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攘夷せよ!火が付く幕府の尻叩く=激烈なる漢詩人カップル・梁川星巌・紅蘭

200年以上もの長きにわたり太平の世を謳歌し、安逸を貪った江戸時代も1800年代に入り、進むにつれてと、あちこちにガタがきて綻びが目立ち、屋台骨が揺らぐようになります。最終的には開国せざるを得ないのですが、そこに行き着く道程において「攘夷」の思想は避けて通れませんでした。前回取り上げた藤田東湖も若き勤王の志士たちに過激な思想を植え付けました。本日紹介する梁川星巌(1789~1858)も東湖と同様の熱き人でした。東湖と比べればどちらかと言うと漢詩人として名を残したのですが、勤王の志士たちにとって精神的支柱として果たした役割も無視するわけにはいきません。明治書院「新書漢文大系7 日本漢詩」(P114)によると、星巌は「梅田雲浜、頼三樹三郎、吉田松陰、橋本左内等と交友があり、没するのがもう少し遅ければ、捕らえられること必定であった」とあります。安政の大獄ですね。

「紀事」。熱い詩です。

当年■■気憑陵    当年のダイソ 気 憑陵
叱咤風雲巻地興    風雲を叱咤し地を巻いて興る
今日不能除外■    今日外キンを除く能わずんば
■■二次是虚称    セイイの二字は是れ虚称



【解釈】 その昔徳川氏の祖家康は頗る盛んで、風雲に乗じ地を巻く勢いで身を興し、征夷大将軍となり幕府を開いた。その子孫たるものが、今日に及んで外患を除き得ないようでは、征夷の二字はその実のない虚称となる(征夷大将軍と言うからには、その名の通り外夷を撃攘すべきである)。


ダイソ=乃祖。汝の祖父。転じて、大祖先、偉大なる始祖。ここは徳川幕府を開いた家康を指す。「乃」は「なんじ、第二人称の代名詞」。乃公(ダイコウ=目上の者が、目下の者に対して自分を言う自称の言葉、父が、自分の子に対して自分をいう自称のことば)、乃今(ダイコン=このごろ、いま)。

キン=釁。すきま、割れ目。「外釁」は辞書に見えませんが、外国から攻められる恐れや外国との煩わしい交渉をいう。外患、外虞、外憂とも同義。釁端(キンタン=戦争が起こったり、不和になったりするきっかけ、仲たがいのはじまり)、釁隙(キンゲキ=すきま、仲たがい)。「釁」はもともと、銅器や酒器などのわれめのことですが、「ちぬる」の訓みも忘れずに。

セイイ=征夷。夷(えびす=外敵)を打ち払うこと。鎌倉時代以来、幕府の長を「征夷大将軍」と称しました。もともと奈良・平安時代は「蝦夷」を討つこと。≠誠意、清渭、霽威。



「憑陵」(ヒョウリョウ)とありますが、辞書では「憑凌」かあるいは「馮陵」となっており、「攻めよせて侵す」の意。「馮」は「向こう見ずにぶつかっていく」。行動が無茶振り、向こう見ずであるさまを「暴虎馮河」(ボウコヒョウガ)というのは「論語・述而」に見えます。

明治書院によると、詩は「老中間部詮勝の上洛を諫めようとして書かれたもの」とあります。安政五年(1858)秋、大老井伊直弼は日米修好通商条約の勅許を得るべく間部を上洛させました。星巌は間部に詩を教えたことがあり、紀事二十五首を作って、大津で出迎えて上洛を思いとどまらせようとしたのです。何よりも「征夷」が「虚称」というのは過激極まりない言葉です。

ところが星巌は虎列剌で急死します。先ほど名前の出た仲間たちが安政の大獄で捕らえられる3日前のことでした。それ以降は愈、血で血を洗う腥い幕末に突入します。数えればあっという間の十年間ですが、なんとまあ濃密な十年間であったことでしょう。弊blogの日本漢詩シリーズも8月からは幕末篇に入ります。

本日のオマケ。梁川星巌の妻、紅蘭も女流漢詩人として名高い。明治書院(P166)によれば、「江馬細香、原采蘋と並ぶ閨秀詩人である」と紹介されており、次の漢詩が載っています。

