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雪の重みに堪えながら節操失わぬ「竹」を見習え=安政の大獄で死罪を免れた藤森天山

安政の大獄で捕らえられたものの、証拠不十分で死罪を免れ追放処分で済んだ儒学者がいます。藤森天山(1799~1862、藤森弘庵)です。明治書院「新書漢文大系7 日本漢詩」(P130~131)によると、「江戸の人。土浦侯に招かれて土浦藩の学制を任され『文武館』(郁文館)を創設するが、保守派の反発に遭い職を辞す。しかし、職を辞してからも土浦侯の信頼は篤く、禄を給されている。土浦を去った後は江戸(下谷)に出て、(帷を下し)子弟の教育に当たった」とあります(カッコ内は迂生が手を入れました)。ここまでは別にどうということもないプロフィール。土浦藩主の信任が篤く、教育熱心な博学の儒学者といったところですが、その内に秘めたる熱き思いは次の漢詩から読み取れるでしょう。

「竹」。

■■千竿竹    ユウケイ千竿の竹
相依積雪時    相依る積雪の時
低頭君莫笑    低頭君笑う莫かれ
■■不曾移    コウセツは曾て移さず



【解釈】 奥深い小路に植えられた千本もの竹。雪の積もったときは互いに寄り添うて、じっとその重みに耐えている。頭を垂れているからといって笑ってはいけない。高い節操を一度も変えたことがないのだから。

ユウケイ=幽径。人気がなく静かで奥深い小道。幽逕とも書く。「径」は「こみち」。

コウセツ=高節。節操の高いこと、りっぱなみさお。高説ではない。



天山は嘉永6年(1853)のペリー来航に際して、幕府の対応に憤激し「海防備論(海防論)」二巻を著し建白しました。これと同時に、時局を論じて「芻言」六巻を水戸藩・徳川斉昭(烈公)に献じて「嘉奨」されました。藩に迎え入れるべしとの声も上がりますが「二君に仕えず」と固辞します。安政4年(1857)には、京に上り当時尊王攘夷運動を展開していた梁川星巌、頼三樹三郎、梅田雲浜、僧侶の月性らと交流します。おそらくは彼らと日本国の在り方について侃侃諤諤の議論を戦わせたのでしょう。そして、安政5年(1858)に孝明天皇が水戸藩に直接勅書を下した「戊午の密勅」への関与の嫌疑がかけられ、「安政の大獄」に連座することとなります。幕吏の取り調べに対して、彼は「死生は命なり吾時に命を委ね以て天下の定まるを竢たん」「一身の存亡世に軽重するなれば士として曷ぞ執るに足らん」と平然と応じたといいます。

詩では自らを「竹」に寓しています。「積雪の時」とは、幕府の弾圧が日に日に厳しさを増す中で、「頭を低れても」、決して「高節」を失わないという天山自身の処世訓。細いがしなやかで強靭な竹のような人間として生きることこそが彼の本望でした。

結局は重罪にならず、「時勢を誹謗する」の廉により、「郊外に放逐」という罪となりました。行く先は下総・行徳村でした。その風聞が世に伝わり、弟子入りを求める者が後を立たなかったといいます。ほどなく桜田門外の変が起こり、井伊直弼が斃れ、禁錮の者らに赦免下り、江戸に戻ることが許されました。1882年に出た「近世先哲叢談続篇(下)」(1889年再版)に見える「藤森弘庵(天山)」の記述(近代デジタルライブラリー、ここ)によると、彼は病に臥した折、辞世の詩を残しています。白文のみ。

伏枕期年鶴骨支
猶聞時事思如糸
空余満腹経綸作
把筆柱書絶命詩


本日のオマケ。さらに、近代デジタルライブラリーを検索していると、藤森天山(弘庵)を題材にした「教育逸話文庫」なるものを発見しました。とても簡単な内容です。偶にはのんびりと道徳のお勉強もよろしいですかね。
ここ

■「獄中尚先生と尊敬せらる」

明る年の二月十三日、再び評定所に召され、水戸の家人、鵜飼幸吉等が持ちかへりし、内勅の事に付て、しかじかの問あり、後又しばしば召し出されて尋ね問はれしかども、もとより己があづかりし事ならねば「知らず」と答ふ。猶くりかへし同じ事を問はるるに、先生、腹立てイタケダカになり「知らざる事は、幾度、尋ねたまふとも、答ふべきやう候はず」とて、覚えず椽板につきたる手を、膝のうへに置きしかば、「こは不敬なり。揚屋入申付る」といへり。この揚屋といふは、武士また神主、僧徒など、身がら賤しからぬものを入るる獄にして、名は異なれども、その実は牢獄に同じ。その内に、牢名主といふものあり。これは久しく繋がれて、其罪、決せざるもの一人をもて、獄中の事をらしむるなり。大方はキョウカン無頼の賊にして、余の囚人を観るふと牛馬に異ならず。新参の囚徒等は、貴賤を問はず、これを駆り使ひ、為めに病を発して死するものも多かりき。此時の名主は、北国の産にして、少し文字をも知れる男なれば、かねてより先生の名を聞き慕ひつれば、先生と称して、これを上座にすゑ、尊敬する事、子弟の如し。ヒツボクの類、獄中にとり入るる事は、禁制なるに、いかにしてか是を得たりけん、多くの紙を出し、物かきてたまはれと乞ふ。先生、キンゼンとして筆をとり、終日、むことなし。さて彼男、先生に向ひ「シャバ、恋しくや、ぼすらんソレガシよきに計らひ候べし」とて、其日より先生は、いたくビョウガしたりと披露せしが、やがて獄を出で療養することを許さる。獄中には囚人を亡者に比し、獄外をばシャバといへり。旧例に、凡そ軽囚、病あるときは、家に帰りて療養することあれど、名主の証を得ざれば、其願かなひ難し。こたびは彼の男のホウシに由ると雖も、是しかしながら、先生が徳義、、むくつけき獄囚の心を感動せし故なりとて、人皆感じあへりとなん。(維新史料、川田博士)



「学問は大事ですよ。いつ何時身を助けるか分かりませんから、ちゃんとやっておきましょうね」という如何にもありがちな教訓です。漢字も平易ですから、「小学校高学年~中学校一年辺り」の道徳の副教材に好適でしょうか?迂生が注目したいのは、安政の大獄の取り調べの現実です。「揚屋」なる牢屋があって、そこには現場を牛耳る牢名主がおり、自宅に帰って病気療養するにも牢名主の許可がいる。。。などなどまさに現場の模様を伝えており興味深い。




こたえ)▼イタケダカ=居丈高▼掌らしむる=つかさどらしむる▼キョウカン=強悍▼ヒツボク=筆墨▼キンゼン=欣然▼ウむ=倦む▼シャバ=娑婆▼ソレガシ=某▼ビョウガ=病臥▼ホウシ=芳志
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不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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