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幕末の勤皇の志士よ国のために立ち上がれ!!=「正気の歌」で鼓舞した藤田東湖

藤田東湖(1806~1855)は、父親幽谷と共にいわゆる「水戸学」を確立した儒学者です。西郷隆盛が最も敬愛した尊皇攘夷論者でもあり、幕末の多くの志士たちが彼の思想の影響を受けています。同志に会澤正志斎がいます。

まずは、東湖の「題菊池容斎図」(菊池容斎の図に題す)から味わいましょう。

■■得雲雨    コウリョウ雲雨を得ば
非復■■物    復たチチュウの物に非ず
如何■■裡    如何ぞフウジンの裡
徒使英雄屈    徒に英雄をして屈せしむる



【解釈】 蛟竜も雲雨を得れば天に上り、もはや池中一個の生物ではなく。鬼神のごとき変化を現す。時を得れば英雄とても同じこと。どうして詰まらない俗塵の中に英雄をとじこめておくのであろうか。



コウリョウ=蛟竜。想像上の生き物であるみずちや竜。君主や英雄にたとえる。「蛟竜雲雨を得」は「三国志・呉志・周瑜伝」にある成句で、「君主たる者が人民の心を得て威信が備わったたたとえ、また、英雄が機会をとらえて大業を成すたとえ」の意。実力者がチャンス到来とばかり行動に出れば一気に天下を手中に収めるということ。なかなか来ないんですけどね…。≠荒寥、亢竜、岡陵、後梁、拷掠、杠梁、狎猟、膏粱、虹梁、郊燎、粳糧、高粱、綱領、稿料。

チチュウ=池中。いけのなか。これは引っ掛け。「地中」ではない。だって、蛟や竜に付き物は「水」ですからね。「土」の中にいるのは鼴鼠や螻蛄や蚯蚓でしょ?況んや、「踟躊」ではないけれど、「チチュウ」の音でこの漢字を浮かべられた人は語彙のセンスありです。

フウジン=風塵。かぜとちり。風に巻き起こされる土ぼこり。転じて、わずらわしく、けがらわしい物事のたとえ。俗事・俗世間のこと。「風神」は「風の神」、「風人」は「詩人」。



菊池容斎(1788~1878)は、幕末から明治時代初期にかけての日本画家です。歴史画を得意とした復古大和絵派。日本古来の忠臣・義士・烈婦など五百余人の像を描き、1868年に「全賢故実」(全10巻)として上梓しました。東湖が題した図は誰を描いたものだったのでしょうか?明治書院には「竜は勤王の志士か」と提起されています。この詩が詠まれた時期は定かではありませんが、東湖が存命のころはまだ志士たちは若い。したがって、特定の個人ではない、子供の蛟か、はたまた鳳雛か。

明治書院「新書漢文大系7 日本漢詩」(P109)によれば、「その大義を明らかにし、名分を正し、国体を擁護するという学は、その後の日本の歴史の折々に過激な盲信者を生み、暗い影を落としている。東湖自身は一言で言えば至誠の人」とあります。ただ、歴史的に見て惜しむらくは、安政2年(1855)の安政の大地震に際し、小石川の水戸藩邸内で、老母をかばって圧死したことでしょう。享年50歳でした。現在、水戸藩邸跡は小石川後楽園となり、その一画に東湖追悼の石碑が建っています。もし彼があと20年長生きていたなら、どのような明治維新になっていたでしょうか?江戸幕府はあんな風に倒れていたのでしょうか?


本日のオマケは東湖の代表作と云っていい『正気(せいき)の歌』(正式名:『文天の正気歌に和す』)。水戸藩主徳川斉昭が讒言により幕府から隠退を命ぜられ、駒込の別邸に幽閉されたのに従い、江戸の藩邸に幽囚された時に作られました。南宋末期の志士、文天の「正気歌」に寄せた漢詩。幕末の志士を鼓舞するばかりか、明治、大正、昭和初期と愛国的な人々に愛唱されました。某サイト(ここ)からいただきます。読みがなは省略し、表現などを一部手直ししています。兎に角長い。オマケとは言いつつも、こっちの方がメインかも。。。問題づくりも困難を極めました。語釈や解説はなし。思想的な話もなしにしましょう。数多くの史実が登場します。すらすらと朗読できて頭にイメージが浮かぶかどうか。難しい漢字もあります。調べてみましょう。

