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天皇家を不遜に弄び夷狄に魂を売る輩に天誅を!=「坂下門外」でなく獄中で死した児島強介

幕末の志士たちが精神的支柱とした合言葉は「愛国心」でした。幕藩体制を謳歌する間に、西洋列強諸国がアジアに近づき、隣の清国が滅茶苦茶にされ、自ずとその次は「わが日本国の番」との危機感が台頭します。最初こそそれを撃ち払うことに躍起になりますが、次第にその無意味さに気付かされます。新しい国体の在り方を模索する中で、徳川幕府の独裁支配からの脱却と結び付き、「皇国」の意識がこれまでにないほど志士の心を囚えます。そのバックボーンが藤田東湖の主宰した水戸学でした。水戸の尊王の志士たちは良くも悪くも過激な行動で幕末という時代をリードします。

文久2年(1862)に江戸城坂下門外で、老中安藤信正が、幕政改革を目指す水戸の尊攘激派浪士ら6名に襲撃されました。世に言う「坂下門外の変」。大老井伊直弼が倒れた「桜田門外の変」の後、実権を握った安藤は幕府生き残りを掛けて公武合体路線を推し進めます。その最たるものが皇妹和宮降嫁。将軍家が皇族との姻戚関係を築くことです。その意味では幕府も単独で存続できないことは分かっていた。しかし、愛国心に燃える尊皇派からは「天皇家を冒瀆する傲岸不遜なる行為である」との怒りを買うことに。さらに、井伊の開国路線を継承し、西洋列強との貿易拡大を推し進めたことも、攘夷派の憤怒が収まらない状況を一層深刻なものとしていました。そんな中で起きたのが坂下門外の変です。

6人の水戸・宇都宮浪士が実行犯でした。本日は、彼らを資金面で支援した廉で捕らえられ、獄中で病死した宇都宮の商人、児島強介(1837~62、、葦原、草臣)が詠じた詩を玩わうことといたします。

「獄中作」。

愛読文山正気歌    愛読す文山正気の歌
平生所養顧如何    平生の養う所顧うに如何
■■唯待就刑日    ショウヨウとして唯だ待つ刑に就くの日
含笑■■知己多    笑いを含むキュウゲン知己の多きに



【解釈】 年来自分は文天祥の正気の歌を愛読しているのであるが、さて自ら養い得たところは果してどうであろうか。今はただ従容として死刑に処せられる日を待つばかりであるが、幸いにも九泉の下には大義に殉じた多くの知人がいるから、また一緒になれる楽しみに、われながら微笑もわいてこようというものだ。(節を守って死ぬ気持ちと、死を恐れない点は、おそらく文天祥を学んで得たと思っているのである。)




ショウヨウ=従容。ゆったりと落ち着いてくつろぐさま。「従」は「ゆるめる、束縛を解いてのばす」の意。この読みでは「縦」と同義です。従合(ショウゴウ=合従すること、南北の国の連合)、従親(ショウシン=合従して親しくする)、従然(ショウゼン=落ち着いた様子)、従約(ショウヤク=合従の約束、中国の戦国時代に韓・魏・燕・斉・楚・趙の六国が連合して西方の秦に対抗しようとした盟約のこと)。

キュウゲン=九原。墓地。人が死後に行くという地底の世界のこと、よみじ。




明治書院によると、児島強介(葦原)は宇都宮の人で「坂下門外の変に参画(病床にあって行動を共にすることはできなかったが、家産を傾けて資金を用立てている)し、変後捕らえられて獄中で病死する」とあります。まだ、26歳という若さであり、病死にも毒殺説が流れています。結句の「九原の知己」とは坂下門外で先に無念の死を遂げた6人の同志ら仲間を指す。死など怖くはないぞ。国を思う気持ちこそ我にあり。

坂下門外の変は桜田門外の変と比べると、幕末史に対する“影響力”は弱かったかもしれません。井伊の命を奪った桜田門外の変以後、老中ら幕府首脳に対する諸大名の警備は厳重となり、安藤は負傷したが命に別状はありませんでした。しかし、白昼堂々、刺客に襲われた事態に幕府の権威はさらに傷つき、安藤は4月には老中を罷免され、8月には隠居・蟄居を命じられれることとなります。幕府内の権力闘争と相まって、その瓦解に向けた小さな一里塚だったと言えるでしょう。血で血を洗うテロの嵐はまだまだ続きます。


