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杜甫の岱山に倣って富士山を制覇せよ=「異学の禁」を進言した柴野栗山

時の為政者は政権運営に手詰まり感が見えると、教育問題を突破口として統制を図ろうとしがち。旧自民党の安倍政権下では教育基本法改正を手はじめとして、「教育再生」を錦の御旗にいろいろな施策を打ち出し、思想的に愛国心、伝統文化の重視を植え付けようとしました。「コンクリートから人へ」を掲げる民主党政権でも教育を重視する姿勢を示し、高校教育の家計負担軽減などを推し進めています。いずれもこの国が向かうべき“ベクトル”としては間違ってはいないでしょう。手法や理念には聊かアグリーできない面もありますが。。。

ところで、江戸時代後期・寛政年間のころに行われた「寛政異学の禁」をご存じか?江戸幕府は家康の創業以来、朱子学を中心とする儒学政策を採り、藤原惺窩・林羅山の重用にはじまり五代綱吉の湯島聖堂創建で最高潮を迎えました。ところが、その後、八代将軍吉宗は実学を重んじ、また、そのころ、荻生徂徠を祖とする古文辞学が流行したこともあり朱子学はいったん廃れます。

幕政の中弛みを立て直すべく老中松平定信が主導した「寛政の改革」で採られたのが、朱子学を正学としてこれ以外の学問を禁じる「寛政異学の禁」(寛政2年=1790年発出)。今で言うなら「教育改革」に踏み切ったのです。一種の思想・言論統制であり、幕府が公式に認める学問は朱子学であることを明確にし、林家の私立だった湯島聖堂を、官立の昌平坂学問所(昌平黌)に改め、ここでは異学の教授を禁止しました。あくまで全国の藩校に及ぶものではありませんでしたが、次第に各藩でも幕府の方針に倣うところが増えたため、古文辞学などを学ぶ者が減りました。この異学の禁止を定信に進言した中心人物が朱子学者、柴野栗山(1736~1807)です。古賀精里、尾藤二洲と「寛政の三博士」とも言われております。

明治書院「新書漢文大系7 日本漢詩」(P68)に栗山のプロフィールが書かれています。「讃岐高松(香川県)の人。十七歳にして江戸に上り昌平黌で学ぶ。二十九歳のとき京都に行き国学を修め、阿波の蜂須賀侯に召しかかえられる。十年ほど阿波の子弟の教育に尽くした後、松平定信の老中就任を機に幕府の儒官となった」とあります。続けて「朱子学の復興に努めることを己の任と心得、西山拙斎の言を容れて定信に朱子学以外の儒学を禁ずることを進言。これが『寛政異学の禁』となる。幕府の儒官として林家を補佐し重きをなし、事あるごとに幕府の諮問を受けた」とされます。

前置きが長くなりましたが、本日は、彼が京都遊学時代に詠んだ「月夜歩禁垣外」(月夜禁垣の外に歩す)から味わいましょう。

■■西風送桂香    ジョウエンの西風 桂香を送る
承明門外月如霜    承明門外 月霜の如し
何人今夜清涼殿    何人か今夜 清涼殿
一曲■■奉御    一曲のゲイショウ 御ショウを奉ず



【解釈】 御所の垣根のあたりを散策すると、秋風が御苑の木犀の香りを吹き送って、まことにすがすがしい。あたかも承明門の外は月色冴えて、満地の霜を思わせるばかりである。折しも清らかな笛の音が賢きあたりから聞こえてきた。何人かが今夜清涼殿で帝の御心を慰めるべく、霓裳羽衣の曲を奏し、一献召しませと杯を捧げているに違いない。


ジョウエン=上苑。宮中の庭園。

ゲイショウ=霓裳。にじのように美しい裳裾(スカート)ですが、ここは「霓裳羽衣曲」の略。すなわち、中国唐代の楽曲の名。玄宗皇帝が道士羅公遠にともなわれて月宮に入り、聴いた音楽を写したものと言われます。白居易の長恨歌で楊貴妃が踊ったものです。「霓」は「にじ」。霓旌(ゲイセイ=羽毛を五色に染めてつづった旗、天子の儀仗の旗)。