天地正大氣    天地正大の気
粹然鍾州    粋然として神州に
秀爲不二嶽    秀でては、不二の嶽と為り
■■聳千秋    ギギとして千秋に聳え
注爲■■水    注ぎては、タイエイの水と為り
洋洋環八洲    洋洋として八洲を環る
發爲■■櫻    発しては、バンダの桜と為り
衆芳難與儔    衆芳与にひし難し
凝爲百錬鐵    凝りては、百錬の鉄と為り
鋭利可割鍪    鋭利なること鍪を断つべし
藎臣皆■■    藎臣、皆ユウヒ
武夫盡好仇    武夫、尽く好仇
神州孰君臨    州、孰か君臨す
萬古仰天皇    万古、天皇を仰ぐ
皇風洽■■    皇風はリクゴウ
明大陽    明徳は大陽にし
不世無汚    世に汚隆無くんばあらず
正氣時放光    正気、時に光を放つ
乃參大連議    乃ち大連の議に参し
■■排瞿曇    カンカンとして瞿曇を排す
乃助明主斷    乃ち明主の断を助け
燄燄焚伽藍    燄燄として伽藍を焚く
中嘗用之    中、嘗て之を用ふ
宗社磐石安    宗社、磐石安し
丸嘗用之    清丸、嘗て之を用ひ
妖僧肝膽寒    妖僧、肝胆寒し
忽揮龍口劍    忽ち龍口の剣を揮ひ
虜使頭足分    虜使、頭足分る
忽起西海颶    忽ち西海の颶を起し
■■殱胡氛    ドトウ、妖氛を殱す
志賀月明夜    志賀、月明かなる夜
陽爲■■巡    陽りてホウレンと為りて巡る
芳野戰■日    芳野、戦タケナワなるの日
又代帝子屯    又、帝子に代りて屯す
或投鎌倉窟    或は、鎌倉の窟に投ぜられ
憂憤正愪愪    憂憤、正に愪愪
或伴櫻井驛    或は、桜井の駅に伴ひ
遺訓何殷勤    遺訓、何ぞ殷勤なる
或守伏見城    或は、伏見の城を守り
一身當萬軍    一身、万軍に当る
或殉天目山    或は、天目山に殉し
幽囚不忘君    幽囚、君を忘れず
承平二百歳    承平、二百歳
斯氣常獲伸    斯の気、常に伸ぶるを獲たり
然當其■■    然れども、其のウックツするに当りては
生四十七人    四十七人を生ず
乃知人雖亡    乃ち、知る人亡ぶと 雖も
英靈未嘗泯    英霊、未だ嘗てびず
長在天地間    長に天地の間に在り
凛然敍彜倫    リンゼンとして、彜倫を叙す
孰能扶持之    孰か能く之を扶持するものぞ
卓立東海濱    タクリツする東海の浜に
忠誠尊皇室    忠誠、皇室を尊び
孝敬事天    孝敬、天神に事ふ
修文兼奮武    文を修め、兼ねて武を奮ひ
誓欲■■    誓つてコジンを清めんと欲す
一朝天歩艱    一朝、天歩
邦君身先淪    邦君、身先づ淪す
頑鈍不知機    頑鈍、機を知らず
罪戻及孤臣    罪戻、孤臣に及ぶ
孤臣困葛藟    孤臣、葛藟に困しむ
君冤向誰陳    君冤、誰に向かひてか陳べん
孤子遠墳墓    孤子、墳墓に遠ざかる
何以報先親    何を以て先親に報ぜん
■■二周星    ジンゼンたり二周星
獨有斯氣隨    独り、斯の気の随ふ有り
嗟予雖萬死    、予万死すと雖も
豈忍與汝離    豈汝と離るるに忍びんや
屈伸付天地    屈伸、天地に付す
生死又何疑    生死、又、何ぞ疑はん
生當雪君冤    生きては当に君冤を雪ぎ
復見張四維    復た四維を張るを見るべし
死爲忠義鬼    死しては忠義の鬼と為り
極天護皇基    極天、皇基を護らん