本日のオマケ。安藤信正襲撃テロに参画した志士は各人とも「斬奸趣意書」なる“犯行声明”を懐に隠し持っていたといいます。実行犯である6人は全員が激闘の中、斬死を遂げました。それぞれの懐にあったはずの斬奸趣意書は、戦いの中で逸失します。ところが実は、7人目の志士がおり(名を川辺佐治右衛門という)、彼は襲撃時間に遅刻したため、現場から立ち去り、その足で長州藩邸にいる桂小五郎を訪ねたといいます。そして、桂に後事を託し、割腹自刃して果てたという。このとき、桂に渡された斬奸趣意書が残され、その写本が尊攘志士の間に広く伝えられました。以下は、その写本の一例です(ここ)。本日はその全文をコピペさせていただき、問題といたします。手紙文形式であり、かつ、旧字体です。読むこと自体いささか難しいかもしれません。でも意味は取れると思います。

井伊直弼は掃部頭、安藤信正は對馬守。先の「桜田門外の変」で同志が井伊を折角斬殺したというのに、何故又今ここで、安藤を討たなければならないのかが滔々と語られています。


申年三月赤心報國の輩、御大老井伊掃部頭殿を斬殺に及候事、毛頭幕府へ對し奉り候て、異心を挟候儀には之なく、掃部頭殿執政以来、自己の権威を振ひ、天朝をベツジョ奉り、只管夷狄を恐怖いたし候心情より、コウガイ忠直の義士を悪み、一己の威力を示さんが為に、専ら奸謀を相廻らし候體、實に神州の罪人に御座候故、右の奸臣を倒候はば、自然幕府におゐて御悔心も出来させられ、向後は天朝を尊び夷狄を悪み、國家の安危人々の向背に、御心を付させられ候事も之あるべしと存込、身命を投候て斬殺に及び候處、其後一向御悔心の御模様も相見申さず、彌御暴政の筋のみに成行候事、幕府の御役人一同の罪には候得共、畢竟御老中安藤對馬守殿第一の罪魁と申すべく候。對馬守殿井伊家執政の時より同腹にて、暴政の手傳を致され、掃部頭殿死去の後も、絶てカイゴの心之なきのみならず、其奸謀ザンケイは掃部頭殿よりも趨過し候様の事件多く之あり、兼て酒井若狭守殿と申合せ、堂上方に正義の御方之あり候得ば、種々無實の罪をラショクして、天朝をも同腹の小人のみに致さん事を相謀り、萬一盡忠報國の志烈敷手に餘り候族之ある節は、夷狄の力をかり、取押へるとの心底顕然にて誠に神州の賊とも申すべく、此儘に打過候てはエイリョを悩まし奉り候事は申すに及ばず幕府に於ても御失體の御事のみに成行、センコ迄も汚名を受させられ候様に相成候事鏡にかけて見る如く、容易ならざる御義と存じ奉り候。此上當時の御模様の如く、因循姑息の御政事のみにて、一年送りに過させられ候はば、近年の内に天下は夷狄乱臣のものと相成候事、必然の勢に御座候故、以て片時も寝食を安じ難く、右は全く對馬守殿奸計邪謀を専らに致され候所より指起り候儀に付、臣子の至情黙し難く此度微臣共申合せ、對馬守殿を斬殺申候。對馬守殿罪状は一々枚挙に堪へず候へ共、今其端を挙て申候。此度皇妹御縁組の儀も、表向は天朝より下置かれ候様に取繕、公武御合體の姿を示し候得共、實は奸謀威力を以て強奪し奉り候も同様の筋に御座候故、此後必定皇妹をスウキとして外夷交易御免のチョクジョウを推て申下し候手段に之あるべく、其儀若し相叶はざる節は密に天子の御譲位を醸し奉り候心底にて、既に和学者共に申付、廃帝の古例を調べさせ候始末、實に将軍家を不義に引入、萬世の後迄悪逆の御名を流し候様取計候所行にて、北條足利にも相越候逆謀は、我々共切歯痛憤の至りと申すべき様も之なく候。