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中国でも「その時歴史は動いた!」=荊軻・項羽・劉邦を活写した秋山玉山

本日は江戸中期の儒学者(朱子学)、秋山玉山(1702~1763)が中国史のエピソードを巧みに詠み込んだ二首をご紹介します。

明治書院「新書漢文大系7 日本漢詩」(P57~58)によると、玉山は「豊後(大分県)の人。……才能抜群であったため藩主に従って江戸に出、林鳳岡の門に入る。その学は鳳岡の代講をするほどであった。肥後(熊本県)に帰ってから藩校の設立を願い出、時習館を建学。玉山は督学となる。熊本の学問の基礎を作った人物である」とある。ちなみに、時習館の名は「論語」の中の「学んで時にこれを習う、またよろこばしからずや」より付けられました。


まずは「詠詩」。

昨日割一県    昨日一県を割き
今日割一城    今日一城を割く
割到■■胆    割いてソウシの胆に到れば
■■易水鳴    ショウショウとして易水鳴る



【解釈】 昨日は一つの県を割譲し、今日はまた一つの城(都市)を割譲するというように、飽くことを知らぬ秦の求めに応じた燕であったが、割譲が壮士の怒りを買えば、ただでは済まぬ。「風は蕭蕭として易水寒し。壮士一たび去って復た還らず」と詠い、一死をもって知己の恩に報いようとした荊軻であった。いかに秦の威をもってしても、凜凜たる壮士の心までは奪えない。今も当時のままに蕭蕭として風寒く、易水は音を立てて流れているのである。

ソウシ=壮士。血気盛んな若者、働き盛りの男。壮漢、壮夫ともいう。

ショウショウ=蕭蕭。ひゅうひゅうと風の吹きぬけるさま。



燕の太子丹が秦の始皇帝のもとに送り込んだ刺客、荊軻の故事です。陶淵明が荊軻を詠んだ「詠荊軻」を紹介した時、龍馬伝の岡田以蔵と重ね合わせてみた記憶があります(ここ)。荊軻の送別の宴を易水で丹が催しました。その別れに際して、丹は白装束。親友の高漸離が筑(琴の類)を奏でると荊軻はそれに和して次の詩を詠じました。「風蕭蕭兮易水寒、壮士一去不復還(風蕭蕭として易水寒し、壮士一たび去って復た還らず)」と。大国秦と小国の国盗り物語の模様を簡潔かつ「壮士」「蕭蕭」「易水」といったキーワードを漏らさずに玉山が見事にまとめています。


続いて、「鴻門高」。今度は項羽と劉邦の宿命ライバル対決を詠んでいます。「史記」にある「鴻門之会」を忠実に要約、再現しています。

鴻門高 高且雄    鴻門高し 高くして且つ雄なり
■■■■中     天のレキスウシコの中
謀臣不語目屢動    謀臣語らず目屢々動く
剣舞双双闘白虹    剣舞双双白虹を闘わす
屠児一入四座傾    屠児一たび入りて四座傾く
■■彘肩■■生    シシュ彘肩セイフウ生ず
君不見■■之肉飛生翼 君見ずやソジョウの肉飛んで翼の生ずるを
却望■■成五色    却ってテンサイを望めば五色を成す



【解釈】 鴻門は小高い台地になっており、雄大でもある。ここで項羽と劉邦の両雄が会見したのだ。もし項羽がその気にさえなれば、劉邦を殺して天子となるのも極めて容易であった。范増がしきりに目配せしてその決断を促したのだが、項羽は動こうともせず、范増はいら立って項荘に命じて剣舞に託し、劉邦を斬ろうとした。しかし、項伯が、そうはさせじと剣を抜いて舞い劉邦をかばう。このとき樊噲が侵入してくると満座すわと色めき立つ。樊噲は与えられた大盃を一気に飲み干し、盾をふせ剣を抜いて血の滴る生肉を切って食らう。そのすさまじさに一陣のなまぐさい風が吹きわたるかと思われた。さて諸君も御存じであろう。このとき、俎上の魚肉のようなものであった劉邦が、翼を付けたかのように九死に一生の危地を脱したことを。意外なことに劉邦が去った天空の彼方を眺めてみると五色の気が立ち上っていたのである。天子になるべき人物であることを暗示するかのように。

