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お懐かしい母上様の許に帰りたい…=12歳にして遖な漢詩を詠んだ龍草廬

物心もまだ定まらぬ十代にして故郷の母親から離れ、家計を助けるため、京都の商家に養子に引き取られる。そして、奉公の傍ら漢詩の勉学にも勤しむ。そんな苦学の「鑑」のような市井の漢詩人が龍草廬(1714~1792)です。彼が十二歳の時に詠んだとされる詩が「思郷」です。紀州に住む母親に毎月の仕送りは欠かさなかったといいます。

■■辭家客洛陽    ソウカク家を辞して洛陽に客たり
秋風一望白雲長    秋風一たび望めば白雲長し
歸心不爲■■美    帰心はジュンロの美なるが為ならず
■■慈親在故郷    スイハクの慈親故郷に在ればなり



【解釈】 まだ年端もゆかぬ身で、家を離れて都に客となったものの、秋風に白い雲の長くたなびくのを見ては、そぞろ思郷の情を催すのである。わたしが帰りたいと思うのは、晋の張翰のようにジュンサイやスズキの味が忘れられないからではない。ただ年老いた白髪の母上が故郷においでになるからである。



ソウカク=総角。角のように、子供の髪を頭の両側に束ねて結んだ髪の結い方。転じて、元服前の子供。熟字訓では「あげまき」ですが、音読みでこの漢字が浮かぶかどうかがポイントです。≠綜核、妝閣、爪角、臧獲、総画。

ジュンロ=蓴鱸。ジュンサイの吸い物と松江鱸(ショウコウロ、ヤマノカミ)の刺身。望郷の思いを簡潔に言い表す言葉です。蓴羹鱸膾(ジュンコウロカイ、すべて1級配当漢字で構成する珍しい四字熟語)の故事(晋の張翰が、自分の故郷のこれらの食べ物をなつかしみ、官を辞して帰郷した)を略した言い方。やや難問でしょうか。≠淳魯、順路。

スイハク=衰白。年をとり髪も白くなり、抜けていくさま。この言葉も一般的ではないでしょう。≠翠箔。



草廬が十二歳にしていかに中国古典を読み漁っていたかがうかがえます。斯くも自分の心情をストレートに詠んだ詩は、読者の拊心(むねをうつ)。「洛陽」はここでは「京都」を寓意する。「帰心」は「望郷の念、帰思、帰情、帰志ともいう」。晋の張翰をして望郷を抱かしめた呉の名物(蓴菜や鱸)ですが、恐らく草廬にとってもそれらを上回る好物はあったでしょうが、それが食べたいが為に家に帰りたいなどとは思わない。ただ、一人でいらっしゃる母上様の身が案ぜられてどうしようもなく居た堪れなくなるのです。

明治書院「新書漢文大系7 日本漢詩」(P61)によると、草廬は「帳簿づけの合い間に漢詩文を暗誦し、のちに宇野明霞の門下となった。三十代の後半から彦根侯に仕え、彦根に十八年住んだ。それ以後は京で『幽蘭社』という詩社を主宰し、多くの詩人が輩出している」とある。

先哲叢談(ここ)によれば、二十代のころ、師の明霞とは一悶着あり、破門された後、「学常師無し」と嗟いて、独学で荻生徂徠の学を究めました。とにかく商才よりも漢詩の才能に溢れていた。「諸葛武侯と陶靖節=陶淵明との人となりを慕ひ、謂つて曰く、吾出ては則ち武侯となり、處しては則ち靖節とならん、而して武侯の如きは時其時にあらず、甘んじて靖節たらんかな、而して二頃の田〔蘇秦の成語〕口を糊すべきなく、宅一區の身を置くべきなし、故に草盧〔孔明〕を以て號となし、松菊〔淵明〕を以て居に名くと」とのエピソードも載っています。草廬の号は、諸葛亮孔明の「草廬三顧」の故事から取っており、自宅の呼び名を陶淵明のシンボルでもある「帰去来兮辞」にある「松菊」に因んでいます。三国志の名参謀と稀代の隠逸詩人への憧れが感じられ、根っからの漢詩人といえそうです。
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Author:char
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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