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死して後国を動かす不思議な力=早熟にして早世した吉田松陰

明治書院の「新書漢文大系7 日本漢詩」をベースとして、日本人が漢字を列ねて詠じた「漢詩」を味わうシリーズは愈、江戸時代の幕末・維新篇に突入します。折しもNHK大河ドラマ「龍馬伝」が舞台を長崎に移し佳境に入っております。坂本龍馬、高杉晋作をはじめとする勤王の志士たちの獅子奮迅の活躍ぶりが活写されており、幕末ファンの方々は心を躍らせながらご覧になっているに違いありません。

世の中を変える政事の表舞台の陰で彼らはほぼ例外なく、一人の人間としての心情、乃ち“魂の迸り”を漢詩として世に残しているのが特徴です。表面的な歴史を記録する「正史」ではない、誤解を恐れずに言えば「野乗」の類ではないでしょうか。彼らは社会が流動化する中で、身分の高低に関係なく、高邁な理想を掲げ、独学であれ学問だけは欠かさなかった。そして、漢詩を詠む素養を身につけていたのです。

そんな漢詩でも恐らくは「糟魄」にすぎないでしょう。しかし、彼らが生きた「証」を我々に伝えてくれます。現代社会を生きる我々にとっては、漢詩を詠じる力を育むことは出来なくとも、漢詩を読んで味わい、生きるヒントを見出すことは決して無意味なことと思われません。毎度毎度の迂生の“自己陶酔的”な妄念と言われてもあえて反論はいたしませんが。。。。。

御託を並べた長口舌はここまで。幕末篇で味わう漢詩は、これまでの儒学者や僧侶と異なり、いわば志士たちの日記に過ぎず、その歴史的、文学的価値には甲論乙駁あるでしょう。それを前提として、当時の若者のホンネに迫りたいと思います。

まずは、可惜多くの人材を九泉に葬った「安政の大獄」に纏わる人々から味わうことといたしましょう。迂生の“歴史認識”では、「幕末」と言えば「安政の大獄」がスタートして以降の約10年間を指すと考えます。無論、それ以前のさまざまな出来事、例えば、ペリー来航なども広義の意味では含まれるでしょう。それでも、「末」という言葉に注目したい。約260年続いた江戸幕府が瓦解し新政府が台頭するプロセスを俯瞰した場合、全体の十分の一にも満たない最後の10年間を「末」と称したいのです。王政復古の大号令・1868年から10年を遡れば、1858年の「安政の大獄」に当たるのです。異論は芬芬でしょうが。

劈頭は勿論のこと吉田松陰(1830~59)です。

「磯原客舎」。

海楼把酒対長風    海楼酒を把って長風に対す
顔紅耳熱■■濃    顔紅に耳熱してスイミン濃かなり
忽見■■万里外    忽ち見るウントウ万里の外
蔽海来■■    巨ゴウ海を蔽うてモウドウ来る
我提吾軍来陣此    我吾が軍を提げ来りて此に陣す
貔貅百万髪上衝    貔貅百万髪上り衝く
夢断酒解灯亦滅    夢断え酒解けて灯亦滅す
■■撼枕夜■■    トウセイ枕を撼がして夜トウトウ



【解釈】 海辺の高楼に酒をくみながら万里の長風に向かうと、顔は紅くほてり、耳も熱くなり、いつしか酔いつぶれ、ぐっすり寝込んでしまった。たちまち夢の中で、雲と波と一つになった彼方から、大きな海亀が海を覆うように、外国の軍艦が寄せて来るのを見た。われもこれを迎え撃とうと、わが軍勢を率いて来てここに陣取れば、百万の勇士は怒髪冠を衝くばかり、まことに意気軒昂、たのもしき限りである。ふと夢も破れ酒の酔いもさめたときには、灯火も燃え尽きて真っ暗闇、ただ怒濤の声が枕を揺り動かさんばかりにどどーん、どどーんと聞こえていた。


スイミン=酔眠。酒に酔って眠ること。引っ掛けです。

ウントウ=雲濤。雲と波。

ゴウ=鼇。ウミガメ。「鼇」の一字で「おおうみがめ」とも訓む。鼇頭(ゴウトウ=おおうみがめの頭、書物の上欄に書きこんだ註釈、頭註)、鼇峰(ゴウホウ=翰林院のこと)、鼇山(ゴウザン=山車のこと)。

モウドウ=艨艟。いくさぶね、軍艦。艨衝(モウショウ)ともいう。≠盲動、妄動。

トウセイ=濤声。波のうねりの音。「濤」は「なみ」。濤波(トウハ=うねり、濤瀾=トウラン=)。

トウトウ=鼕鼕。とんとんという太鼓やつづみの音。これは難問か。滔々、罩罩、盪盪、偸盗、叨叨、幢幢、掉頭、沓沓、滔蕩、董統、蕩蕩、東陶などと区別しなければなりませんが、ここも太鼓などの音ではない比喩的な表現で用いているので難しい。

貔貅=ヒキュウ。猛獣の名。豹に似ている。太古の時代には飼い馴らして戦争に用いたという。勇猛な軍隊を比喩する言い方でもあります。貔虎(ヒコ)ともいう。



明治書院(P125)によると、この詩は「東北旅行の際、磯原(茨城県)の宿で見た夢を詠じたもの」とあります。松陰は長州萩の人。八歳で藩校明倫館に出仕し、十歳のとき、藩主の前で兵学を講じるほどの「早熟児」でありました。叔父の開いた松下村塾で学問に専念しながら世情を慮り、各地を経めぐり、ペリー来航時には便乗して世界を見ようと企てました。安政の大獄では島流しで済むところを、自らが老中暗殺を計画したことを告白して死罪になってしまうという不幸な末路でした。わずか二十九歳のことです。しかしながら、その遺志は弟子を通じて明治維新の推進力となります。死して後、影響力を行使したのです。松陰の漢詩は技巧はない。ストレートな感情を詠んでいる。「酒」と「眠り」に関する言葉が多く出てくるのが面白い。酒に酔って見た夢で彼の理想の社会を描いているのです。「艨艟」「貔貅」という言葉から滲み出る、外敵から日本国を守ろうという一念は誰にも負けない強いものがありました。

松陰は次回も続きます。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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