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じゃっど~ん、銭ば残したら子供らのためになりもはんぞ?=幕末維新の終わりを告げた西郷隆盛

幾歴辛酸志始堅    幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し
丈夫玉碎恥■■    丈夫玉碎センゼンを恥ず
一家遺事人知否    一家の遺事人知るや否や
不為■■買美田    ジソンの為に美田を買わず



これは西郷隆盛(1828~77)の有名な「偶成」という漢詩です(明治書院「新書漢文大系7 日本漢詩P157~」)。薩摩藩の盟友、大久保利通にあてた書簡に記したものだといいます。左提右挈して明治新政府を築いた二人でしたが、質素な生活を旨とする西郷に対して、大久保をはじめ新政府高官たちの驕奢な生活ぶり。どうにも西郷は是認することができず、その巨体の中に瞋恚の炎が萌し始めました。特に、大久保が東京・芝に建てた豪華な邸宅は反吐が出そうになるくらい不愉快な出来事でした。そうしたエピソードと重ね合わせてもう一度冒頭の詩を読んでみてください。


【解釈】 幾たびか困苦艱難を経て意志も強固となり、不撓不屈の精神も養われるものである。男児たるものは、縦令、玉となってくだけるとも、瓦となって身の安全をはかるのを恥とするものである。わが一家の遺訓を知っているのかね、知らないのかね。わが家では児孫のために立派な田地を買い残すことはしないことになっているのだ。

センゼン=甎全。役に立たない者がむだに存えること。「甎」は「しきがわら」。こちらは「瓦全」(ガゼン)の方が有名でしょう。その前の「玉碎」は「玉となって砕け散ること。名誉や信念を守るため、潔く死ぬことのたとえ」。「碎」は「砕」の旧字です。「玉砕」の方がポピュラーかもしれません。以上の二つは、「北斉書・元景安伝」に見える「大丈夫は寧ろ玉砕すべく、瓦全たる能わず」から来ています。幕末の皇国の志士たちは好んでこのフレーズを用いております。

ジソン=児孫。子と孫。子孫。児輩(ジハイ=子供たち、児曹=ジソウ=)。



艱難辛苦を乗り越えて初めて身につくものがある。最初からあったものではない。西郷の人生は挫折の繰り返しです。遠島への配謫、自殺未遂もありました。西郷は第三句で家訓を持ちだしていますが、先祖代々伝わるものではなく、彼が一代で拵えた家訓と言えるでしょう。財産も成したのは目的ではない結果なのだ。孫子がどんなに可愛くとも、艱難辛苦を越えてこそ得る価値があるのだ。だから、わたしは財産は残さない。次世代にモラルハザードを惹起することにもなるので無駄な金は残さないというのです。西郷のストイックな人生を凝縮した詩と言えるでしょう。

明治6年(1873)、西郷は征韓論に敗れ、下野し、故郷・鹿児島に帰って悠悠自適の生活を送ることを決めます。明治政府にとって対朝鮮外交は富国強兵策を進める上でのポイントの一つともなっていました。これは幕末の吉田松陰や橋本左内らも日本国の独立のためには朝鮮の領土化が欠かせないことを説いており、尊王攘夷運動の「歯車」の一つだったのです。左内と親交のあった隆盛は恐らく、影響を受けていたはずで対朝鮮外交の解決こそが維新を次のステージに上げるものだと考えていた。出兵というよりは自らが特使として赴き、円満に属国化を図ろうという算段でした。

ところが、いったんきまった征韓論は結局、大久保らの反対に遭い、頓挫します。盟友が袂を分かった瞬間でした。お互い気に食わないながらも即座に戦うことを考えていたわけではありません。隆盛が西南戦争で玉砕した明治10年(1877)までの4年間を振り返れば、紆余曲折があります。弊blogはあくまで漢字・漢詩blogであって歴史を振り返るものではないので敢えてここでは触れません。しかし、幕末維新はこれを以て終了することとなります。隆盛の死は時代の変革期のピリオドであり、新しい近代の幕開けを告げるものでもあったのです。