「牡丹蝴蝶図」。

■■驚世俗    グウゲン世俗を驚かす
周也果何人    周や果たして何人ぞ
怪爾為蝴蝶    怪しむ爾が蝴蝶と為り
偏尋富貴春    偏に富貴の春を尋ぬるを



【解釈】 事にかこつけたつくり話で世俗の人を驚かした荘周とは、いったいどんな人であったのでしょうか。あなたは夢に蝴蝶となって花から花へ飛びまわったと言いますが、ことさらに富貴の花といわれる牡丹の春色を訪ねるとは、平生の持論にも似合わない、とんと訝しく思われますよ。

グウゲン=寓言。事物にかこつけていう話。たとえ話。寓話(グウワ)とも。「寓」は「よる」「よせる」とも訓み、「当座のものを利用してことよせる、かこつけてほのめかす」の意。寓意(グウイ=他の物事にかこつけて、それとなく気持ちや意志を述べること)、寓懐(グウカイ=思いをよせる、自分の思いを他の事物に託する)、寓目(グウモク=注意して視る、注目、寓視=グウシ=)。


明治書院によると、「牡丹の花に蝶がたわむれている画を見て、それに題した詩」とある。「荘子」に出てくる有名な「胡蝶之夢」の故事が思い出されます。夢の中で荘子が胡蝶となり、気持ちよくひらひらと飛んでいるうちに目覚めてみれば、自分自身しかいない。あれれ、夢の中で趙になったのは自分なのか、それとも蝶が夢の中で荘子になったのか。区別がつかなくなってしまいます。紅蘭は、艶やかな牡丹の花に舞う蝶を見て、荘子の胡蝶を思い描いたのですが、「それにしちゃあ、荘子さん、牡丹なんざ、ちょっと派手が過ぎやしませんか?」と諷っているのです。「牡丹」は「富貴」の象徴。所詮、偉そうなこと言っても最後は金金か。。。尊皇攘夷を説いた熱血漢詩人星巌は、その妻も熱き女流漢詩人だったのです。

その紅蘭ですが、こんなお洒落なエピソードも。二人が結婚したのは文政3年(1820)。星巌32歳、紅蘭17歳のことでした。某サイトから借用いたします(ここ)。

星巌は、結婚後2~3ヶ月すると、もう旅に出た。

「わしはちょっと旅に出る。お前は裁縫をすること。それから学問をすること。まず三体詩をよく読んで、その中の絶句を暗誦しておきなさい。」と紅蘭に言い残して飄然と家を出ていってしまった。三体詩は、唐の164家の詩集で七絶・七律・五律の3種を記載するもので、詩学の代表的選集であった。

紅蘭は1ヶ月で絶句を覚えた。さらに律詩まですっかり暗記してしまったのに、星巌はいっこうに帰ってこない。

「見渡せば 野にも山にも霞なり 君は帰らず また春や来し」

春は再び訪れたが、夫からは一片の便りもない。親戚の者たちは、紅蘭がうら若い身そらで、長く空閨を守っていることに心を痛め、実家に戻るよう進言した。

しかし紅蘭は「一旦縁あって嫁いだ上は、一方の意志のみで自ら婚家を去るは、婦道の道に背くもの」と、いじらしくも固い決心をし、夫を信じてひたすら裁縫をし、詩道の勉学に精進した。

そんな星巌を待ち焦がれて詠んだ詩があります。詩題は「無題」。読めばわかるということです。

■■栽芍薬    カイゼンに芍薬を栽え
堂後蒔当帰    堂後に当帰を蒔く
一花還一草    一花還た一草
情緒両■■    情緒両つながらイイたり



【解釈】 前庭にはシャクヤクを植えました。背戸の庭にはセリを蒔きました。一つの花と一つの草と、花には花の思いを映し、草には草に寄せる私の思いがあります。私の心はこうして2つの花と草から離れることはありません。(芍薬は晩春に咲き、春に離れようとするので「将離」ともいう。ここでは夫に別れたこと。当帰はセリのこと。「待ち人は、やがてきっと帰ってくる」。どうして離婚など考えられるでしょう。)(訳・冨長蝶如)



カイゼン=階前。家に上がる階段の前、前庭のこと。

イイ=依依。なつかしげで離れにくいさま。依遅(イチ=ぐずぐずしてゆっくり物事をするさま)、依附(イフ=よりそってたよる)、依微(イビ=ぼんやりとしていてかすかなさま)。



星巌は足かけ3年目(文政5年・1822)、ようやく紅蘭の待つ曽根に帰ってきた。星巌が長い無音を陳謝した後、絶句の暗誦を質したところ、絶句はもとより三体詩494全部を暗誦しているので、すっかり感心し、褒めたたえた。    云々。。。


お洒落な漢詩人カップルですわ。
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Author:char
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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