スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

敵情視察のため外遊渇望も頓挫=国内旅行ではインスパイアされた吉田松陰

明治のジャーナリスト、徳富蘇峰が「吉田松陰」に関する論文(岩波文庫刊)を書いています。それによると、松陰は嘉永4年(1851)12月~5年(1852)4月、満22歳のとき、東北旅行をしています。前回ご紹介した漢詩、「磯原客舎」は、その時の模様を認めた「東北遊日記」の嘉永五年正月廿二日、茨城県・磯原(現在の北茨城市、野口雨情の故郷)にて詠じた詩です(ここ、18ページ目を睹てください)。

日記を見ますと、「磯原客舎」の詩の前にも漢詩が載っています。

白文のみ。

濤声砰湃和松声
十里白沙撥眼明
憶起舞妓湾上夢
一樽緑酒酔班荊



「砰湃」は「ホウハイ」。なみがぶつかり合うさま、その音の形容。「砰然」(ホウゼン)ともいう。澎湃と似ているが、こちらは水がこんこんとわき上がるさま。「撥」は「目を見開く」の意。原文では旁が「発」ですが、辞書にないのでこっちで書きました。「緑酒」は「上等な酒のこと」。「班荊」は友人と仲睦まじく並んで、いばらを敷いて座ること。班荊道故(ハンケイドウコ)を想起しましょう。



松陰の東北旅行は「武総の野を経て、水戸に赴き、白川に出で、会津に入り、越後に往き、佐渡に航し、転じて羽州を貫き、さらに寒沢に抵り、遙かに函館海峡を隔てて松前を望み、転じて仙台より米沢に到り、再び会津を蹈み、日光を経て江戸に帰れり」(岩波文庫「吉田松陰」P80)という長大な旅程でした。

松陰がなぜこの旅行を敢行したか、そして、外国渡航を企てたのかについて蘇峰が論考したくだりがあります(同書P82~85)。本日はここを引用して問題としたいと思います。漸長いです。

 その東北行において、最も大なる印象を加えたるは水戸なるべし。彼の尊王論は水戸派の尊王論にあらす。そのエンゲン各々同じからずして、ゴウも水戸派の議論に負う鮮なきが如しといえども、その実未だ必ずしも然りというべからず。然も王覇の弁、カイの説、神州たる所以、二百年来水戸人士のこれを講ずる精かつ詳。後水戸学の宿儒会沢、豊田の諸氏に接し、その談論を聞き、キゼンとして嘆じて曰く、「身皇国に生れ、皇国の皇国たる所以を知らず、何を以て天地の間に立たん」と。嘗て彼の「東北日記」の原稿を見るに、その表紙の裏面に、細字を以て『六国史』云々と乱抹せるものあり。これ彼が水戸に来りて、自家の邦典に明かならざるを愧じ、ハップン以てこれを誌せるなり。帰来急に『六国史』を取ってこれを読み、古の聖君英主海外蛮夷を懾服したるのユウリャクを観て、ガイゼンとして曰く、「吾今にして皇国の皇国たる所以を知れり」と。もしそれ彼の蜻蜓州の頭尾を蹈破して、天下を狭しとするの雄心を生じたるが如きは、活ける学問の学問たる所以と知らずや。

 かくの如く旅行は、彼の活ける学問たりき。然れども彼は亡邸(=勝手に他県に旅に出ること、一種の亡命か)のために、籍を削られ、禄を奪われ、家にヘイキョせしめられたり。彼が行路はここにサテツしたりき。

 これを要するに彼はその眼中、既に地方的固着心あらざりき。彼は長州藩士として天下に立たず、日本人士として天下に立てり。彼は実に天下の士を以て自ら任ぜしなり。その亡邸の挙たる、禄を世にし、籍を世にする封建時代においては、実に非常の事といわざるを得ず。然るにこれを捨てて、ゴウも意に関せざるが如きは何ぞや。果してこれを捨つる程の非常なる道理ありしか。否。彼はただ友人と発程の日を約束し、その期に違わんことを恐れて、かくの如き無遠慮の事を為したるなり。発程の期日を延期したりとて、何程の事かある。この極めて軽小なる事を以て、この極めて重大なるものとう、顧うに彼の眼中において果して自ら安んずる所あるか。

 かつ彼の一生を卜するに、彼恒に身を以てカンナンを避けざるのみならず、自らカンナンを招くもの、その例、即ちこの亡邸の一挙において観るべし。少しくその期日を忍べば、何ぞらに亡邸するに至らん、何ぞ故らに浪人と為るに及ばん、何ぞ故らにこの亡邸のために帰国を命ぜらるるに及ばん。然れども彼はこれを辞せざりしなり。大凡物はその好む所に聚る、彼のカンナンの如きも、またんぞ彼が自ら好んでこれを致したるに非ざる莫きを知らんや。

 サテツ彼において何かあらん、彼は蜻蜓州の頭尾を踏み破りて、満目の江山にそのライカイの気を養えり。彼は故郷にヘイキョせしめられたるに係わらず、知を藩主にうし、再び十年間遊学の許可を得、嘉永六年正月萩を発し、芸州より四国に渡り、大坂に達し、畿内を経、伊賀より伊勢に入り、随所の名士に接し、随所の歴史的古跡、随所のショウクを訪尋し、中山道を経、六月一日を以て江戸に達せり。あたかもこれ米国水師提督ペルリ、軍艦四隻をい、浦賀湾に突至し、国書を献げ、交親通商の期を迫るに際す。彼が平生蓄積したる骯髒(コウソウ=からだがふとって堂々としたさま)マイオウの気、一時に沸発し、正に非常の事を為し、以て非常の功を立てんとす。ここにおいてか万里超海のホウキョは彼を促して、終に自ら禁ずる能わざりき。

 何故に彼は外国に渡航せんと欲したるぞ。……(中略)……

 惟うに彼が外国に航せんと欲したるは、種々の企謀ありしに相違なしといえども、その重なる点は、則ち彼を知り己を知るの意にして、以て一種のカンチョウたらんと欲したりしなり。いわゆる(佐久間)象山が「ビシン別に謀を伐つの策有り、安んぞ風船を得て聖東(ワシントン)に下らん」といいしは、また以てその意の存する所を知るべし。然れどもさらに一層を突進して論ずれば、その非常の事たりしがためのみ。彼は非常を愛して、凡俗の行をなすを厭う。もし衆人みな独木橋を渡らば、彼んぞ喜んで渡らん。ただ人の為すを敢えてせざること、彼敢えて為さんと欲するのみ。

  云々…



こたえ)
▼エンゲン=淵原(淵源)▼ゴウも=毫も▼カイ=華夷▼キゼン=喟然▼ハップン=発憤▼懾服=ショウフク▼ユウリャク=雄略▼ガイゼン=慨然▼蹈破=トウハ▼ヘイキョ=屛居▼サテツ=蹉跌▼易う=かう▼カンナン=艱難▼故らに=ことさらに▼大凡=おおよそ(タイハン)▼焉んぞ=いずくんぞ▼ライカイ=磊塊▼辱う=かたじけのう▼ショウク=勝区▼帥い=ひきい▼マイオウ=邁往▼ホウキョ=鵬挙(鳳挙)▼カンチョウ=間諜▼ビシン=微臣▼奚んぞ=いずくんぞ(なんぞ)



佐久間象山の名前も出てきます。彼の漢詩はまた後日…。

松陰シリーズはあと一回続きます。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

profile

char

Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

calendar
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
recent entry
recent comment
category
monthly archive
search form
RSS links
links
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。