ショウ=觴。さかずき。羽觴を飛ばす、濫觴、觴政(觴令)など成句に要注意。



明治書院(P68)によると、「詩は八月十六日、京都御所のあたりを皆川淇園と共に歩いたときのものである」とあります。「禁垣」とは御所をめぐる垣根のこと。「西風」は「万物を実らせるという秋風」をいう。「承明門」は、「紫宸殿の南正面に位置する門。瓦葺、切妻屋根の12脚あり、天皇行幸や上皇御即位後の出入りに用いられる」。第二句にある「月如霜」は、李白の有名な「静夜思」にある「牀前看月光、疑是地上霜」を踏まえているとみられます。「清涼殿」は「帝が日常生活を送られる殿舎」。ここから聞き漏れてくる霓裳羽衣を奏でる笛の音が哀しげで、帝の憂いを感じるばかりだというのでしょうか。しかしながら、のちに寛政異学の禁を出して、古文辞学派を排斥した栗山であるのに、何かしらこの詩は天上世界の幻想観を描き、唐代の李白、白居易といった大詩人の詩を織り混ぜた、まさに古文辞そのものではないか。若い頃には手を染めていたのか?

ある種の矛盾を感じつつ、もう一首行きましょう。詩題は「富士山」。

誰将東海水    誰か東海の水を将って
濯出玉芙蓉    濯い出す玉芙蓉
■地三州尽    地にワダカマって三州尽き
挿天八葉重    天に挿んで八葉重なる
■■蒸大麓    ウンカ大に蒸し
日月避中峰    日月中峰を避く
独立原無競    独立競う無く
自為衆■宗    自ら衆ガクの宗と為る



【解釈】 誰が東海の水で洗い上げたのであろうか、美しい芙蓉の霊峰が、裾野を大地に広げて、甲斐・相模・駿河の三州にあまねく、頂上は高く天空にさしはさみ、八枚の花弁が重なり合って見える。雲や霞もその広い麓から気が蒸して上ったかのようであり、日や月も中央の峰を避けて通るかと思われる。そのすっくとした独立した姿は、他に競うべきものもなく、自然群山の宗主となった形である。

ワダカマって=蟠って。「蟠」は「わだかまる」。とぐろをまく、あぐらをかく。音読みは「バン・ハン」。蟠拠(バンキョ=場所を占めて勢力をもつ)、蟠踞(バンキョ=とぐろを巻いてうずくまる、土地を占有して勢力をふるう、竜蟠虎踞)、蟠屈(ハンクツ=竜などがとぐろを巻く、気がふさいで晴れ晴れしないこと)、蟠結(ハンケツ=複雑に入り組み、むすぼれる)、蟠桃(ハントウ=仙人が住む山の中にあるという桃の木、三千年に一度しか実らない)、蟠蜿(ハンワン=へびや竜がうねうねととぐろを巻くさま)。

ウンカ=雲霞。くもとかすみ。群がる物のたとえ。≠浮塵子。

ガク=嶽(岳)。ごつごつした山。岳麓(ガクロク=山岳のふもと、日本では特に、富士山のふもとをいう)。

原=もと。はじめ、もとの。表外訓みとして覚えておきましょう。「もとより」と訓読してもいいかもしれません。最初から。



明治書院(P70)によれば、「霊峰富士を見ての作。『東海』は日本を巡る海、『玉芙蓉』は美しい蓮の花のこと。富士山の山頂には八つの峰があって、八弁の蓮華に似ているという。『中峰』は中央のひときわ高い峰。栗山が初めて富士を見たのは十七歳のとき、讃岐から江戸に向かう途中である。それ以後江戸で朝な夕なに眺めたであろうが、間近に見る富士には霊峰としか言いようのないすごさがある」という。