本日のオマケ。隆盛の漢詩を幾つか味わいましょう。「南洲翁遺訓」(角川ソフィア文庫のビギナーズ日本の思想シリーズ、猪飼隆明訳・解説)のP161~162によりますと、「西郷が書き残した漢詩で、一番多いテーマは秋で三一篇、次が春・梅の二六篇、そして次に多いのが山・猟の一八篇だと言う(山田尚二『新版 西郷隆盛漢詩集』財団法人西郷南洲顕彰会)」といいます。山田氏の西郷の漢詩集の一部は、ネットのサイトにもあるものです(ここ)。これによって隆盛の詩を幾つかテーマ順に採録しておきましょう。

まず、秋から。

「秋暁」。

■■声喧草露繁    シッシュツしくして草露繁く

残星影淡照■■    残星影淡くしてタイモンを照らす

小窓起座呼児輩    小窓座を起ちて児輩を呼び

■■督来■魯論    オンシュウ督し来たって魯論をヒモト

【解釈】 こおろぎが鳴きたてているあたり、草はしっとりと露に濡れている。夜明けの空に消え残る星の光は淡く、我が家のくずれかかった門を照らしている。窓辺から立ち上がって子供達を呼び、勉強のおさらいをいいつけて『論語』を開いた。

シッシュツ=蟋蟀
喧しく=かまびすしく
タイモン=頽門
オンシュウ=温習
ヒモトく=繙く

続いて、春。

「偶成」。


再三■■歴酸辛    再三のリュウザン酸辛を歴たり

病骨何曾慕俸緡    病骨何ぞ曾て俸緡を慕わん

今日■■相共賞    今日タイキュウして相い共に賞す

■■情話一家春    ダンランの情話一家の春を

【解釈】 再三にわたって流罪となり、つらい苦しみを経てきた。病みつかれてしまったこの体で、もはや出世して高給を得ようという気もあるはずがない。今日、仕事から退くことができて、一家団欒の中で心のこもった話を交わしながら、春の日を楽しんででいるのだ。

リュウザン=流竄
俸緡=ホウビン
タイキュウ=退休
ダンラン=団欒



次は山・猟。

「山行」。

駆犬衝雲独自■    犬を駆り雲を衝いて独り自ら

豪然■■長嘯断峰間    豪然としてチョウショウす断峰の間

請看世上人心険    請う看よ世上人心の険なるを

■■艱於山路艱    ショウレキするは山路の艱きよりも艱し

【解釈】 猟犬を駆り立て雲を突き抜けて、だひとり攀じ登って行く。そして、切り立った峰々の間で、意気高らかに四週を見渡し、悠々と詩を吟ずる。見たまえ、世間の人々の心はなんと険しいことか。その中を渡ってゆくのは、こうして山路を越えてゆくよりも更に困難なことではないか。

ヨじ=攀じ
チョウショウ=長嘯
ショウレキ=渉歴



最後は征韓論。

「朝鮮に使いするの命を蒙る」。

酷吏去来秋気清    コクリ去り来たって秋気清く

鶏林城畔逐涼行    鶏林城畔涼を逐いて行く

須比蘇武歳寒操    須く比すべし蘇武サイカンの操

応擬真卿身後名    応に擬すべし真卿シンゴの名

欲告不言遺子訓    告げんと欲して言わず遺子の訓

雖離難忘旧朋盟    離ると雖も忘れ難し旧朋の盟

胡天紅葉凋零日    胡天紅葉チョウレイの日

遥拝雲房霜剣横    遥かに雲房を拝して霜剣を横たう

【解釈】 酷しい夏の暑さも過ぎ去って、秋の気配が涼やかにただようようになった。このたび朝鮮の都までは、涼しさを追いかけての旅だ。国の使者としては、いかに困難にあっても屈することのなかった漢の蘇武に、また、死をもって大義を顕した唐の顔真卿にみならわねばならない。
子どもたちに言い残しておきたいことは、なくもないが、もはや言うまい。遠く離れ去るとはいえ、旧友諸君との交誼は忘れがたい。異国の空の下、紅く色づいた木々も葉を散らす頃、傍らには白くひかる鋭利な剣を横たえて、私は遠く祖国の宮城を遥拝していることだろう。

コクリ=酷吏
サイカン=歳寒
シンゴ=身後
チョウレイ=凋零
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char

Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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