなしごとを書き連ねています。じっくりと読み切れていないのですが、一つだけサンプル的に小文を問題形式で紹介しておきます。旧字体は新字体に改めました。カタカナは明治期の雰囲気を残すため、そのままにしておきます。

題は「青塚ノ記」。中国四大美女の一人、王昭君のお話。漢代にあって友好の印として、不本意ながら夷狄・匈奴族に嫁がされた悲運の女性ですが、恨みを残してこの世を去った証として、彼女の墓は砂漠のど真ん中にあるのにいつも青々とした草が生い茂っているという。この伝説の真偽を文献に当たって検証したものです。あちこちで遊ぶのがお好きな柳北のことですから、本音で言えば自分の足で飛んで行って確かめたかったでしょうな。ジャーナリストらしく冷静に分析している姿勢が印象的な文章です。(先のアドレスの38コマ目をご覧ください)

佳人ノ薄命、古今何ゾ限リ有ラン、而シテ文士才人ヲシテ、長クコンショウシ腸ケシムルモノハ、リ馬嵬ト青塚トニ在リ、然レドモ太真罪業甚ダ重シ、其ノ花鈿委地ノサンカ、亦深ク哀シムニ足ラザルモノ有リ、昭君ガ漢宮ノ姫人ニシテ、遠ク胡地ニチンリンシテ死スルニ至テハ、誰カ之ガ為メニアンルイ滴々タラサルヲ得ン、千載ノ下猶多情ノ人ヲシテ、冷風淡月ノ夕、香ヲ焚キ花ヲ奠シ、遠ク青塚ヲ望ンデ、其艶魂ヲ吊セシムルニ至ル、亦宜ナリ、古来説者云フ、胡地草白クシテ此塚独リ青シ、以テ昭君漢ヲ慕フノ心ヲ標スル也ト、此ノ説頗ルコウトウニ属ス、余嘗テ清人ノ書ニ於テ其説ヲ得タリ、録シテ以テ世ノ雅流ニ告グ、張鵬翮ノ使俄羅行程録ニ云、十八日行十五里、次帰化城、蒙古語庫々河屯也、城南負郭有黒河青塚、遠望如山、策馬往視、高二十丈、闊数十畝、頂有土屋一間、四壁累砌、蔵以瓦兌云々、塚前有石虎、双列白獅子、僅存其一、光瑩精工、必中国所製以賜明妃者也、緑玻璃ガレキ狼藉、似享殿遺址、惜無片碣可考、余曩キニ印度羅馬ノ諸地ニ遊ビ、コビョウ老塚ヲ目撃スルニ往々是レに類スルモノ有リキ、又宋牧仲筠廊偶筆ニ云フ、曹秋岳先生、嘗至昭君墓、無草木、遠而望之、メイモウ作黛色、古云青塚、良然、而シテ述本堂集従征百首ニ云フ、大青山下古青城、青塚依山一例名、祗為才人多伝会、便敢春草亦含弟情、注云、大青山、在帰化城北三十里、産石青、帰化城旧名枯々河屯、蒙古謂青為枯々謂城為河屯、蓋因山得名也、故明妃塚亦称青、非冬草猶青之説、此ノ説最モ確実ナルニ似タリ、然レドモ昭君ハ三十六宮第一ノ佳人ニシテ、胡児ノ婦ト為リ、琵琶ヲ羅帳ニ弾ジ、ヒソウシテ以テ死ス、死シテ骨ヲ絶域に瘞ム、而シテ其ノ地ハ則チ支那上国ノ人多ク往来セザル所ナリ、終天ノ恨其レ果シテ何如ゾヤ、古人故サラニ塚草独青ノ説ヲ作ルモ亦謂ハレ無キニ非ズ、而シテ青塚ノ字面太ダ好シ、シ之ヲ名ヅケテ黒塚ト云フガ如キ有ラバ、則チ是レ鬼女ノ窟ニ適当スルモノ、何ゾ絶代ノ麗姝ガ艶魂ヲ葬ルノ地ト認ル者アランヤ、古人ノ名ヲ下ス、其ノ妙其クノ如キ者有ルナリ、今シゴウ墓銘等ニ於テ、ユビフモウ毫モ其ノ人ニセザルノ標目ヲ以スル者往々少ナカラズ、豈啻黒白青黄ノ其ノ色ヲ失スルガ如キ而已ナランヤ、噫、


▼コンショウ=魂銷▼摧ケ=くだけ▼特リ=ひとり▼青塚=セイチョウ▼サンカ=惨禍▼チンリン=沈淪▼アンルイ=暗涙▼コウトウ=荒唐▼ガレキ=瓦礫▼コビョウ=古廟▼メイモウ=冥濛▼ヒソウ=悲愴▼設し=もし▼シゴウ=諡号▼ユビ=諛媚▼フモウ=誣罔▼倫=たぐい▼而已=のみ



王昭君の墓だけ青草?…んな馬鹿なと思いつつも、蒙古の言い伝えをヒントにその墓の謎を解き明かしています。面白いのは、冒頭のくだりにある楊貴妃と王昭君の対比です。貴妃は国家衰退の原因をつくった「悪女」として捉えられているのに対し、昭君は身を犠牲にして国を守った「義女」として祭り上げられています。貴妃は男を俘にする淫靡でエロチックな女性。昭君は国家の為に義理堅く、背筋がピンと張った女性。対照的な美女二人です。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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