こちらの方は、朱子学こそ一番であるという気概に溢れた豪壮な詩です。富士山に事寄せて朱子学を究明することが学問だと言わんばかり。いずれも栗山の人柄を表しています。漢詩人も長い時間のうちにはその詩風も変遷するのでしょう。

本日のオマケ。現代日本漢詩界の泰斗、石川忠氏によれば(ここ)、「富士山」の詩は、杜甫の「望岳」をモチーフにしているといいます。この「岳」は、中国山東省にある五岳の一つ、泰山を詠んだものです。「泰山頽れ梁木折る」(=すぐれた人物が死ぬたとえ)や「泰山卵を圧す」(=この上なくたやすいこと)や「泰山の霤は石を穿つ」(=小さなことからこつこつと)や「泰山北斗」(=権威)などの成句でお馴染みですね。秦代から天子の即位の際の「封禅」の儀式を行う聖山として崇められていました。

杜甫「望岳」(岩波文庫「杜甫詩選」から)。

岱宗夫如何    岱宗 夫れ如何
斉魯青未了    斉魯 青未だ了らず
■■鍾神秀    ゾウカは神秀を鍾め
陰陽割■■    陰陽はコンギョウを割く
盪胸生■■    胸をしてソウウン生じ
決■入帰鳥    マナジリを決して帰鳥入る
会当凌絶頂    ず当に絶頂を凌ぎて
一覧衆山小    一たび衆山の小なるを覧るべし



【解釈】 泰山のみやまは一体いかなる山であるかといえば、斉の国や魯の国のころの青さがいまも続いているほど瑞々しい。万物のつくり主が神妙な霊気をあつめ、陰気と陽気がこの山に働いて昼と夜とを分け与える。重なった雲が湧きたってわがこころをとどろかせると同時に、山の塒に帰り逝く鳥の姿を、まぶたも裂けよとばかりに目を凝らして見入っている。いつかは、あの孔子がやったのと同じように絶頂によじのぼり、脚元に山々の小さく見えるのを眺めよう。

ゾウカ=造化。むぞうさに、物質をよせあわせて万物をつくり出す。また、自然を支配する道理。≠造花。

コンギョウ=昏暁。夕暮れと夜明け、朝夕。「愚かなことと智いこと」の意もある。

ソウウン=曾雲(層雲)。重なっている雲。この場合の「曾」は「層を成して重なるさま」の意で「かさなる」の訓みもあり。≠叢雲、早雲、漕運。

マナジリ=眥(眦)。上まぶたとしたまぶたが交わっているところ、目じり。「決眥」は「まなじりをけっす」と読み、「まなじりが裂ける、目を怒らして、かっと見はること」。「ケッシ・ケッセイ」と読めば、「矢が獣のまなじりを突き破る」の意。

盪かして=うごかして。「盪かす」は「うごかす」。ゆりうごかす、ゆれうごく。音読みは「トウ」。盪夷(トウイ=賊を、水を洗い流すように平らげる)、盪舟(トウシュウ=舟を陸上でうごかし移す、舟をひどくゆさぶる)、盪尽(トウジン=洗い流したようにすっかりなくなる)、盪滌(トウデキ=たっぷり水を掛けてあらいすすぐ)、盪盪(トウトウ=広々とした水面がゆれるさま、ゆらゆらととりとめのないさま、広大なさま)。

会ず=かならず。「会当~」とあれば「かならずまさに~すべし」と再訓読する。「そうしても~すべきである」「どうしても~する必要がある」と訳す。



杜甫がまだ三十歳、将来への夢にも希望にも満ち溢れていた頃の作品と言えるでしょう。泰山は1500メートルくらいしかないですが、中国人にとっては高さだけでは語れないシンボリックな山です。いつかは登攀制覇してこの世の一番になちゃる~。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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