レキスウ=暦数。自然に定まっている運命、巡り合わせ。

シコ=指顧。呼べば答えるくらいの近い距離のこと。一般的には「指呼」ですが、こっちも同じ意味で「あり」です。呼べばすぐ振り返ることのできる距離。≠刺股、市賈、鴟顧、四顧、茨菰。

シシュ=巵酒(卮酒)。さかずきについだ酒。杯酒。「巵(卮)」は「さかずき、四升入りの丸い大杯、玉でつくったのを玉卮、その大杯についだ酒を卮酒といいます」。卮言(シゲン=「荘子」寓言篇にある語ですが、意味には諸説あります。①条件次第で変わる、臨機応変のことば②支離滅裂のとりとめのないことば③祭式の宴のすんだあとに発せられる、時事を風刺することば)。≠髭鬚、錙銖、斯須、諮諏、死守。

セイフウ=腥風。なまぐさい風。≠清風(むしろ対義語)。腥血(セイケツ=つんと鼻を刺激してなまぐさい血)、腥膩(セイジ=なまぐさく、あぶらぎっている)、腥臭(セイシュウ=なまぐさいにおい)、腥羶(セイセン=なまぐさい、けものの肉、外国人をののしっていうことば)、腥聞(セイブン=身持ちが悪いといううわさ、また、悪いことをしているといううわさ)、腥穢(セイワイ=なまぐさくて、けがれている)。

ソジョウ=俎上。まないたのうえ。「俎上肉」(ソジョウのニク=相手の考え次第で運命が決まるような境遇にいることのたとえ、生殺与奪の権を握られた状態をいう)。

テンサイ=天際。天の果て、空の彼方。李白の「黄鶴楼送孟浩然之広陵」に「唯見長江天際流」があります。≠天才、天災、転載、甜菜。



鴻門之会は秦が滅んで漢が建国される過程で起きた、中国史上でメルクマールなエピソード。秦を倒した殊勲者は劉邦。ところが、秦のあとの国で誰が皇帝になるかという問題に直面している中、他者に先んじたが十万の兵士しか持たない劉邦なのか、一歩遅れたが四十万の大軍を擁する項羽なのか。実力で奪い取るものという理屈が通らない世界です。ここに鴻門で持たれた酒宴の席で項羽と劉邦の駆け引きが行われたのです。普通に考えれば劉邦は負けるのですが、いかにしてこの窮地から脱出するか。表面上は平和な宴席。緊迫の時間が続きます。玉山が見事に活写しています。歴史を知らないものが詠んでも、登場人物のキャラクターは分かりませんが、その緊張感は伝わってきます。

第三句の「謀臣」は、項羽の懐刀、范増のこと。主君項羽に目配せして劉邦を殺すように合図を送ります。しかし、応じません。そこで今度は第四句にある「剣舞双双白虹を闘わす」。項荘に命じて、剣舞を余興に披露すると言って劉邦に近づき、機会をうかがいます。敵もさる者。項伯を送りこみ、同じように舞わせて防御します。そして、劉邦陣営は反撃に出ます。第五句の「屠児」の登場です。劉邦の護衛役の樊噲のこと。第六句にある「彘肩(テイケン)」とは「子豚の肩の肉、上肉です」。項羽は勇ましい樊噲に酒、なま肉をたらふく呑み食わせます。項羽と樊噲のやり取りの最中に、劉邦は厠へ向かい陣中を抜け出し脱出に成功しました。九死に一生を得た劉邦はその後、項羽と争いますが、最終的に天下の覇権を握り、漢王朝の建国に成功します。これにより今に伝わる文字が「漢字」と称されることになったのです。もしも項羽が覇権を握り、楚王朝が建国されていたならば「楚字」と言われていたかもしれません。「鴻門之会」はそれほど重大な意味を持っていたのです。その時、歴史が動いた――。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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