又外夷取扱の儀は、對馬守殿彌増慇懃丁寧を加へ、何事も彼等が申す處に随ひ、日本周海測量の儀夫々指許し、皇國の形勢悉く彼等に相教へ、近頃品川御殿山を残らず彼等に貸し遣し、江戸第一の要地を外夷共に渡し候類は、彼等を導き我國をとらしめんも同然の儀に之あり、其上外夷應接の儀は、段々指向にて密談数刻に及び、骨肉同様に親睦致候て、國中忠義憂憤の者を以て、却て仇敵の如くに忌嫌ひ候段、國賊と申すも餘りある事に御座候故、對馬守殿長く執政致され候はば、終には天朝を廃し幕府をたふし、自分封爵を外夷に請候様相成候儀明白の事にて、言語道断不届の所行と申すべく候。既に先達てシーボルトと申すシュウイに對し日本の政務に携り呉候様相頼候風評も之あり候間、對馬守殿存命にては、数年を出ずして、我國神聖の道を廃し耶蘇教を奉じて君臣父子の大倫を忘れ、利慾を尊み候筋のみに陥り、外夷同様禽獣の群と相成候事疑なし。微臣共ツウコク流涕大息の餘り余儀なく奸邪の小人をサツリクせしめ、上は天朝、幕府を安んじ奉り、下は國中の萬民ども夷狄と成果候處の禍を防ぎ候儀に御座候。毛頭公邊に對し奉り異心を存候儀には之なく候間、伏て願くは、此後の處井伊安藤二奸のイテツを御改革遊ばさせられ、外夷をキンチクしてエイリョを慰め玉ひ、萬民の困窮を御救ひ遊ばされ候て東照宮以来の御主意に御基き、眞實に征夷大将軍の御職位を御勤遊ばされ候様仕り度、若も只今迄も儘にて、幣政御改革之なく候はば、天下の大小名、各幕府を見放し候て、自分自分の國のみ相固候やうに成行候は必然に之あり候。外夷取扱さへ御手に餘り候折柄に相成候て、如何御處置遊ばされ候哉、當時日本國中の人々、市童走卒迄も、夷狄を悪み申さざる者は壹人も之なく候間、萬一夷狄チュウリクを名と致し旗を揚候大名之あり候はば、其方に心き候事疑之なく、實に危急の御時節と存じ奉り候。且、皇國の風俗は、君臣上下の大義を辨じ忠孝節義の道を守候御風習に御座候故、幕府の御處置数々天朝のエイリョに相反し候處を見受候はば、忠臣義士の輩、壹人も幕府の御為に身命をち候者之あり間敷、幕府は孤立の御勢に御成果遊ばさるべく候。夫故、此度御改正の有無は、幕府の御荒廃に相係り候事に御座候故、何卒此義御勘考遊ばされ、傲慢失礼の外夷共を疎外し、神州の御國體も、幕府の御威光も相立、大小の士民迄も一心合體候て、尊王攘夷の大典を正し、君臣上下の誼を明かにし、天下と死生を倶に致し候様、御處置願度、是則臣等が身命を擲ち奸邪をチュウリクして幕府諸有司に懇願愁訴する處の微意に御座候。キョウコウ謹言。

やはり尊皇攘夷派の急先鋒である水戸藩の志士の文章は、“松岡修造”のごとく熱いです。安藤は売国奴だというのです。桂小五郎が突然出てきたのですが、実は安藤襲撃のプランには長州藩も絡んでいたのです。藩内の諸事情あって今回は不成立でした。それでも長州藩は反幕府の急先鋒としてこのあともその存在感を弥増していくことになります。







こたえ)▼ベツジョ=蔑如▼コウガイ=慷慨▼カイゴ=悔悟▼ザンケイ=讒計▼ラショク=羅織▼エイリョ=叡慮▼センコ=千古▼旁=かたがた▼スウキ=枢機▼チョクジョウ=勅諚▼偖=さて▼シュウイ=醜夷▼ツウコク=痛哭▼サツリク=殺戮▼イテツ=遺轍▼キンチク=擒逐▼チュウリク=誅戮▼靡き=なびき▼擲ち=なげうち▼キョウコウ=恐惶
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不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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