「現代語訳」(八神邦建訳) ここからは完全に先ほどのサイトからそのまま借用しました。参考程度に…。

天地に満ちる正大の気は、粋を凝らして神州日本に集まり満ちている。
正気、地に秀でては富士の峰となり、高く大いに幾千年もそびえ立ち、
流れては大海原の水となり、あふれて日本の大八洲をめぐる。
開けば、幾万もの枝に咲く桜の花となり、ほかの草木の及ぶところではない。
正気、凝れば、百度(ひゃくたび)鍛えし日本刀となり、切れ味鋭く兜を断つ。
忠臣いずれもみな勇士。武士ことごとく良き仲間。
神州日本に君臨されるはどなたか。太古のときより天皇を仰ぐ。
天子の御稜威(みいつ)は、東西南北天地すべてにあまねく広がり、
その明らかなる御徳は太陽に等しい。
世の中に栄枯盛衰の絶えることはない。時に正気が光り輝く。
たとえば、欽明帝の御代のこと。物部尾輿(もののべのおこし)、中臣鎌子、
大連(おおむらじ)の議にて、剛直なる正論をもって、
蘇我稲目(そがのいなめ)の惑える仏教を排斥した。
すなわち、英明なる帝の叡慮を助け、蘇我の仏像、海に捨て、
私寺ことごとく焔をあげて焼きつくした。
たとえば、中臣鎌足、正気をおこなう。「乙巳(いっし)の変」(大化の改新)。
蘇我氏の専横、倒して皇室国家を磐石安泰ならしめた。
たとえば、和気清麻呂、正気をおこなう。宇佐八幡の御神託をいただいて、
妖僧「弓削道鏡」、肝を冷やした。
同じく、北条時宗。建治元年(1275年)、降服迫る「元」の使節を虜にし、
相模の国は竜の口にて切り捨てて、捕虜の首と胴を泣き別れにした。
同じく、元寇襲来のとき、正気は玄界灘の猛風を起こし、
怒涛とともに外国軍の異様な気配を滅ぼしつくした。
後醍醐帝の御代のこと。元弘の変(1331年)。倒幕の企て洩れて、
志賀の比叡山に逃れた夜は明るい月夜。
さらに藤原師賢(もろかた)ら、帝の御衣(みけし)を借り、
帝の乗り物にて行幸を偽り、延暦寺へ。帝はその間に笠置の山へ移りたもう。
南朝は吉野城の戦いたけなわなるとき、元弘三年(1333年)、
護良(もりなが)親王の忠臣、村上彦四郎義光(よしてる)、正気を行う。
帝子(大塔宮・護良親王)の身代わりに、落城さなか宮の鎧兜をいただき切腹す。
あるいは、建武新政、護良親王、正気を行う。
足利尊氏の誅殺くわだて、鎌倉は東光寺の土牢に幽閉さる。
深い憂憤、苦悩のうちに弑殺さる。時に二十八歳。
あるいは、楠木正成、正行(まさつら・11歳)父子の桜井の駅の別れのとき。
正成四十三歳、正気を行う。生き延びて最期の一人になるとも帝を護れ、と遺言するは、
なんとねんごろなことか。勝てぬ戦と知りながら、大楠公、湊川にて討ち死にす。
あるいは、天正十年春三月、織田信長に敗れた武田勝頼、天目山にこもりいる。
讒言にて幽閉されていた小宮山内膳正友信、主君の恩を忘れず、これが最期のお供だと、
駆けつけ許され殉死した。
あるいは、天下分け目の関が原、徳川家康が股肱の臣、鳥居彦右衛門元忠、
主君の囮を買って出て伏見の城を守り奮戦。
二千の手勢とわが身をもって、四万の敵に当たって討ち死にする。享年三十三歳。
以来、太平の世は二百年。かくのごとく正気は、常に伸びるを得てきた。
しかし、正気は、その鬱屈するときもあったが、赤穂義士の四十七人を生み出す。
すなわち、当時を知る人々が亡くなっても、英霊たちが滅んだことは、いまだかつてない。
正気、とこしえに天地の間にあって、りりしく普遍の道を現し続ける。
かくのごとき正気を、だれが助けて伸ばせるだろうか。人為でできることではない。
抜きん出て立つ東海の日本の浜辺、忠誠つくして皇室を尊び、
両親を敬うがごとくに、天津神につかえまつる。
学問を修め、さらに武道をきわめ、誓って異国のけがれを払わんと欲す。
ある日、時運、困難となり、水戸藩主・徳川斉昭の身は隠居謹慎を命ぜられて表より消え、
幕府は時機を見るに頑迷にして愚鈍。
藩主の冤罪は、一人残された腹心・東湖に及んで蟄居幽閉の身となった。
東湖、蔦葛(つたかずら)のつるにからまれたごとく苦しみ身動きが取れない。
藩主の冤罪、誰に向かって陳述できようか。
わが身は、江戸の水戸藩下屋敷にあり、先祖の墓のある郷里からも遠ざかっている。
どうやって亡父亡母のご恩に報いることができようか。
いつしか二年の時が過ぎ、幽閉の身に、ただこの正気のみが満ちている。
ああ、わが身は、たとえ死を免れぬとしても、どうして正気よ、おまえと離れることを忍べようか。
わが命の絶えるも伸びるも天地の神におまかせする。生きようと死のうと、疑うことなどできようか。
生きるならば、まさに主君の冤罪を晴らし、
主君のふたたび表舞台で国の秩序を伸張する姿を見るにちがいない。
死しては、忠義の鬼と化し、天地のある限り、天皇の御統治をお護り申し上げよう。




こたえ) あつまる、巍巍、大瀛、万朶、たぐひ、熊羆、六合、あまねく、侃侃、怒濤、鳳輦、酣、鬱屈、ほろびず、凛然、イリン、卓立、胡塵、なやみ、荏苒、ああ
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char

Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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