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愚者が才子に勝つには倦まず撓まず努力せよ=五山の禅僧のような漢詩を詠じた桂小五郎

桂小五郎(1833~77、のちの木戸孝允)は、松下村塾門下生ではなかったものの、吉田松陰が二十歳の時に開いていた兵学塾の門下生であり、やはり松陰の薫陶を受けた志士でした。西郷隆盛、大久保利通と並び「維新三傑」と称され、長州閥の中心人物として明治政府で重き役目を果たしました。しかしながら、後世の歴史好きからすれば、木戸としてよりも寧ろ桂のころの活躍の方が目覚ましく印象に残ります。晩年に病に倒れ「ここぞ」という時に働けなかったことによるものでしょう。明治書院「新書漢文大系7 日本漢詩」(P160~161)によると、「桂小五郎としての活躍は映画、芝居でよく知られる。藩論定まらず、藩士同士が殺し合い、また外国船の攻撃を受け、幕府と戦うはめに陥る長州藩を巧みにまとめたのは桂であった。その生涯のハイライトは坂本龍馬の斡旋による薩長同盟」とあります。NHK大河ドラマ「龍馬伝」でも恐らく近日中にはそのハイライト・シーンが見られるのではないでしょうか。

さて、桂(木戸)もまた一流の漢詩人でした。号は松菊といいます。

まずは「偶成」。明治書院から。

才子■才愚守愚    才子は才をタノみ愚は愚を守る
少年才子不如愚    少年の才子愚に如かず
請看他日業成後    請う看よ他日業成るの後
才子不才愚不愚    才子は才ならず愚は愚ならず



【解釈】 才子は才をたのんでつとめる気がなく、愚者は己れの愚かさを知って人一倍努力する。だから少年時代に才子であった者は愚者にかなわなくなる。他日事業を成し遂げた後を見たまえ。少年時代の才子が今は才子でなく、愚かに見えた者が実は愚かではなかったのだ。まったくその逆であったことに気づかされることはたびたびである。



タノみ=恃み。「恃む」は「なにかをあてにすること」。「頼・依」と同義。音読みは「ジ」。恃気(ジキ・キをたのむ=勇気をたのむ)、恃頼(ジライ=たのみとする、恃憑=ジヒョウ=)、恃力(ジリョク・ちからをたのむ=勢力や権力をあてにする)。「恃」が「あてにしてじっと待つ」の意であるのに対し、「頼」は「自分が責任を負うのをなまけて、他人に転嫁する」のニュアンスが強いです。


漢字学習上は正直、それほどの語彙は無いです(「タノみ」も無理矢理問題化しました)。しかし、このシンプルな言葉、内容に桂の性格が滲み出ていると思われます。ウサギとカメの競争のように、スタートダッシュを決めても、途中で懈け癖を覚えたが最後、いつ何時も休まず弛まず前に進んでいる者には負けてしまう。まさに駑馬十駕。刻苦勉励の「駑馬」は、才能依拠の「駿馬」を凌駕するとでも言いたげ。前回みた西郷の詩の「幾歴辛酸志始堅」、則ち「辛酸」を嘗めてこそ人間の志操が堅固となり大業を成すことができるのだという“哲学”に通じています。そういう意味では桂も駑馬であり、辛酸を嘗めに嘗めた人生でした。「五百金」で落籍し、妻に迎えた芸妓・幾松との「らぶすとおりぃ」も名高いですね。松は桂のピンチを何度も救っており、まさに内助の功ですが、そのくだりは今回は無しです。別の機会にでも…。

さてさて、桂(木戸)の「偶成」と言えば、詩吟の世界で有名なものがもう一つあります。明治書院には掲載がないので、このサイト(ここ)を利用して採録しておきます(旧字は新字に改めました)。

■■寒燈照眼明    イッスイの寒燈眼を照らして明かなり
沈思■■無限情    沈思モクザすれば無限の情
回頭知己人已遠    頭を回らせば知己の人已に遠し
丈夫■■豈計名    丈夫ヒッキョウ豈名を計らんや
世難多年万骨枯    世難多年万骨枯る
■■風色幾変更    ビョウドウ風色幾変更
年如流水去不返    年は流水の如く去りて返らず
人似草木争■■    人は草木に似てシュンエイを争う
邦家■■不容易    邦家のゼンロ容易ならず
三千余万奈■■    三千余万ソウセイを奈んせん
山堂夜半夢難結    山堂夜半夢結び難し
■■万峰風雨声    センガク万峰風雨の声



語彙や言い回しが熟れており完成度が高く、宛ら五山の禅僧が詠じた漢詩のようです。


イッスイ=一穂→菅茶山の「冬夜読書」の第四句である「一穂青灯万古心」が想起されます(この記事)。
モクザ=黙坐
ヒッキョウ=畢竟
ビョウドウ=廟堂→天下の政を行う場所、政府。あるいは、先祖を祀るみたまやの意もあるがここは前者。
シュンエイ=春栄(春英)→時めいて栄えること。
ゼンロ=前路→「前途」の意。おそらく平仄の関係で用いたのでしょう。
ソウセイ=蒼生→人民、蒼民、蒼氓ともいう。
センガク=千嶽(千岳)→これも含めて最後の句は荻生徂徠の「寄題豊公旧宅」に「千山風雨時時悪」がありました(この記事)。



さてさてさて、明治4年(1871)11月から同6年(1873)9月にかけて、岩倉具視を特命全権大使とする欧米列強諸国の視察団に参加した折、ロシアで詠んだ珍しい詩(1873年)もあります。近代デジタルライブラリー(ここ)から採録。訓み下し文は迂生の独自ですので紕繆やセンスの無さはご容赦ください。

「露国客中作」。

鉄道暮発巴里府    鉄道暮に巴里府を発し
車窓暁望梨水煙    車窓の暁 梨水の煙を望む
千里行程一夢裏    千里の行程一夢の
知是已入露国辺    是知る已に露国の辺に入ることを
憶起遠辞東京去    遠きを憶い起さば東京を辞し去り
屈指■■已三年    指を屈するところソウソウたり已に三年
天子詔命尚在耳    天子の詔命尚耳に在り
愧吾深情有誰憐    吾が深情を愧ずる有り誰か憐れむ
百慮謀治国無益    百慮 国を治むる謀は益無く
千思救飢民難安    千思 飢えし民を救うは安きに難し
緩歩落日心自嬾    緩歩せば落日心自ら
練鉄橋頭夏猶寒    錬鉄の橋頭夏猶お寒し
■■砕月月影乱    ヘキリュウ月を砕き月影乱れ
波瀾纔収月依然    波瀾かに月を収め依然たり
此中感慨無所訴    此の中感慨訴うる所無く
独指東天立風前    独り東天を指し風前に立つ



センチメンタルジャーニーでしょうか。なんとも物悲しい雰囲気です。さすがに足掛け3年も日本を離れているとおセンチになることは必定か。木戸は、何のために外遊しているのか段々わけが分からなくなってきたのでしょうか。元々反りが合わなかった大久保との仲が外遊中に険悪になります。道中は恐らく国造りを忘れた、空しい游蕩三昧だったのでしょう。征韓論で割れた内閣を処理するため二人は帰国を促されたのですが、何だかんだ理由を捏けて同じ船でなく別々のルートを取ることになったほどでした。余談ですが、この使節団にはあの中江兆民や津田梅子ら向学心に燃えた留学生もいたのです。






裏=うち
ソウソウ=匆匆
嬾し=ものうし
ヘキリュウ=碧流
纔かに=わずかに
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char

Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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