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君は西施のその後の消息を御存じか?=范蠡と船で越を去ったと詠んだ朝川善庵

「臥薪嘗胆」とは仇に報いるため、堅い薪の上に寝て(痛いよねぇ~)、そして、熊の胆を嘗める(苦いよねぇ~)、まさに「艱難辛苦」することです。中国春秋時代、呉と越のロングランバトルのお話。戦死した呉王闔廬の子の夫差は、父の仇を忘れないため、薪の上で寝起きして復讐心を掻き立て、ついに会稽山で越王勾践を降伏させました。これに対し、勾践は助命を嘆願してやっと許されると、国に戻り寝室に苦い熊の胆を吊るして、これを嘗めながら報復の志を励まして、苦心の末に夫差を破りました。

范蠡は越王勾践の参謀で、呉王夫差を破る際の戦で大活躍しました。また、西施は范蠡の策略で越から呉に献上され、絶世の美貌を武器に夫差を蠱惑の俘に陥れ、呉滅亡に一役買ったいわば色仕掛けの“刺客”です。「会稽之恥」をすすいだ越王勾践の喜びを象徴する范蠡と西施といういわば、ヒーローとヒロインが仲睦まじく、一つの船に乗って意気揚々と越国を去る――。そんな画に題した漢詩が江戸後期の儒学者、朝川善庵(1781~1849)の「范蠡載西施図」(范蠡、西施を載するの図)です。まずはじっくりと味わってみてください。

安国忠臣傾国色    国を安んずるの忠臣国を傾くるの色
片帆俱趁五湖風    片帆俱にう五湖の風
人間■■君知否    人間のイフク君知るや否や
呉越存亡■■中    呉越の存亡イッカの中



【解釈】 越王勾践を助けて国を安定した忠臣范蠡と、呉王夫差を魅了して国を傾けた美人西施と、互いに相携えて一片の帆船に乗じ、五湖の風をうけて越の国を流れゆく。人世の禍福の互いにより合って、いつどんな変化が起こるか、諸君はご存じであろうか。この画をよく見るがよい。呉の禍は越の福となり、その存亡にそれぞれ関係のあった二人が今や同じ舟に乗って、越を去るのである。



イフク=倚伏。よりかかったり、中に隠れていたりする。禍が福のもとになり、また福の中には禍が隠されているという、禍と福が互いに生じる因果関係のこと。老子「五八章」の「禍兮福之所倚、福兮禍之所伏」から。≠畏伏、威伏、異腹、衣服。「倚」は「よる」と訓む。よりかかること、もたれること。倚几(イキ=すわったとき、よりかかる台、ひじかけ)、倚馬之才(イバのサイ=すぐれた文才)、倚門(イモン=門によりかかる、売春婦)、倚門之望(イモンのボウ=父母が子の帰るのをひたすら待ち望むこと、倚閭望=イリョのボウ=とも)、倚廬(イロ=父母の喪に服する間、仮に住む小屋)、倚魁(キカイ=不思議で怪しい)、倚人(キジン=体の不自由な人、畸人=キジン=、風変わりな人)。

イッカ=一舸。一艘のおおぶね。「舸」は「おおぶね」とも訓む。≠一価、一家、一禾、一過、一課、一科。舸艦(カカン=大きな軍艦)、舸船(カセン=大きなふね)。

趁う=おう。はなれずにぴったりと後ろからついていく、すきまなく追う。音読みは「チン」。趁船(チンセン=定時の船や車に乗り込む、便乗する)、趁時(チンジ=時につけ込む、隙に乗じる)。



詩は何だか“意味深”ですね。呉滅亡後の西施の消息には二説あります。①夫差の自害後、西施は越国に無事保護され、勾践は彼女を後宮に入れようと考えたが、范蠡をはじめ重臣たちは「西施は呉を傾国させた美女。夫差の轍を踏まれるおつもりか」と猛反対。勾践は西施を恐れ、越国に禍もたらす悪女として密かに処刑した②西施は范蠡と恋仲にあって、西施が呉の夫差の許へ発つとき、この戦が終わったら旅に出ようと約束し、西施は夫差に抱かれながらも范蠡をいつも想っていた。そして呉滅亡後、西施は范蠡の許へ戻ることが叶い、二人は越国を出ることに。范蠡は商人となって成功、巨万の富を得て西施と共に優雅な余生を送った(猗頓之富=イトンのとみ=の故事)。いずれも伝説にすぎない話ですが、善庵の詩は②の説を採っていますね。例えば、「十八史略」では「臥薪嘗胆」はあるものの、西施のことは一言も触れられていません。また、呉滅亡後、范蠡が妻子召使いを連れて越国を去り、大金持ちになったことは書かれています。その妻が西施であるかどうかは判然としません。


明治書院(P103)によると、善庵のプロフィールは、折衷学派の儒者、片山兼山の子であるが、兼山が「妻子を残して没し、母は医者朝川黙翁に嫁いだ。善庵が父の姓と異なるのはこのため。折衷学派の山本北山の門に入り、京阪、長崎にも足を伸ばして学を磨いている」とあります。松浦侯、藤堂侯などの諸侯から、賓師の礼を受けた儒者であり、「文化十二年(1815)に清国の船が下田に来たときには江川太郎左衛門の要請を受けて中国語の通訳を筆談で務めた」とあります。

中国の経書はもちろんのこと、十八史略をはじめとする歴史に通暁していたのでしょう。簡潔な七言絶句、二十八字の中に、呉越の戦いを詠み切り、最後に范蠡と西施のエロチックなムードで余韵を残すテクニックはさすがであると同時に、儒者らしからぬセンスもお持ちですな。
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2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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